月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

354.屋台の英語訳、韓国語訳と外国語訳のポイント(月刊「祭御宅」2021.5月23号)

2021-05-30 11:21:25 | コリア、外国
こちらの記事では、祭のときに外国の方を案内するときにどうするかを考えました。その時はなんちゃってトリリンガルの管理人の誤訳をいろんな方に指摘していただきました。
それでも、回答がでなかったのが「屋台」をどう訳すかです。今回は、屋台を英語と韓国語でどう訳すかについて考えていきます。

●翻訳機丸投げ訳の危険
インターネットの翻訳機能は勝れものですが、丸投げしてしまうと屋台の訳はどえらいことになってしまいます。五年ほど前に、韓国語で灘のけんかまつりを紹介しているサイトを見ました。その時の屋台の訳は보장마차·ポジャンマチャ·布張馬車。これは、露店屋台を意味しています。灘のけんかまつりにもテキヤさんの露店屋台があるので、それを担いで盛り上がるという誤解を生じる可能性があります。
↑韓国の포장마차・ポジャンマチャ・布張馬車=屋台(露店) 屋台を韓国語で直訳するとこうなります。

●外国語堪能でも祭を知らないと...
英語
とはいえ、外国語堪能にであったとしても、祭のことを知らないとどうしても誤訳になってしまうのが、屋台という言葉です。祭関係者ならば屋台と神輿は別物だという認識を持っています。ところが、英語の訳を見ると「carring shrine」、「移動式神殿・神輿」となっているのをよく見かけます。
 例外もありますが、播州屋台の多くは神さんを乗せないというのが多くの方の認識です。なので、「carring shrine・神輿」という言葉を使うのは、祭を知らない人同士のでは問題なく会話できるかもしれませんが、ガイドブックなどの言葉としてはふさわしいものとはいえません。
そこで、シンプルに太鼓を意味するdrumに木枠を意味するstullという言葉をつけるとよさそうです。なので、屋台の英訳としてはdrum stullやらdrum on stull とかのなかで一番英語の表現として無難なものが適訳となるでしょう。

韓国語
韓国語では、2通りの訳がありそうです。まず一つ目が太鼓台の太鼓・북 ・プクに台・대・デをつけた북대・プクデです。
もう一つが同じく太鼓・북 ・プクに輿・가마・カマを意味する言葉をつける方法で、북가마・プクカマ・太鼓輿となります。가마・カマは神輿ではなく輿ですので、神さんがのるものでなくともかまわないので使える言葉です。

●編集後記にかえて
-「屋台」を外国語訳する時のポイント-
 屋台を外国語訳する時のポイントとして、以下の2つをあげられることが分かりました。

①露店屋台ではなく、太鼓を木枠で囲んだものを持ち運ぶもの・太鼓台だということ

②「神さまを乗せないもの」でも使える言葉を選ぶこと。


344.「引月」の地名由来 ー韓国地名由来ー(月刊「祭御宅」2021.5月13号)

2021-05-21 19:41:33 | コリア、外国

●今の段階では管理人は知らない「引月」の地名由来
 韓国の全羅南道を旅行しているときに、バスで通るのが引月・イヌォル・인월という停留所です。いつもは通りすがりで、そのまま別の場所に行ってしまうのが今までの旅行のパターンでした。しかし、漢字で書いたら「引」と「月」。

 何か由来がありそうな気配がします。
 ということで、韓国語の勉強を兼ねてググってみることにします。

↑引月市街

↑引月小学校

↑引月小学校の校門。

●引月の由来
 「南原文化大典」に引月の地名の由来がありました。かいつまんで話すとおおよそ下のようなお話です。

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李成桂将軍が外敵のアジバルドを討伐するための陣をこの地に敷いた。苦戦の後、勝利を手中にしつつあった。が、日は沈み敵の行方がわからなくなった。

李成桂は月が出るように天に祈った。すると、東より明るい月が登り、アジバルドを逃さずに討ち取ることができた。

これによりこの地を引月とよぶようになった。

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日本にはこれに少しばかり似た話がありましたね。

●平清盛日招き

それが平清盛の日招き伝承です。 音戸の瀬戸の開削工事で、日が沈んでしまったのを扇の一ふりで招き戻し、その日のうちに工事ができたと伝わります。

沈んだ日を呼び戻してて工事を終わらせた日本の伝承、沈んだ日を見送って月を引き込んだ韓国の伝承。少しばかり違いがありましたが、明かりを欲したことと、お互いの国を向いていたことは共通します。

 


337.韓国仏甲寺の中はトムとジェリーの世界!?(月刊「祭御宅」2021.5月6号

2021-05-14 20:58:20 | コリア、外国

今回は、韓国の寺院彫刻の特徴をざっくり見たあと、韓国の全羅南道霊光郡仏甲寺の彫刻を見てみましょう。

●写実的な彫刻、仏像の塗り直しはあまりしない日本

 日本の彫刻はもちろん完全に写実的だというわけではないですが、韓国と比べると写実的でディフォルメ的要素が少ないといえます。

 仏像の色を塗り直すところは少数派です。

●ディフォルメ的要素が大きい韓国

ディフォルメ的要素が大きいと言えるでしょう。

仏像は金色を保ちます。

屋外に顔、屋内に尻尾と一続きになっています。

動物たちがおっかけっこ

 仏甲寺の御堂の中を龍や動物がかけめぐる構成になっています。追っかけっこをしているようにもみえます。なんとなくトムとジェリーの世界に迷い込んだようにも見えてきます。


330.韓国の旅行といえば-スマホゲーム・パズルトリップより-(月刊「祭」2021.3月4号)

2021-04-01 01:20:57 | コリア、外国

 auだからついているのか、GALAXYだからついているのか分かりませんが、管理人が中毒になりかけたスマホゲームがあります。それがパズルトリップです。

名前の通り世界旅行をモチーフとしたパズルゲームで一面一ヶ国、クリアするごとにいろんな国へいけるという仕組みです。

 その国らしさがでるのは、ゲーム画面の右上。その国の名物がでてきます。

 そして一面はKOREA。朝鮮、韓国ですが出てきたものは基本、韓国のものでした。どのようなものが画面右上に出てきたのか見ていきましょう。

●첨성대・瞻星台・チョムソンデ

 下の慶尚北道慶州市の첨성대・瞻星台・チョムソンデだと思ったのですが、どうみても見事に間違えています。とはいえ苦労して写真をさがしたので、ついでに紹介します。

 統一新羅善徳女王在位の七世紀につくられた、星を観察するための建物、天文台です。天文台としては東洋一古く、27段の石の上に井の字型の石をおくことで中から上を見上げることができるつくりになっています。

●正確には、仏国寺の多宝塔 慶尚北道慶州市

参考はwikiPディアです。

仏国寺・불국사・プルグクサ

 新羅景徳王十年(751)、宰相の金大城・김대성・キムデソンによってたてられた寺だそうです。石を彫ったところに石仏を配した石窟庵・석굴암・ソックラムと共に世界遺産になっています。



多宝塔

 日本でいう金堂や本堂にあたる大雄殿・대웅전 ・デウンジョンの前に東西2つの塔を配する薬師寺式伽藍配置の寺院ですが、薬師寺と違って木造の塔ではなく、10メートルほどの石塔がたてられています。多宝塔はそのうちの東がわのほうで、お釈迦さんが多宝如来として再び表れるという法華経の記述に基づいてつくられたものだそうです。

 基壇は8世紀のものだそうです。


●トルハルバン

 済州島に多く残る石でつくられたおじいさん像です。町の入り口などにたてられるそうで、これは、チャンスンに似ているといえるかもしれません


●光化門

 韓国の象徴ともいえる景福宮・경복궁・キョンボックンの正門が光化門です。前の世宗大路・세종대로・セジョンデロには国内だけでなく世界に名をとどろかす有名企業のビルが軒を連ねます。

 14世紀ころからたてられていたそうですが、秀吉や日本軍の侵攻により破壊を余儀なくされ今も再建中だそうです。

 

●ラストは

 ラストはチマチョゴリ・치마저고리、韓服・한복・ハンボクでした。前者が朝鮮半島北側、後者が南で使われる言葉だそうです。

 ハンボクは漢字の意味そのまま。チマチョゴリはチマがスカートや袴、でチョゴリは上着を意味します。チョゴリのほうは赤古里の当て字があり、モンゴル起源だとか(バイwiki●●あ)。




編集後記
 スマートホンを機種変更したことがきっかけで、このゲームをしりました。その手続きをして下さったのが、au三木店のスタッフのみなさんです。

 携帯代を安くするための相談にも嫌な顔ひとつせず、丁寧にアドバイスしてくださいました。この場をかりて感謝申し上げます。

 嗚呼、韓国へ行きたい


326.하나(ハナ)(月刊「祭」2021.2月3号)

2021-02-14 17:26:51 | コリア、外国

●韓国語と日本語の共通点
 朝鮮半島と日本はかなり近い位置にあり、祭をふくめた文化に共通点が見られます。
 言語にもその類似性が見られます。それは、文法の類似や感謝をカンシャ、カムサと日韓それぞれで読む漢字語レベルだけでなく、それぞれの固有語レベルでも類似が見られます。

 今回はそのような固有語の類似の例をあげ、特に「ハナ」という言葉を少しだけ詳しめに見ていきます。

・マブシイ
 目+ブシ+イで出来た言葉である可能性があります。これに対応する韓国語は눈 부시다(ヌンブシダ)。눈(ヌン)は目、다(ダ)は語尾で、부시(ブシ)が目などをくらますなどの意味を両国の言葉で持っているノかも知れません。

・ナラ
 かつての都だった奈良。その語源は奈落とも言われていますが、韓国語で国を意味する나라(ナラ)が語源とも言われています。


・ヘビと뱀(ペム)

 こちらに詳しく書きました。どちらもらヘビ🐍を意味する言葉です。

●하나(ハナ)
 さて、祭関係者なら切っても切れない「ハナ」も韓国語由来の言葉であると思われます。
 韓国語では하나(ハナ)は、ひとつ、一を意味します。
 日本では、花、鼻、端、はな(はじめ)などの意味を持ちますが、大元の意味ははじめとか物事の先端を意味します。「はなから」と言えば最初から、一からという意味になるので、하나(ハナ)に近い意味があると言えるでしょう。

 

 

 


244.ソウルの獅子?(月刊「祭」2019.12月7号)

2019-12-17 12:31:00 | コリア、外国
●ソウルに獅子?
 写真は、ソウル市の慶福宮近くの曹渓寺の石の動物像です。獅子?でしょうか?よく見ると鱗が見えます。







獬豸•해치•ヘチ
 これらの動物はヘチといいソウルの象徴的な動物で、鱗や羽も付いているそうです。夏は水辺に、冬は松林に住み、ソウルの慶福宮を守護する想像上の動物とされてきました。説明文が地下道にありました。












●見た目は獅子、実際は?
 ソウルのヘチ、見た目は獅子でした。門にいるのも逆さや狛犬に近いように思えます。しかし、鱗があり羽が生えているとなると、、、実はヘチは飛龍ににているのかもしれません。









243.長い蛇-その語源-(月刊「祭」2019.12月6号)

2019-12-16 12:56:00 | コリア、外国
●蛇
 今年は蛇年ではありませんし、来年も違います。ですが、日本文化を語る上で外せない、蛇。その語源を探ります。
 さて、蛇と言えば「長い」ものの象徴とも言えます。

↑三木市大宮八幡宮城山屋台の欄間彫刻

●ヒンドゥーの蛇、タイのヘビ
 ヒンドゥー教や東南アジア地域の仏教でも蛇や龍は大切にされています。下の写真はタイの仏教寺院であるワットポーの仏像てすが、光背がなんと蛇です。





 ヒンドゥー教では蛇は「ナーガ」と呼ばれています。タイ語では「ナーク」。これらの言葉が日本語の「ながい」の元になっているように思えてきます。

●中国語の蛇、長い
 漢字はもちろん、蛇と長です。その発音、蛇はshe(eの上に')で管理人の耳ではシェとジェの間に聞こえました。長はzhang(aの上にvのような記号)。日本の音読みの元になっていることがわかります。

●韓国語の蛇、長
 蛇と長の漢字を韓国語式で読むと、蛇は사・サ、長は장・チャン、ジャンです。やはり日本語の漢字の音読みに近いものがあります。さて興味深いのは、韓国固有語のヘビです。それは벰・ペム。日本語のヘビに似ています。


↑韓国全羅道華厳寺観音殿の天蓋、龍ですが蛇が元ということで。


●長いと蛇から考える日本文化
 これらを見ると、日本文化や日本語はどれか一つの地域の文化の影響を受けているわけでなく、いくつかの複数の地域の影響をうけて、成り立っていることがわかります。「長い蛇」で考えると、ナガをもたらした、ヒンドゥー教地域などの文化、チョウ、ジャをもたらした漢字語文化、ヘビに影響を与えたと思われる朝鮮半島の固有文化などが元になっていると考えられそうです。


239.学び続ける子どもの祭-神戸オリニマダン-(2019.12月3号)

2019-12-10 11:10:00 | コリア、外国
●神戸オリニマダン
 神戸어린이 마당•オリニマダンは今年で22回目を数えます。この祭は、神戸オリニソダンという、神戸市内に住む小学生が通うコリアの文化・語学などを教える教室の発表会です。管理人は前職(神戸市立小学校教職員)の頃から、スタッフとして参加させて頂いています。
 この祭は主に午前の部の舞台発表、昼食、午後の部のお楽しみコーナーに分かれています。それぞれの概要を書いていきます。

●会場準備
 会場は蓮池小学校、だいち小学校、真陽小学校、長田南小学校の持ち回りとなっています。前日からコリア教育文化センターの方、有志の先生方が手際よく準備をしていきます。また、保護者の方々が腕を振るって、昼食の準備も前日から行ってくださいます。準備管理人は子ども用のハングル名札の制作などを担当することが多かったのですが、今年は仕事で準備できませんでした。前日にはそれまでの多文化共生学習やコリア文化学習などのとりくみを紹介した掲示物が貼られます。





 当日は、それぞれの舞台や昼食、出し物の準備、受付の準備を行い、子どもたちやお客さんを迎えます。この日には神戸市内の大学生や、韓国の大邱市からボランティアとしてお手伝いしてくれました。




●午前の部・舞台発表
 中学生の司会により、この祭始まります。見知らぬ人が数百人単位でいる前での堂々たる司会でした。
부채줌・プチェチュム
 管理人は準備などで見ることができなかったのですが、毎年부채춤・プチェチュム・扇踊りが、高学年の女子によってなされます。下の写真は、オリニマダンのポスターを撮ったものです。



 また、全員でコリア語の歌も歌います。大きい声で歌っている子、少し恥ずかしそうな子もいますが、母語を使って歌う様子に心を打たれます。

대구 꿈꾸는씨어터•大邱 夢見るシアター
 大邱の夢見るシアターが、ゲスト出演してくださいました。プロの演奏技術にみんなが聞き惚れ、プロの踊りに目と心が奪われました。
 この公演は神戸コリア文化教育センターが大邱のゲストハウスなどを通じた交流活動の一環として近年始まりました。
 




단심줄・タンシムチュル
 タンシムチュル•단심들 では、赤青黄緑などの色とりどりの布を持った子どもたちが、右へ左へ楽しく棒を中心に歩き回ります。するとあら不思議。


布が規則正しく絡み合い、斜めチェック模様の一本の棒ができていきます。


ベトナム語劇とムア・ラン(獅子舞のようなもの)
 ベトナム語教室の子どもたちが、「大きなかぶ」のベトナム語版演劇を見せてくれました。「うんとこしょ、どっこいしょ・ニョ カイレン、ニョ カイレン」はみんなで声を出しました。


 ムア・ランという獅子舞のようなものです。布袋を思わせる僧形のものが、する姿は、日本で子どもが獅子に相の手を入れる様子に似ていますが、詳しい考察は次号以降で行います。


プンムルノリ・韓国の伝統的打楽器
 ポク(太鼓)や長鼓(チャンゴ)、チン、ケンガリの四つの音・四物・サムル・사물を打ち鳴らし練り歩きます。この時ばかりは、昼食の準備をしていた保護者の方々も我が子の活躍を見んと、体育館にやってきます。


●昼食と午後の部
昼食
 昼食はクッパでした。家庭科室で調理した鍋をエレベーターで運びます。誰ともなしに、先生方が誘導して、多くの人数が混乱することなく食べることができました。



体験コーナー
 昼食がおわると子どもたちは体験コーナーに向かいます。料理、写真縦作りと衣装試着、工作、テコンドー(+ハングルしおり作り)、伝統遊び(+ハングルしおり作り)、楽器体験(+ハングルしおり作り)の6の体験が用意されています。ハングルが「ギリ」読める管理人はしおり作り担当です。

↑写真右下はしおり作りをしている子どもたち、ハングルで自分の名前を書きます。右上はテコンドー体験、道着を着ている子はお手本となる子で、前の私服の子たちが体験中です。


↑ペンイと呼ばれるコリア式のこま回しをしています。

クイズ大会
 先生方が列を作り、⚪︎と×の境目となって⚪︎×クイズ大会です。目指せ!コリアクイズ王。自称民俗学者で韓国通の管理人も知らないことが目白押し。



●裏方の活躍と子どもたちの日常
裏方の活躍
 この祭の主役は間違いなく子どもたちです。しかし、主役が輝くためには裏方が必要です。裏方は、保護者であり、教育センターやボランティアのスタッフの方々であり、有志の学校の先生方です。
 管理人は韓国のボランティアの方と行動を共にすることがよくあった今回の祭ですが、そのお二人が驚いていたことがあります。それが、神戸の先生方のチームワークです。今まで祭り一色だった会場が、瞬く間に通常の学びの場に戻っていく様子を見て驚いていました。

多くの大人を動かすもの
 では、なぜここまでたくさんの大人がこの祭のために動くのでしょうか。それは一言で言うと、子どもたちの頑張りによるものと言えます。出演している子どもたちは、歌や演技の練習だけをしているわけではありません。
 小学生がこなす勉強やスポーツ、習い事などの日常に加えて、常にコリアの言語や文化と向き合う学習を続けています。語学の学習というのは、必ずしも楽しいだけのものではありません。また、メディアや一部の「持つもの」が戦略的に憎悪を煽動している様子を目の当たりにしている子もいます。
 このような逆風の中でも直向きに頑張っている姿を見ている大人たちが協力をしているのだと思います。
 
 

↑子どもや教え子の活躍を見守る先生方もこの中にいました。



 管理人としては非常に楽しい「祭」になりました。また、この祭と出会って以来、このブログでこそ紹介したいと思い続けてきました。今年、ようやく紹介できました。
 スタッフのみなさま、先生方、そしてそこで学ぶ子どもたちに勝手に感謝します!
 



233.バンコク、敗れ去った者の鎮魂廟(月刊「祭」2019.11月17号)

2019-11-22 15:15:41 | コリア、外国
●バンコク・チャオプラヤー川沿いの中国式の廟
 前号に書きましたが、タイには華人が昔から入ってきていて、中華文化の影響が色濃く残っています。そして、その中華文化を用いて、とある鎮魂が行われていると管理人が「妄想」したので、報告します。
 その廟はバンコクのチャオプラヤ東北岸、ワット・ポーの西側、そして川の向こう側には、ワット・アルンにありました。ワット・アルンとワット・ポー、二つの寺院に囲まれた、バンコクでの鎮魂廟?について考えます。


↑チャオプラヤ川東北側のワット・ポー

↑チャオプラヤ川西南側のワット・アルン


●昭帝爺廟
 その廟は下の地図の位置にあります。





↑中国式の廟と言えます。昭帝爺廟!?


↑狛犬もいます。阿吽という違いではなく、玉を咥えているかいないかの違いです。

●「昭帝」の生涯とその後、そして「昭帝爺廟」の立地
 では御本尊を見てみましょう。

↑御本尊は、中華風というよりタイ風に見えます。そして、武将姿になっているのが分かります。この武将は「昭帝爺」ということになります。帝の文字があるということは、王位についたことのある方だと思われます。タイの王族は清国に対して漢字で名前を名乗ることもしていました。
 そこで、管理人の御用達サイトで調べると鄭となのっていた王様を見つけました。タークシン王です。つまり、上の御本尊はタークシン王ということになります。
 さらに、上記御用達サイトで彼の人生とその後をまとめてみましょう。また、この動画も参考にしました。

 タークシン王は華僑で、タイ族の官吏の養子となったことがきっかけで、国家の要職を歴任することになりました。アユタヤの知事に赴任しようとした時に、ビルマとの戦争に参戦。大砲を当時の王の許可なく発砲で左遷。その後華人を集め挙兵し、チャオプラヤ川をのぼり再びアユタヤへ戻るが、もうアユタヤは荒廃していました。そこで、現在のバンコクの対岸あたりにトンブリー王朝を興し、アユタヤを奪還などを経てタイを統一、駐留していたビルマ兵も追い返します。
 タークシンは、ワット・アルンの修復など仏教を保護しました。さらに、「ラーマキエン」と呼ばれる民族的叙事詩の編纂などを経て、タークシンは一躍英雄となりました。
 しかし、タイ族でもなく王朝の血を引いておらず、王の血筋の者たちに快く思われていなかったタークシンは心を病み始めたと言います。それは、自らを拝むように僧に強制し、従わないものを処刑するなどの暴政に転じました。
 この暴政を見かねたのがチャオプラヤー・マハーカサット・スック・後のラーマ1世です。彼は、タイ王室の血を引き、タークシンの片腕として各地を転戦してきました。彼が、トンブリーにもどり、タークシンを処刑したそうです。その後、チャオプラヤー・マハーカサット・スックはトンブリーの対岸のバンコクに王宮をつくり、アユタヤ王朝の権威をつぐチャクリー王朝を開きました。その王宮の横に作った寺院が、ワット・ポーです。この王朝は現在に引き継がれています。

 結果、チャオプラヤ川の南西側にタークシンのトンブリー朝・ワット・アルン、北東側にラーマ1世のチャクリー朝・ワット・ポーが作られました。そして、件の「昭帝爺廟」というターク・シンを祀る廟は北東側の川岸につくられています。そして、このタークシン王を拝むと、そうなると背後の南西のアルンワットやトンブリーを拝むことになります。
 もちろん、立地上の都合でそうなっているのですが、このような土地を選んだのも決して偶然ではないように思えてきます。

●タークシンの処刑とラーマ1世の中国名
 このサイトによると、タークシンは後のラーマ1世から、首をベルベッドの袋に入れられ、白檀の棒で首を折るという方法で処刑されたそうです。この方法は、王侯のみに用いられるものとされているそうです。
 つまり、ラーマ1世は、タークシンは王侯の一人として認めていたともいえるようです。さらに、Wikipディアによると、ラーマ1世は清国に対して名乗る中国名として、「鄭」を引き継ぎ、鄭華と名乗っていたそうです。
 これらのことからも、新しいチャクリー朝は、トンブリー朝のタークシンの権威を認め、引き継ぐ形で、王朝を運営したことが伺えます。その伝統は今も受け継がれ、タークシンはかつての20バーツ紙幣、現在の100バーツ紙幣の肖像となっています。

●昭帝爺廟の八仙
 現在のタイの王朝でもあるチャックリー朝も、タークシン王のトンブリー朝を蔑ろにはしていません。そして、それを表す絵が昭帝爺廟に描かれていると管理人は考えます。それが下の二つの絵です。


↑廟内側の両側面に描かれています。



↑御本尊であるタークシン王像の後ろにも八仙

 これらの絵は八仙と呼ばれる仙人を8人集めた絵図です。日本の七福神にも共通するめでたい絵のモチーフとなっています。しかし、御本尊の後と両側面に同一のモチーフを扱うのは、このデザインに余程の思い入れがあることになります。
 この八仙人が活躍する小説「東遊記」が明代に成立したようです。おおよその内容はこちらのサイトを見ると分かります。詳しくは、この書籍だと日本語訳で分かりやすそうです。
 上のサイトを閲覧したところ、ざーーっくりとした内容は、八仙人たちは東の龍王と争いを起こし、観音菩薩と和解を結ぶというお話です。つまり、西と東の和解のお話が、八仙人の活躍する東遊記のテーマになります。
 それは、チャオプラヤ川西のトンブリー朝のタークシンとチャオプラヤ川東のチャクリー朝のラーマ1世の和解を祈って掲げられた絵画なのかもしれません。
 敗れ去った者への思いやり。これはかつてあった日本の御霊信仰にも似ているように思います。

●編集後記
 今号などのタイ関係記事は、Tし君の結婚を祝いにタイに渡ったことがきっかけです。空き時間にともにTし君の結婚を祝うために日本からやってきたTり君とワット・ポー側からワット•アルンに渡る道を探しているときに見つけたのが昭帝爺廟です。暑い中お付き合いしてくれたTり君に感謝!

 
 



 

 

 
 




232.バンコク、ヒン、道、仏、基混在宗教スケッチ(月刊「祭」2019.11月16号)

2019-11-21 00:25:00 | コリア、外国
●寛容な宗教事情
 タイには、ヒンドゥー教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教の人々がいりまじって、そして、時と場合によって宗教を横断して信仰しているようでした。
 今回は、管理人が宿泊したり訪れたりしたバンコクの中でもワットポー付近とベーリン駅付近のものを紹介します。



●イスラム教
 管理人はイスラム教を信仰している建物や祠などの施設を見つけることはできませんでした。しかし、空港や紅茶の露店などで頭に頭巾のようなかぶりものをかぶった女性が働いているのを見かけました。
 
●ヒンドゥー教
 

↑象頭人身の方はガネーシャでしょうか。


↑こちらはガネーシャと言っておりました。

↑シヴァ神だそうです。かなり多くのビルかこのようなものを祀っていました。

●中国系(道教?)
 お札や、八卦を描いた鑑を玄関先に飾る家をよく見かけました。
 なんで、こんなに多いのか?と疑問を持ち調べてみました。調べる先はもちろん、ウィキPDA。日本語版ウィきPディアは優秀です^^; 見る限りでは古くから中国とタイの縁は深かったようです。
 ウィキPDAのタイの華人バンコクの項目を下にまとめてみました。
 
スコタイ王朝(13世紀ころ-1438)
 その前から華人の商人が来ていたそう。陶芸技術の持ち込み宋故禄を開発。タイの人と徐々に同化か。
 
アユタヤ王朝(1351-1767)
 華人の商人のさかんな到来、明の鄭和の遠征にともない多数の華人が移り住んだか。
 17世紀の日本人町焼き討ち、ヨーロッパ国への鎖国の結果、中国系の貿易商がアドバンテージを得る。
 さらに1645年に清朝が華南を制圧したことにより、華南よりタイに人が流れてくる。
 
トンブリー王朝(1767-1782)
 中国潮州系タイ人タークシン(中国名・鄭昭)が王朝を開く。華人のタイ国内での商売を奨励。潮州からさらに大量の華人が流れてくる。
 
チャックリー王朝(1782-現在)
 1782年ラーマ1世が、首都をチャオプラヤ川西のトンブリーから東に移す。これがバンコクの原型となる。
 ビルマ(後のミャンマー)コンバウン朝の進入を防ぐため。
 アユタヤ同様、王宮とその関連施設の周囲には、運河がつくられできた中心のラッタナコーシン島には王一族と王室華人とよばれた有力華人だった。
 ラーマ王も対清朝においては、鄭性を引き続き名乗った。
 
 現在も中国の急激な経済成長に伴い、その交流は濃くなっています。華人の方が経済的に豊かであり、その格差が問題にされることもあるそうですが、経済的には切っても切れない可能性があるそうです。






↑タトゥーショップなどには、八掛の鏡が置いてありました。


↑ワットポー付近、チャオプラヤ川沿岸にあった廟。この廟については後ほど。


↑下にはヒンドゥ―系の神様、提灯は中華系です。
 
仏教
 

↑アソック駅付近に、さまざまな種類の仏像がかざられていました。
 

↑仏さんと神棚?仏棚?などをおまつりしている食堂がありました。



↑ふとい木が信仰の対象なのは日本と似ています。

↑三木の根本には、修行する総理の彫物が。

 
●キリスト教
↑プロンポン駅付近に飾られたクリスマスツリー



↑プロンポン駅付近のデパートにあったクリスマスツリー。
 それぞれの願い事がかかれた短冊が飾られていました。
 家族やカップルで祝う習慣があるのは、日本と似ているように思います。
 
●編集後記に代えて
-王さま-
 近年即位した王さまの写真があらゆるところに飾られていました。軍事政権派もそうでないほうも、王さまには敬意を持っているという話を聞きました。
 王さまは「いる」だけでよくて、「名の下」に人を殺めたり、排除を始めるとロクなことがないのかもしれません。我が国では、天皇の名の下に排外的な主張をされる人もいますが、その人は間違いなく「騙している人」か「騙されている人」です。



-宗教の寛容性-
 どっかで誰かが言っていた内容の繰り返しになりそうですが、タイも様々な宗教を柔軟に取り入れて存在しているように見えました。クリスマスを楽しみ、仏さんにお坊さんと一緒にお経を唱え、自然の神さんにおまじないをする。王さまは好きで、中国式の提灯の下にヒンドゥーの神さんがいて、その横をイスラム式の被りものを被った女性がスマホで話しながら歩く。バンコクはそんな都市でした。
 宗教的に寛容で豊かな食料がとれるこの国は、目が合うとほほえみかけてくれる「ほほえみの国」と呼ばれているとも聞きました。宗教的な寛容性は、豊かな食料がとれることによるものかとも思ったのですが、真偽のほどは分かりません。ほんの少しの間すごして、歩いて、分かったことは、タイが「ほほえみの国」だということです。