●明石町屋台の復活デザイン
明石町屋台が衣装物を新調して早、八年が経とうとしています。縫い物は、かつて使われていた題材を復活させました。水引幕は海女の珠とりで、先先代のテーマを再び新調しました。
そして、高欄がけ4枚中1枚も、先先代の屋台のデザインを復活させました。
その題材が蜘蛛退治です。
ここでは、蜘蛛退治伝説がいつごろできたのか、その後どうなったのかについて見ていきます。今回はその初見と思われる平家物語からです。
●源頼光蜘蛛退治
ー髭切、膝切-
源頼光蜘蛛退治が載っているのは、平家物語や源平盛衰記などに載っている「剣」という条項の部分です。といっても、流布している文によっては、蜘蛛退治伝承が掲載されていないものもあるようです。ちなみに、東京大学国語研究室所蔵の覚一本と呼ばれる物には、掲載されていません。
本文を全て引用すると長くなるので、省略したおおよその内容をお伝えします。
多田満仲が源氏性を賜り、天下を守るものは良い刀が必要だと思うも、なかなかいい刀に巡り会えません。ある者が進言するには、「筑紫の三笠郡土山に異国の鉄の細工人がいます。かれにつくってもらうといいでしょう。」とのことです。それでもいい刀ができませんが、細工人が言うには祈祷してはいかがとのこと。細工人も八幡大菩薩にお祈りしました。七日目の夜の夢に言うには、
「六十日待ちなさい。そうすればいい剣を作れよう。」と
そして、六十日目細工人は最上の剣をつくりました。満仲は慶びますが、、、、、試し切りとして罪人の髭と膝を切ります。そのことにより、髭切、膝切との名前がつきました。
-宇治の橋姫と髭切-
源氏は満仲の息子の頼光の時代になりました。頼光の部下はかの四天王。(渡辺)綱、(坂田)公時(金太郎)、(碓井)末武、(卜部)貞道。貴船の社の計らいで女が生きながら鬼・宇治の橋姫になったといいます。
ある日綱はお使いで一条大宮あたりのところを行くと、一条戻り橋のところで美しい女性に出会います。そして、その美しい女性こそが鬼になったその宇治の橋姫だったのです。綱はその腕を髭切で切り落とします。その腕は、なんと北野の社の回廊の星(欄干の擬宝珠でしょうか?)の上に落ちたといいます。
その腕を安部清明に相談し、自宅に誰も入れずに綱は七日間腕を預かることになりました。七日目を明日に迎えたその晩、綱の養母がやってきます。断る綱にそれを嘆く養母。綱は家に入れます。そして、n鬼の手を見せると養母に見えた女はたちまち鬼に変わり、愛宕の山へ消えていきます。
鬼の手を切って以来、髭切は鬼丸と名前を変えました。
-蜘蛛退治と髭切ー
頼光が体調をくずし30日たった日の夜。七尺ばかり(約212cm)の背の法師が縄で頼光を縛ろうとしました。頼光は、膝丸で彼を切り伏せます。しかし、その法師の姿はなく、血の跡があるだけです。よって、血のあとを追うと北野の後ろに大きな塚がありました。塚を掘り返すと、なんと大きな蜘蛛がいました。この時より髭切は蜘蛛切丸と名を変えました。
さて、ここで気になるのは、北野です。なぜ北野が出てくるのかは、次回以降にします。