月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

尊敬する・respect -日本語文化と英語文化-

2005-08-31 00:09:47 | 英語で言えますか?
 「尊敬する」を英語に直すと"respect"になります。

 それぞれ、その対象となる人を「すごい人」として「一目おく」という意味といえるでしょう。
 
 さて、「『すごい人』として『一目おく』という意味」を表す日本語と英語にはその言葉の文化の違いがあるように思われます。

 「尊敬」の「尊」の字も「敬」の字も、それぞれ相手を「上」に見あげるニュアンスを含みます。日本には、「すごい人」を見上げる文化、儒教的な文化が、「『すごい人』として『一目おく』という意味を表す日本語」にも表れているといえるでしょう。

 一方"respect"の"spect"は、「視界」とか「風景」の意味になります。そして、"re"はご存知の通り、「繰り返し」の意味を持っています。英語文化では、「『すごい人』を繰り返し見て手本にする文化」が表れているのでしょう。

 
 

電車男2 -エルメスは何故「オタク」を選んだか?-

2005-08-28 23:34:51 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 現在27歳の管理人が中学生の頃、「オタク」に対する風当たりの強さは並大抵のものではありませんでした。
 さて、「オタク」である「電車男」がエルメスに選ばれたのは、何故なのでしょうか?
 単にエルメスさんは、「電車男」の「真心」とか「優しさ」に惚れたのでしょうか? 
 これは、管理人の私見ですが、「電車男現象」は10数年の社会の変化がもたらしたものではないかと考えるのです。

 バブル全盛期の頃、多くの国民が金銭的に余裕のある生活・安定した生活が約束されていました。
 そのような社会の中では、パートナーとしての異性を評価する基準にしていたのは、コンピュータを使用する能力のような仕事の能力というよりも、「ノリ」「ルックス」といった「+α」の部分でした。
 ところが、バブルが崩壊し、金銭的に余裕のある生活・安定した生活ができる保障は年々なくなる一方です。しかし、金銭的に余裕のある生活・安定した生活へのイニシアティブをとる手段が存在します。それが、パソコン等の「個人のスキル」なのです。
 人間が動物である以上、パートナーは自分の生存に有利な人間を選ぶようになります。つまり今の時代では、パートナー選びの基準として、「ノリ」「ルックス」に対して「スキル」が台頭してきていると考えられるのではないでしょうか。
 そう考えると、「パソコン」という「スキル」をもつ電車男がエルメスに選ばれたのも納得が行く気がします。

電車男

2005-08-27 00:25:44 | 英語で言えますか?
 ムカデ続きだったので、一息つきましょう。
 元アニメオタク・現祭オタクの僕にとっても、バイブルでありファンタジーである、電車男。
 この物語のキーワードを英語で見ていきましょう。

 オタク →  nerd  変わり者。ダサい奴。頭はいいが流行や服装に関心がない奴
 美人  →  beauty, a peach, bombshell,
酔っ払い→  a drunk, a boozer, a sot, a drunken man
からむ →  try to pick a quarrel 言い合い(quarrel)を引き出そうと試みる。
give someone such a hard time
手を繋ぐ→  hand in hand
環状線 →  a belt line
勇気  →  courage

 


ムカデ3 -百足はムカデではなかった-

2005-08-22 00:44:02 | ムカデ ヤスデ
日本語はもともとムカデを意味する言葉では「蜈蚣」が使われていた。だが、戦国時代以降の西洋の文化の流入により、ムカデは「百の足」であるということから、「百足」の漢字が使われはじめた。
との仮説を立てましたが、これとはどうも異なるようです。
 「和名類聚抄」という10世紀の日本の辞典には、
 「蜈蚣---中略---一名は百足」とあり、「ムカデ」が「百足」と書かれていたことが分かります。しかし、そこには「馬陸(ヤスデ)」もまた一名を「百足」というと書かれています。
 中国の古い文献では、まだ見渡せたわけではないのですが、「百足」はヤスデ(馬陸)であり、ムカデ(蜈蚣)ではないようです。
 ただ、ムカデとヤスデは非常に似ており、辞典などにおいても類似のものが順番に記述されるため、「本草綱目」のように、ムカデとヤスデが隣り合う場所に記述されることがかなり多かったと考えられます。
 それによって、日本でムカデとヤスデが混同され、本来ヤスデのみに使われた「百足」の字を「ムカデ」にも使うようになり、それがやがて、清朝の時代に逆輸入され、それが当時の文献「説文通訓定声」に記述されたのではないでしょうか?

ヤスデ 英語で言うと? もう一つの漢字

2005-08-21 01:00:01 | ムカデ ヤスデ
 ムカデ2 -漢字の成り立ち-で、「本草綱目」という16世紀中国の文献では、「百足」はムカデではなく、「ヤスデ」であると書きました。

 では、このヤスデは英語でなんと言うのでしょうか?
 それは、"millipede".
ムカデの英語版を説明したときに、"pede"は「足」であると説明しました。
 何か、嫌な予感がしますよね...(--;
 気を落ち着けて、ヤスデの英語版、millipedeを分解してみましょう。
 
 milli
  millimeter(1/1000m)、millier(1000kg)というように、"milli"は「千」という意味を持ちます。

 pede
 そして、"pede"はムカデ2 -漢字の成り立ち-ここで述べたように、「足」を意味します。

 つまり、ヤスデ=millipede=milli(千)+pede(足)=千足
 という意味になるのです。

 ムカデ(100足)centipedeより足の多いヤスデは(1000足)millipedeという考え方が英語にはあるみたいです。

 ところで、「本草綱目」では、「百足」はムカデではなく「ヤスデ」です。では、「千足」はどうなるのでしょうか!?
 実は「千足」もヤスデの別名の一つであると書いてあります。
 
 英語の100足はムカデ、1000足はヤスデになっておりました。
 しかし、「本草綱目」では、100足も1000足もどちらも、ヤスデであるようです。 


ムカデ 2 -漢字の成り立ち-

2005-08-20 23:57:02 | ムカデ ヤスデ
先ほどの記事・ムカデで下のような仮説を立てました。

 日本語はもともとムカデを意味する言葉では「蜈蚣」が使われていた。だが、戦国時代以降の西洋の文化の流入により、ムカデは「百の足」であるということから、「百足」の漢字が使われはじめた。

 ですが、どうも違うみたいです。
 「説文通訓定声」という古い中国の文献に 
 「蜈蚣は蘇で俗に言われる百脚のことだ」と書かれてあり、昔から
 ムカデ=蜈蚣=百足
 の法則は成り立っていました。
 と思ったのですが、この根拠となる「説文通訓定声」は清代の文献でした。
 もう一度、明日調べて報告します。

 で、ここで、興味深い記述をみつけました「本草綱目」という16世紀の中国・明代の文献です。
 そこには、「蜈蚣」の次の項目の記事の記述に「馬陸(ヤスデ)」という記述があります。
 「馬陸(ヤスデ)」はムカデに似た小型の節足動物で体の各節に二対の脚を持ちます。ちなみに、ムカデは各節に一対の足になります。
 その「馬陸(ヤスデ)」の別名が「百足」となっているのです!
 とりあえず、今日分かったことは以下の式に表します。

 ムカデ=蜈蚣≒ヤスデ=馬陸=百足(本草綱目・16世紀 明)

ムカデ

2005-08-19 23:08:30 | ムカデ ヤスデ
ムカデは漢字では「百足」、もしくは「蜈蚣」と書きます。
そして、英語では"centipede"となります。
では、この英語のムカデ・centipedeをcentiとpedeに分解してみましょう。

 "centi"
 centiは、centimeter(センチメートル=百分の一メートル)、century(一世紀=百年)と、「百」の意味を表します。

 "pede"は、pedal(ペダル)、pedestrian(歩行者)、verocipede(地面を蹴って走らせた初期の二輪車・三輪車 *veroは自転車などの意味。)と、「足」の意味を表すします。

 となるとcentipedeはcenti(百)とpede(足)をあわせたものとなり、日本語の百足と共通するのです。
  

 さて、ここで仮説を立ててみましょう。
 日本語はもともとムカデを意味する言葉では「蜈蚣」が使われていた。だが、西洋の文化の流入により、ムカデは「百の足」であるということから、「百足」の漢字が使われはじめた。
 
 この仮説が成り立つのか否か?
 成り立つのであれば、「百足」を使い始めたのはいつか?
 成り立つ成り立たないに関係なく「蜈蚣」とはどういう意味を持つのか?
 これについて明日調査し報告したいと思います。 
 
  

ミンカン

2005-08-18 23:04:04 | お気楽言葉
 夏みかんの季節ですが、ミカンではありません。「民間」です。
 最近、「民間人の起用」、「民間の発想を行政に」といった、「民間人」を行政組織に組み込むことがよしとされる論調が目立ち始めました。
 確かに、公務員の場合、サービスの良し悪しにかかわらず給料は一定ですので、非常に無愛想な応対をされて嫌な思いをすることもあります。
 また、地方自治体や国家の財政難を乗り切るために、コスト削減などが必要になってくるのもよく分かります。
 かといって、現役の大会社の重役を迎え入れるような民間人登用を安易に繰り返すことは、公共団体と一企業の「癒着」につながるだけのような気がします。