月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

9年

2005-11-28 20:45:48 | お気楽言葉
 今年十一月で、僕は祭りの研究を始めて9年目になります。
 よくもまあ、こんなアホみたいに続けて来たなと自分でもあきれてしまいます。 
 それにしてもいろいろありました。
 大学院の入試、英語の試験で「初めての異文化交流の経験を書け」という英語で書かれた問題に対し、日本語の名文を以ってこれに答え、試験に落ちたこともありました*1。
 岸和田のダンジリ祭でダンジリの後ろを走っていると、おばちゃんに「あんた邪魔やねん!」と怒鳴られたこともありました。
 山寺で道に迷ったまま日が暮れて、お坊さんに懐中電灯を借りたこともありました。
 京都の祭りで、おみこしのお姉さんにみとれた事もありました。
 銭湯で開けっ放しにしていたロッカーのドアが怖いお兄さんの頭を直撃したこともありました。
 大宰府で財布を落としたこともありました*3。
 たくさんの写真、履き潰した靴、山ほどある本のコピー、乱雑な文字のメモ、いろんな人との出会い、そして、発見があったときのワクワク感。
 家族、先生、友達、彼女に支えられつつも、共有できない部分をもつこの9年間の思い出は、僕にとってかけがえのない宝物です。
 
 高校生の時、学校の先生が「同じ事を十年続けてみろ。必ず芽が出る」とおっしゃっていました。
 その十年まであと一年です。
 確かに、芽が出るにこしたことはありません。でも、忙しくなる中で、今の気持ちをもち続けて10年20年と研究を続けていけたらそれでいいなとも思ってしまいます。 

 *1 その次の年から、入試の係の人から受験生に対して「英語の試験の作文は英語で書いてください」との注意がなされるようになりました。また、試験の問題にも、「in English」という言葉が付け足されたそうです。
 *2 そこは背中に龍や鯉、観音さんなどのきれいな絵がある方が多数いらっしゃる銭湯でした(・・i
 *3 親切な方が交番に届けてくださいました。

想像力-13年ぶりの広島-

2005-11-17 23:38:58 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

 中学3年生の頃、家族旅行で広島に行きました。
 安芸の宮島を見た後で訪れたのは、原爆ドーム。
 そして、平和記念資料館です。
 ですが、中の資料を見るのが怖くて、僕は一人で外で待っていました。

 それから13年。
 一人旅の締めくくりに平和記念資料館に入りました。
 まず目を引いたのが、広島市長による核実験・戦争の実行に対する国内外の政府に対する抗議文の数々。
 ブッシュ大統領や小泉首相に対する抗議文はまだ増えるのかもしれません。
 
 そして、被爆直後の現場の記録の数々。それは見るも無残なものばかりでした。
 しかしながら、それが、人間の所業であるということが事実なのです。
 また、それらの痛みをまた忘れかけているということも事実です。

 そしてまた、資料館へ恐ろしくて入ることができなかった人間も、時がたつと多少心を痛めながらも各資料を眺めることができることになりました。
 それは、客観的に資料を眺めることができるという意味では進歩なのかもしれません。しかし、写真の中の人間が感じた痛みを自分のことのように感じるという想像力は退化したのかもしれないとも感じます。

 この類の想像力の退化が積み重なり、そして退化したことすら忘れた頃に戦争が起こるのかもしれません。  


世界遺産-ブッシュ大統領が本当に来なければならない場所-

2005-11-15 22:42:09 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

 明日、アメリカのブッシュ大統領が日米首脳会談のために日本を訪れます。
 ブッシュ大統領が訪れるのは、京都。
 京都は、古都京都の文化財としてユネスコの世界遺産に登録されています。
 ブッシュ大統領が親子二代に渡って、その大統領在任中に訪れる価値が京都にはあります。
 しかし、戦争することで自身の経営する会社、献金してくれる会社が利益を得ている大統領が本当に訪れなければならない世界遺産が、日本には他にあるのではないでしょうか?

 それは、広島の原爆ドームです。
 その近くには、平和記念資料館があり、当時の原爆の被害のすさまじざを、ある程度知ることができます。 
 ブッシュ大統領に必要なのは、日本の京都という世界遺産で紅葉を堪能することではなく、広島に行って自分が儲ける裏側で苦しむ人がいるという想像力を養うことなのです。


樟葉(くずは)、その地名の起源・クソハカマ

2005-11-14 22:27:12 | 民俗・信仰・文化
 我々が普段使っている地名には、色々な物語や伝説が秘められていることがよくあります。
 ここでは古事記に記されてる、ちょっと変わった(汚い??)けど、素敵な地名の語源説話を紹介します。

 大阪府枚方市の「樟葉」。この語源は「(--;」です。 
 その起源は第十代の天皇である、崇神天皇の時代にまでさかのぼるとされています。では、その起源とやらを見てみましょう。 
 
 この天皇に対して、タケハニヤス王という崇神天皇の叔父が叛乱を起こしました。天皇は、叔父オホビコ命(みこと)を大将として、副将としてはヒコクニブク命を叛乱の征伐に向かわせました。
 
 ヒコクニブク命は、山城のイズミの地(現在の京都府木津市あたり)でタケハニヤス王にまず矢を射させましたが、その矢は当たりませんでした。
 ヒコクニブク命はタケハニヤス王に矢を射返したところ、見事命中、タケハニヤス王は死んでしまいました。
 
 王が死に、反乱軍はちりぢりに逃げ惑いました。その軍勢を追い詰めて、葛葉の地にいたります。その頃には、みな責め苦しめられて、糞をもらして褌(はかま)にかかるほどだったそうです。

 その頃から、この地を糞褌(くそはかま)と呼ばれ、それがなまって久須婆(くずは)と呼ぶようになりました。それがやがて、葛葉や樟葉の字に変わっていったということです。

 では、このような語源の地名が、何故延々と使われていたのでしょうか?
 確かに、日本書紀や古事記でも糞などは一応汚いものとして扱われる節もあるようです。しかし、農産物の肥料として糞は非常に重要なものであるという事実があります。水田が広がる木津川一帯のこの地も例外ではありません。だからこそ、糞褌(くそはかま)が語源の地名が使われ続けたともいえるのでしょう。
 
 樟葉という地名は、ただ、その語源がユーモラスなだけではないようです。「本当に大切なもの」をしっかり見据えたからこそ使われ続けてきた、本当に素敵な地名ということがいえるのです。
 

天皇・日本・女性

2005-11-10 21:55:26 | 民俗・信仰・文化
 天皇家の跡継ぎ問題について今回は考えていきたいと思います。
 天皇とは、現在の日本に該当する国家すべてではなく、あくまで大和民族・神道文化圏における宗教的首長(時代によっては政権も担っていた)といえるでしょう。琉球王国やアイヌの各部族の宗教的首長とはいえないと考えています。
 そして、そうなると、日本に該当する国家における天皇家というのは、憲法で象徴と規定されるべきものというよりも、日本という国家における「宗教史上の文化財」というもべきものではないのかと考えています。 

 それはさておき、天皇家にようやく生まれた跡継ぎ候補の愛子ちゃん。
 あくまで、僕の印象ですが、「愛子ちゃんが跡継ぎでええやん。」そんな声が大勢を締めているような気がします。
 しかしながら、昨今では、皇族の一部と一部の識者(?)が、「伝統」を盾に天皇は「男性」であるべきと主張しています。
 しかしながら、この主張には(?)です。
 歴代の天皇には、称徳天皇や推古天皇などの女帝が名を連ねています。
 そして、「日本」という「太陽の国」の象徴ともなった皇祖神・天照大神(あまてらすおおみかみ)という「太陽の神」は女性でした。
 こうしたことから考えると、天皇は女性でもいいのではないかという気がします。

 ちなみに「天皇」という言葉の由来は、中国の「天皇大帝」という唯一の不動の天体である「北極星」に由来するそうです。
 中国の皇帝である「天子」は「天皇大帝」からの命を受けるものであると考えられていました。そのため、「天子」自体は血筋の重要性がなくなり、戦乱が勃発するようになったとか。
 それに対してかつての大和民族は、「天皇大帝」の「血筋」を決めることで、王の血筋(天皇家の祖)の安定化をはかったそうです。 
 また、そうすることで、「太陽」の象徴であった大和民族の王は、中国の「北極星」の象徴にもなったということだそうです。それと同時に儒教の影響を受け、男子が王位を継ぐようになったのでしょう。
 しかしながら、「北の方」が奥さんのことをさすように、「陰」の北極星もまた、女性の象徴であるとも考えられます。
 となると、やっぱり天皇家は女性でも男性でもかまわないということになるのでしょう。


 天皇家が男子のみとなるのか、そうならないのか自体には興味がわきませんが、「天皇」の名を語ってドンパチする時代の再来は勘弁してほしいものです。
 
 そういえば、現在の皇太子さんには、「職業選択の自由」という基本的人権は存在しないのでしょうか?

中古が好き3 -ジーンズも神社も山車も2- 保存と技術継承のジレンマ

2005-11-04 22:33:13 | 民俗・信仰・文化
 中古が好き -ジーンズも神社も山車も-で僕自身、古い山車が好きと書きました。その嗜好は、僕の実家である兵庫県三木市などに分布する布団屋根型太鼓台(以下・「太鼓台」を「屋台」と呼ぶことにする)にも共通します。
 また、屋台を彩る彫り物や刺繍などの各種工芸は、江戸時代から昭和にかけての技巧が凝らされた名品が数多く残されています。
 しかしながら、「色あせたものをきらびやかにしたい」、「小ぶりなものを大きくしたい」といった祭礼当事者の思いと、地域振興の推進という時代の波にのり、屋台を新調する地域が増えています。
 その新調された太鼓台も、きらびやかで大きくなった「だけ」ではありません。かつての名品に勝るとも劣らない技巧が凝らされた彫刻や刺繍を要する「名屋台」が生み出されるケースが増えているようです。
 また、こうした新調の流れが、「屋台装飾の技術」を「伝承」するための重大な機会となっていることも否めません。
 
 ですが、その一方で、文化財ともいえる「古い」屋台はその役目を終えなければならなくなります。その多くは、町や博物館で保存されることが多いのですが、古いものが祭りを彩るという価を持つことができなくなり、それはそれで非常に寂しいものです。

 技術の伝承のためには「新調」をしなければならない。
 古い屋台を残すためには、「新調」をしてはならない。
 悩みどころです。 

国歌 -隠れた国歌(伊勢音頭・木遣り歌)-

2005-11-01 22:06:12 | 民俗・信仰・文化
 最近、友人達が相次いで結婚しました。
 その友人達の新しい門出を祝して、この歌詞を紹介しましょう。

 めでためでたの 若松様よ 枝も栄えて葉も茂る
            そりゃやーとこせー よーいやーなー
 お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の生ゆるまで
            そりゃやーとこせー よーいやーなー

 これらの歌詞は、日本全国(ここでいう「全国」「日本」は、アイヌ・琉球等を除く神道文化圏をさすものとする)で節をかえて祭などで歌われています。
 
 お伊勢さんに参る際の伊勢音頭として、大木などを運ぶ際の木遣り歌として。
 特に、「めでためでたの若松様よ」の歌詞は全国に広く流布しています。
 「家を立てることができるくらいの木が成長して目出度い」
 「またそこで新たに(芽出た)若松(子供)の成長を祈る」
 といったような、庶民の素朴な信仰、願いが歌詞となった典型的な例と言えるでしょう。ある意味隠れた国歌といえましょう。
 確かに、「君・王(きみ)が代」や「徳川将軍家の世」が「千代に八千代に」と祈るよりも、「我が家の若松」、「我が村の若松」の「枝と葉が茂る」事の方を人は優先してしまうものです。
 それが、「君が代」ではなく、「めでためでたの若松様よ」が全国的に普及する原動力となった理由といえるのでしょう。
 
 何はともあれ、おめでとうございます。

 めでためでたの若松様よ 枝も栄えて葉も茂る