月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

道真 -怨霊の系譜-

2006-04-30 09:59:25 | 民俗・信仰・文化
 共謀罪の話が続きますね。
 この法律は、ホンマ、暴動が起こってもおかしくない法律ということで、飽きた人もご容赦ください。
 さて、この共謀罪で罰せられた有名人が過去にもいます。
 それは、ホームページでも取り上げましたが、天神さんこと菅原道真公です。
 優秀な学者であった道真は、朝廷においてもめきめきと昇格をとげていきました。それに危機感を抱いた藤原時平。そこで時平は、道真が謀反を企てていると讒言しました。
 道真は反逆者の疑いを掛けられ、大宰府に左遷されてしまったのです。
 これは、道真がその意志を持っている(実際はもっていなかった)というだけで罰せられた「共謀罪」といえるでしょう。

 大宰府で憤死した道真は怨霊(御霊)となり、疫病や落雷、地震、戦乱を引き起こしたと伝えられています。その猛威は、時平やその血筋のもの以外にも、醍醐天皇まで地獄の業火で焼くにいたったと伝えられています。
 では、道真の怨霊が起こしたとされる戦乱とはどのようなものがあるのでしょうか?
 それは、将門の乱です。
 「将門記」によると、道真が将門に「新皇」の位記を授けたとされています。
 将門といえば、「太平記」では俵藤太を媒介として、呉公(呉の国の王様)とムカデと三位一体となっているとといたあの人です。   
 切られた後の将門の首は笑ったとか。
 将門の怨霊はすざまじいものがあり、各地で信仰されています。東京のオフィス街の将門の首塚は、GHQが撤去しようとしたのですが、関係者が原因不明の病気に倒れて行ったそうです。そして、その首塚はオフィス街の真ん中に今でも残っています。
 
 東京にある神田明神(将門)と湯島天神(道真)。その怨霊の系譜を示すかのように南北にまっすぐ並んでいます。南の神田明神を拝むことが、その奥の道真を拝むことにもなるようです。

国語便覧の悲劇

2006-04-29 00:09:10 | お気楽言葉
 耳、いや、目にたこができるほど書いた共謀罪ですが、こればかりは本当に洒落ならへんということで、ご容赦お願いします。
 とりあえず、今日の強行採決は逃れたということで、一息ついて別の話題を。

 それは、、、、、「共謀罪」。
 というのは冗談です。
 こんな冗談が言えるのも、共謀罪の採決が見送られたからでしょう。
 採決されてたら、「昭和枯れススキ」より悲しい演歌調の文章になっていたはずです(実はこの歌知りません。)。


 むかしから僕は、本とかノート、机に落書きをする癖がありました。パラパラ漫画から、う〇こ、鼻血、ドラえもん、キン肉マン、ドラゴンボール、へのへのもへじ。当時の教科書を見てみると、よくまあ、こんなにアホな落書きを延々と書いてきたもんだと自分でもあきれてしまいます。

 ただ、あきれるだけならいいんですけど、最近困ったことができてきました。
 教科書等は文字だけでなく、歴史的偉人などの顔写真などが載っています。
 その写真は格好の標的!
 そして、国語便覧の文学史は、作家の顔写真のオンパレード。当時の山田少年には、その顔がまるで、「俺の顔に落書きしてくれ」と語っているかのように聞こえたみたいです。
 山田少年は、歴代の作家達を片っ端からそのペンの毒牙にかけていきました。
 まずは手始めにサングラス。髭がついている人、口がさている人、異常に出っ歯な人。クルクルホッペ、口紅等等。とどめは、パンストを被った犯罪者風の顔。
 作家の顔の原型を留めているはずはありません。井伏鱒二の本当の顔を知ろうとしても、パンストを被った顔しか見ることができず、真実は闇に葬られた状況だそうです。 
 
 
 
 

更新

2006-04-18 00:58:08 | お気楽言葉
更新というか、新しいページを立ち上げました。
滋賀県近江八幡市のFM局・B-WAVEの出演を記念して、近江八幡市に位置する奥津島神社に関する研究の途中報告です。ページはこちら↓
琵琶湖・沖島の神社と白鬚神社の研究



更新一時中止の訂正(><)

2006-04-05 22:08:20 | お気楽言葉
 読者の皆さまカムバックプリーズ(++;
 更新一時停止のお知らせをしましたが、近々、あと一度だけ大きな更新をいたします。
 詳細については、おってお知らせします。
 全国ん百万(?)の読者の皆さま、ご迷惑をおかけしてすみませんが、しばしのお別れの前に、今一度、このブログ、ホームともどもfttvをよろしくお願いします。

さとうきび畑 -11年前のカバーCD-

2006-04-02 20:53:51 | お気楽言葉
 さんまさんが主演し、名台詞「僕はこんなことをするためにうまれてきたんじゃありません。」で、話題を呼んだドラマ・「さとうきび畑」。題名と同名の主題歌「さとうきび畑」もまた、森山良子さんのカバーで再び関心が集まりました。
 実はこの「さとうきび畑」、11年前に他のアーティストによって、カバーされていたのです。カバーしていたアーティストの名前はEPOさん(呼び方が変なので以下敬称略)。「さとうきび畑」が収録されているアルバムは、UVA*1。彼女の南米ツアー時のライブ音源のMADURA、スタジオでの生撮りVERDEで構成されています。
 
 1995年頃はTRF等が活躍しはじめ、日本でDJが認知され始めていた時代に当たります。この時、高校生だった僕ですが、「小室ファミリー」がなんとなーく好きになれずにいた時、世界史の先生(この先生は無名時代の綾戸千絵さんを高校に招いてくださいました。)が知り合いだと話してくれたのが、EPOでした。そのころ友人がいらないCDとしてくれたのが、「百年の孤独」。一発で、その世界観にとりこまれてしまいました。その翌年、お年玉で自由に使える5000円の中から購入したのが、UVA。コンピューターを駆使した音楽が全盛を極めていた時代に、アコースティックギターや、コントラバス、南米の打楽器などを駆使した音は、非常に新鮮に聞こえました。

 自身の作る音楽に対して悩み、葛藤した姿が、彼女自身が書くCDのアルバム解説に書かれています。 

 *1 このアルバムでカバーされている「京都慕情」もお勧めです。