月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

378.屋台展示あれこれ(月刊「祭御宅」2021.11月2号)

2021-11-07 22:35:30 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-
近年、各地の自治体博物館や有志による屋台やだんじりなどの展示が行われていることがふえてきました。実は博物館学芸員資格を持つ管理人が、その傾向や気を付けなければいけないことなどを思い付くままに書いてみたいと思ます。


●歴史に重き? 美術に重き?
 各地の展示を見ていくと大きく二つの傾向に分けられると思います。一つが市町村の博物館などで行われている、それぞれの地域での歴史や民俗に重きをおいた展示です。なので、屋台が担がれる前の時代の資料や、屋台とともに行われる神事、屋台かもしれない文献資料など、屋台本体だけにとどまらない展示となります。歴史に重きをおいた展示といえ、近々行われるものとしては、明石市立文化博物館のものがそれにあたるでしょう。

もう一つは、播州だと屋台保存連絡会や姫路市の商工会議所、青年会議所などが中心になって行われる、屋台職人に関係した展示です。ここでは、屋台の製作技術を掘り下げた展示が行われます。こちらは美術的価値に重きをおいた展示といえ、近々おこなわれるものとしては、屋台職人展がそれにあたるでしょう。

淡路や岸和田でおこなわれたひねもす博覧会では、彫刻に重点をおきながらも、だんじりの歴史的な背景にもふみこんだ展示が行われました。

●気を付けなければいけないこと
上の二種類の展示のうち、どちらが上か下かはないし、どちらかに重きをおくからといって、もう片方を無視していいわけではありません。そして、どちらにも共通していえるのは、展示品を提供してくださる祭関係者がいるということです。展示してくださる人たちは、それを地域の誇りとして展示することになります。
しかし、その展示は多くの目の肥えた人の前に公開することになります。場合によっては、その展示したものや、しなかったものに対して批判をされることも考えられます。そのときに、展示する側はなぜそれを展示するのか、展示するものにどのような価値があるのかを、明確に説明する言葉を持つ必要があります。
では、そのような根拠のある展示のために何が必要なのでしょうか? それは、有識者による研究と議論です。逆にいえば、二つの傾向が生まれるのも、それぞれに携わる人たちの得意分野を存分にいかしたものだからといえるでしょう。

●残念な話 -圧力-
しかし、祭に関係のない展示で何年も前の話ですが、残念な話も聞きました。それは、圧力。。。
一つは、●●を展示するなという圧力です。もう一つは、●●を展示しろという圧力です。 これらの圧力がはいることによって、根拠のある議論や研究ができなくなります。その結果、根拠なく展示すべきでないものを展示したり、逆に展示すべきものをしなかったりして、批判を食らうことになります。
これが祭に関係した展示であった場合、出品してくださった関係者、出品できなかった関係者をひどく落胆させることになります。しかし、その責任や批判の矛先は、圧力をかけた本人ではなく、その展示を担当したり、展示用の説明を書いたりした人にむけられることになります。
このような展示を実現するのには、やはり政治力めいたものは必要かもしれません。しかし、学術的な議論に割って入るようなことがあると、その展示そのものの価値が失墜し継続できなくなってしまいます。

●いい話 -若い力、熱い思い-
 いい話を最後にしたいと思います。今回、祭の展示には大きく二方向があることを指摘しましたが、美術的価値に重きをおいた展示においては、在野の人の活躍なくしては不可能であるのが現状です。
今、播州においては、粕谷氏の研究を次ぐこともできようかというくらいの若い力が確実に育ってきています。装飾品の作風から分布まで、その見識の深さに驚くばかりでした。
この若い力をどういかすかが、我々おっさんの課題です。管理人としては、文章の書き方や、他の人も見やすい情報のまとめ方くらいは教えられるかもしれません。
とはいえ、教えることよりも、教えてもらうことのほうが多い今日この頃。。。

377.明治期の雲板つき反り屋根屋台の一傾向?(月刊「祭御宅」2021.11月1号)

2021-11-06 21:01:54 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
編集「前」記
-播州屋台のエルサレム・加古川の熱-
 管理人の三木市大宮八幡宮と同じ祭礼日で、なかなか見る機会がない祭が加古川市内の祭です。播州において加古川は、平屋根、反り屋根神輿屋根屋台の境界域となっています。なので、平屋根、神輿屋根、反り屋根が市内に混在した、播州屋台のエルサレムともいえる状況になっています。
今年はいくつかお披露目をしているところもあったので、いくつか見学させてもらいました。非常に熱心に情報収集をし、よりよい屋台をつくり、よりよい祭をしようという思いの一端にふれることができました。また、それに、三木の先輩方が協力していたという話も聞き、ほこらしい気持ちにもなりました。
本記事を書くきっかけをくださったのは、気軽に声をかけてくださった都染屋台のYさんです。この場を借りて感謝申し上げます。

●平屋ね反り屋根折衷型反り屋根、都染屋台
 加古川市上之庄神社都染屋台は反り屋根屋台でありながら、繁垂木がなく雲板がある平屋根屋台の特徴を持った屋台です。今年は現代を代表する播州屋台大工の一人である上内工務店の横野師によって、枡組部分の修復がなされました。
一方、高欄部分は古い時代のままで、はっきりしたことはわからないのですが、明治期かなあといっている方もいらっしゃいました。ここも、反り屋根屋台に見られる擬宝珠高欄ではなく、播州の平屋根屋台に見られる跳ね高欄が使われています。


さて、この跳ね高欄、最上部の跳ねがある架木(ほこぎ)を四隅で支える架木受けは、雲を逆さにしたような形のものが十字に交差したものになっています。金具はシンプルなもので、補強用の「ちからがね」がついています。そして特徴的なのは太さです。あくまで、管理人体感ですが、三木の屋台の架木の太さが直径約五センチたらずとするならば、都染屋台のものは、約6.5センチほどありそうでした。全体的に太めの部材で高欄は構成されていました。


●似た高欄の屋台は。。。??
これに似たというかほとんど同じ高欄をもつのが、明石市御厨神社の先代西二見屋台です。この屋台も明治時代の屋台といわれています。
現在は明石市立文化博物館に所蔵しています。民営化前だと無料エリアで自由に見れたのですが、現在は特別展のチケットを買わないと見れない(1000円ほど??)こともあるのでご注意を。
逆雲型の交差した受け、太めの部材、シンプルな金具が共通しています。



さて、都染屋台にた高欄の西二見屋台の全体像は、これもまた、都染屋台と同じく垂木を持たない雲板つきの反り屋根屋台です。


●明治期の雲板つき反り屋根屋台
都染屋台、西二見先代屋台はともに明治時代の雲板つき反り屋根屋台でした。明治期の雲板つき反り屋根屋台の特徴として、逆雲型の交差した受け、太めの部材、シンプルな金具の高欄があげられるのかもしれません。

編集後記、一月間の休載のお詫び
 よりによって祭月をまるまる休載してしまいました。心配するほどのことではありませんが、ちとよくない話を聞いて気力があまりわきませんでした😥
といっても休載したところで、お詫びするほど熱心な読者もいないだろうと思っていたのですが、、、、 意外かつ、有り難いことに、更新を楽しみにしてくださる方がいらっしゃるということも耳にしました。楽しみにしてくださったみなさん、なんとはなしに見てくださったみなさん、そして、いつもとかわらずに声をかけてくれたみなさんに感謝申し上げます。