月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

406.WBC日本代表を「栄冠は君にかがやく」で応援したい(月刊「祭御宅」2022.12月2号)

2022-12-03 01:40:29 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

下の文、本来なら選手をつけるべきかもしれませんが、煩雑になるので、省略します。

●サッカー日本代表の快挙

サッカーワールドカップで、日本代表がドイツ、スペインに競り勝つという大金星をおさめ、予選一位通過をきめました。もしかしたら、優勝かも。。、!?という期待も膨らんできます。
サッカーで日本代表がベスト4にはいった場合は、大躍進といえるでしょう。
 
勝っても、「大金星」はない野球日本代表
では野球の場合どうでしょうか?
 
野球の場合、ベスト4では全くの期待はずれということになります。ドミニカ、キューバ、プエルトリコ、そして、アメリカに勝ったとしても、「大金星」という表現はおそらく使われません。
 
●日本文化として定着した野球
アメリカで生まれたベースボールは日本では「野球」として、親しまれました。そして、高校生による夏の甲子園は、俳句の季語となるほど、「日本文化」として定着したといえます。
かつての高校球児は、プロ野球だけでなく、ダルビッシュ、田中、野茂、新庄、松井などメジャーリーグで活躍する選手、イチローや大谷のようにメジャーリーグの歴史に名を残す選手もあらわれるようになりました。
そのような野球大国・日本から選びに選び抜かれた代表選手を称えるにふさわしいのは、「栄冠は君にかがやく」に思えてきます。
 
―優勝してからの編集後記ー
 アメリカで生まれたベースボールは日本では「野球」として親しまれ、そして、2023年。日本代表は見事に優勝しました。「栄冠は君に輝く」がうたわれることはありませんでしたが、日本代表は世界中から尊敬されました。それは、体格的には必ずしも有利とはいえないながらも、それを補って余りある技術の高さにたいしてだけではなかったようです。試合後やデッドボールの後の礼など、日本の球児が幼い頃より教育される礼儀が染みついていることで、まさしく「栄冠は君に輝く」精神だったのかもしれません。
 

391.カルトと宗教の別(月刊「祭」2022.7月5号)

2022-08-01 00:32:13 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
混同される言説
この本の著者が「カルトと宗教は違う」とSNSで言い、昨今の報道などを批判していたので、それに倣います。
この記事では、カルトの見分け方を考えてみました。
もう一つこの統一協会というカルト集団できになることがあるので、記事にします。
ニュースで議員さんがたが、統一協会との癒着をめぐってあれこれニュースがでています。そのときに、言葉にされるのが「政治と宗教との関係」という言葉です。
しかし、今回話題になっているのは、「政治と宗教の関係」ではあません。「政治とカルトとの関係」です。議論の余地はありません。「縁を切れ」です。
しかし、それぞれの議員さんがもっている信仰など、例えばプライベートでお参りして、それをブログに書くなどは許してもいいでしょう。
統一協会などカルト集団と政治との距離、宗教と政治との距離は分けて考えられるべきです。

387.カルトと宗教の間(月刊「祭御宅」2022.7月3号)

2022-07-24 14:46:18 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

あまり楽しい話題ではないですが、祭を扱う以上やはり触れておきたいとおもいます。「宗教とカルトの線引き」はどうするのかを奉納する金銭で考えたいと思います。

 
●統一協会の目玉飛び出る献金額
安倍元首相を殺害した山上容疑者。その母親は安倍氏が実質の広告塔をになっていた統一協会に多額の献金=3000万円をして家庭を崩壊させていたことがあかるみになりました。統一協会を「カルト」というべきであるのはあきらかですが、お布施、玉串料などを受けとる従来の宗教とどう違うのか、その基準を献金額から考えたいと思います。
 
勧誘活動があるかないか
カルトにありがちなのが、勧誘活動。管理人は高野山真言宗に属していますが、生まれてこのかた勧誘活動はしたことありません。おそらく、日本人の多くが占める仏教信者のほとんどがにたような状況でしょう。
 
●金額
献金額が生活を圧迫していれば間違いなくカルトです。
また、その献金によって進学などをあきらめないいけない事態が生じるのであれば、それはカルトではなくても、その教団へのかかわり方を考えることをおすすめします。
献金額が年収をこえるような教団とは縁を切るべきでしょう。また、あくまで管理人個人の感覚ですが、一月の収入を越える献金を毎年要求されるのであれば、その教団とのつきあいは考えたほうがいいように思われます。

故安倍氏のご冥福を祈って
 管理人は安倍氏が生前に打ち出していた政策については、相容れないものが多かったです。ですが、ご冥福はお祈りします。そして、安倍氏のお人柄が支持者がおっしゃられるようなものであるならば、一部メディアでされている過剰な神聖化はご本人が一番忌み嫌うものだと思われます。
 

370.現代ヨサコイソーランの起源?一世風靡セピア(月刊「祭御宅」2021.8月2号)

2021-08-16 01:56:01 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
●ヨサコイの台頭
日本の祭(イベント含む)の歴史をざっくりあらっぽく言うと、限られた人の祭からより多くの人が参加できる祭になっていったと言えます。
もともとは、座や講が中心になる祭や、鬼の祭(藤原喜美子『鬼を迎え祭る人々』御影史学会、2006)は限られた家の人が行うものでした。そこから、早いところは江戸時代ころ、多くの地域では幕末ころから、より多くの人が参加して楽しめる、屋台、だんじりの祭ができてきました。その屋台、だんじりの祭も少しずつ町内村内だけでなく外部の人、女性など門戸を広げているのが現状であると言えます。
そして、より多くの人に門戸を広げた神社を介さない祭がヨサコイソーランと言えるでしょう。高知のヨサコイと北海道のソーラン節を融合した大規模なイベントを1992年に当時の学生さんがはじめたのがきっかけと聞きました。1999年放送の金八先生でもロックソーランの指導シーンがあるのもこのイベントの影響が大きいと言えるでしょう。ここから、教育現場に爆発的に広まったと記憶しています。

●ヨサコイぽい??
 今では各地にひろがり、大学のサークル、新興住宅地のイベント、地方自治体主催のイベントなどによく踊られるヨサコイソーランの衣装や躍りは、かなり特徴的で、屋台の祭の衣装とも、鬼追いの躍りともかなり違いがあります。古くから伝わる伝統というよりも、最近生まれたこれからの伝統というのが正確な表現と言えるでしょう。
ソーラン節やヨサコイおどりなどを元にしていながらも、ロック風のアレンジをいれたテンポの早い曲と躍りは、原曲とはかなり雰囲気が違います。この曲調や躍り、雰囲気はどこからきているのでしょうか?
管理人はこれちゃうかなあと思います。一世風靡セピアの「前略、道の上より」(1984)。かっちゃんこと勝俣州和さんが属していたアイドルグループです。躍りと曲の雰囲気がにている気がしませんか??




絶対にありえないフィクション、わらぐつの中の神様  the fiction that never happen

2011-11-27 21:41:13 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

 五年程前に、小学生の時にならったわらぐつの中の神様という本をよんだ。
 あらすじはだいたい下のような感じ。

ーーーーーーーーーーーーーーここからーーーーーーーーーーー

 小学校のスキー旅行で「スキー靴」がほしいとねだる母にねだるマサエ。それを聞いた祖母が、わらぐつをすすめる。嫌がるマサエ。 そんな祖母はわらぐつのよさをマサエに教えるべく、とあるエピソードを話し出す。

 ちいとむかし、おみつさんという、特別かわいいわけではないけど、よく働く器量よしの娘さんがいた。その娘さんが、とある朝市に出かけたときに目に止まったのは、綺麗な雪下駄。だけど、おみつさんの家に雪下駄を買うようなお金はない。

 おみつさんは、一年発起し、わらぐつを作って売ることを決心した。おみつさんは、わらぐつをなれない手つきで一生懸命つくる。「丈夫に長持ちするように、使いやすいように」そのような思いで作ったわらぐつをつくり、そのようにできあがるが、決してみばえはよくない。朝市で売るも、見栄えはよくないわらぐつは酷評の嵐。「どろまんじゅうだ」と言う声も出る始末(買わないのにそこまで言う人ってちょっと変わってる気もしますが)。 

 おちこむおみつさんに、救いの手をさしのべたのはとある若い大工さんだった。「わらぐつひとつおくれ。」と。 そして、次の朝市も、またその次も、その若い大工さんはわらぐつを買っていく。いつの間にか、おみつさんはその若い大工さんに会うのが楽しみになる。

 そんななか、おみつさんはとある疑問が浮かぶ。「なぜ大工さんは何度も見栄えの悪いわらぐつを買うのか。」その疑問をある日おみつさんは大工さんにぶつけると、知り合いに譲っているという。「でも みったぐない(みっともない)わらぐつですよ。」とさらに疑問をぶつける。
 大工さんは真面目な顔で、「俺も職人だから、仕事の善し悪しは分かる。このわらぐつはみかけはよくないけど、履きやすく丈夫に長持ちするようにと、いい仕事がしてある」
 そして、こんなわらぐつをつくる君と結婚したいと。

 そのおみつさんが、実はマサエのおばあさんで、大工さんがおじいさんで「めでたし、めでたし」となりました。

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 その作品の主題は、「みかけよりも中身」、「失われた大切なもの」といったところだと思う。
 この作品はどこかでありそうなフィクションを装っている。が、じつは、このような話は絶対にありえない。なぜならば、わらぐつを丈夫で長持ちするように、使いやすいように作ると、わらぐつのみばえはよくなってしまうからである。
 作者さんはもしかしたら、あまり縄をなったり、縄で細工をするような経験がないのかもしれない。そのような人が昔の生活にファンタジーをもとめてつくられたのが、「わらぐつの中の神様」なんだと思う。


カンニング 泥棒 犯罪

2011-11-21 22:29:13 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 
 当然ですが、カンニングや泥棒には多大なリスクが伴います。確かに良心がとがめたというのも時事ですが、そのリスクを見出すだけの価値をそれらの行動にみなさなかったのが、僕がカンニングと泥棒をしてこなかった最大の理由だと自分では思っています。

 例えば、古代中国の科挙などでは、カンニングが横行していました。それは、何故でしょうか。カンニングのリスクをとるだけの対価=各段的な生活の向上、人としての最低限の生活の保障があったからだといえるでしょう。

 最近とある場所でとある資格試験をうけるさいにカンニングが発覚したそうです。ばれそうになったその受験者は、死に物狂いでその証拠を隠そうとしたそうですが、後の祭り。受験資格は剥奪されたそうです。その受験者を非難することは簡単です。ただ、その受験者は何を背負って試験に臨んだのだろうか?だからといって、カンニングが許されるわけではありませんが、第三者はそのような想像力を働かせることも大事なんではないでしょうか。
 カンニングや泥棒は、ストレス発散以外に、そのリスクをとるだけの対価=各段的な生活の向上・生存の保障等のためになされることがあるのです。

 犯罪をなくそうというような言説が巷にはあふれています。
 ただ、「生きるため」に犯罪のリスクをとるのは、決して異常な人間ではなく、極々まともな人間であるということです。「犯罪をなくそう」という無責任な言葉よりも、「犯罪をしなくても生きていける社会を作ろう」といったような言葉を大切にしたいものです。
2006 09 03 11:02:15
「クラムボン=コロボックルブログ」への記述

40'sを想像する力

2006-08-13 21:15:05 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 60's 70's 80's なんて言葉をよく耳にします。
 ビートルズは最近の若者もよく聞きます。
 パブリックエネミーや、ブルーハーツを好んで聞く若者も少なくありません。
 彼らが活躍した時代に思いを馳せることも、少なくないでしょう。

 だけど、あんまり耳にしない40's。これは、第二次世界大戦の時期と重なります。
 原爆・終戦が1945年の八月。
 2005年で戦後60年がたちました。
 あのころの若者は80歳、そして、あの頃の乳飲み子ももう定年を迎えています。
 
 それは、その頃の体験を語る人がどんどん少なくなってきているということです。そして、そのことをリアルに想像する機会はどんどん減ってきているのです。それは、僕のような9条のこっとってほしーな派の人間も例外じゃありません。
 いろんなことを考えると「戦争やむなし」の結論にいきやすくなるかもしれません。ですが、その結論は、想像力を大きくマイナスしたゆえの結論であることを自覚しなければなりません。
 
 

自分がどう思おうと、、、、、

2006-08-13 20:54:00 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 とある縁で、小学生の体育指導について学生さんが発表する場に出ました。
 そこで、おなかに巻いたりできるくらいのゴムの輪をつけた鈴を、体育の教材として発明した方がいました。その鈴をおなかに巻いたり、振り回したり、足につけてみたり。小学生が個々の能力に応じて、いろんな音を出して遊ぶことが出来ます。非常に優れた教材だなと感じました。
 ただ、ひとつ気になったことがありました。
 それは、その鈴の命名です。
 外国で一般に使われてる人の名前と鈴を掛け合わせてつけたものでした。
 その名前を発表したときは、ほぼ全員が日本人ばかりのその場は笑いに包まれました。
 確かに、これがコメディアンのライブなら笑ってすませたかもしれません。
 でも、教員という国家資格をとろうとする者がその場において、外国の方の名前を洒落に使ってつけた名前の鈴を足につけてふりまわしたりするのは・・・・・
 少なくとも自分やその人の親の名前と同じだったらどう思うのか・・・?
 僕は、そのこと(「外国の方の名前を ある意味揶揄するような命名①に問題ないんでしょうか」といった内容)を発表者に質問しました。
 おおよその答えはこうでした。
 「親しみを持ってもらいたいと思ってつけた名前で、そのようなつもりでつけたんではありません。」
 ん百人いる人の中での発表だったし、時間が押していたこともありました。
 また、ん百人の中での好奇の目にも耐える自信がなかったし、大学の先生がそつなく答えてくれると期待して「分かりました。」と答えました。
 ところが、これは、あまり聞き取れなかったし、記憶もさだかではないのですが、おおむね命名者の意見を支持する形でまとめられたと記憶しています。正直、「なんでなんだ?」という思いでいっぱいでした。

 決して、僕は命名した人が悪意をもってつけたとは思っていません。
 また、教材も非常に素晴しいアイディアだとも思っています。そして、その教材に親しみを持ってほしいという熱意があるということも理解しています。
 ですが、いかに悪意をもっていなくとも、受け取る側は、どう思うかまで強制することは出来ないのです。少なくとも、自分や両親のなまえをこのような教材の洒落に使われたら、特に、それが外国での出来事なら、怒りを抑えきれないと思います。

①の箇所で「揶揄するとも受け取られかねない」という言い方をしていれば、もう少し違う反応があったのではないかと反省しています。



大学2 -図書館-

2006-08-08 21:49:29 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 何年か前、ノーベル賞をとった人達による講演会の、会場設営のアルバイトにいきました。田中さんを始め、各国から名だたる面々が集まっての講演会で、立見客が出るほどの盛況ぶりでした。
 驚いたことに、大学などで専攻した分野以外での受賞を受けた人が数多くいるそうです。そんな中の一人シドニーブレンナー氏がこんなことをいいました。
「専門外のことは学べないということはありません。大学には図書館があるからです。」
 かつて通っていた龍谷大学は、僕が読みたい日本史や宗教に関係する本が充実していました。ただ、それは僕が属していた学部のキャンパスではなく、違う学部のキャンパスでした。でも、図書館の人に顔を覚えられるくらい通いました。
 このような自分の身の上もあり、シドニーブレンナー氏の言葉は、本当に心に響くものでした。
 公立大学の図書館は、一般の図書館よりもかなり遅くまで開館しており、また、学外者にも公開されています。つまり、僕のように働く人にとっても使い勝手のよいものとなっているのです。近所に公立の大学がある方、ふとした疑問や読みたい本、知りたいことがあるのでしたら、是非足を運んでみてください。
 きっといろんな発見にであえるでしょう。


中田選手の現役引退

2006-07-03 22:24:37 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

 中田選手が現役引退を宣言しました。
 詳細はこちら

 僕にとって、彼は最も尊敬すべき同世代の日本人の一人でした。
 彼の活躍に、自分の人生をダブらせた20代を僕は送ってきました。
 彼の後々の人生に期待はするのですが、プレーする姿を見れなくなると思うと、本当に寂しい気持ちになります。
 サッカー選手が想像力あふれるプレーが出来る時期は、限られています。同様に研究者や小説家も想像力にあふれる成果を残すことが出来る時期も限られています。
 「サッカー選手・中田」のその時期が終わったということなのでしょう。彼が他の分野でかつてファンタジスタとして君臨したような活躍をする時期が巡ってくるのかどうかは分かりません。ただ、彼の場合、そのような絶頂の時期以外の時期こそに味が出てくる人生を送るのではないかと勝手に考えています。 

 少しの間、彼への敬意を込めて、彼の大好きなサッカーをモチーフにしたテンプレートに変更します。