●今の段階では管理人は知らない「引月」の地名由来
韓国の全羅南道を旅行しているときに、バスで通るのが引月・イヌォル・인월という停留所です。いつもは通りすがりで、そのまま別の場所に行ってしまうのが今までの旅行のパターンでした。しかし、漢字で書いたら「引」と「月」。
何か由来がありそうな気配がします。
ということで、韓国語の勉強を兼ねてググってみることにします。
↑引月市街
↑引月小学校
↑引月小学校の校門。
●引月の由来
「南原文化大典」に引月の地名の由来がありました。かいつまんで話すとおおよそ下のようなお話です。
-----
李成桂将軍が外敵のアジバルドを討伐するための陣をこの地に敷いた。苦戦の後、勝利を手中にしつつあった。が、日は沈み敵の行方がわからなくなった。
李成桂は月が出るように天に祈った。すると、東より明るい月が登り、アジバルドを逃さずに討ち取ることができた。
これによりこの地を引月とよぶようになった。
----
日本にはこれに少しばかり似た話がありましたね。
●平清盛日招き
それが平清盛の日招き伝承です。 音戸の瀬戸の開削工事で、日が沈んでしまったのを扇の一ふりで招き戻し、その日のうちに工事ができたと伝わります。
沈んだ日を呼び戻してて工事を終わらせた日本の伝承、沈んだ日を見送って月を引き込んだ韓国の伝承。少しばかり違いがありましたが、明かりを欲したことと、お互いの国を向いていたことは共通します。
今回は、韓国の寺院彫刻の特徴をざっくり見たあと、韓国の全羅南道霊光郡仏甲寺の彫刻を見てみましょう。
●写実的な彫刻、仏像の塗り直しはあまりしない日本
日本の彫刻はもちろん完全に写実的だというわけではないですが、韓国と比べると写実的でディフォルメ的要素が少ないといえます。
仏像の色を塗り直すところは少数派です。
●ディフォルメ的要素が大きい韓国
ディフォルメ的要素が大きいと言えるでしょう。
仏像は金色を保ちます。
屋外に顔、屋内に尻尾と一続きになっています。
●動物たちがおっかけっこ
仏甲寺の御堂の中を龍や動物がかけめぐる構成になっています。追っかけっこをしているようにもみえます。なんとなくトムとジェリーの世界に迷い込んだようにも見えてきます。
auだからついているのか、GALAXYだからついているのか分かりませんが、管理人が中毒になりかけたスマホゲームがあります。それがパズルトリップです。
名前の通り世界旅行をモチーフとしたパズルゲームで一面一ヶ国、クリアするごとにいろんな国へいけるという仕組みです。
その国らしさがでるのは、ゲーム画面の右上。その国の名物がでてきます。
そして一面はKOREA。朝鮮、韓国ですが出てきたものは基本、韓国のものでした。どのようなものが画面右上に出てきたのか見ていきましょう。
●첨성대・瞻星台・チョムソンデ
下の慶尚北道慶州市の첨성대・瞻星台・チョムソンデだと思ったのですが、どうみても見事に間違えています。とはいえ苦労して写真をさがしたので、ついでに紹介します。
統一新羅善徳女王在位の七世紀につくられた、星を観察するための建物、天文台です。天文台としては東洋一古く、27段の石の上に井の字型の石をおくことで中から上を見上げることができるつくりになっています。
●正確には、仏国寺の多宝塔 慶尚北道慶州市
参考はwikiPディアです。
仏国寺・불국사・プルグクサ
新羅景徳王十年(751)、宰相の金大城・김대성・キムデソンによってたてられた寺だそうです。石を彫ったところに石仏を配した石窟庵・석굴암・ソックラムと共に世界遺産になっています。
多宝塔
日本でいう金堂や本堂にあたる大雄殿・대웅전 ・デウンジョンの前に東西2つの塔を配する薬師寺式伽藍配置の寺院ですが、薬師寺と違って木造の塔ではなく、10メートルほどの石塔がたてられています。多宝塔はそのうちの東がわのほうで、お釈迦さんが多宝如来として再び表れるという法華経の記述に基づいてつくられたものだそうです。
基壇は8世紀のものだそうです。
●トルハルバン
済州島に多く残る石でつくられたおじいさん像です。町の入り口などにたてられるそうで、これは、チャンスンに似ているといえるかもしれません
●光化門
韓国の象徴ともいえる景福宮・경복궁・キョンボックンの正門が光化門です。前の世宗大路・세종대로・セジョンデロには国内だけでなく世界に名をとどろかす有名企業のビルが軒を連ねます。
14世紀ころからたてられていたそうですが、秀吉や日本軍の侵攻により破壊を余儀なくされ今も再建中だそうです。
●ラストは
ラストはチマチョゴリ・치마저고리、韓服・한복・ハンボクでした。前者が朝鮮半島北側、後者が南で使われる言葉だそうです。
ハンボクは漢字の意味そのまま。チマチョゴリはチマがスカートや袴、でチョゴリは上着を意味します。チョゴリのほうは赤古里の当て字があり、モンゴル起源だとか(バイwiki●●あ)。
編集後記
スマートホンを機種変更したことがきっかけで、このゲームをしりました。その手続きをして下さったのが、au三木店のスタッフのみなさんです。
携帯代を安くするための相談にも嫌な顔ひとつせず、丁寧にアドバイスしてくださいました。この場をかりて感謝申し上げます。
嗚呼、韓国へ行きたい
●韓国語と日本語の共通点
朝鮮半島と日本はかなり近い位置にあり、祭をふくめた文化に共通点が見られます。
言語にもその類似性が見られます。それは、文法の類似や感謝をカンシャ、カムサと日韓それぞれで読む漢字語レベルだけでなく、それぞれの固有語レベルでも類似が見られます。
今回はそのような固有語の類似の例をあげ、特に「ハナ」という言葉を少しだけ詳しめに見ていきます。
・マブシイ
目+ブシ+イで出来た言葉である可能性があります。これに対応する韓国語は눈 부시다(ヌンブシダ)。눈(ヌン)は目、다(ダ)は語尾で、부시(ブシ)が目などをくらますなどの意味を両国の言葉で持っているノかも知れません。
・ナラ
かつての都だった奈良。その語源は奈落とも言われていますが、韓国語で国を意味する나라(ナラ)が語源とも言われています。
・ヘビと뱀(ペム)
こちらに詳しく書きました。どちらもらヘビ🐍を意味する言葉です。
●하나(ハナ)
さて、祭関係者なら切っても切れない「ハナ」も韓国語由来の言葉であると思われます。
韓国語では하나(ハナ)は、ひとつ、一を意味します。
日本では、花、鼻、端、はな(はじめ)などの意味を持ちますが、大元の意味ははじめとか物事の先端を意味します。「はなから」と言えば最初から、一からという意味になるので、하나(ハナ)に近い意味があると言えるでしょう。
●見た目は獅子、実際は?
↑三木市大宮八幡宮城山屋台の欄間彫刻
↑韓国全羅道華厳寺観音殿の天蓋、龍ですが蛇が元ということで。
●午前の部・舞台発表
단심줄・タンシムチュル
タンシムチュル•단심들 では、赤青黄緑などの色とりどりの布を持った子どもたちが、右へ左へ楽しく棒を中心に歩き回ります。するとあら不思議。
ムア・ランという獅子舞のようなものです。布袋を思わせる僧形のものが、する姿は、日本で子どもが獅子に相の手を入れる様子に似ていますが、詳しい考察は次号以降で行います。
プンムルノリ・韓国の伝統的打楽器
●昼食と午後の部
↑写真右下はしおり作りをしている子どもたち、ハングルで自分の名前を書きます。右上はテコンドー体験、道着を着ている子はお手本となる子で、前の私服の子たちが体験中です。
↑ペンイと呼ばれるコリア式のこま回しをしています。
↑子どもや教え子の活躍を見守る先生方もこの中にいました。
↑チャオプラヤ川東北側のワット・ポー
↑チャオプラヤ川西南側のワット・アルン
↑狛犬もいます。阿吽という違いではなく、玉を咥えているかいないかの違いです。
↑御本尊は、中華風というよりタイ風に見えます。そして、武将姿になっているのが分かります。この武将は「昭帝爺」ということになります。帝の文字があるということは、王位についたことのある方だと思われます。タイの王族は清国に対して漢字で名前を名乗ることもしていました。
↑廟内側の両側面に描かれています。
↑御本尊であるタークシン王像の後ろにも八仙
↑象頭人身の方はガネーシャでしょうか。
↑こちらはガネーシャと言っておりました。
↑シヴァ神だそうです。かなり多くのビルかこのようなものを祀っていました。
1782年ラーマ1世が、首都をチャオプラヤ川西のトンブリーから東に移す。これがバンコクの原型となる。
↑タトゥーショップなどには、八掛の鏡が置いてありました。
↑ワットポー付近、チャオプラヤ川沿岸にあった廟。この廟については後ほど。
↑アソック駅付近に、さまざまな種類の仏像がかざられていました。
↑仏さんと神棚?仏棚?などをおまつりしている食堂がありました。
↑ふとい木が信仰の対象なのは日本と似ています。
↑三木の根本には、修行する総理の彫物が。
↑プロンポン駅付近のデパートにあったクリスマスツリー。