月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

409.大宮八幡宮秋祭の名場面(月刊「祭御宅」2023.3月1号)

2023-03-07 20:26:35 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-



多忙という仮面をかぶったサボリ根性で更新が滞っていました。
昨年は3年ぶりの屋台運行と宮入が、三木市の大宮八幡宮でも大々的に行われました。
ところが、なんと、昼宮は生憎の超大雨。

それでも、屋台は宮入していきましたが、命綱をつけない宮入を信条とする大村屋台は今年も屋台の石段上りは断念することになりました。
命と信条の両方をとる苦渋の英断であったといえるでしょう。

それでもシェーンシェーンシェーンコラの掛け声で、石段下まで屋台を運び、伊勢音頭を歌いあげました。
そのあとに名場面。下の動画の12分30秒から13分30秒にかけてご覧ください。

20221009三木市大宮八幡宮秋季例大祭大村屋台の石段下よりの参拝

12分30秒あたりには、二礼二拍手で参拝をする大村の人たちが見られました。
そして、13分30秒あたりで、それを見ていた法被を着ていた女性二人組が「ええ祭やなあ」とつぶやきます。

「今の日本に神はどこにいるのか」みたいなことを民俗学者?文化人類学者?の方がおっしゃっています。
屋台やだんじりの祭には、その言葉は全く当てはまるものではなさそうです。


404.明治時代、大宮八幡宮の喧嘩最強屋台はどこ??

2022-11-27 18:43:33 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
●ゴンタ太鼓
どこの神社にもゴンタダイコやゴンタヤッサともいうべき、気象の荒い人が集まる屋台というのがあります。きっと読者の皆様のなかでも、あの神社やったらあっこ、この神社やったらここ、というのを思い浮かべている方もいらっしゃるでしょう。
三木市大宮八幡宮では、ゴンタといえば語弊がありますが、迫力のある屋台といえば、播州最大級の下町屋台を思い浮かべる方が多いでしょう。あの大きな屋台をかつぐのは、よっぽどの気概がないとつとまらないようにおもいます。

しかし、この記事では、昔のゴンタ太鼓は新町だったことが書かれていることに触れました。これは、明治四年(1871)のことです。しかし、喧嘩がもっとも強い屋台はべつにあったとのことです。


●昭和二十五年(1950)座談会「明治初年の三木町」*より
上記座談会の記録によると、明治四年(1971)ごろに生まれたとおもわれるM氏が、興味深い発言をしています。
「喧嘩をよくした。屋根の瓦をめくって放つたりした。」
めちゃくちゃですね😅
まあ、今でも毎年のように喧嘩はありますが、瓦を放るなんてことは、なかなかありません。M氏がものごころついたころと考えると、明治十四年ごろの話でしょうか。そして、M氏は続けます。

●喧嘩最強は、、、













「一番強かったのは上町でした
まさかの上町でした。


今となっては、家の件数がおそらくもっとも少なく屋台の保持を断念した上町です。その状況は明治時代でも同様とおもわれます。人数が少ないはずの上町が強かったのは一人一人がスーパーサイヤ人のようにが喧嘩がつよかったということでしょうか。さらにM氏は続けます。

「上町は旦那衆で太鼓かきの人を雇つたから、そいつが強かつた
江戸時代の檀鶴が出ていた文政時代ころまでは、上町の庄屋さんのご子息は、当番の年は檀鶴で能を奉納していたようです。その他のもろもろの「担い物」をするのは雇われ人とのことで、主役が屋台になってからも、人を雇う祭はしばらく続いていたようです。

*編輯・青甲社編集同人『青甲 八、九、十月号』(青甲社、1950)所収

402.須藤護「日吉山王祭と山の神信仰」祭の名著紹介(月刊「祭御宅」2022.11月2号)

2022-11-20 21:16:45 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

●信仰を支えてきた人たちは誰?

 昨年5月から今年5月まで日吉御田神社当家をおつとめされていた須藤護先生(日吉御田神社氏子・元当家、元龍谷大学国際文化学部教授及び学部長)が2011年に『国際文化学研究』(龍谷大学国際文化学会)に寄稿された文章です。

管理人の足りない脳みそでの解釈は下の通りです。

ーーーーー
日吉大社の熱い祭。えげつなく急な山や石段を二本の棒のバランスがとりづらく重い神輿を担いでおりてくる。そして、実は山から下ろすためには山にかついであげてもいる。播州の祭好きにとっても一目で虜になる熱い熱い祭。


その熱い祭をへて、山の神が里に下りて来て、再び帰る祭の図式を描き出します。また、古来の自然崇拝から神社神道へ変遷した過程と、それでも今なお残る古来の信仰を指摘しています。
 そして、祭や神への信仰は歴史上に名を残した人物だけではなく、各地の年長者や若者が中心となり支え続けられていたことを、先学を参考にしながら述べています。

若い人たちや地元関係者が熱狂的になる祭、それは、ばか騒ぎに見えながら、実は中身のあるもの。そんな当たり前でありながら、忘れられがちなことも簡潔な文章で書いてくださっています。
ーーーーー

 須藤先生は、管理人がボンクラ学生時代に最もお世話になった先生です。管理人に研究とか学問について教えてくださった大学の先生は、たくさんいます。しかし、祭への心構えを背中で示してくださった大学の先生は後にも先にもこの方だけでした。     
 にもかかわらず、、、、須藤先生のことを別の方に話す時にかぎっては、「大学時代の先生が」と言うべきところを、なぜか「友達が」と言い間違えそうになったり、実際に言い間違えてしまったりします。
 管理人にとっては、学問の先生である以上に、祭や人生の先生です。たえず、祭をする人たちに肯定的な目を向けてくださる、、、、というより、ご本人自身が祭が好きすぎて、移住先で当家・宮番をお引き受けになる「祭人」であり、移住先にもかかわらず当家を任されるほど信頼できる方が書かれた文章です。ぜひご一読ください。

そして、日吉御田神社総代会と氏子中のみなさまのご協力を得て執筆なさった、『日吉御田神社 宮番の記 滋賀県大津市坂本』『日吉御田神社 宮番の記 滋賀県大津市坂本』(サンライズ、2022年)サンライズ、2022年)も名著です。
 


399.助っ人参加の心得(月刊「祭御宅」2022.9月4号)

2022-09-21 21:47:34 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
-9年前の記事の続編-
何年も前に、下のような記事をあげました。
そこでは、
1)地元関係者の運行の指示に従うこと
2)地元の掛け声や太鼓の打ち方を尊重すること
などをあげました。

<月刊 「祭」 祭前特別号 第22号>助っ人参加のマナー  - 月刊「祭御宅(祭オタク)」

三木の秋祭が近づいて来ているので、「上げ」ます。10月は、播州では祭月です。各地で屋台が組み立て、衣裳付けされて、練習の太鼓の音が響き渡ります。今回は、祭前という...

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今回は、その記事の続編とも言える内容をあげたいとおもいます。

●安全第一、限界は素直に伝える
せっかく、助っ人にきているのだから地元のおもいに応えてがんばりたくなるもの。でも、無理は禁物です。怪我をしたり、熱中症などで倒れたりすると、助けどころか、迷惑になってしまいます。
なので、体力の限界などは素直に伝えましょう。

●きつい言葉はあって当たり前
関係者は、大きな屋台やだんじりを人力でけがなく動かすことに全神経をつかっています。もちろん、その中ではどうしてもきつい言葉をかけざるをえないこともあります。その言葉に我慢ならないのであれば、あまり助っ人にはむいていないといえるでしょう。

●もちものの管理
天候不良への対処
 管理人自身あまり得意ではないのですが、なるべくコンパクトに荷物を運ぶようにしています。たとえば、夏場ならば携帯、財布のみ。
秋ならば、それに加えて薄くてあったかい上着を腰にまくなどで対応することもあります。
雨が予想されるならば、防水の地下足袋を準備するのもいいでしょう。
気を付けなければならないのは、関係者が助っ人の分まで用意しきれていないこともありうるということです。
天候をある程度予想し、なんらかの準備をしておくことがおすすめです。
もちろん、若い人のなかでは、そんなもの不要とばかりに、体ひとつで参加する人もいます。それでも耐えられるならば、その必要はありません。管理人は年を取るごとにそれらが必要不可欠となってきています。

壊れて困るものはもたない。壊れても文句は言わない。
祭りだからこそ、お気に入りのアクセサリー財布、時計などをつけたくなるものです。でも、つける場合は、壊されても文句を言わない覚悟で臨む必要があります。もちろん、本当に壊れても文句をいってはなりません。



 




398.宮に入っておわる祭-阪神編-(月刊「祭御宅」2022.9月3号)

2022-09-14 21:01:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
多くの祭り好きにとって「宮出」といえば、屋台が宮からそれぞれの屋台蔵にかえる寂しい時間となります。いいかえれば、祭りの終わりを意味します。
しかし、宮出は祭の「はじまり」を意味し、宮入は祭の終わりを意味する屋台やだんじりもあります。前回は三木編とも言える内容でしたが、今回は阪神編です。
今回も前回同様、「宮入」は儀式などを伴う正式な宮に入る行事をさし、そのようなものとは関係なく物理的に境内に入ることは「宮に入る」と言葉を使い分けます。

●神輿を先導する太鼓
 大阪市内では神輿を先導する太鼓が数多くみられます。その保存庫が境内にあるところもみられ、なくとも宮への帰着=宮入が祭の終わりとなります。

↑大阪市櫻宮神社の枕太鼓

↑大阪市大阪天満宮催太鼓、動画終わりには帰着先の大阪天満宮門前がみえます。

屋根のない枕太鼓や催太鼓だけでなく、宮付きの布団太鼓も多くが神輿を先導し、宮入で役目を終える=祭りが終わります。何度かあげている大阪市杭全神社や、西宮市大市八幡神社、西宮神社がなどが管理人の脳裏にはうかびましたが、ほかにもあることでしょう。数年の中断の後、大市八幡神社の布団太鼓は2014年に復活しました。大市八幡神社の太鼓はもともとは氏子域内の下大市という地区のものでした。そして、神輿ももともとは下大市のものだったということです(久下隆史「祭礼」『下大市の民俗』西宮市教育委員会、1982)。

↑杭全神社の布団太鼓
↑西宮神社の布団太鼓



大阪市此花区鴉宮神社の南上太鼓も境内に蔵がある布団太鼓で、神輿も祭りに担がれるそうですが、神輿を先導するのかどうかは管理人は確認していませんが、宮入あるいは、宮に入ることで祭りが終わる太鼓ではあります。

↑鴉宮神社と布団太鼓の蔵

↑鴉宮神社境内の南上布団太鼓

●一台だけのだんじり、布団太鼓
 宮に一台だけのだんじりで小屋が境内にあるものは、宮に入って祭りが終わるものとおもわれます。下の写真にあげたものも実際には確認していないので、宮入で祭りが終わるのか、宮に入って祭りが終わるのかはわかりません。
↑神戸市東灘区魚崎八幡神社
大阪市東成区八王子神社境内のだんじり

●複数台のだんじり小屋が境内にある
 阪神地域、摂州では、複数台のだんじり小屋が境内にある神社が数多くみられます。都市化に伴い、各地での土地の確保が困難だという話をききました。
たしかに、このような地域は、神戸市東灘区、尼崎市、大阪市など、より人口が密集している地域によくみられます。
↑神戸市東灘区本住吉神社
↑神戸市東灘区本住吉神社「祭り終わり」を意味する宮入前のだんじり

↑城東区八剱神社境内のだんじり小屋

↑尼崎市貴布禰神社境内の小屋に入って祭りが終わる御園町だんじり。ほかにも数台のだんじり小屋が境内にある。

●複数台の内一台だけ境内に蔵がある
複数の布団太鼓のうち、一台だけ境内にあるのが澪標住吉神社の北中太鼓です。
北中太鼓は、同じく複数屋台中一台だけ境内にある屋台である三木市大宮八幡宮明石町屋台や、三木市岩壺神社岩宮屋台に共通する動きをします。それは、宮入したのち、他の太鼓とともに宮を出て、ともに担ぎ合わせた後、再びもどってくるということです。
同様のうごきをする屋台や布団太鼓はほかにもみられるかもしれません。

↑境内の蔵にしまう前の北中太鼓

編集後記
 ここ十年、大阪の夏の祭りに足を運ぶようになりました。そうすると、七月から十月の自分達の祭りのおわりがあっという間に感じられるようになりました。





















397.宮に入っておわる祭-三木市内編-(月刊「祭御宅」2022.9月2号)

2022-09-13 10:24:41 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

管理人にとっては、「宮出」といえば、屋台が宮からそれぞれの屋台蔵にかえる寂しい時間となります。いいかえれば、祭りの終わりを意味します。

しかし、「宮入」が祭りの終わりとなる屋台やだんじりも複数存在します。今回はそれらを紹介し、なぜそのような、祭りの成り立ちになっているのかを考えたいとおもいます。今回は三木市内編です。
●神輿を伴わないけど宮入でおわる祭
三木市内では、屋台が宮入して終わる祭りがいくつかあります。別所町美坂神社東這田屋台もその一つで、神社境内に屋台蔵があり、宮入をして本殿前で後屋台を据え、相撲や獅子舞の奉納の後祭りが行われ、境内の屋台蔵に屋台が納められて祭が終わります。

↑宮入する東這田屋台
↑境内の蔵の中の東這田屋台
獅子や相撲のあるなしなどの違いはありますが、志染の御坂神社も二台の屋台が祭り二日目に宮入し、屋台蔵におさめられて祭りが終わります。この二台は旧安福田屋台、旧志染中屋台で、もともとはそれぞれの村に屋台蔵があったとおもわれます。それぞれの屋台が安福田、志染中以外の村をふくむ年番制で運行されるようになったことで、屋台蔵が宮の中につくられました。

若宮八幡宮の宿原屋台、大日神社の細川中屋台、細川の三坂神社大柿屋台も同様だとおもいますが、「宮入」は先にすませて、後は「宮に入って」おわっているかもしれません。
●御先太鼓としての宮入
六社神社の屋台、垂穂の御酒神社の屋台、篠原神社の屋台、そして、今は運行していませんが、かつての吉川の若宮神社の屋台は神輿を先導する御先太鼓です。市外近隣域では、神戸市北区淡河八幡神社、三田市加茂神社などがそれに当たります。屋台が境内にあり神輿を先導するので、神輿の御旅所へのお渡り・渡御で祭が始まりますが、先導する屋台は宮出が始まりとなります。神輿はお宮へお帰り・還御で、先導する屋台はお宮への宮入で祭りが終わります。

↑六社神社屋台

↑若宮神社屋台


↑淡河八幡神社屋台

↑加茂神社布団太鼓 
 小野市久保木住吉神社の久保木屋台は、神輿を先導して宮入した後、再び宮を出て村を巡行します。
 
 ↑宮入した後、再び出発する久保木屋台 
●境内に屋台蔵があるが、宮の外に一端出る屋台
 大宮八幡宮の明石町屋台と岩壺神社の岩宮屋台は境内に屋台蔵がありますが、一度宮を出てから再び境内にもどってきます。しかし、宮に入る行為をして祭がおわることに初めて気がつきました。
↑石段を下り一の鳥居を出て町内を巡行後、再び一の鳥居をくぐって境内に入る明石町屋台。

こうしてみると、宮出=祭の終わりが常識であった管理人ですが、宮入や宮に入ることで祭りが終わる屋台があることに驚きました。しかも、自町もそうだったとは知りませんでした。しかし、明石町屋台はもともと昭和の初め頃までは一の鳥居の外、喫茶ミモザがあったあたり、今の三木ホビーあたりに、屋台蔵があったとのことです。
編集後記
統一教会と政治家の癒着に国民が怒りを抱くのは、幹部と一般信者の関係、つまり、北朝鮮や中国、ロシアの政治家と国民の関係を、日本にも持ち込もうとするのではないかという強い強い疑念からです。
 全国で何年かぶりの祭が開催されます。来賓として参加される議員さんには、徹底的にきれいな体になって参加されることを強く望みます。

386.祭の意味(月刊「祭御宅」2022.7月2号)

2022-07-13 22:04:23 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
 祭での激しいだんじりの運行などは、神事からはなれたイベント事、悪くいえばばか騒ぎなどと某掲示板や某ヤフコメなどでやゆされています。
また、某学者先生は我々祭関係者に批判的な目を向けたとは思えませんが、「神なき時代の祝祭空間」などと表現したりもしました。

でも、本当にそうなのでしょうか?
ばか騒ぎ、がらが悪いなどというのは否定しません。でも、辛い日常も屋台が動くこの祭があるから耐えられるという人は、何人もいます。この祭を希望に、今日をがんばれるという人はやはり少なからずいます。
そのような姿を見ると、一見ただのばか騒ぎ、イベント事にみえる屋台やだんじりの祭にも、何らかの神さんや仏さんが宿ると信じたくもなってきます。



祭を糧にがんばる祭仲間に




376.屋台・タイコを関係者以外はどう呼ぶ?(月刊「祭」2021.9.3号)

2021-09-25 15:34:43 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
某新聞の「みこし」
某新聞では、大宮八幡宮では「8台の屋台の練り合わせや、みこしをかついで85段ほどの石段を駆け上がる宮入が有名で」と、ありました。
屋台とみこしは別物で、石段上りで有名のは、走ってのぼる「おみこっさん」という認識で記者さんは書かれているのかもしれません。

●ポリさん(警察)の「お神輿」
 祭の時に大変な思いをされる職種の一つが警察の皆さんです。我々は好き勝手に動くので、いつも怪我はないか、けんかはないかとヒヤヒヤしながら見守ってくれています。
10年以上まえのことと記憶していますが、屋台の宮入の時、大宮八幡宮の石段上の警備をしているお巡りさんはこう言いました。
お神輿があがってくるので、下がってくださーい。」
 「なんで、お神輿やねん。。。」という呟きが聞こえてきました。
おみこっさん(お神輿)と、屋台では大きさと危険度が違います。誤解が生じるような言い方では安全上問題があったのか、今では屋台と呼称を統一しているようです。

●某地方自治体の地域学習用副読本の「みこし」
 多くの小学校では地域自治体ごとに「私たちの○○」といった、地域学習用の副読本が子どもたちに配られています。先生方が編集されることもあるようですが、祭に馴染みのない先生が担当されると、神輿と屋台の混同がおきます。
神輿の水上渡御が有名だということを意味の記述に該当すると思われる写真に写っていたのは、平屋根の屋台でした。ひょんなことから目にする機会があり、関係者に指摘したところ次回の編集より改正したとのことです。

●ケンキュウシャの山車
屋台のことを山車と書いている記述をみました。この呼称が用いられるのが一般的という説明を文科省の元職員の方が説明しているのを聞いたことがあります。おそらく、それにしたがってのことなのでしょうが、さすがにつっこみました。
「屋台でええやん」
「山車」と書かれるとどうしても祇園祭の山鉾のような大型の車つきのものを想起します。


呼称はやはり、地元の呼び名に即するのが鉄則のように思えてきます。そこて漢字が使われているのならば、漢字も使うのが妥当でしょう。


348.伝播してきた祭前に屋台を担ぐ風習(月刊「祭御宅」2021.5月17号)

2021-05-23 10:44:13 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

●姫路の肩合わせ

 灘のけんか祭などの姫路の祭りでは、肩合わせなどと称して屋台を担ぐ習慣があります。祭前日なので、水引幕がついていなかったり、擬宝珠がついていなかったりと、練り子は私服だったりと、屋台が完全装備でない状態で担がれたりします。

 この習慣は祭本番の心身の準備になると同時に、楽しむ時間を増やすことができるなどのメリットがあり、我らが三木市大宮八幡宮でもこのような機会が増えてきました。


↑祭礼日前に練り合わせをする英賀神社 春日若倉屋台(左)と矢倉西屋台(右)矢倉西は擬宝珠をつけていません。
 
 
屋根改修後の試し担ぎ
 2015年明石町屋台は、屋根を改修し祭一週間前の土曜日か日曜日に屋根を試しにとりつけてみました。そして、安全に運行できるか点検する名目で屋台を担いだら、、、、やっぱり楽しい。
 いつの間にか、一週間前の土日や太鼓練習開始の日によく担がれるようになりました。
水引幕がついていない状態で担がれます。
 

↑2016年9月24日土曜日 太鼓練習開始日に外に屋台を出して担ぎました。 
 
 少し前ですが2012年7月の虫干しの日にも担ぎました。屋根に赤羅紗も張らず屋根の下地が見えています。太鼓打ちは管理人ですが、バチはもっていません。
 
 
実は、泥台を見ると太鼓がのっていないことも分かります。管理人が「口太鼓」をつとめさせていただきました(^^;
 
 

 


334.祭ヘイトの愚か者(月刊「祭御宅」2021.5月3号)

2021-05-09 17:58:43 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
●某町の入魂式への非難
コロナ渦中において、某町が入魂式をおこなったことをニュースなどでとりあげられました。このニュース、何人かの祭仲間が送ってくださいました。実ははじめの方に同じ類いのニュースがでていた時に調べたことがあったので、記事にしてみました。
 
管理人の屋台・だんじり運行に関する意見
コロナ渦中でもあるので、当然決行の賛否はあります。管理人は見に行くことはあっても、飲み会をともなう運行を自町ですることには、反対の票をいれてしまいます。でも、やっぱり、どこかで屋台が担がれた、だんじりが動いた、そのニュースを聞くと心配になりつつも、映像などを見るとやっぱり込み上げるものがあります。
屋台・だんじりを動かすことに対する批判というのは当然あってしかるべきです。ですが、許されるのはあくまで批判です。非難=ヘイトスピーチは許されません。
しかし残念なことに、当該記事のコメントを見ると一部では祭ヘイト、居住地による差別を助長する輩がわいて出ていました。日本文化への理解、郷土愛などに恵まれない哀れな輩の実態をみていきたいと思います。
 
●祭ヘイトの他の書き込み
当該ニュースのコメントに約170件から180件ほどのコメントがあった時に、ヘイトに値する書き込みをおこなっている輩は39名いました。
その輩がどのような書き込みをしているのかを数えてみたところ、下のような傾向でした。
 
………ここから………
皇室のイザゴサで小室氏の批判、芸能関係・・・多数
コロナをひたすらおそれている 1名
 
自民党支持 2名(うち1名隣国ヘイト)
維新支持2名(うち1名アンチ自民、1名アンチ民主)
アンチ民主 2名(うち 1名アンチ自民、1名維新支持)
アンチ自民9名(うち1名アンチ維新、うち隣国ヘイト2名、職業差別者1名)
アンチ維新3名(うち1名 アンチ自民・隣国ヘイト、1名隣国ヘイト)
隣国ヘイト11名(うち
 
以下各1名
外国ヘイト
職業差別、
老人への優先的ワクチン接種反対
家族がかかっても病院にかからせるな
………ここまで………
 
意外なのは、左派に属する政党を支持する人がみられなかったことです。
非難ではなく、批判に当たる人を数えると左派系の人がふえるかもしれません。
保守系の政党が必ずしも支持している人が少し多かったのですが、必ずしも圧倒的に多いともいえないようです。
 
顕著なのは、隣国へのヘイトスピーチが多いことです。また、職業差別やお年寄り、隣国意外の在日外国人への差別意識が強いことなどです。結局、祭ヘイトをおこなう輩は、自国文化も外国も嫌いな心の寂しい人間というのが浮き彫りになったようにおもいます。
 
 
●屋台、だんじり運行には今のところ反対。でも、賛成した人を部外者が責めることにはもっと反対。
祭に限らない人の集まる催しの可否は、雰囲気で判断されるべきではありません。あくまで科学的な視点と医療資源の現況と照らし合わせておこなわれなければなりません。感染対策もしかりです。ですが、医療施設などを除いてしまうと、国内でそれができているところを探すのはダイヤモンドを探すくらいの難易度かもしれません。
オリンピックをするためにコロナ禍を過小評価する動きが初期の段階で、政権中枢の方にみられました。この流れは今も続いて、その流れにのってしまったのが、当該の入魂式だったといえます。
 
●秋祭をめぐる最悪のシナリオ
管理人が心配しているのは、オリンピック決行のあとの祭の決行です。感染爆発の責任を祭関係者とそれに理解のある地元密着の議員さんに負わせる可能性は大きいです。
 
祭関係者と話の分かる地元議員さんは、
左派側からすれば、格好の批判材料です。
現政権からすれば、オリンピック決行による感染拡大の責任を免れるためのとかげの尻尾です。
今回の結果は、最悪のシナリオの可能性を警告しているようにも見えてきます。
 
祭ができる条件
①在日外国人ふくむ国民全員、あるいは年配者と悪化する恐れのある持病を持っている者全てにワクチン接種が完了していること。
 
②現時点ではオリンピック終了までに①が難しいので、オリンピックは中止か延期となること
です。
 
最後に某寺院の名言



とある寺院にこんなことが書かれていました。
これは、運動会を祭に変えることもできると思います。