安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

大黒摩季新曲「胡蝶の夢」

2006-02-08 22:05:57 | 芸能・スポーツ
今日は大黒摩季新曲「胡蝶の夢」の発売日なので早速CDを買ってきた。

曲自体は昨年12月19日の日本武道館ライブの時に聞いたので一応、知っている。
ひとことで言うとバラード調。大黒摩季史上最も大黒摩季らしくない曲に仕上がっていると言っていいだろう。
でも、だからといって否定しているのではない。むしろ、こんな曲にも挑戦するようになったのか、というある種の感慨めいた思いがこみ上げる1曲である。
まぁ、今回はテレビ番組、それも昼ドラとのタイアップという事情があるから特別だと思う。いつもと同じ調子の曲を作ってくれた方が安心ではあるのだが、たまにはこういう脱線をしてくれるのもいいのではないだろうか。

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モバイルノート戦線、本格化へ

2006-02-07 22:16:53 | IT・PC・インターネット
軽量ノートPC復活か?

どうやら重量1kgを切るような軽量モバイルノートパソコンに各社が本格参入し始めたということらしい。
ということはつまり、私にも春が来たってことだ。

これまで、メインノート機を毎日持って歩くようないわゆるモバイラーと呼ばれる人たちにとっては悪夢の時代だった。
ノートパソコンはどれも3kgはあるような重厚なものばかりだったし、たまにシグマリオンのように軽くて操作性のいいPDAがあっても、PDAはあくまでも母艦の分身として使うものでそれ自体はメインにはなり得ないものだったからである。
モバイラーは、性能を犠牲にして軽量なPDAを持つか、そうでなければクソ重いノート機を担いでいくしか方法がないという時代が長く続いた。それはモバイラーにとって長い長い冬の時代だったのだ。

だから、PanasonicからLet's noteシリーズが出たときは思わず感動に涙したものだ(嘘)。

それ以来、モバイルノートといえば"Let's note"の独壇場だったわけだが、そこにPanasonic以外の各社が続々参入し始めた、というのがこの記事である。
これで、軽量ノートPCが百花繚乱状態になってくれればしめたもの。現行のPCがUSB1.1しか使えないため、動画編集・再生に不便を来していて、これに代わる軽量モバイルノートが欲しいかなぁと思っていた矢先だけに望むところだ。

本当は、Windows Vista搭載機が市場に出るのを待ってから買おうという考えもあったのだが、Vistaのβ版がようやく今年の夏に登場するという状況では、日本語版Vistaの製品版は早くて今年の年末か来年になるだろうし、第一Microsoftの新OSは初期バグがあるのが当たり前だから、出てすぐに手を出すとロクなことにならない。
どうせVistaにもすぐにSPが出るさ、というふうに呑気に構えて、本当にSPが出る頃を見計らって新OSに移行するというのがMicrosoftとの正しい付き合い方だと個人的には思っている。
つまりVistaは当分アウトオブ眼中で構わないということであり、XP搭載のモバイルノート機の購入に障害はなくなったということである。

ということで結論としては、善は急げ!電気屋に急げ! ってことになるのか!
それともまだ様子見なのか? どうする、当ブログ管理人!
続きは次号(…なのかどうかは未定)。

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あのスケバン刑事があやや主演で映画化…らしい

2006-02-06 22:35:18 | 芸能・スポーツ
4代目襲名!あややがスケバン刑事 (日刊スポーツ) - goo ニュース

スケバン刑事…懐かしい。私の青春そのものだ。
南野陽子の2代目スケバン刑事の末期などは、独特の世界観について行けなくて戸惑う時期もあったが、総じてこのシリーズは面白く、毎週欠かさず見たものである。我が家にようやくビデオデッキが入った時期で、都合で見られない週はビデオに録画してまで見ていた。
ちなみに、引用した記事では3代目スケバン刑事は浅香唯が演じた、とある。確かに浅香唯がヒロインだったので間違いではないが、3代目スケバン刑事は「風間三姉妹」と呼ばれた3人で、長女を大西結花、次女を中村由真が演じており、浅香唯は三女の役だった。

今では信じがたいかもしれないが、あのころのスケバン(というよりヤンキーの女子)は、床に着かんばかりのロングスカートをはくのが一般的スタイルだった。
ロングスカートにカラーソックス(校則違反)、上履きのかかとはつぶして履いていた。普通の髪型の子もいたがパーマ(校則違反)の子もいて、冬になるとカーディガンを羽織ることが多かった。今ではどうなのか知らないが、当時流行した嘉門達夫の「ヤンキーの兄ちゃんのうた」で「ヤンキーの兄ちゃんは~カーディガン着~る~」と歌われており、カーディガンはヤンキーの象徴だったのである。

私のクラスにも、そういうヤンキーの女子が4~5人くらいいたが、正直言って怖かったので、私はできるだけ目を合わせないようにしていた。休み時間になるとヤンキー女子同士で集まり、机の上に座ってよくおしゃべりをしていた。

とまぁ、私の青春時代はそんな感じだったワケだが、スケバン刑事シリーズというとこの服装、と私の頭にはインプットされてしまっているので、あややがミニスカートでといわれてもピンと来ないものがある。
でも、制服姿で暴れ回る松浦亜弥ってのも、一度見てみたい気がする。
私は多分、この映画、見に行くことになると思う。

しかし、スケバン刑事シリーズのDVDって、そんなに売れてるのかぁ。

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青春のうた BEST Collection

2006-02-05 22:53:21 | 芸能・スポーツ
青春のうた BEST Collection創刊号というCD付きの本を書店で見つけたので、買ってきた。
実態はどう見てもCDなのだが、書店で流通させるため書籍扱いになっている。CDとして売ればアルバム3,000円、シングル1,000円の縛りがかかるが、書籍扱いにするとその縛りがなく自由な価格設定で売れるというところに再販制度の矛盾を感じる。

それはともかく、団塊世代の青春の歌を再収録したこのCD、選曲が「あの素晴らしい愛をもう一度」(加藤和彦と北山修)、「心の旅」(チューリップ)などツボを突いている。書籍扱いのため安いし、絶対に売れると思う。

収録されている曲を聴いてみて思ったのだが、当時って絶対今よりもいい時代だったんだろうなぁ。

※この日記を読んでこのCDを買いたくなった方、書店へ行ってください。書籍扱いのため、CDショップにはたぶん置いていません。

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堀江由衣イベント「堀江由衣をめぐる冒険」in大阪

2006-02-03 20:58:59 | 芸能・スポーツ
標記のイベントに行ってきた。
本当は名古屋でも同じイベントがあった(2日)のでそちらを希望していたが、チケットが大阪しか取れなかったのだ。

イベントは全体がひとつのストーリー仕立てになっているのだが、週明け8日に東京でも同じイベントが予定されているとあって、ほっちゃん(堀江由衣の愛称)本人から8日までのネタバレ禁止令が出ているので、詳細はそれ以降にする。

ほっちゃんのイベントって、2003年10月の"SKY"発売イベント以来ではないだろうか。それから早くも2年半とあって実に久しぶりだ。
久しぶりの生歌とあって、前半は「おや? ほっちゃん、ずいぶん歌唱力あがったかな?」と思ったんだが、それも演出の部分が大きいような気がする。

しかも、ストーリーのネタバレにならないよう無関係な部分だけ述べるが、中盤でほっちゃん、実は“Love Destiny”の途中で思い出し笑いのように吹き出してしまい、歌えなくなってしまうという出来事があった。
歌の途中で突然吹き出してしまった理由について、ほっちゃん本人から説明があったが、それもストーリーと関わるため8日以降にする。

ちなみに、歌い損なった"Love Destiny"、アンコールで歌い直し、見事に歌いきる。
昔と比べて成長しているような、いないようなほっちゃんだったが、久しぶりに生で見れたことが嬉しく、大満足の2時間半だった。

お知らせ:遅くなりましたが、1月21日の水樹奈々バースデーライブのレポートを今ごろになってアップしたので興味のある方はどうぞ。1月25日の日記から見ることができます。

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匿名であるということ

2006-02-02 23:57:27 | その他(国内)
西正さんのブログで、匿名投稿をめぐる議論が盛り上がりを見せている。この問題では、ブログがインターネットの主流になる前のBBS時代からしばしば激しい議論が行われてきた。
ちなみに私は、匿名で発言したい者はすればいいし、実名で発言したい者もすればいい、と思っている。別に賛成でも反対でもない。

匿名コメントは無責任な内容のものが多いから匿名制は認めるべきでない、と主張する人たちはどういう根拠でそう断定しているのだろうか。
確かに匿名をいいことに無責任なコメントをする人たちもいるにはいるが、それは各人の資質や人格の問題である。例えば匿名でも書き込み内容がほぼ正確な人と、実名だが書き込み内容が間違いだらけの人がいるとしたら、信頼されるのは前者であり、後者が信頼されることはあり得ないからである。

それに、芸能人など特に有名な人を除いては、実名も匿名もさほど変わらないように思う。フリーライターの久保博司さんは、日本で犯罪者・容疑者などの名前が原則として実名報道であることについて、「もともと読者にとって、どこの誰かもわからない名前を報道されても意味のないことである。それなのに、このように実名報道がつづいているのは、みせしめとしては最大の効果が期待できるからであろうか」と述べている(「日本の検察」久保博司・著、講談社文庫、1989年)。
確かに、例えば3ヶ月前に○○市で起きた強盗事件の被疑者の名前は何だったか、と聞かれて即答できる人は少ないだろう。手口が猟奇的であったり残酷であったりするなど顕著な特徴を持った事件は別だが、ありふれた普通の強盗事件の被疑者の名前を一般の人はいちいち覚えていないのが普通である。したがって、無名の一般人に関して言えば、実名も匿名も変わりない、ということができる。
しかし一方、それならば、久保さんが主張している「みせしめ効果」とは何か、ということになるわけだが、これは実名が報道された当人をよく知る、いわば当人に近い立場にある人から受ける様々な不利益を指している。当人にとって関わりのない、ブラウン管の向こう側にいる人は簡単に自分の名前を忘れてくれるが、家族、親類、学校や職場といった実社会で当人と身近に関わりのある人たちはそうはいかないからだ。被疑者として実名報道されようものなら、こうした「近いところの人たち」から当人は白い目を向けられるのである。
「そうなるのがイヤなら新聞に被疑者として名前が載るような真似はするな」という圧力の中に犯罪抑止効果があるために、日本では実名報道が一般に行われているのではないか、というのが久保さんの主張だろう。

このように考えるなら、ネット上で誰かが匿名で発言をしなければならない状況があるとすれば、それは「本人にとって身近に付き合いがある人たちの圧力から本人を守る必要があるとき」以外に考えられない。
引用先のブログの運営者である西正さんは今のところ匿名を名乗らなければならない事態には追い込まれていないようだが、もし彼がそうなるとすればメディア業界内部から圧力を受けたときに限られるだろう。

そういえば、匿名掲示板として時に社会を騒がせてきた「2ちゃんねる」管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏が、かつてPC雑誌(だったと思う)で2ちゃんねるに匿名制を導入しようと思った理由についてインタビューに答えていたのを記憶している。西村氏の答えは、確か「企業の内部告発者など、実名は出せないが社会のために有意義な行動を起こそうとする人々を保護するために匿名制を導入したが、それがやがて“便所の落書き”的な無責任な言論へとつながっていった面もある」といった内容だったと思う。
今の2ちゃんねるからすれば信じがたいことだが、匿名制は無責任な言論を放任するために導入したのではなく、社会的強者の圧力によって言いたいことが言えないでいる人たちに言論空間を開放することが目的だった、というのである。誰を誰から守るときに匿名制が最もその効果を発揮するのか、たった今検証したばかりである。西村氏のこの発言は本音と見ていいのではないかと私は思っている。

人は誰でも「社会的に認められたい」「ここに自分という人間がいて、こういうふうに物事を考えているんだということを知ってほしい」という欲求を当然のものとして持っている。一方で、子供が親に言えない悩みを友人には打ち明けられる場合があるのと同じように、身近な人には話せないことでも、自分と利害関係を持たない全くの他人になら話せる、という場合もあるだろう。そういう場合の手軽なツールとしてネットやブログが台頭してきただけのことで、取り立てて大騒ぎするような話ではないようにも思うのである。

そういうわけだから、ネット上の匿名であっても、他人からその人を区別できる程度のオリジナリティーがある名前であって、かつその人が信頼に足る言論をしているならば全く問題はない。
むしろ、実名か匿名かは上記のような事情を総合的に考慮して決められるべきものである。

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白紙にもどそう遣唐使

2006-02-01 21:58:22 | 日記
うちの職場で、昨年夏あたりから極秘(というほどでもないけど)に進められてきたプロジェクトがある。
社会的にとても意義のある仕事をしている我が職場だが、名古屋市内の事業所に置いている施設は悪臭が発生するため、世間から見れば「迷惑施設」扱いであることも事実だった。
今回のプロジェクトで導入が計画されている施設は、既存の施設とは異なる全く新しい発想を採り入れたことによって悪臭そのものが発生しなくて済むようになる。長年、付近の住民に与えてきた「迷惑」を解消し、我が職場が陽の当たる地位に昇るための切り札として期待されているものだった。

そして、そのプロジェクトの実現可能性について最終判断を下すため、2名からなる調査団を北海道に派遣し、このプロジェクトを請け負う予定になっている企業の事業所を調査。今日、その調査団員2名が帰社したのだが…

調査結果:「既存の施設を置き換えるだけの信頼性を持つものとは認められなかった」

半年かけて積み重ねてきたプロジェクトが、砕け散る…

あぁ…
兵どもが夢の跡。白紙にもどそう遣唐使。敗軍の将、兵と語らず。

ショックでこれ以上書けません。
今日は、寝ます。

※「白紙にもどそう遣唐使」とは歴史年号を覚えるための語呂合わせ。
遣唐使の廃止は西暦894年。

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