月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

402.ワクチン製造会社による祭の○○破壊-企業イメージ戦略の失敗-(月刊「祭御宅」2022.11月1号)

2022-11-11 16:56:08 | 新型コロナと祭、民俗
●企業のイメージ戦略としての祭
 祭では、企業が協賛することで、その企業のイメージを地域でアップさせるということがあります。播州では、サンテレビ放映に協賛する企業のCMはおなじみのものとなり、それらもまた、テレビを見る楽しみのひとつになっています。
企業がイメージ戦略として、祭を利用することは一概に悪いこととはいえません。また、相互にメリットがあるからこそ成り立つものともいえるでしょう。そして、新型コロナが流行って二年、そろそろ三年がたとうかという今日では、新型コロナのワクチンを製造流通した某外資系製薬会社もこれらの協賛になのりをあげました。

●-景観破壊-某外資系ワクチン製造製薬会社の祭を使ったイメージ戦略の失敗
 この製薬会社の祭をつかったイメージ戦略は、全都道府県の祭に協賛し、そのあかしとして社名入りの提灯をその祭で献灯するというもののようです。
しかし、それが本当に成功しているのかというと、かなり「?」がつきそうなものもいくつかみられたので、その原因について書きます。

1)新型コロナのワクチンには、否定派も一定数いること
 もともと否定的な見方をしている人が、その企業名を見ても嫌悪感しかそだたないことでしょう。しかし、否定派の拒否感を大きく、肯定も否定もしない派や肯定派にとっても、その会社に対するイメージを悪くするには十分のものもフェイスブックには掲載されていました。

2)社名を書くのみで、他と様式も違う提灯
企業や個人による提灯の献灯は、企業名をかくものであっても、写真のように大きさを揃えて行われます。また、反対面には「御神燈」など同じデザインが施されます。このようにして、統一性のある提灯を掲げることで、祭の景観をよくすることで、企業は地元での信頼を得ます。


一方管理人が見た某ワクチン製造会社の提灯は 下のようなものでした。おそらく、会社の方で製作したもので、社名のみかいた提灯を、各都道府県でそれぞれの祭の様式にあわせることなく使い回しているようです。不自然で周囲と調和しない提灯は目立ちますが、「御神燈」の言葉や御神紋のない提灯は「悪目立ち」しているといえるでしょう。また、その提灯を祭の曳き車につっている写真も見ました。
地元の方の強い強い希望がないかぎりは、このような提灯の掲げかたは、控える方が企業イメージを護るためには賢明に思えます。


●協賛時の心もちについて
 「金を出したる、宣伝させろ」で祭の紹介もろくにせずに、悪目立ちの提灯をとるだけでは、宣伝にはなりません。

編集後記
 管理人は反ワクチン派ではありません。
ワクチンをうったし、もしかしたらワクチンが役に立ったのかなという経験もこの二年間でいくどとなくしています。もちろん、副作用の心配も全くゼロとは思いませんが、今のところその実感はありません。
今回は、あくまで企業イメージをさげないための提灯戦略についてかきました。






393.コロナ禍中の屋台・だんじり運行の中止、決行の選択とその理由(月刊「祭御宅」2022.8月2号)

2022-08-22 17:31:18 | 新型コロナと祭、民俗
●新型コロナウィルスの大流行下での屋台・山車・だんじり運行
新型コロナが再び流行しています。管理人は家庭の事情でかつては屋台・だんじり運行の決行については強い反対意見を持っていました。しかし、反対すべき家庭の事情が大きく緩和されたことと、新型コロナウィルスによる死亡率がかなり減少してきたことから、屋台、だんじりの運行をしたいという気持ちになっています。
だからといって、絶対に運行すべきだとはいえません。また、個人単位で参加を取り止める人の意思も尊重すべきであると考えます。
ここでは、開催の是非はさておき、運行する地域しない地域の特徴をみていきます。

↑京都市八坂神社祇園祭の鷹山。今年、196年ぶりに復活した。




●運行する地域、しない地域
祭見聞をしていて、屋台や山車、だんじりなどを運行する地域ととりやめる地域それぞれにわかれています。そして、管理人が見聞する限りでは、とりやめる地域と運行する地域は、はっきりとした特徴がみられました。
まず運行を実施する地域は、比較的人が多い地域です。一方運行をとりやめる地域は、人が少ない地域・いわゆる過疎化が進んでいる地域です。
その理由としては、とある運行をとりやめた神社のご神職さんの言葉が印象的でした。
「やりたい気持ちはある。だけど町中ほど病院や検査所があるわけでもない。担い手も恒例の人が多いなかでやるのは怖い」
とのことでした。
過疎化による担い手の高齢化と、医療資源の不足が、運行中止の決断の要因となっているようです。

管理人としては非常に残念でしたが、責めることはできませんでした。



390.虫干しと試し運行(月刊「祭御宅」2022.7月5号)

2022-07-27 17:29:33 | 新型コロナと祭、民俗
●虫干し(土用干し)
播州の屋台をもつ地域では、よく虫干しがおこなわれています。時期は、多くが新暦7月の半ばから末におこなわれます。
地域によっては新暦8月におこなわれるところもありますが、盆月におこなうべきではないという考えから新暦8月におこなわないところもあります。
ただ、旧暦では盆月は七月になるので、新暦であっても7月はまずいという考え方もできてしまいます。なので、他地域の虫干しの風習にあれこれ言わないほうがよさそうです。
コロナ禍で自粛を余儀なくされたことをふまえ、担ぎかたや屋台の組み立てかたなどを確認するため、そして、失われた楽しい時間をすこしだけでもとりもどすために、虫干しの日に運行が少しおこなわれた地域もあります。
 
●三木市大宮八幡宮新町
屋台の組み方を思い出しながら屋台が組まれました。このときは法被をきていません。




 
午後0時半から、台車で駐車場まで移動し屋台が担がれました。法被に着替えていました。地下足袋の裏が、はがれているなどのトラブルにみまわれている某氏も。。このときは管理人も生まれてはじめて担ぎましたが、かたむいているほうはかなり重かったです。動画はまた後程あげたいと思います。


 
 
●姫路市高丘神社西今宿屋台
私服で、狭間、伊達綱、擬宝珠などはつけずに運行しました。
 


ゆっくりのヨーヤサの練りはかっこよかったです。

 


公民館で彫刻などの写真をとらせていただきました。









384.三木の五月の祭(月刊「祭御宅」2022.7月1号)

2022-07-02 16:25:41 | 新型コロナと祭、民俗
●コロナ禍からの脱却!?
 コロナ禍に慣れた?だけでなく、死亡率が減少したことから比較的祭もできるようになってきました。三木もその例外ではなく、少しずつ屋台を動かすところが増えてきました。五月の祭の様子を報告します。

●志染・御坂神社
今年も屋台をだすことはできませんでした。
残念ですが、来年こそあの熱い祭をみられるのを願うばかりです。
神事は滞りなく行われました。


●東這田・美坂神社
 台車運行をして、本殿前から蔵にかたづけるまでは担ぎました。





●石野・御酒神社
 屋台運行、獅子の奉納ともに行ったようです。また、獅子の門つけも行っておりました。



↑パノラマで撮影しました。
お堂の前の獅子舞奉納です。



狭路運行も見所です。


●加佐・三坂神社
 加佐東、加佐西ともに屋台は宮入しました。


編集後記
 結局五月、六月は「月刊祭御宅」を出せずでした。
本業の忙しさ(仕事の遅さ)にくわえ、本年出版予定の民俗学テキストの編集作業、岸和田での講演準備によるものでした。
少し、その類いの作業がおちついたので、今月は頑張りたいと思います。









383.令和はじめての曳き車運行-愛知県半田市業葉神社(月刊「祭御宅」2022.4月2号)

2022-04-24 23:08:59 | 新型コロナと祭、民俗
●令和初の曳き車の運行宮入
播州の北条節句祭りでは、令和初の屋台宮入りをはたしました。令和時代は五月から始まり、令和2年、3年はコロナ禍により屋台の宮入が中止されたことによります。
愛知県の半田市の業葉神社も同様で、中組・祝鳩車、南組・護王車、北組・唐子車、東組・山王車が令和初の運行・宮入を果たしました。
 
愛知県の曳き車は地方によって、山車と書かれたり、御車と書かれたりしているそうです。管理人は半田市業葉神社のものをどちらで呼ぶべきかわからないので、便宜的に「曳き車」とします。しかし、各組の曳き車にはその彫刻などの特徴から祝鳩車などの愛称をもちます。これは愛知県やおそらく岐阜県の曳き車文化にもみられる特徴だといえるでしょう。
 
 
 











 
●写実的な彫刻
彫刻は精巧かつ播州のものより写実的なものが多くみられます。江戸時代の唐子や江戸時代のものを復元したとされる鍾馗はデフォルメ要素が見られます。
しかし、文明開化の明治期以降につくられたものは、より写実的なものになっています。これも西洋的な手法を取り入れたともいえるのかもしれません。

唐子

唐子
鍾馗
 
手長脚長


神代

神代

神代

鎮西八郎強弓


鎮西八郎強弓

●一番
念願の運行であったのは、祭りが好きな人にとっては用意に想像できることだと思います。
宮入後などには、それぞれの若者集団のリーダーを称えていました。祭が少しずつできる風景は、やはりいいものです。



 
●祝われるべきは亀崎でなく○○
半田市の曳き車の祭礼のうち、亀崎のものが世界遺産に指定されています。半田市ないの祭りの素晴らしさを考えると妥当な評価だとおもわれます。しかし、本当に祝われるべきは亀崎の祭り関係者ではありません。
亀崎の祭りの素晴らしさにようやく気づくことができたユネスコこそが祝われるべきです。
 
謝辞
祭り見聞に誘ってくれたD君、同行してくれたA君、そして、案内してくださった地元研究者の祭り魂氏に感謝申し上げます。



382.令和はじめての屋台運行(月刊「祭御宅」2022.4月1号)

2022-04-24 16:57:19 | 新型コロナと祭、民俗
●令和初の宮入-加西市住吉神社北条節句祭-
年号が平成から令和になったのは5月からです。そして、令和二年の四月にはコロナ禍などで休校やリモートワークがなされており、祭りも規模を縮小したものとなり、屋台やだんじりの運行がなされませんでした。
そして今年、ワクチンの接種が進み新型コロナ感染による死亡率が下がったことにより、なんとか屋台を出す祭りができるようになってきました。北条節句祭も、令和初の宮入となりました。
どうしても批判の的にされやすい屋台、だんじりの祭ですが、これらがあることで、信仰の中身が守られているように思えます。



















●新型コロナの死亡率の推移
新型コロナウイルス 国内感染の状況

新型コロナウイルス 国内感染の状況

日本国内において現在確定している新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の状況を厚生労働省の報道発表資料からビジュアル化した

2020年に上のサイトで調べた新型コロナの陽性者中の死亡率は(死亡者数÷陽性者数)は約2.7%でした。これは、感染すれば6人に1人がロシアンルーレットをするのと同じ死亡率でした。現在は死亡率が0.4%となっています。これは、累計で、読売新分の記事によると現在は0.13%とのことです。死亡率は少なくなっているといえるでしょう。インフルエンザが0.006%から0.09%とのことで、まだ死亡率は高いとのことです。まだまだ予断はゆるされませんが、社会をある程度回すというのは妥当性があるといえそうです。
また、管理人が唱えていた接触感染の危険性は実はそれほど高くないということも指摘されているようです😓


●編集後記
 プーチン大統領の恐ろしさは、自国民の苦しみをなんとも思わないところ。かわりに切腹しろとはいいませんが、戦国の世の若き三木の青年君主を見習って欲しいものです。




367.小山田事件をきっかけに、90年代のお笑いと漫画の振り返り(月刊「祭」2021.7月5号)

2021-07-21 22:26:44 | 新型コロナと祭、民俗
●90年代に若者だった人たちの文化
 障害を持った同級生たちへの性的、人種障害者差別的、物理的な虐待を語っていた小山田圭吾氏がオリンピックの音楽担当を辞任しました。開催可否議論から目を逸らすための炎上要員として小山田氏に白羽の矢がたった可能性も管理人は疑っています。しかし、ここではそれを追及しません。
この記事では、小山田氏が活躍した90年代を鬼畜趣味がサブカル界であったことにふれつつ、それでも小山田氏の言動はよくないことだとしています。現在の小山田氏への社会的な批判と辞任は妥当です。しかし、小山田氏を責めるだけではなく、小山田氏を作り出した時代背景を今一度振り返り、今後の反省の材料とするのも意味のあることではないかと思います。
そこで、90年代の若者文化を、管理人の体感で振り返りたいと思います。

●いじめ肯定派
まず結論から言うと、90年代はいじめ肯定派ともいえる文化が若者の中に流れていたのではないかと管理人は考えます。
管理人が高校生の頃、「俺はいじめ賛成や」といっている高校生らしき人を見たことがあります。その人がいる集団は、●●高と書いた鞄をもち、制服らしき服を着て、見た目も同年代だと思ったので、間違いないと思います。百歩ゆずっても20代だったと思います。
管理人は一人だし、明らかに向こうのほうがケンカが強そうだったので、不快でしたが、何も言うことはありませんでした。そして、同じ制服らしきものをきた人たちも、反論することはありませんでした。
男子中高生の場合、いじめ・虐待加害者と被害者のどちらが異性との交際経験が多いのかと問われると、前者となるでしょう。加害者と被害者の交際経験などの統計をとると、おそらく言った通りの結果が出ていたことと思われます。
被害者は損をする、加害者は特をする、正義感をもって行動したり反論すればつぶされ、被害者に転落する。このような実情が90年代を取り巻く環境で、それが上のような発言を容認した背景だったと思います。
それは、小山田氏や後述の藤沢とおる氏、松本人志氏、浜田雅功氏らが中高生時代を過ごした70~80年代も同様だったのかもしれません。

●湘南純愛組とGTO
まずは漫画の世界を見ていきます。藤沢とおる「GTO(1997-2002週刊少年マガジン連載)」の主人公・鬼塚栄吉は、大学の単位を腕力で自分に従わせるようにした替え玉を使って取得していたことが描写されています。さらに高校生時代の鬼塚栄吉と親友の段間龍二の青春を描いた「湘南純愛組」では、2人が日常的にカツアゲを行っていたことが描かれています。
この漫画が日本や世界に知れわたる雑誌で連載されていたのは間違いない事実です。管理人は、カツアゲの描写には恐ろしさを感じつつも、それ以外の場面は楽しく読んでいました。

●ダウンタウン
ダウンタウンのお笑い芸人・松本人志氏は、「ひとりごっつ」だったかと思いますが、大喜利のネタとして飢えに苦しむ子どもの写真を扱っていました。また、そのことについて自身のエッセイでも触れられていました。
また、後輩芸人に対する浜田氏や松本氏の理不尽なパワハラエピソードはかなり苛烈なものがあります。そのような関係性が当時の芸にも表れているようにみえました。そして、多くの当時の若者がそれを支持していたのは敢然たる事実です。

●昔若者だった人たちの振り返りと自己批判の必要性
 こうしてみると、いじめを助長しうる作品を昔若者だった人たちは、軽率に支持していたことが分かります。そして、それはあくまで作品の中の世界で現実では絶対に許されないことだという認識のもとではなかったように思います。純愛組やダウンタウンの世界と現実を分けるべきだという考えは、「白ける」ものとして忌避されていたようにも感じます。忌避されていたものではなかったとしても、十分ではなかったことは言えるでしょう。
管理人は今でもオリンピックの強行開催は反対です。が、一つオリンピックを有効活用できることがあると考えます。それが、我々おっさん、おばはんが、小山田氏や雑誌記者のような安っぽい「善悪超越芸術家きどり」の言動の滑稽さ、カッコ悪さ、加虐志向の醜さが自身にあったのではないか、そしてその被害者がいるのではないかという問いに一人一人が内省し続けることです。

366.小山田圭吾で逸らされたオリンピック開催可否議論(月刊「祭御宅」2021.7月.4号)

2021-07-17 19:24:43 | 新型コロナと祭、民俗
●同級生虐待経歴を持つ小山田圭吾氏のオリンピック開閉会式音楽使用問題
オリンピック開閉会式で音楽を担当するのがコーネリアスの小山田圭吾氏であることが、判明し批判を呼んでいます。それは、かつての苛烈な同級生虐待をクイックジャパン、ロッキンオンで語っていることです。
小山田氏はその内容には事実でないものも含まれているとしていますが、何が事実で何が事実ではないのかは言明していません。不当に過大に書かれているのであれば、具体的に事実ではない内容と事実である内容を明確に指摘すべきです。

ロッキングオンジャパン(1994.1)やクイックジャパン(1995.7)に記されたとされる虐待の内容は管理人が知る限りでは、下のとおりです。
性的な虐待············3件
内1件は傍観者として
暴行·····················4件
国籍、障害者差別····3件
これらの犯罪行為を反省もなく語っていた記事を数年前に管理人は読み、憤りを覚えました。
小山田氏はつい最近のTwitterで「深い」反省をしている旨の声明を発表しました。しかし、我々が感じるのは「不快」さと、問題になったからといって火消しに走る底の「浅さ」です。

小山田氏の起用は五輪憲章に照らすと到底ふさわしいものとはなりません。しかし、利権と格差と人命軽視と人種差別のオリンピックとしては、これ以上の適任者はいないのかもしれません。
それにしても、ちょっとググればすぐに出てくる小山田氏の犯罪歴(罰せられた経験はないですが、本人もその行為を認めているのでこう記します。)はすぐにでてきます。そのような悪名高い小山田氏の起用でおきていることを概観します。

●小山田氏起用でおきていること
本来なら開催そのものが、批判されているオリンピックですが、いつの間にか無観客か有観客かの論点にすりかわりました。そして、有観客にこだわった強欲なバッハ氏の姿勢が取り沙汰されましたが、やはり、その是非を問うことで肝心の開催の是非を問う声はかき消されていきました。
しかし、少しずつ有観客か無観客かではなく、「オリンピックをやるかやらないか」に議論をうつすべきではないかと気付きはじめたころに、醜聞にまみれた小山田氏の起用がとりざたされました。そうすることで、議論の中心は「開閉会式に小山田氏を起用するか否か」にうつりました。
つまり、再び我々は「オリンピックをやるかやらないか」という本来あるべき議論から逸らされているということです。大衆心理操作に長けたメディアですので、これらが戦略であった可能性も否定できません。

小山田氏が開閉会式にふさわしくないのは言うまでもありませんが、問うのはそこではなく、
「オリンピックを本当にやるのかやらないか」
を国民やメディアで議論されなければなりません。

編集後記
 いつの間にか開催可否ではなく、有観客か無観客、小山田氏か否かに議論が刷り変わっていることに気づきました。メディアコントロールの巧みを感じざるを得ません。
通常開催を決定した秋祭りがいくつかあります。感染の戦犯をメディア、オリンピック貴族、スポンサーらが巧みに押し付けてくる可能性も、やはり否定できません。


363.祭→感染拡大になった場合の社会的責任(月刊「祭御宅」2021.7月1号)

2021-07-10 23:52:37 | 新型コロナと祭、民俗
●社会的な責任の所在は祭礼関係者ではなくオリンピック貴族
岸和田のだんじりの曳行が決定されました。
無観客での曳行を宣言していますので、管理人は行きたい思いをこらえて映像での観覧に徹します。管理人が当事者ならば、岸和田の今回の決定には反対していたと思いますが、動いているだんじりを見たら、やはり、こらえきれないものがあります。
このような決定の後押しになったのが、いわゆるオリンピック貴族やスポンサーたちによるオリンピックの開催決定なのはいうまでもありません。大規模イベント開催のプロ中のプロ、保健体育のプロ中のプロ、防疫行政のプロ中のプロという立場の人が決定した(管理人は上記のひとたちに極めて強い疑念を抱いていますが)ことを参考にしたならば、祭関係者が咎められる筋合いは一切ありません。つまり秋以降に感染拡大があった場合も、社会的な責任は、オリンピック貴族、指示した国会議員、スポンサーにあるということになります。

●愚かな祭ヘイトと、後ろ楯
しかし、仮にオリンピック後に感染拡大がおきた場合、多くのオリンピックスポンサーが出資するメディアで、オリンピック開催の責任を検証することはあまり期待できません。そして、その責任を秋祭関係者に押し付ける報道を一丸となって行うことも考えられます。
為政者や権力者が自らへの批判をかわすために、別の差別される対象をつくるという悪しき常套手段。その対象の一候補として我々もはいっている可能性は大きいと考えられます。それは、先日のだんじり入魂式などで日常的に異国へのヘイトを行っている輩が、祭にもその空虚な刃を向けていたことからも簡単に否定できることではないでしょう。
祭関係者がそのような憂き目に会ったときの反論の一助のためにこの記事を記します。



362.祭存亡分かれ目の年

2021-06-12 20:22:09 | 新型コロナと祭、民俗
●オリンピックやるからうちもやるは絶対に❌
 今年、屋台を出すのか出さないのか、その決断が迫ってきています。もしかしたらオリンピックの開催をみて決めるというところはあるかもしれません。
その中でオリンピックやるからうちもやるという決断は絶対にしてはいけません。オリンピックで一定の収益を得た方は、メディア、大規模スポンサーは一丸となって、感染拡大の戦犯を自分たち以外の誰かに押し付けていくことでしょう。
祭関係者も戦犯の一グループに仕立てあげられることになると思われます。その論調は、「神事以外の遊びだ」とか「自己満足だ」「公序良俗(とやら)を乱す行為をこのご時世にするのはけしからん」といったものから、いわゆるヘイトスピーチにあたるものまで総動員することになるでしょう。

●屋台を出す出さないの判断基準
オリンピック
オリンピックをやるなら屋台は出すべきではありません。感染拡大の戦犯を押し付けられます。

ワクチン
ワクチン接種が進むかつ、有効性があればもしかしたらできるかもしれません。。。。
が、来年の春などへの延期も視野に入れる方がいいかもしれません。

●オリンピック貴族やスポンサーにとって祭関係者はトカゲのしっぽ
オリンピックやったから「うちもやった」場合、感染拡大の責任はメディア一丸となって祭関係者に押し付けてきます。そうなると祭は存亡の危機を迎えます。