月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

198.2019.9.29播州屋台入魂式紀行(月刊「祭」2019.9月25号)

2019-09-29 16:48:06 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

●宇佐崎屋台

間に合いませんでした。
 
●英賀神社 英賀西だんじり
 だんじりの購入に合わせて、一昨年新調した屋台も出していました。
 






 


 



↑写真にはほとんど写っていませんが、楼門の随神像と狛犬を平成天皇即位に合わせて修復しています。


↑拝殿は令和元年に新調しました。
 
●姫路市荒川神社 井ノ口屋台


彫刻
山下彫刻師によるもの。

↑仮狭間です。この時点で屋台の美しさは完成されているようにも感じます。


↑魚が入り組んだ籠彫りの彫り物
 
 

↑国生みの神話 露盤は四面日本神話のようにみえむした。 露盤という仏具に神話を配置するのは、今に残る神仏習合と言えるかもしれません。
 
刺繍
川村刺繍製の水引幕と高欄掛は今までにないテーマのものでした。

↑白澤(はくたく) 。文政期には旅人のお守りや病除けの枕守りの図柄として好まれていました。
参考



蛟(みずち)蛇(龍)頭に四肢がついたものです。

鳳凰

麒麟。これもあまり、他では見られません。


鷲退治
 
 

鯰退治。地震よけでしょうか。東日本大震災を経て、南海トラフの危険性が盛んに報じられてから、刺繍や彫刻などで用いられるところがいくつか見られます。


↑河虎(かわこ)退治 ウィキペ●アでは、河童の別名のように書かれていました。寛政十二年(1800)の「西播怪談実記」という本にも出ているそうですが、ここ(国文学研究資料館)では、「河虎(かわとら)の妙薬を伝へし事」という題名のみ見つけることができました。

狐退治
 
金具
金具は明石町もてがけた現代の名工北角師によるものです。
 うっとり彫かつ透かし彫の井筒端は見事なものでした。






総才には鷲がしつらえてあるそうでしたが、写真を撮れませんでした。
 
●井ノ口屋台を祝う町坪(ちょうのつぼ)屋台
 
今日の主役は井ノ口屋台なので、町坪屋台は擬宝珠も露盤もない状態です。また、正装のまわしでなく、私服にハチマキ、あるいは黒ズボンに白シャツにハチマキで、出席していました。

 
 

虎の透かし彫。デフォルメされた虎を彫っていました。


川村刺繍製の精巧な刺繍でした。
 
 


 


 
 
 




 
 

197.太鼓の打ち方の教え方(月刊「祭」2019.9月24号)

2019-09-28 14:00:00 | 屋台・だんじり・神輿-子どもへの指導、後継者育成-

●太鼓打ちを限られた時間で育てる
 多くの地域で、祭においてその継承が課題となっています。屋台や太鼓台の場合、特に頭を悩ますのが、太鼓打ちの育成です。聞いているようで聞いてない、聞いてないようで聞いている、関係ないように見えてリズムがくるうと怪我の元になるという太鼓は、センスと努力を必要とします。管理人にはその両方がたりず、大成はしませんでした(ToT
 おそらくほとんどの屋台や太鼓台の太鼓打はそれを本業とするプロの演奏家ではありません。仕事や部活終わりなどの限られた時間にその技術を身につけなければなりません。
 その下地として、子どもたちにその技術を早めに身につけてもらい、担い手になる門戸を広げる活動が活発になっています。とはいうものの、気が強かったり、分別がついたりする男子高校生や中学生に教えたりするのとは少し教え方もかってがちがってきます。ある程度の基本を子どもに短い時間で身につけさせる技術は、太鼓の名手が才能ある若手を育てる方法とはまた違う方法が必要になってきます。つまり太鼓打としてのスタートラインに立たせるまでの教授法の確立が必要ということになります。
 
 ここではその留意点を書いてみたいと思います。。ここでは、「ドンドン(両手両手) ドンデドン(右左右) ドンデドン(右左右)」という三木市三木地区の一般的な太鼓のリズムを教える過程を例にして、それぞれの年代で考えていきます。
 最後のポイントは他地域でも、使えるところだと思います。
 


 
 
●小学校3年生以上
Aはじめに教えるべきこと
まずは、挨拶、準備片付けのマナー、小さな子への思いやりなどを教えます。目の前に立派な目標(青年団)があり、強制でなく好きで来ているので、普段は腕白で通っている子も意欲的に頑張る子が多くなります。
 
Bまずはドンドン ドンデドン ドンデドン
 管理人が失敗した例としては、「打ってくれドンドン」から教えたことでした。これは、普段使う太鼓ではありません。担ぐ前にスタートするためのもので、掛け声が複雑で混乱の元になるので後にする方がいいでしょう。差し上げ、太鼓を落としたりすえたりしたときなども後にする方が混乱を避けられます。
 
Cドンドン ドンデドン ドンデドンの教え方
1 ドンドン ドンデドン ドンデドンの見本を見せる
 ドンドン ドンデドン ドンデドンの見本を見せます。こうすることで、今からどのリズムを打つかの見通しが立ちます。
 
2 ドンドンを覚える
 次に両手でドンドンを教えます。これは、できるまでには、あまり時間がかかりません。
 よくできたことを褒め、でも、一番奥の深いリズムでもあることを伝えて次に行きます。
 
3ドンデドン ドンデドンを教える
 ここで、つまづく子は比較的多くなります。一番多いのが、はじめのドンデドンを右左右と打った後、次のドンデドンを左右左と打ってしまうことです。ドンデドン ドンデドンを「みひみ、みひみ」と言いながら打つと、この癖を正しやすくなります。
 もう一つが、大きくバチを回すとリズムが狂うことです。この場合は、はじめはほとんどバチを回さずに打たせて、徐々に大きくすると動きをマスターできます。
 少しでもよくなったら、そこを褒めてあげましょう。
 
4 ドンドン ドンデドン ドンデドンをつなげる
ここまで打てればあとはつなげるだけです。微妙な音の調整をしたり、ドンドンの時に「サッサ」と声をかけて太鼓を次のドンデドンから変わることなども教えていくといいでしょう。
 
ポイント
 ●礼儀面は、青年団員を目標として、はじめに約束させる
 ●はじめは、基本的なリズムから学ぶ
 ●基本的なリズムの教え方は、
①全体の見通しをもたせる 
②簡単なところからパートに分けて教える ③左右が難しいところは、「み、ひ、み」と言ってやる 
④小さい動きから動きを大きくする
 
●幼稚園くらいから小学校2年生
鏡方式
 基本的には、上のやり方と同じです。ですが、右と左の区別がつかない子がこの年代にはかなりいます。かといって、後ろから手を持つと嫌がる子がいたり、自分で覚えようとしなくなったりということがあります。
 そこで、その子の対面にすわり、その子が右利きで右左右と打たせたいなら、教える方は左右左と手を動かして、真似するように促します。これを繰り返すことで、手本なしでもその子自身で太鼓を打てるようになります。
 


教える人にめざしてほしいこと
 管理人も前職が教員ということもあり、太鼓を子どもたちに教える機会が多くあります。
 もちろん短い時間で、太鼓を打てるようにすることも大切です。でもそれ以上に、青年団やその子の家の人、屋台係や町の人たちが頑張ってるから祭ができるゆうことが大人になった時にわかって欲しいものです。そして、基本的な挨拶や礼儀、思いやりが身についていって欲しいと思っていました。ですが、祭好きな子は来る前から身につけてきてる気もします。

196.天橋立文殊堂の謎の生物(月刊「祭」2019.9月23号)

2019-09-28 11:22:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

●天橋立知恩寺文殊堂
(アクセス)
 京都府宮津市天橋立の知恩寺文殊堂は、「天橋立」観光を構成する主要スポットとなっています。寺の概略を某ウィキ●ディaを参考にしながら述べていきます。
 寺伝によると大同三年(808)に平城天皇の勅願寺として創立されたそうです。元々は真言密教寺院だったそうですが、南北朝時代以降は臨済宗の寺院としてさかえました。木造文殊菩薩像と脇侍像、多宝塔などの重要文化財を擁します。

↑文殊堂。明暦三年(1657)の改修により現在の姿になったそうです。


↑多宝塔は、 丹後国守護代・延永春信によって建立され、明応十年(1501)に落成したそうです。

↑風光明媚な景観です。

●謎の生き物
  建物正面の角などに、獅子や龍の木鼻が取り付けられることはよくあります。知恩寺も例外ではありません↓。




その中で異彩を放つ生き物がいました。

↑一見獅子に見えますが、角が二本生えています。角が一本の狛犬などはありますが、二本の生き物は管理人は見たことありません。
 近いのは「白澤(はくたく)」でしょうか。書物によれば獅子の別名ともされているところも似ています。道教の瑞獣とされており、『黄帝内伝』という書物には黄帝が海辺を行くときに会った生物とされています。
 天橋立という、海の奇跡の寺院には相応しい瑞獣かもしれません。








195.祭礼「雑」物館としての「プロトコル」(月刊「祭」2019.9月22号)

2019-09-27 22:08:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●雑誌に載せてもらえない文を書いてます(ToT)
祭「雑」物館
 本ブログは、播州から摂津、京都、江戸、韓国、ヨーロッパ、現代から江戸、古代、彫刻・刺繍から、台車、神道から仏教、道教、キリスト教と、記事ごとにテーマがあちこち飛んで行きます。その様相はまさに祭「雑」物館。

民俗学?
 でも、その中でも重要視しているのは、台車の記事(播磨版淡路版)に見られるような祭関係者が知恵を出したり、思いをこめたりしていることについて取り上げたいと思っています。本ブログ管理人は、祭に関係した講演の機会を賜る時は、「民俗学」を専門として語っていますが、民俗学が何なのかはよくわかっていません(ToT)
 「民俗学て何?」と聞かれたら「タイコかきながら(担ぎながら)祭の歴史とか文化を考えることやねん」などと答えるのが関の山です。専門家からすると非難轟々な答えかもしれません。現に投稿した論文(もどき)は、書式の不備や推敲が著しく不足していることもあいまり(この時点で読まずに返されても文句は言えないし、読んでくださるだけでも本当にありがたいことです。)、酷評を頂いております(ToT)

●祭関係者の知恵と思いの結晶



 ただ、本ブログの柱の一つとなっている屋台やだんじりの構造や担ぎ方などは、「末端」の問題でさして重要でないという指摘も頂いております。しかし、祭関係者にとっては、これほど大切なことはありません。屋台の構造がわかっていなかったり、組み方、担ぎ方の不理解は即怪我につながりますし、存続は不可能となります。また、研究者自身が祭の担い手となる場合は、末端の問題としてすませるわけにはいきません。
 屋台やだんじりに関わる庶「民」の知恵とか思いがこもっているところを本ブログでは紹介できればと改めて思っています。ようは、民俗学がこのことを問題にしないのであれば、民俗学かそうでないかというのは、管理人にとってさして重要でないということに最近気づきました。どうせ、雑誌に載せてもらうことのない内容ならば、ここで発信する方がいいという結論に至り、最近はほとんど毎日書いています。
 そこで大事なのが「プロトコル」というものだそうです。


●プロトコルて何?おいしいの?
 「プロトコル(コンピュータの言葉として知られているみたいです。)」という言葉。博物館に勤務している方にとっては、非常に大切なものだそうです。学芸員資格をもっている管理人は生まれて41年目にして、この言葉を知りました。参考文献は『月刊少年マガジン 2019年10月号』(講談社)所収の「C.M.B 森羅博物館の事件目録」という漫画です。
 あらすじはこんなかんじです。

「アメリカのとある美術館で、地球温暖化の展示をしていた。そんなある日、その美術館の学芸員が何者かに襲われる。容疑者として浮上したのは、地球温暖化に疑義を挟む思想の持ち主。大統領も温暖化を否定していると主張している。森羅たちは、この容疑者を犯人だと考えるが、証拠が見つからない。はたして立証できるのか!?」

ここで、美術館は現政権の方針に反する展示を行います。それに対して、暴力的な方法で妨害したこと(どこかで聞いたことある話です)が「プロトコル」を侵されたたいうことになります。
  プロトコルというのは、何なのかを主人公の森羅は語っていますが、「自分の考えを分かりやすく伝えるため=表現の自由を行使するための手段と場と手続き」と考えるといいでしょう。伝えるためには相応しい場を用意し、分かりやすく伝えたり心に訴えかける手段をこうじなければなりません。例えば、管理人がインターネットに掲載している文章を印刷して町中に放り投げて配るやり方は迷惑なだけで、きちんとした手段や場、手続き・プロトコルが確立されているとは言えません。
 きちんとした手段や場を確立して、表現する人は伝えないといけないし、見る人は自分の考えと違うこともあるかもしれないということもふまえて鑑賞する。このような手続きが必要になります。

 月刊「祭」は、論文雑誌に載らない(載せてもらえない、載せて欲しいんです(ToT))けど、祭にとっては面白かったり大切だったりするものだと管理人が考える物事を伝える表現の手段と場と手続き・プロトコルとなります。




●「雑」物館? ゴミの山?
 偉そうに本ブログのプロトコルについて能書きをたれたものの、実際に読者のみなさんにとって面白かったり、調べたいことが調べられるブログになっているとは到底言えません。その理由の一つが、アクセスのしにくさです。記事や調べている内容にアクセスしにくい。200を超える記事から目当てのものを探し出すのは、困難を伴います。整理されて陳列されなければガラクタの山と言われても仕方ありません。。
 
 祭が終わったらその点をすこしでも改善できればと思っております。


187.体作り計画-屋台を担ぐために-(月刊「祭」2019.9月14号)

2019-09-26 21:45:00 | 学習-体作り-
●体が資本 -管理人が実験台になります-
 祭をするにあたり、何が大切でしょうか。心意気、経済力、休みなどなどありますが、やはり一番は健康でしょう。
 刺繍があれこれ、彫刻があれこれ、言ったところで屋台一つかつげませんでは説得力がありません。法被を着た時に、見栄えのする姿でいたいのも本音です。
 残念ながら管理人は、説得力ない方面行きの急行列車乗車中です。そこで、少しでも改善し、ぽっこり出た腹を引っ込めたいと思い、この記事を思いたちました。
 管理人が実験台になってみます。皆さんもデータを参考にしたみてください。

●目標
①屋台を担ぐ持久力をつける。
②運動の習慣をつける。
③体重を適正体重まで落とす。
言うだけでは、無理ですのでそのための努力を引き続き。

●ゴール
下のいずれかをクリアする
①600メートル走 2分10秒をきる。
②体重60kg切る

●努力
運動-下のいずれかを毎日する。-
①約2.8kmのジョギング(行き1.4km、帰り1.4km)+600mダッシュ×3
②腹筋、背筋、腕立て、スクワット30×3
③縄跳び30分

食事
①甘い飲み物は飲まない。基本水。 あとはコーヒー、お茶 
②ご飯1膳におさえる。ラーメンライスは原則しない。するときは、ラーメン小

●記録表●
月日  身長cm 体重kg 600m
0916   168     68.6    不明
0926             68.6    4.56(腰痛のため)
 腰痛を治すと言う目標もできました。  
0930
1007
1011
三木市大宮八幡宮秋季例大祭1012、13
1018
1025
1101
1108
1115



194.屋台と小学校(月刊「祭」2019.9月21号)

2019-09-26 16:57:31 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
 

●学校への敬意と屋台
 明治時代に学制が敷かれて以来、「学校」と地域は切っても切れない関係となりました。それは祭も同様です。祭の日は、平日でも学校が休みになったり短縮授業になったりし、先生方は補導にも来られました。昨今では、学習指導要領の改変などで地域文化の重要性を学ぶ一環として地域毎の副読本で祭礼をとりあげることも増えました。
 祭関係者が通ったり通っていた小学校や中学校は、その神社の近くにあることがほとんどでした。個人的な経験では、祭りが盛んであったり、田舎な地域では学校や先生との距離が近く、敬意も持たれているように感じました。そのような中で、学校創立 百年や何十周年を祝して屋台が出された例がいくつかあります。
 
●2005年 加西市立冨田小学校 100周年
  高峯神社の屋台(畑西、畑東、窪田、西谷西、西谷東)住吉神社(谷、西上野、市村)などの屋台が参加しました。
      フォト蔵
      加西市教育委員会
 
●2009年 三木市立別所小学校 100周年
 大宮八幡宮高木屋台、熊野神社興治屋台、八雲神社花尻屋台、美坂神社東這田屋台、御酒神社石野屋台が「学校入り」しました。
 
 
 
 
 
 
 
●2013年 姫路市立八幡小学校 120周年
蒲田神社(西蒲田屋台)などが参加しました。
個人的には、祭礼日が同じ西蒲田屋台を見ることができたのがうれしかったです。
 
 
 
 
 
 
 
 
●2014年 姫路市立高浜小学校 120周年
 
中島天満宮の(野田、下野田)屋台などが参加しました。
 
 
 
 

193.トラックと祭(月刊祭2019.9月20号)

2019-09-26 13:07:00 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
●祭の伝統を守るもの
 昔ながらの祭ですが、昔と同じやり方では祭はできません。祭は文明の利器を高度な技術を駆使してこそ守ることができます。
 ここではトラックを使って祭を維持している様子を見ていきます。
 
大型、中型車
住吉大社
 神輿を御旅所まで担いで運ぶのが理想です。また、だんじりや屋台もですが、あまりにも距離が長かったり、交通量が多かったりすると、トラックなどに頼らざるをえません。
 元来、大型のトラックが出入りする物流倉庫などはそれを見越して、大きなスペースを作っています。しかし、祭などで使う場合、神社やだんじり、屋台などの蔵はトラックが出入りするには困難なところにある場合もあります。
神輿が大和川を渡る大阪府住吉大社の大祭。
 
 
↑御旅所はなんと堺市
 
 あまりにも距離が遠く、御旅所近くの開口神社でトラックが待機しています。五色の幕で彩られています。
 
杭全神社
 
 
 
 
泥堂もだんじりを運搬していました。(上の写真をクリックすると動画に飛びます。)
だんじりという文化財の運搬は神経を使います。
 
イベント会場へのだんじり運搬
 イベントでだんじりなどが使われる場合は、普段より遠方へ運ばれることがあります。そのときは、どうしてもトラックの力を借りることになります。
 下の写真はだんじり、spirits of Japan 堺春の陣(2019.3月23、24日)に運び込まれるだんじりの様子です。
 
 


 
修理、新調時などの運搬
 修理、新調、屋台蔵の改修などを終えて運搬する時も使われます。写真は三木市大宮八幡宮明石町屋台が屋台蔵の改修を終えて運搬される様子です。
 地車だと使うのは難しいですが、フォークリフトを使います。
 


 
 
 
 
 ●小型車
飲み物や、ウマの運搬に使われます。
 

三木市志染町御坂神社の祭
 
●トラックと共に歩む祭
 様々な面で、トラックと呼ばれる文明の利器がないと現代の祭は成り立ちません。大型車や中型車は屋台・地車などの本体の運搬に使われていました。
 小型のものは、飲食物やウマなどの付属品の運搬に使われていました。学術的には、目もくれることのない「末端」のことかもしれませんが、このような技術があってこそ民俗文化が成り立ちます。
 
 謝辞
  不惑の年(40)を超えてから、丹後の国峰山の郷でできた「学友」達に感謝^_^
 
 
 
 

192.丹後半島の着色石像文化(月刊「祭」2019.9月19号)

2019-09-24 18:16:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●今回は謎のまま
 宮津市などでは、石像に色をつけるのが流行しているようです。見る限りでは、最近着色されたと思われるものがよくみられました。

●宮津市金屋谷付近 (アクセス)

黒衣と赤衣の僧形像



↑向かって右側の方は金色の物を持っています。おそらく薬の瓶で薬師如来でしょうか。


地蔵菩薩?

↑カラフルに彩られています。

●天橋立知恩寺内(本堂は文殊堂) (アクセス)


↑六地蔵のように見えますが髪の毛があります。

●京丹後市
金刀比羅神社
 狛猫にあやかり、2000円の初穂料で狛猫に色を塗ることができます。















●宮津周辺石像着色文化
  色がつけられるのは、道端の小さなお堂のものや、比較的新しいものに多いようでした。伝統的な街並みの落ち着いた雰囲気に、彩りを与えてくれています。



191.丹後半島のだんじりと太鼓台(月刊「祭」2019.9月18号)

2019-09-22 14:28:00 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-

●祭どころ丹後半島

 丹後半島は浦島伝説や羽衣伝説、徐福伝説など異界に通じる伝説が多数残る地域です。そんな伝説が残るところには、信仰が残り、そしてその信仰はやがて多様な祭文化につながっていました。今回は丹後半島の「太鼓台」と「だんじり」を見ていきます。

●太鼓台 

京丹後市久美浜町太刀宮神社の太鼓台(アクセスウェブページ、祭礼日十月体育の日前の土日)

 久美浜一区の太鼓台は、黒い破風屋根のもので、棒は井の字に組まれ前部は泥台を担いだり、姫路市などの台場ねり状態で回るなど様々な所作をするようです。ユーチューブなどにも映像は出ています。



では、同じく京丹後市内伊根町の「太鼓台」を見てみましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
京丹後市伊根町宇良神社
(アクセスウェブページ、祭礼日8月最初の土日)
本庄上(ほんじょうあげ)太鼓台 2007年
岸和田の地車(だんじり)を思わせる形で、宮入では、走って急カーブするやり回しの要領で宮の前に「太鼓台」を据えます。

 

↓宮の前で太鼓の向きが変わり、太刀振りのための太鼓の演奏「台」になります。

 

 

籠神社(このじんじゃ)(アクセスウェブページ)

祭礼日4月24日

 

 

 

だんじり (参考サイト)

 そして、「だんじり」もあります。丹後市久美浜地区でいくつかの神社で祭礼が四月の第2土日に行われるそうです。写真は著作権のこともあるので掲載しませんが、イラストを書きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

これをみるかぎりでは、上の久美浜の太刀宮神社の「太鼓台」と形は共通します。



 

丹後半島の「太鼓台」は二種類あるようで、一つが担ぐもの、一つが岸和田の地車を簡易化小型化したもの。「だんじり」は担ぐものをさすようです。

 播州の人がイメージする太鼓台、だんじりとは少し違うかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 


190.宮津駅周辺寺社彫刻名所(月刊「祭」2019.9月17号)

2019-09-17 11:51:09 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
 
 天の橋立の価値を上げる彫刻
 世界遺産に登録しようという動きも見られる天の橋立。陸が海を渡るはしのようになるという自然の奇跡は、古来より人々の信仰の対象になってきました。その中で、生まれた優れた寺社彫刻は、天の橋立をアピールする題材の一つになりうるでしょう。各寺社の縁起は毎度のウィキぺDアに任せることにして、ここでは、彫刻を紹介していきます。
●籠(この)神社の和貴宮神社
 籠神社の御分霊を勧請したと伝わる和貴宮神社です。







↑向こう側が見える籠彫りがなされています。

●中井権次(ごんじ)作の彫刻
 中井権次一統(詳しくはリンク先)は、北近畿一体から播州、摂津にいたるまでに見事な彫刻を伴う社寺建築を残した宮大工です。また、五代目からは中井権次橘●●と橘性も名乗るようになっており、同じく明石の橘正義という彫刻師とのつながりも可能性が残ります。宮津の地にも見事な作品を残しました。
 中井権次ご末裔の中井彫刻店(社寺彫刻ではなく印鑑などの制作)のご主人に大変なご厚意を賜りました。また、町中の案内は近隣の服飾店の方に詳しくご教示賜りました。

桜山天満宮(アクセスウェブページ)








 


仏性寺(アクセスウェブページ)




本堂の木鼻、欄間



楼門の龍



●金屋谷の寺町
 寺院が集まっています。全ては行けず、上の仏性寺と妙照寺、大頂寺に行きました。



↑寺院の中に鳥居があります。

↑熱心な日蓮宗の信者だった加藤清正をまつります。


↑彫刻が見事です。

↑本堂

↑龍の木鼻↓

 宮津藩の藩主京極家ゆかりの寺、そして、八百屋の娘から将軍の母にまでなった桂昌院の御霊屋があります。本堂(17世紀)、御霊屋(18世紀)ともに、当時のままの姿をとどめています。

↑坂を登って振り返れば宮津湾。


↑欄間彫刻も17世紀のもののこっています。

↑ご本尊前の龍。ご本尊については、稿をあらためます。

↑八百屋の娘から将軍の母にまで上り詰めたお玉の霊屋

手前の欄間の彫り物が見事です。

少しうつりがわるいですが、さらに内部の彫刻です。全て透し彫りで、漆には金箔で模様がえがかれています。


謝辞
それぞれの場所で、丁寧なご教示を賜りました。改めてお礼申し上げます。