月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

411.雄弁すぎる彫刻師の二文字(月刊「祭御宅」2023.3月2号)

2023-03-15 20:25:22 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
令和四年一月八日九日、祭職人展、一年以上たって振り返る
昨年、イーグレ姫路で祭職人展が盛大に行われました。管理人も「播州祭馬鹿」の一員として、作品解説やパネル作成に微力ながら携わらせていただきました。
自分なりに精魂込めて解説文を書いたつもりですが、わずか二文字に管理人は惨敗しました。
 
下の写真は管理人が解説を書いた作品ではありません。展示されていた飾り金具と狭間彫刻です。
 
 
●ボンクラ祭ブログ管理人、あれこれ屁理屈こねましたが。。。
「我、名文を書いたり」と思って、いざ展示をしてみました。が、名だたる名作を補足するにたる文章を書けたかどうかは、かなり疑問です。特に、場面解説ではない表現方法の解説。実際に作品を作っていない人間、しかも、彫刻、金具、大工仕事、刺繍、すべてにおいて周りの若い人や先輩に教えてもらう立場の人間の言葉にはやはり限界があるように感じました。
 
 
●雄弁すぎる二文字
下の作品を見てください。
これは、貳代目小河義保師が彫られた作品です。
 
そこに書かれていたのは「カニ」。
の二文字。
いや、「見たらわかるがな。」
と心の中でつっこんだのですが、
「見たら、わかりすぎる」ほどカニです。
木なので動かないのですが、動き出さない方が不思議なほどカニでした。
作品のすごさ、小河師の腕を語るには、実物があれば二文字でことたりるようです。みたまんまシンプルにかくことで、その作品のよさは十分に伝わるのでしょう。
ご高齢の小河師の実演、観客にまじって若い彫刻しさんたちがじっとみていらっしゃったのが、印象的でした。
 
 
●編集後記にかえて-職人さんの語り-
この展示の中で、職人さんたちが実際に語るという企画も行われました。漆塗り職人の名工としても知られる砂川師は、この日ばかりは、みのもんたもびっくりの名司会者ぶりで、それぞれの職人さんたちの生の声を笑いも交えながら、届けてくれました。
その中でも、そのマイペースぶりでひときわ大きな笑いをかっさらったのが、錺金具職人の北角師です。北角師には、独立される前からわれらが明石町屋台も非常にお世話になっております。
マイペースぶりに笑いにつつまれながらも、さすがは、名工として知られる北角師。自らのことを「まだまだ」とおっしやいました。この言葉を聞いたとき、自分達の屋台が、常に高みを目指すこの方のお世話になっていることが誇らしくおもえました。
管理人にとっては、自町がお世話になっている北角師が誇らしく思えた会となりました。そして、同じような思いを、それぞれの屋台関係者がそれぞれお世話になった職人さんを誇ることができる会になったと思います。
この会に携わるきっかけとなった播州祭馬鹿、姫路市商工会青年部、推薦してくれた某氏に御礼申し上げます。
 
-最後に管理人も名解説にチャレンジ-
多分、生きているなかで一番の作品解説ができると思います。
 
 
 
 
 
 
 


北角師製作
ネコ
 
 

388.伝承の再現だんじり-大阪市城東区諏訪神社-(月刊「祭御宅」2022.7月4号)

2022-07-27 11:30:28 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
令和元(2019)年、諏訪だんじりは新調されたそうです。そこには地元の伝承や文化財への敬意があらわれていました。

●ひとまずだんじり全景
このサイトによると、新調だんじりは本体製作は大下工務店、彫刻は辰美工芸が担当したとのことです。




●獅子ではなくよく見たら、、
 後面の懸魚を見ると見事な獅子、、ではありません。

実は、、、











獅子舞です。
諏訪神社は豊臣時代から伝わるとされる獅子舞がつたわっているとのことです。市の無形民俗文化財に指定されております。だんじりのような華やかな文化いがいのものも大切にされていることがつたわってきます。


●左専道
獅子舞は正面の番号持ちにも彫られています。文字には、「左専道」とあります。

左専道は、もともと左遷道とよばれていたそうです。菅原道真が太宰府に左遷されたときに諏訪神社にたちより岩に腰かけたという伝承がのこっています。
正面懸魚にその場面か彫られています。


そのおりにすわったという腰かけ岩は今も残っています。









381.納得行く新調・改修の共通点(月刊「祭御宅」2022.2月1号)

2022-02-27 04:37:01 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
屋台のこのみは人それぞれ
 屋台の好みは人それぞれ違います。
といってもそれは、あくまでバランスの話で、やっぱり技巧を凝らせたものであってほしいという思いを持つ人が大半です。そのような屋台が無事に出来上がってくると無事終わるとやっぱり嬉しいものです。
このような屋台が出来上がってくるためには、どのようなことを心がければいいのでしょうか。

●名屋台ができあがるところについてくるもの
屋台全体や一部を新調改修するにあたり、満足な結果がともなってくる屋台には、かなりの割合でついてくるものがあります。
それが、職人さんとの交流のエピソードです。いい屋台を作りたいという思いは、職人さんの仕事場へ足を運ばせます。ときには、一緒に飲んだり、仕事を手伝ったり、場合によってはけんかもしたり、というエピソードもついてきます。
そのような交流によって生まれた屋台は、納得行くものに仕上がってくることが多いように、話を聞いていると思います。

編集後記
 もう一月以上も前になりますが、令和祭り職人展少しだけお手伝いさせていただきました。
我らが明石町屋台の金具を担当してくださった北角和久師(当時は竹内錺金具店の職人)も出品、トークショーにも出演されました。決して上手とはいえない不器用な喋りで笑いをとりまくっていました。でも、「ずっと挫折している」などと、常に高みをめざすからこその言葉を聞くことができました。自分達の屋台をこの方にしてもらってよかったと思えた一日でした。






369.屋台を新調する意味-星陽中、三木中合併におもう(月刊「祭御宅」2021.8月1号)

2021-08-02 12:33:10 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
管理人は古い屋台が好きです。
が昔は違いました。
特に子どものころ。
華やかな屋台がすきでした。
古い屋台が新しくなることに寂しさを覚えるのも本当の気持ちですが、華やかな屋台に胸をはる子どもたちの気持ちを思うと、やはり新たな門出を祝いたくもなります。

星陽中と三木中の合併をむかえ、華やかな屋台が多い旧三木中校区にひけをとらない屋台が、六社神社に昨年生まれました。古い屋台の良さを残しつつ、新しい華やかさも兼ね備えた屋台に、三木中校区の新しい友達に誇れる屋台に六社神社の屋台は生まれ変わったといえるでしょう。


編集後記
当時の神戸新聞の記事をキャプチャしようと思ったのですが、見当たりません😵


368.明石町屋台先先代水引き幕・海女の珠とり(月刊「祭御宅」2021.7月6号)

2021-07-31 19:47:44 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●明石町屋台の海女の珠とり
 一昨年、この展示を見るために訪れたの香川県高松市でした。高松市志度に伝わる「海女の珠とりを伝説」。この伝説は我らが明石町屋台の水引き幕の題材になっています。
かつて、某ボンクラ祭ブログの管理人は、草野球でエラーを含む四度の捕球機会を全て落球するという失態をおかしました。その時彼は自らの気持ちをこう詠みました。
「志度の海女 珠とる幕の町の子を
しどたま落とす アマと呼ぶなり
訳:志度の海女の珠とりの水引き幕の明石町屋台の人を、四度(しど)たまを落とすアマチュアマと呼ぶ。」
 
前置きが長くなりましたが今回と次回は明石町の海女の珠とりがテーマです。
 
 
●海女の珠とり
 海女のたまとり伝説は、おおよそ下のような物語です。こちらのサイトを参考にしました。
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藤原不比等は讃岐の国で、身分の低い海女と出会い恋に落ちます。龍に奪われた面向不背の玉を取り返すことができれば、海女のお腹の子を後継にするという約束を交わし、海女は龍宮に向かいます。
玉を取られて怒った龍は海女を追いかけます。海女は自らの乳房を刃物で穴を開けそこに玉を隠し、不比等の元へ持ち帰りますが、間も無く息絶えます。
その子が藤原氏繁栄の礎となった藤原房前です。
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謡曲では続きがあるのですが、ここでは省略します。
 
先先代明石町水引き幕
下の写真の明石町の先先代水引き幕は、現在三木市立堀光美術館横の倉庫に保管されています。
明石町屋台は、昭和天皇即位奉祝にむけて、淡路の大工棟梁柏木福平氏による昭和初期の大改修がなされました。それからまもなく、この水引き幕の新調、あるいは改修が行われたと思われます。
 
 
↑鳳凰船に乗る藤原不比等たち
神功皇后の三韓遠征ものなどでも、鳳凰船に乗ったものとして描かれています。貴人の乗る船として、鳳凰船や龍頭船などがあります。海女さんを追いかける龍との対比で鳳凰が選ばれたのかもしれません。
 
↑海女さん
波山間に縫われています。幕の上半分に配置されるのは、龍との視点を合わせるため、たくしあげていた時代の名残などが、その理由として考えられそうです。この題材の主役は、貴人である不比等でも、王位などを象徴する龍でもなく、この名もなき海女さんで、屋台正面に配置されます。
 
↑龍
 見る側からすれば、水引幕の迫力を感じるところです。鳳凰船、龍、龍宮などは上下いっぱいに縫われているので、たくし上げることを意図して作られた水引ではなさそうです。もともと海女さんを正面として作られた水引幕ですが、新調された明石町屋台では、龍の迫力を好んで龍が前につけられることもあります。
 
↑龍宮
三連の城で、上部には鯱がついています。そして、扉の裏には○明の文字が。
 
 
次回あたりに明石町が海女の珠とりを選んだ理由について考えていきます。

356.三木市民要注意!!勝手に屋台新調修復補助金ガイド(月刊「祭御宅」20210101号)

2021-06-01 19:00:35 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

●屋台新調・改修・修復に使用される補助金のメリット
 近年、屋台新調・改修・修復で補助金を使うことが増えてきました。
 不況の中では、各屋台にとっては補助金使用のメリットははかりしれませんし、一方で、本来なら我々の祭に関わることのない団体に、補助金という形で関わる機会をあたえることになるので、双方にメリットがあるといえます。とはいえ、必ずしも我々屋台関係者側にとってはその制度が十分なものとは言えないし、まだまだ地域活性化や文化財保護の理念からも隔たりがあるのも事実です。
 そこで、新調・改修の補助金と修復の補助金それぞれ一つずつあげ、それぞれの気をつけなければいけない点や問題点を書いていきたいと思います。

●新調・改修の補助金
 新調や一般財団法人 自治総合センターコミュニティ助成事業 | (一般コミュニティ助成金 jichi-sogo.jp)は、いわゆる宝くじの補助金です。コミュニティ助成事業は都道府県で割り振られた一定の金額を、申請したものに振り分ける形式であり、一団体100万円~250万円くらいもらえるみたいです。新調・改修などにも使えるのでかなり便利ですが、屋台やだんじりに似合うとはいえない宝くじマークをつけろとのお達しがあるのが非常に残念な点です。屋台の祭に関わる名誉と広告効果を考えるならば、につかわしくないマークをつけることの強要は控えなければなりません。

●修復・復元の補助金のザックリ概要 
 地域文化財総合活用推進事業(文化庁文化芸術振興補助金(2)伝統文化継承基盤整備(ウ)用具等整備事業92928701_37.pdf (bunka.go.jp))が、修復・復元にかぎられた物となります。 

 管理人が見る限りでは運営方法が自治体によって異なります。
 一つが毎年一台の屋台やだんじり一台に補助金をつぎこむというやりかたです。後者は、ある程度の相場を知っている人が指導する必要がありますが、かならずしも有識者とされる方がそうであるとはかぎらないのが頭の痛いところです。

 もう一つが三木市のように毎年複数の屋台に分配するという形です。一台あたり多くても100万円程度でしょうか。しかし、これにも制約がふえてきており、頭の痛い問題となっております。次に祭り関係者、特に三木のように複数の屋台に補助金を分配する方式の自治体の注意点を書いていきます。


●地域文化財総合活用推進事業(文化庁文化芸術振興補助金(2)伝統文化継承基盤整備(ウ)用具等整備事業)の注意点
 複数の屋台に分配するという形式だと、各屋台の大規模な復元や修復ではなく、こまごまとした修復や法被(個人持ちはできない)などの修復にあてられます。
①あくまで、元の状態への復元 
 サイズをかえる、普通の電灯をLEDに変えるなどが許してもらえない、安全のための補助材の取り付けが許してもらえません。

②破損修理が認められなくなった。
 そして、厄介なのが破損修理がみとめられなくなったことです。一方で劣化によって壊れたものは修理できるとのことです。破損修理を恐れることで、伝統的な運行ができなくなる恐れがあるので、これも本来なら破損修理をみとめなければならないのですが、現状はそうなっていません。

➂識者指導=若い祭研究者に泥をかぶらせないように
 この補助金は学識経験者などの識者に指導してもらうことになっています。最近では少しずつ屋台の専門家を目指す研究者の方もいるようです。このような人たちがそのような識者となった場合、何かあった時の責任が若い研究者にいくことも考えられます。プロの専門家不在(プロ以上に偉大な功績を残している在野の方はたくさんいます)の屋台学。それを志す若い芽を摘むようなことはしたくないものです。

④休みの年がある
 そして、最も気をつけなければならないのが、何年かに一回、たしか五年に一回休みの年があることです。三木市は令和四年度は休みの年になります。皆さんお気をつけて。

 


編集後記
 何度か新調や修復に関わらせていただく中で、各屋台の関係者の方が本当に苦労している姿を見てきました。本来なら、「お上がかわるべき」ですが、今のところそれは期待できません。なので、自衛するしかないのが現状です。


332.巨大!!浜の宮天満宮天神屋台の露盤着脱(月刊「祭」2021.4月3号)

2021-04-04 23:46:30 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●天神屋台入魂式
素木だった浜の宮天満宮の天神屋台が、漆塗りや金具のとりつけなどが完成し、令和3年3月28日に入魂式がとりおこなわれました。
 
播州最大級の屋台として注目が集まっていました。しかも、浜の宮天満宮といえば、姫路市指定の文化財にもなっている台場ざしという、屋台の泥台を差し上げるという荒業で知られており、天神屋台もその屋台で行うことになります。
 
 
上の映像は須加屋台の台場ざしです。この台場ざしを、素木状態より漆が塗られ金具がついたことでさらに重くなった天神屋台がどこまでできるのかに、注目が集まっていました。 しかし、生憎の雨により台場ざしを見ることはできませんでした。
 
●天神屋台の露盤、擬宝珠着脱
しかし、やっぱりその大きさが規格外だということは、露盤と擬宝珠の着脱を見るだけでも一目瞭然でした。
ひとまずは、従来の屋台の露盤と擬宝珠のとりつけを見てみましょう。露盤を一人で梯子でもって上がっているのが分かります。

 
次は天神屋台です。余談ですが、生まれて初めて動画にテロップをいれました。
露盤を持つ人の両サイドに脚立をおいて、補助にはいっています。運搬も複数人でしていることも分かります。露盤を複数人で持つ屋台。本体はどれだけ重いのでしょうか。
担いだ友人は口をそろえてめちゃ重かったといっていました。肩が強いほうで通っている彼らをそこまで言わしめる屋台。露盤だけを複数人で運ばなければならない屋台。天神屋台は規格外といえるでしょう。
 
規格外の大きさの天神屋台がどのような運行をするのかが楽しみなこれからです。

327.狭間、欄間の立体感(月刊「祭」2021.3月1号)

2021-03-11 21:05:00 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●言うは易し、やるは難しの立体感考
今回は「立体感」のある狭間、欄間とはどういうものかを考えていきます。
 ここでは、「立体感がある」というのは、「立体的に見える」という意味で使います。


二次元(絵)の立体感の出し方
 まず、絵の場合はあらゆる工夫が必要となります。思いつく限りでは、①影をつける。②奥行きなどの線を一定の決まりに基づいて引く。という2つの方法があります。
 
①影をつける
 影をつければ、円が球のように立体感を持って見えてきます。





②奥行きなどの線を一定の決まりに基づいて引く
  アの絵は正面から見たビルです。
 イは奥行きの線を1つの点から出した線上に表す、一点透視図法を使ってみました。このようにすれば、立体感を感じる表現になります。
 絵の場合、平面に描く以上、なんらかの工夫が立体感を得るためには必要となってきます。



●「いい狭間、欄間彫刻」の絶対条件-立体感
 さて、ここからが本題です。狭間、欄間彫刻において、どうしても欲しいのが「立体感」です。これが感じられる彫刻が、いい彫刻となるための必要条件になると言えるでしょう。
 そのためにはどのようにすればいいのでしょうか??
 それは、「立体的」に彫ればいいと思われます。
 
立体的に彫るためには?
 「立体感を出す」ための方法が「立体的」に彫るということです。立体的というのは、実物の大きさと同じ比率で彫ることです。つまり、横幅と高さを20分の1にしたならば、奥行きも20分の1にすることです(下図B)。逆に、横幅と高さは20分の1なのに、奥行きだけ40分の1にしてしまうと立体的な彫刻は不可能になります(下図A)。
 
 


 彫刻の場合、想像を絶する努力で彫る技術を身につけることができたならば、横幅、高さ、奥行きを全て同じ比率で縮小(拡大)して彫ることで、立体的な彫刻は可能になります。
 
●狭間、欄間の工夫
 本文の前に
 この記事より、この書籍の方が、この記事で言おうとしていることを、正確に詳しく理解できます。
 
 
狭間、欄間の立体感はスペース確保の歴史
 
1 狭間に高さのない屋台
 上の写真は加古郡稲美町住吉神社印西屋台の狭間です。非常に精巧な彫刻で、狭間はおそらく一枚板で作られています。現在三木、姫路、高砂などで見られる多くの屋台よりも狭間の高さはそんなにありません(おそらく20センチ以下)。精巧で見事な彫り物ですが、狭間の高さが限られているので人物もその大きさに、合わせて作られています。
 そこからさらに大きな人物を彫るための工夫が生み出されます。

2 大きな人物を彫るために
 
 結局大きな人物を彫るには、狭間の高さを高くしないといけません。しかし、狭間の高さを高くするだけでは、上の図のAのようになってしまいます。
 そこで、板を合わせるなどして奥行きを出し、結果、前面にせり出す構造の狭間が作られるようになりました。
 上の写真は、加古川市日岡神社の旧大野屋台(現在は加古川総合文化センター所蔵)のものです。下から撮影すると狭間がせり出しているのが分かります。
 
まとめ
①狭間、欄間で「立体感」を出すためには実物と同じ比率の高さ、奥行き、幅の「立体的」なものをつくるのが、シンプルな方法です。
 
②より大きな人物をつくろうとするために、狭間の高さを高くすると、それにともない横幅を大きくし、さらに、奥行きも出さないといけない。そのためにせり出した構造のものが生まれた。
 
 
 


 
 


 
 





 
 

324.屋台と車、レトロ回帰の90年代(月刊「祭」2021.2月1号)

2021-02-12 16:15:00 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
伝統回帰?ザックリ1990年代の日本(管理人独断)
 この頃の日本はバブル崩壊もあったのか、「ヨーロッパ、新しいもの嗜好」から「アジア、国内、伝統回帰」が見られたように思えます。
 猿岩石がヒッチハイクをすることで、アジアの旅行を志す人が増えました(多分)。隣国ヘイトを加速させたので管理人は好きではないですが、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」で古き日本に想いを馳せる人が出てきた面はあったと思われます*。
 ダウンタウンの松本人志さんが、作務衣を着たり、東洋式龍の革ジャンを着てで始めたのもこの頃だと記憶しています。
 そんな感じで、日本の伝統や古いもの回帰の見られた90年代、車も屋台もその傾向があったようです。
 そこで、90年代のレトロ回帰した様子を車たら屋台それぞれで見ていきましょう。
 
*残念なのは、祭ヘイトな愚か者のかなり多くの割合(管理人が数えた限りでは8割程度)は、隣国ヘイトな者たちで、祭という面では「ゴー宣」はプラマイゼロとなります。社会的には差別推進の面が大きく、社会的には大きな衰退を促した著作群であると管理人は評価しています。
 
●車のレトロ回帰
 とりあえず、画像なしですが思い浮かぶ車種を挙げてみます。
 クロスカントリー風の車だそうです。
 
 ミツオカ自動車でマーチベースだそうな。美遊人と書くそう。
 
 リンク先の記事によると、レトロブームの火付け役はスズキだったそうです。
 
 90年代後半ころ発売されたものは、よく外車?と聞かれることがありました。


 
 写真は管理人が所有していたものです。
レトロ風ですが、ミラーはドアミラーがつけられていましたし、ハンドルにはエアバッグが入っていました。

ミラジーノ
 友人の所有車です。ドアミラーをフェンダーミラーに付け替えています。




 
レトロ「風」車の特徴
 本当にレトロな車ではなく、レトロ「風」車なので、現代的な特徴もあわせもっています。
 一つ目がフェンダーミラーではなく、ドアミラーであること。おそらく多くのものが自動で開閉できるものだと思われます。
 二つめは、エアバッグ。レトロな車だとエアバッグのない細いハンドルがカッコ良かったりしますが、多くのレトロ「風」車はエアバッグがついています。
 安全性や利便性を損なわない範囲でのレトロ回帰であったことが、90年代のレトロ「風」車に見ることができます。
 
●屋台のレトロ回帰
 90年代の屋台のレトロ回帰は主に神輿屋根屋台で見られたように思います。その契機のきっかけとなったのは、やはり粕谷氏の存在が大きかったと思われます。地味だけど優れた工芸のある屋台の再評価の熱が高まりました。
 分かりやすいのは屋根の昇り総才の部分です。そこで、90年代に昇り総才の金具を箱形にした二つの屋台を見ていきます。
 
松原八幡神社 木場屋台
屋根の四隅から頂上に昇る部分を「昇り総才」と呼びます。そこに華やかな金具をつけており、総才金具などと呼ばれています。下の写真のような飾り金具の分かれ目があるものが、箱形とよばれる昔からよく見られるものだそうです。
 
 戦後あたりからでしょうか、経済的に豊かになるにつれ、分かれ目が分からないようなものが増えてきたそうです。しかし、木場屋台は平成五年(1995)年の屋台新調で箱形のものをしつらえました。
 
 
英賀神社 山崎屋台
1990年代末より小さな屋台から大屋台に変える計画が立てられ、2000年に完成した屋台です。管理人に屋台、特に、神輿屋根屋台を教えてくださった師匠でもある播州祭礼研究室の皆さんが新調に協力しました。屋根の勾配も主流になりつつあった急なものではなく、やや浅めに作られたのもレトロ回帰の流れと言えるでしょう。


 

完全にレトロ回帰したのか
 とはいえ、上の二つの屋台はともに完全に昔のものに戻したとはいえません。
 まずは大きさです。山崎屋台は大屋台にしていますし、木場屋台も「灘のかんか祭」で練り合わせができる大きさのやたいです。
 そして、練り棒のボルト止めも現代化したものと言えるでしょう。

●レトロ回帰した屋台、車のレトロにならなかった部分
 車は見かけがレトロ回帰していましたが、安全や利便性の機能はレトロ回帰していませんでした。
 屋台もまた、金具などの見た目はレトロ回帰しましたが、練り合わせなどを考えた大きさなど機能や安全に関わる部分は、レトロ回帰にはなっていないようです。
 
 
 
謝辞:
 下の二社の自動車会社のおかげで本記事が出来上がりました。そして、管理人の安上がり自動車中心マツオタライフもこの二社のおかげでなりたっております。あらためて感謝申し上げます。
 
 30万という低予算で好みの車を伝えたところ、しっかり走る車を斡旋、販売してくださいました。
 お客さんのニーズに応えてくださる信頼できる車屋さんです。
 
 先代のボレロ の購入、友人の車のミラー付け替え、塗装をしていただきました。旧車大好きな社長さんは、1930年代の自動車を復活しようとしています。
 




 
 
 

307.六社神社屋台に見る屋台新調の新たな方向性(月刊「祭」2020.10月4号)

2020-10-21 17:56:00 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

●コロナ禍の下で行われた屋台お披露目
 賛否両論はあるものの、コロナ禍の下でも、屋台やだんじりを少しだけ動かしたり、飾り付けなどをしたりするところがありました。その動機の一つとなったのが、たまたまこの年に屋台、だんじりの新調・改修したことをうけてのお披露目です。
 管理人は、以前寄付するといってしていなかった六社神社の屋台の衣装新調、本体回収のお披露目に行ってきました。限界集落になっても屋台を残すという強い意志のもと、クラウドファウンディングなどを活用して改修はなされました(関係記事)。
 
●先代の水引幕、高欄掛
高欄掛
絹常製の源平物です。








水引幕
 龍の浮物刺繍です。結構な「値打ちもん」ですが、修復は難しいそうです。




提灯
 絹常製です。


布団締め
 竹に虎です。無地のころの名残が見られ黒地の割合が現在のものに比べて大きいです。




 
屋台全景
 いわゆるセンベイフトンと呼ばれる薄い屋根の屋台です。味わい深い渋みを感じます。

↑六社神社屋台のクラウドファウンディングウェブページより
 
●新調後
高欄掛
 以前の源平物から退治物にかわりました。今回の新調のメインは高欄、水引、布団締め、提灯の刺繍で、三木が誇る城戸刺繍店が刺繍を手掛けています。

↑素戔嗚尊八岐大蛇退治

↑源頼光蜘蛛退治

↑源頼政鵼退治

↑伊勢三郎?鷲退治
 
水引幕
 龍の水引幕は踏襲されました。以前のものは緑、あるいは青系統の色が体にもはいっていましたが、今回は金色です。



↑水引下がわには蓮の花が縫われています。

●布団締め
 虎の布団締めは踏襲されました。現代風にやや虎が大きくなりました。



●伝統を残した屋台
 播州屋台研究家の粕谷氏の著作による啓蒙で、屋台装飾の技術は復活の兆しを見せています。SNSを通したマニアの交流で、善し悪しの評判があっという間に広まる現状から、今回の城戸刺繍店のように刺繍などの技術は精巧なものが保たれるようになってきました。
 
 昨今の三段布団屋根屋台の新調、改修の傾向としてもう一つあげられるのが、布団屋根部の巨大化です。比較的容易に大きく見せることができる部分であり、大きな他所の屋台に見劣りしないように、より、厚く大きくしようとする傾向が各地で見られます。また、それに合わせて布団締め部分も太くするのが最近の傾向にもなっています。
 では、今回の六社神社の屋台はどうでしょうか。↓ずっと下に写真があります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 実は屋根はそのままの厚さになっています。精巧な刺繍が経年変化を経ることで、再び味わい深い「センベイフトン」の屋台が見られるようになることでしょう。今回の六社神社屋台の改修は、もしかしたら、今後の屋台新調の新たな方向性を示唆してくれるものになるかもしれません。
編集後記
 今回、六社神社屋台改修については昨年の段階で写真家のY氏の情報提供がありました。また、新調・改修の中心となったI氏には、丁寧に質問におお答えしていただきました。そして、この改修お披露目の情報をくださった、Su氏、Si氏にも感謝申し上げます。