月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

83.おっさんの腹を据えた祭(月刊「祭」2018.10)

2018-09-29 11:46:14 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
祭を迎えて、常々思っていること、というか自己批判を今号では書きます。

祭を通して地域や小学生時代の同級生たちとさらに仲良くなるというのは、本ページの読者の多くが経験していることでしょう。管理人もその一人であるし、熱い思いはそれなりに持っているつもりです。
その熱い思いが高じて、「命かけて」とか、「死んだらその時や」などという言葉をつかって祭に臨みます。だけど、本当に「命」はかけられるのでしょうか?「命」は失くしたら取り返しがつかないだけで、「その時」だけですまない一生の「後悔」になります。上のような勢いで突っ走ることが許されるのは青年の特権であり、我々おっさんは、その思いをかなえつつ、いかにそのリスクをなくしていくか、軽減するかに心を砕くべきです。

もう一つ、「腹据えて」という言葉。「腹を据える」のをめんどくさいから何もしない言い訳にするべきではありません。本当の意味で「腹が据わる」のはリスクを想定して、そのリスクを回避する手を打って初めて「腹が据」わります。「腹据える」ために必要なのは、ありもしない「捕まる覚悟」を語ったり、安全対策もしない「死んだらその時や」という安っぽい言葉ではありません。
本当の意味で「おっさんが腹を据える」というのは、若い人や子どもがしたい祭をかなえるために、「不断の努力」を常に行うことです。


管理人にはできません(ToT)

82.ほとけさまの旅の果て(月刊「祭」2018.8)

2018-09-23 09:30:16 | コリア、外国
ようやく、遅れを取り戻しました。
九月発行の八月号です。
わけあって九月号は先に発行しているので、これで遅れは取り戻せます。
今号は、韓国の霊鷲山通度寺(영축산통도사・ヨンチュクサントンドサ)の伽藍配置についてです。

●上中下に分かれる伽藍
通度寺は上壇、中壇、下壇にその伽藍は分かれています。
それぞれの壇で中心的な仏様(仏舎利)が北側中心に位置し、南側に伽藍が広がっています。これは日本でもよく見られる配置です。




●下壇の伽藍配置
下壇は東西の建物が向かい合っております。
このような配置は日本でも小野市の浄土寺、加古川市の鶴林寺、加西市の酒見寺、一乗寺などに見られます。

↑兵庫県小野市浄土寺東方の薬師堂

↑兵庫県小野市浄土寺西方の浄土堂

↑兵庫県小野市浄土寺西方の浄土堂裏の日の入り
西日を背に受けて御来迎する様子が堂の内部ではあらわされている。


ところが下壇の伽藍配置は日本でよく見られるものとは大きな違いもあります。下壇も北方に中心仏を配置し、南側東西に向かうように、西方極楽浄土の阿弥陀如来と東方瑠璃光浄土の薬師如来を配置しています。しかし、西方極楽浄土阿弥陀如来の極楽宝殿は東に、東方瑠璃光浄土薬師如来の薬師宝殿は西と播州で見られるものとは逆に建っているのです。


↑東に位置し阿弥陀如来がもといた西側をみるように建つ極楽宝殿

↑西に位置し薬師如来がもといた東側をみるように建つ薬師殿

お坊さんに聞いたところ、東方薬師も西方阿弥陀も自らの故郷を、向いているからだそうです。通度寺の山号は霊鷲山でお釈迦さまが説法をされたところだといいます。この通度寺は悟りを開き仏徳を説く行き着いたところを表しているので、自分が来た道をほとけさまが見るという配置になっているのかもしれません。

●上壇の拝殿
上壇の大方廣殿は、実質拝殿のみの建物といえます。御本尊は建物内になく、蔀戸の向こうの仏舎利塔を拝むことになっています。リンク先1分頃



●編集後記
ようやく追いつきました。今年の夏も、韓国に行って来ました。旅行のたびにたくさんの方々にお世話になっております。
本記事は通度寺の僧侶龍潭玄機さまのご厚意により書くことができました。あらためて御礼申し上げます。

81.祭のイベント化(月刊「祭」2018.7)

2018-09-21 19:40:57 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

 

九月二十二日に書く七月号です。
昨今、祭に行くとこんなことを耳にします。
「最近の祭はイベント化されて、ええことない。神さんごととしての祭が忘れられとる。」
確かに、神社や寺の祭が大学や地方自治体の文化祭に近い雰囲気のものが増えてきているように感じます。
ここで、祭のイベント化について考えていきます。


●イベント化はいつから?
祭のイベント化はいつから始まっているのでしょうか。それは、「イベント化」が何を意味するかの定義によっても違ってきそうです。ここでは、「楽しむための集い」と定義してみます。では、祭が宗教行事をこえたイベントと化したのはいつの頃からなのでしょうか?
下の4つのどれでしょう?

1 平成のゆとり教育者が祭を担ってから
2 行きすぎた戦後民主主義の成れの果て。バブル絶頂、崩壊頃から
3 天皇制が崩れ、鎌倉幕府武家ができてから
4 古事記、日本書紀が書かれた時代から

1と2は、日本会議系の方々が好みそうな論調ですが、不正解。古事記、日本書紀を見ると正解は4といえそうです。



古事記、日本書紀には、岩屋戸を締めて隠れてしまった天照大神を呼び出すために、天鈿女命が享楽的な舞を舞い、宴が始まり、天照大神がおびき出されます。
日本の神々は、一神教的な神々と比べて、絶対的なものではなく、より人間味を持った性格を持っています。その神をもてなす「神さんごと」もまた、人を喜ばすのと同じく、享楽的なイベントとなる宿命をもっていたといえるでしょう。

●儒、道、禅そして、基督
一方でイベント化、享楽化を諌める思想の元となったのは、年長者や身分の上の人を尊ぶ儒教だったり、無為自然とか、質素なものを好む道教や禅宗の思想と言えるのかもしれません。
さらに、明治維新を経て基督教も解禁になり、近代国家形成のために欧州の規律正しさを取り入れる中で、より、「厳かさ」が尊ばれるようになったともいえそうです。


●現代の屋台祭のイベント化
神輿の後や先を行く太鼓が「発展」して、屋台が出来たといえます。つまり、屋台とは、祭のイベント化の産物であるともいえますね(^^) しかしながら、「神に見せるために、華やかな衣裳を取り付けて、激しく練るんだ」ということも言えるかもしれません。
ただ、神社以外の場所での享楽的、競技的な練りが繰り広げられ、衣裳もその華美さを競い、大きさを競うというのも、現代の屋台祭のイベント化といえそうです。


三木の屋台のイベント化の特徴は下のものと言えるでしょう。
1 多数練り
ただし、宮入という神事を最優先している傾向はのこっている。

2屋台の新調、改修の頻繁さ
改修の傾向としては、布団じめが太く、座布団が分厚くなる傾向がある。

3 飲み会(^^)
いわずもがなです。直会といえば、神さんごとになります(^^)

●後書きに変えて-イベント化の是非-
煎餅布団(うっすーい座布団のこと)派な私自身の好みとしては、座布団の分厚い屋台、布団じめの太い屋台は好きではありません。ですが、それは、好みの問題であり、華美な屋台だからこそ、若者や子どもが引き継ぐ一面はあるといえます。神事をきちんと行うのであれば、多数の練りもやはり楽しいものだし、どんどんやることに異論はありません。つまり、イベント化自体は悪いことではないと思います。

しかし、屋台全体の金を一部の人のための飲み会に使ったり、個人的な意向で勝手に屋台の形を変えたりというのは、許されることではありません。もちろん、誰かのポケットに入るなんてのは、以ての外です。
このようなことをきちんと守れなければ、若者へのツケが天文学的に増えるだけです。そうなれば、祭はイベント化ではなく、空疎化し、終末を迎えるでしょう。

イベント化が加速するのかブレーキがかかるのはわかりませんが、継続されることを祈るばかりです。

大宮八幡のかつての石段は81段でした。それに合わせて、今の祭の課題を原稿にしました。

80.台風後の地車祭(月刊「祭」2018.9月特別号)

2018-09-09 19:17:32 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
●編集「前」記
途中の月をすっとばしての9月の特別号です。
9月4日、台風21号は、祭どころ泉州にも大きな爪痕を残しました。9月8日現在も一部地域では停電が続き、屋根瓦や看板が飛ばされたり、あるいは住宅としての機能を失った家もあるようです。
そのような中でも、町内会で助け合ったり、困ったことがあったら何でも言うてくださいといって青年団が瓦やゴミを片付ける姿が見られたそうです。また、充電場所やブルーシート、蝋燭などを提供する方もいたりと、そのまとまりの強さが垣間見えたそうです。
そして、来週に祭を控えた岸和田にこだましたのは、あの地車囃子でした。
続きは、皆さんで泉州の祭を見てください(^^)
日程は、「泉州だんじり祭」さまのサイトの祭の日程をご参考に!

●岸和田地車祭の様子
管理人は、岸和田の祭を二十年ぶりくらいに見に行きました。








春木駅前のやり回し

岸和田駅前での疾走

所用により見れたのはわずかな時間でしたが、20年ぶりの地車祭を堪能できました。

●編集後記 -災害復興の象徴としての祭-
今回の岸和田祭は、災害から立ち上がる思いを持って臨まれた方もいらっしゃったようです。
祭は災害なとで打ちひしがれた後でも、人生の希望を捨てない決意表明の場ともなっているのかもしれません。
かつては、三木市大宮八幡宮明石町屋台も、敗戦と水害で打ちひしがれた中、参道を練り歩いたと聞きます。
祭を前にして、また、過去に思いをはせるのもいいかもしれません。