月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

祭休み権の確立の立役者!?Parachanの功績<月刊「祭」第40号 2015.3月-1>

2015-03-07 18:18:21 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
月刊祭もとうとう40号まで来ました。これもひとえにご愛読下さる約百名ほどの祭オタクのみなさまのおかげです。
今後ともご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

さて、今回は祭休み権を天下の吉本興業にブッこんだparachanこと、メッセンジャーのあいはら雅一(*吉本興業)さんの功績について考えていきます。
毎年、あいはらさんは、故郷である岸和田だんじり祭に参加のため、仕事を祭の日は休むそうです。某ウィキpディアによると、のっぴきならぬ事情で休んで祭に参加したところ、その現場を関係者に見られたとか、仮病を使って休んだとか。。。
今となっては、公認で休んでいるとか、昨年は休んでいなかったとかききます。

また、2009年には同じく岸和田出身のレゲエミュージシャンであるブッキーランキンさんとBEAR MANさんのプロデュースの元、
だんじり祭に参加する人たちの心情を歌ったCD(汗臭い俺たちの町/この場所で...)
をリリースしています。

「汗臭い俺たちの町」は、プロデューサーのBEAR MANさんの歌でYouTubeで聞けますが、非常に名曲です。

あいはらさんが、おそらく無自覚のうちに果たしたであろう功績は、非常に大きなものがあります。いかなる仕事でも、祭の日はやすませんかいという我々祭人の思いを、自らの行動で代弁してくれました。その活躍はまさしく「メッセンジャー」です。

後書きに代えて、祭休みと人権と異文化理解
日本国憲法では、全ての人が「文化的で幸福な生活」をする権利を有することが認められています。少なくとも祭という、人間の宗教意識の根幹に関わる行為を、強制労働によって認めなくする行為は、この国では認められていません。
また、昨今では「異文化理解」などということも言われてひさしくなりましたが、国内の異文化を認めないようでは、他国の異文化を認めることなんて夢のまた夢のようなことかもしれません。

*本来なら、吉本興業という会社名より先に、祭礼が行われる神社、参加していらっしゃるだんじり等を書くのが礼儀ですが、ご本人のプライバシーも考慮して控えさせていただきました。

粕谷宗関氏の著書 -屋台関係の名著紹介2-<月刊「祭」第39号 2015.3月-1>

2015-03-07 18:04:31 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
○播州屋台研究の金字塔
今回は名著紹介です。
粕谷宗関氏の「播州屋台記」シリーズ。粕谷氏は、仕事の合間を見つけては、各地の屋台を調査しその結果をまとめていらっしゃいます(以下尊敬語略)。
それまでは、粕谷氏以前は姫路市史などで、灘のけんか祭(松原八幡神社)や魚吹のチョーサ(魚吹八幡神社)
の祭の調査などはあったものの、播州屋台が必ずしも研究の対象になっているとは言い難い状況でした。某市史では、神輿屋根型屋台を鎌倉期制作の神輿として紹介されるなどの珍事もありました(友人による教示)。

そんな中で、各地の屋台の彫刻師や縫師、金具師、大工の系譜や作品を調査・記録したのが、氏の著書の数々です。
図書館などに置かれているのは主に次の4冊でしょうか。
「播州屋台記」
「播州屋台記 野の花は永遠に」
「しびれる美 屋台・だんじり・太鼓台」
「男が咲かす祭華」
いずれも名著であり、播州屋台研究にはなくてはならないものとなっております。また、他にもいくつかの著作があるそうです。

これらの著作による粕谷氏の功績はおおよそ下のようなものがあげられるでしょうか。
1 全くと言っていいほど知られていなかった彫刻、金具、縫物、大工の系譜やその作品を残したこと
2 派手ならいいという認識を改め、より高レベルな技術を業者にもとめる屋台が増えたこと。また、古い屋台の技術や価値を見直したこと
3 屋台文化に興味をもち、それを調べようとする人が格段に増えたこと
4 陰陽五行や阿吽などの法則に則って、屋台装飾のモチーフが作られていることを指摘し、それに倣う屋台が多くなった

いずれも統計はとれていませんが、かなりのいい影響を播州屋台界に及ぼしたのではないでしょうか。

また、私自身、インターネットが十分に普及していなかった学生時代は、専らこの著書を元に、祭見聞に出かけたものです。ただ、彫刻師に関する深い内容になると、自分の浅い知識では面白みを当初は感じられませんでした。
しかし、今読み返すと、知った名前の彫刻師が思いもよらないところの作品を手がけていたりするなどの事実を知ることができ、当初とは違う面白みを感じています。
そして、その功績の凄さに改めて圧倒されてしまいました。今後、播州屋台の研究史というものが書かれるならば、絶対に名前を上げるべき方と言えるでしょう。

粕谷氏の著書は、播州の祭人にもっとも影響を与えた著書の一つと言って過言ではないでしょう。



編集後記
私自身、粕谷氏に憧れて祭の研究を続けてきました。興味の対象は少し違いましたし、研究ノートですが、学術系の雑誌に掲載して頂いたり、研究会で発表する機会を頂いたりもするようになりました。ブログも見てるよとの声をかけて頂くことも増えてきています。それもまた、まるで、自分の町や村の青年団の後輩に対するように親切にアドバイスをくださったマツオタの諸先輩方のおかげです。

そのような様々な方の助けをもって文章を書く中で感じたことが一つあります。
それは書いている文章に間違えがあって当たり前ということです。拙著では私自身のザルの目、査読者の方々の綿密な目をもってしても間違いが残ってしまいました。また、本ブログに関してはご存知の通りです^_^;。

間違いはその地域の方に対して非常に失礼な行為でありますが、その間違いによって文章全ての価値が損なわれるわけではないとも感じています。特に若い人たちが荒削りな部分がありながら、非常に素晴らしい研究を成し遂げようとしています。

いかにそのような人たちのモチベーションをあげるかが、先輩マツオタ(ここでは、調べる人の意味)の使命?といえるのではないかと、最近考えています。

個人的には、一つの屋台、だんじりに各世代ごとに何人かづつ、マツオタがいればいいかなと感じています。