安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

デンジャラスなあいつ

2006-02-18 00:14:42 | 鉄道・公共交通/安全問題
取締役過半数、退陣に賛同 日航内紛、社長苦境に (共同通信) - goo ニュース

安全をめぐるトラブルが続いている日本航空で、ついに経営陣の中からも社長の退陣要求が公然と出されるという事態になっている。
真偽のほどはわからないが、取締役会で社長解任なんて事態がそのうち現実のものになるかもしれない。

昨日も、知人から私の携帯あてにこんなメールが届いた。
「JALはヤバイ。今、燃料関係のトラブルで動き出していたのに降ろされた」

この知人によれば、羽田で日航機に乗っていたところ、機体が動き出してさあこれから滑走路へ…というところまで来て「燃料関係のトラブル」で離陸中止となり、全員が機外へ出されたという。しかも、機長と整備士が協議した結果「このトラブルは飛行に影響がないからこのまま離陸する」ということになり、トラブルを放置したまま離陸したというから、ある意味凄い。
その上、さらに驚いたことは、このトラブルがネットニュースにすら載っていないということだ。もはや日航でこの程度のトラブルは日常茶飯事だから、いちいち報道するだけのニュース価値すらないということか。

私は、1985年に520名が亡くなったあの御巣鷹事故以来、日航に乗らないと決めているが、どうやら正しい判断のように思えてきた。
先日発売された「ニューズウィーク」日本版の特集記事「航空会社危険度ランキング」によれば、全日空が世界284航空会社中安全な方から12位という輝かしい成績なのに対し、日航はグループ内で最もランキングの高い日本航空ジャパンですら60位で、46位のパナマ航空や52位のクロアチア航空より安全度が低い、という結果が示されている。
今回の内紛にしたって、社長のクビをすげ替えて安全面でのトラブルが解決するならなんの苦労もないわけで、問題の根はもっと深いところ、おそらく日航という企業の体質に根ざしているように思う。

そういうわけで、やっぱりこれからもしばらく日航に乗るのは避けようと思う。
誰にとっても命はひとつであり、高いカネを出して乗る以上、利用者には少しでも安全な会社を選ぶ権利があると思うからだ。

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ぎゃああ~!!(悲鳴)

2006-02-17 23:10:59 | 日記
中部空港で1周年行事 倖田來未さんも登場 (共同通信) - goo ニュース

…というわけで、セントレア開港1周年。
中部国際空港が開港してちょうど1周年のこの日、倖田來未さんをゲストに招いてイベントが行われたわけだが、この日の私はそれどころじゃなかった。
朝から電話は鳴りやまないし、回答期限本日中、遅延絶対ダメという調査依頼が2件も続くし、昼からは竣工なった新しい施設に導入した大型機械を据え付ける作業が待ってるし、その上こんな日に限って課内の同僚が風邪で休んでるし、もうヘトヘトだった。

それにしても、課内で現在雑用係に甘んじている中堅係員N。
こいつにはもう何も期待しちゃあいないし、もう私の中では頭数にすら入っていないのだが、せめて同僚がいないときくらいフラフラ歩いていないで働けよ。
その上、本所の課長から会議中の所長へ3度も電話がかかってきているにもかかわらず、「所長は会議中です」「じゃあまた後で電話します」というやりとりを延々と続けている。「会議が終わりましたら所長から電話させます」の一言がどうして言えないんだろう。

もう入社8年目の30歳だというのに、この程度のこともできないとは呆れる。いや、だからこそ彼は現在雑用係に甘んじているわけだが。
このやりとりを聞いて、隣の課で昨年採用になった新人が笑っていた。

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少年よ、大作を抱け

2006-02-16 00:12:41 | その他(国内)
私が定期的にウォッチしている小寺信良さんのブログが、また面白い考察をしている。
他人の作品を、自分としてのオリジナリティーを加えることなく、そのままパクってしまう人たちに苦言を呈しているのだ。

>サーチエンジンの発達により、近い将来ライターなどという職業は死滅すると言われたことがある。
>だが筆者は全くそうは思わない。オリジナルを考え出せる人間が一人も居なくなったら、一体誰が誰にリンクするのだ?
>逆に、オリジナルの発想ができる人間がどんどん死滅していくことで、筆者の付加価値はどんどんあがるんじゃないか。

小寺さんのこの考察は、少なくとも経済学的には全く正しいと私は思う。
そもそも富(経済学で言うところのストック)は“モノ作り”によってのみ生み出される。毛糸のセーターの値段が原料の毛糸より高く、自動車の値段が原料の鉄鋼より高いことに疑問を持つ人はいないが、ではなぜ原料よりも製品のほうが価格が高いのかと問われたときに、その理由を的確に説明できる人はどれだけいるだろうか?

経済学はこれを労働価値説によって説明してきた。原料を製品に加工する過程で、人間の「労働」が介在する。この労働が原料に付加価値をつけるのである。そして、つけられた付加価値の分だけ製品は原料より値段が高くなる。
労働価値説はずいぶん昔からある理論であるが、現在に至るもこれを覆すだけの新理論は登場していないから、未だに有効と考えることもできる。
要するに私が何を言いたいかというと、「富は生産活動すなわち“労働”によってのみ生み出される」ということである。

小寺さんのブログにある「チョイスしている人たち」が、そのチョイスするという行為に何がしかのステータスを感じているとするならばお門違いもいいところである。なぜならば、選択という行為は経済学的に見れば消費行動の一形態であり、間違っても生産活動の一形態ではあり得ないからだ。
これに対して「創作」は知的生産活動であり、生み出された創作物は、高いか低いかは別として商品価値を持っている。流通過程で付加価値がつくこともある。

そのように考えれば、ただチョイス(という名の消費活動)だけをする人間より、創作という生産活動をする人間のほうが経済学的に見て尊いことは明らかである。というより、チョイスだけをして生きる人間は、創作=生産する人間が生み出した富を食って生きているのである。

アリとキリギリスの童話ではないが、生産活動=労働に従事しないキリギリスだけで社会が構成されるようになったら、その社会は早晩滅びてしまう。社会全体が豊かになろうと思うなら、創作活動をする人間…小寺さんが仰るところの「オリジナルの発想ができる人間」がもっともっと増えなければならないのである。

だから、他人から供給してもらった物に不満を言うくらいなら、自分が供給する側になってやろう、稚拙でもいいから大作を作って世間をアッと言わせてやろう、という気概を持った人がもっともっと出てこなければ、日本は危ないと思う。

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聖バレンタインデー

2006-02-15 22:15:56 | 日記
昨日が聖バレンタインデーだったということに今日になって気付くようなサビシくカナシイ人生送っている私メでございますが、今日、出勤してお茶を入れようと台所へ行ってみると、チョコレートとおぼしきものが。

「男性のみなさまへ
お仕事お疲れ様です。バレンタインデーのチョコレートですのでみなさんでお召し上がりください 女性陣一同」

…ホッと心が和みました。
男性にとっては貰えたら貰えたでお返しが気になるし、貰えなかったら貰えなかったでヘコむし、女性にとっては好きでもない職場のクソオヤジに大枚はたいてチョコあげなくちゃならないし、いい加減この「義理チョコ」という風習はなんとかならんのかと思っていた昨今、これはなかなか良い方法なのではないでしょうか。
男性にとっては余計な心配しなくてすむし、全員平等だし、女性にとっても割り勘ならクソオヤジのために大枚はたく苦痛も軽減されるし、その上で一応世間並みに義理チョコを渡したというアリバイ作りにもなるし、義理チョコという風習に苦しめられている世の女性にお勧めします。

もちろん、ホワイトデーにも応用可能なので男性にもお勧め。

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再販制度は崩壊するか?

2006-02-14 23:07:34 | IT・PC・インターネット
小寺信良さんのブログで再販制度が取り上げられている。

先日も青春のうたBest Collectionの項で、CDとして売ればアルバム3,000円、シングル1,000円になるものが、書籍扱いになったとたんにその縛りがなくなって自由に価格設定ができるというところに再販制度の矛盾がある、と指摘しておいた。
今回の小寺さんの記事によって、同じ音楽でもCDが再販制度の対象になるのにDVDが対象にならないことが判明した。これはますますおかしいぞ。

そもそも最大2時間で映像付きのDVDが3,000円とか4,000円で売られているのに、最大74分で音声しかないCDアルバムが3,000円という時点で経済学の原則に反している。CDメディアとDVDメディアとの価格差を考えても、原価が安いCDの方が安くて当たり前だが現実にはそうなっていない。

そういうわけで、CDはそろそろ再販制度の対象から外してもいいのではないだろうか。
消費者の好みが細分化し、1億の日本国民がいれば好みも1億通りという状況になりつつある中で、何が売れ何が売れないかもわからない、あるいは事情通のレコード会社の手でマーケティングをしてみても雲をつかむような結果しか得られないというのであれば、家電のようにオープン価格にするか、価格表示はあくまでもメーカー希望価格として販売する手もあると思う。

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堀江由衣イベント・補足

2006-02-13 23:42:25 | 芸能・スポーツ
2月3日の日記で堀江由衣イベントのレポートを書いた。その際、「"Love Destiny"の途中で突然吹き出してしまった理由について、ほっちゃん本人から説明があったが、それもストーリーと関わるため8日以降」と書いたままその補足をするのを忘れていたことに気付いたので、補足させていただく。

このイベントは、不思議の国のアリスを真似たストーリー仕立てになっている。
ほっちゃんが住んでいる国では、国王主催の宴が開かれる時には、宴に指輪をお供えしなければならないのだが、その指輪をほっちゃんがなくしてしまったため、探すために旅に出て、そこでほっちゃんがいろんな冒険をする。
やがて、探していた指輪を黒いマントの男が持っているのを発見。ほっちゃんがその指輪を取り戻すために男と剣で闘い、ついに倒して指輪を取り返す。

…というストーリーで、シナリオではマントの男が倒された際にほっちゃんに指輪を返す段取りになっていたらしいのだが、大阪イベントではなぜかマントの男役の人が指輪をほっちゃんに返し忘れてそのまま持って帰ってしまうというハプニングがあったらしい。
それで動転してしまったほっちゃんが歌詞を吹っ飛ばして歌えなくなってしまった、というわけである。

いや、毎度ほっちゃんイベントはこういうコトがあるから楽しいのだ。

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近鉄奈良線、感動の大パノラマ

2006-02-12 21:34:04 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
人間誰しも、「さあ感動するぞ、感動するぞ」と待ち構えているときは、得てして空振りに終わるものだ。
逆に、自然体で物事に臨んでいるときにこそ、思いがけない感動をすることがあったりもする。
今日の未乗区間乗り潰しは、まさに思いがけない感動をした出来事だった。

今日の所要は午後から。午前中はまるまるフリーということで、宿泊先のホテルを遅めにチェックアウトし、関西の未乗車区間の乗り潰しに出かける。
初めは阪和線・鳳~東羽衣間の枝線に乗ることにする。こういう乗りにくい盲腸線こそ、乗れるチャンスが訪れたら確実にモノにしなければならない。いや、鉄たる者はチャンスがなければ作るくらいの覚悟がないと完乗などとてもできない。

ホテルを出て大阪環状線・西九条駅のホームに立つ。タイミング良く関空快速・紀州路快速が来たので乗車。高架化工事が進む阪和線を見ながら進み、鳳下車。鳳からは東羽衣支線に乗り換え、東羽衣へ。単線区間ながら1時間4本の列車が走っている東羽衣支線はなかなかの列車頻度だ。

来た道をそのまま折り返すのは鉄らしくないので、東羽衣到着後はすぐそばにある南海電鉄羽衣駅へ移動。快速急行で難波に出る。
そこから、あと2つの未乗車区間・大阪環状線今宮~JR難波(旧湊町)間の支線と、関西本線天王寺~奈良間をめざすが、JR難波から奈良までは直通列車が出ているので両方まとめて制覇できる。それにしても、湊町という由緒ある駅名をなんでJR難波なんていうセンスのかけらもない駅名に変えたんだろう。
30分ほどで奈良に到着。関西本線も全線完乗を達成した。

奈良駅前で昼食の後は、やはり来た道をそのまま帰るのは鉄らしくないので、これまた未乗車の近鉄奈良線で大阪都心に戻ることにする。どうでもいいけど奈良市内は小雪だよ。寒いよ。

奈良から乗った急行電車は、結論から言うと素晴らしかった。
特に、生駒トンネルを通過した後、石切から瓢箪山までの区間では、33パーミル勾配を下って行きながら、眼下に東大阪市の市街地が大パノラマのように広がっている。その雄大さに心を打たれた。こんなところでこんな大パノラマを見られるとは思っていなかったから、予想外の出来事に感動を覚えた。生駒山の山腹を走る電車の窓から見えるその大パノラマは、篠ノ井線の姨捨駅から見える長野の街並みにも決して引けを取らないだろう。
どうしてカメラを持ってこなかったのだろうと悔やんだ。もっと早くここに来るべきだったと思った。その素晴らしいパノラマをここでお見せできないことが残念でならない。

33パーミルを下り終えると、さっきまでの小雪がウソのように車内には陽が差し込み暖かくなってきた。生駒山の冬と平地である大阪の春。その間を国境の長いトンネルと33パーミル勾配で駆け抜けたのだ。
季節の変わり目をも体感させてくれる近鉄奈良線の素晴らしい生駒峠越え。いつかまた必ず来たいと思っている。

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まもなく3番線を戦車が通過します

2006-02-11 21:14:04 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
野暮用で大阪に来ている。
明日も所要があるので今夜は泊まりだが、ホテルを予約せずに来てしまったため、急遽、時刻表に掲載されている某ホテルを予約。大阪環状線に乗り、ホテル最寄り駅の西九条に着く。
電車を降りるとすぐに、ホームの自動アナウンスが女性の声で聞こえてくる。
「まもなく、さんばんせんをせんしゃがつうかします」

…………せんしゃがつうか? 戦車が通過?
この前例のない事態にドキドキしながら線路に注目していると、何事もなかったかのように3番線を「電車」が通過していった。
…西九条駅ホーム自動アナウンスの女性、アナタ発音悪すぎです。

ほどなくホテル到着。
しかしこのホテル、2種類の宿泊料金があり、大阪環状線の線路に面している方が騒音が大きいという理由で安くなっている。
一般人的には確かにそうだろうが、私のような鉄道ファンには線路に面している方が上級クラスという感覚である。それゆえに迷うことなく線路側を選ぶ。

うーん、大阪環状線が見えるこのホテル、なかなかいい感じ。

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闖入者だワン!

2006-02-10 23:31:48 | 日記
今日は私の仕事場にお客さんが愛犬を連れてやってきたはいいが、その愛犬くんが縄を解いて逃げ出してしまったため、私の仕事場の事務所の中を犬が走り回るという出来事があった。
幸い出入口の扉を閉めていたため大脱走とはならなかったが、机の間をすり抜け、カーペットを踏んづけ、果ては所長室まで乱入…

数分後、首輪をつかまれ“連行”されていくワンちゃんの姿がありました…
まぁ、今年1年はワンちゃんが主役ということで、戌年に免じてお咎めしないことにしますか。

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我思う、故に我あり(?)

2006-02-09 22:38:52 | その他(国内)
またまた西正さんのブログで、テレビにおける中央と地方の格差についてホットな論争が繰り広げられている。
しかし、私の目から見れば、たかがテレビごときでなぜこんな大騒ぎをしているのだろうという気がしないでもない。

私なんかは、スポーツ中継とニュース・報道番組以外、テレビなんてほとんど見ない。朝はNHKの「おはよう日本」を時計代わりに流しておき、家を出るときに消すとそのまま寝るまで一度もテレビのスイッチを入れないなんてこともザラである。
見ない理由はただひとつ、「面白くないから」だ。

まぁこんな言い方をしちゃナンだが、そもそも戦前までの日本人はテレビのない時代を生きていた。明治までの日本人はラジオもない時代に生きていたし、江戸時代は新聞もない時代だったが人々がそれで困るなんてことはなかったのだ。
テレビに限らず、存在することが当たり前になってしまうと、それがない生活を想像できなくなる。件のブログのコメンテーター達はテレビがあることを前提にあーでもないこーでもないと議論し、逆ギレ気味の人もいるようだが、「テレビなんてなくたって生きていけるさ」くらいに悠然と構えて、一歩引いてみることをお勧めする。
世の中の全ての存在を疑ってみて、その結果思惟する自分自身の存在だけはどうやっても否定しきれないと悟り、「我思う、故に我あり」の名言を残した哲学者ではないが、そうすることによって今まで見えなかった新たな境地が開けるかもしれないではないか。

要するに何が言いたいかというと、「いい加減頭冷やせよ」ってコトだ。

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