月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

51.鬼追いと月輪寺 1.二つの月輪寺と八幡宮 2.三木の英雄に捧げる哀悼の意(月刊「祭」2016.2月)

2016-01-18 21:40:32 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

1二つの月輪寺と八幡宮
 今年も三木市の大宮八幡宮では、1月17日、鬼追いが行われました。
鬼追いは、大宮八幡宮が月輪寺と一体だった頃から行われております。

播州三木大宮八幡宮鬼追式2012.1.19



 言い伝えによると、秀吉遠征のおりに中川秀政が韓国より持ち帰った面が祟りを起こしたのでそれを鎮めるためだとか。
 私見を述べるとするならば、その面を見る限りでは韓国製ではないように思います。というのは、このようなお面を韓国で見たことはないからです。韓国製の場合でも、日本の誰かが持ち帰ること前提で作られたものと考えるのが妥当だと思います。
 閑話休題、この月輪寺、実は2つあったそうです。もう一つが羽場の大師こと羽場の月輪寺だったそうで、こちらは薬師如来が御本尊になります。鬼追いが行われる月輪寺の御本尊は十一面観音です。羽場の大師の東には大宮八幡宮の元宮とされる杣八幡宮があります。地理的には大宮八幡宮から、一続きになっていると言えるでしょう。

2 三木の英雄に捧げる哀悼の意
 大宮八幡宮の鬼追いは、毎年1月の第三日曜日に行われます。今年は1月17日、阪神大震災の日であり、三木の英雄、別所長治公の御命日です。
 鬼さんたちも、大宮月輪寺横の雲龍寺にある長治公のお墓に墓参りをされました。もともと雲龍寺と大宮月輪寺の間の道が堀だったようで、雲龍寺が堀内、月輪寺は堀の外側だったそうです。

編集後記
今回は少し短めです。
この記事を書くにあたり、鬼追い保存会の方々に便宜を図って頂き、月輪寺の御住職さまのお話を聞くことができました。保存会のみなさま、御住職さまにあらためて御礼申し上げます。


阪神大震災の被災者の方々のご冥福をお祈り申し上げます


50.秋夕(チュソク)の訳と盂蘭盆 (2016.1月)

2016-01-01 00:00:00 | コリア、外国

 今回は、50号のようです。
 50号記念といきたいところですが、普通に。

●秋夕(チュソク 추석) 
 韓国語を学ぶ日本の祭オタクが避けて通れない道があります。
 それが秋夕(チュソク 추석)という言葉をどう訳すかです。

 秋夕は、旧暦8月15日に帰省し先祖の墓参りをするという風習です。
 韓国の中で民族の大移動が起こるといいます。

 さて、この訳を、先祖の墓参りをすること、大規模なきせいがあることから秋夕を日本語で「お盆」と訳す韓国語教本が多く有ります。しかし、お盆の旧暦の日付は7月15日で、韓国にもその風習は残っています。そして、秋夕と同じ旧暦8月15日には、彼岸があたることになります。彼岸もまた、先祖の墓参りをするところは一致しているといえます。また、中秋の名月の日ということもあり、韓国にも「向月」と呼ばれる行事も組み込まれているそうです。
 一方の彼岸もまた、浄土思想とのかかわりが深く、来迎図などには満月が描かれていることが多いことからも共通点はあるといえるかもしれません。
 秋夕が民俗儀礼であるのに対して、彼岸儀礼は仏教のものです。ですが、彼岸や浄土思想は、純粋な仏教儀礼というよりも、東アジアの民俗儀礼に仏教を当てはめたものと考えると、共通点は多いように感じます。こうなると、「秋夕は儀礼的には、彼岸と訳すべき」と言いたくもなります。
しかし、彼岸と秋夕の規模は、やはり、秋夕の規模のほうが圧倒的に大きな行事となっており、それに匹敵する行事を日本で言うと「お盆」といわざるを得ません。となると、秋夕の訳は、「行事的には彼岸、帰省の規模的にはお盆」ということになりそうです。


 
 山越え阿弥陀図 鎌倉時代 左上に満月

●盂蘭盆の輿
 
韓国と日本の大きな違い。管理人にとっては、このブログの主題でもある、太鼓台、山車、だんじりなどの担いだり、曳いたりして練り歩く祭の有無が最も大きいと感じています。例えば中国でも山車はあったし、インドなどヒンドゥー教国でも残っています。しかしながら、韓国ではなかなかそういったものが見られません。
 そんな中でやっとみつけたのが、下の写真です。京畿道江華郡の伝燈寺(チョントンサ・전등사)の輿で、死者の魂を運ぶものだそうです。わが国のお盆においても、新仏の魂を輿に迎えて送る風習があり、それと似ています。

 





 現在の日本の神輿はもっぱら神社のものとなっていますが、古来の神輿は、神社のものでありながら、神仏習合色の強いところで行われていたといえそうです。それを証拠に神輿の屋根にも宝珠や鳳凰が乗っているのも、仏教の影響といえないでしょうか。






●韓国と日本の祭の共通点と違い
 ①秋夕においては、日本にも彼岸とよばれる共通するものがあります。
 ②盂蘭盆においても、両国に存在します。
 ③また、宝珠のついた輿についても、両国に存在しました。
 しかし、①は韓国で隆盛しています。一方の日本では③が隆盛しています。
この差異は、仏教をめぐる両国の歴史の差異によるものと管理人は考えています。
李氏朝鮮において仏教は15世紀ころから弾圧の対象となりました。その間に宗派の合併や民間信仰として生き残ります。弾圧が弱まるのは朝鮮末期になります。つまり19世紀から20世紀になるまでは、政府の支持を得た信仰とはいえない状況だったといえるでしょう。
 一方、日本では明治期の神仏分離、廃仏稀釈がなされますが、後者は失敗に終わります。一方、神仏分離もいわゆる葬式仏教として、信仰の質としては議論があるかもしれませんが、経営基盤としては確固たる物を保ってきたといえるでしょう。また、江戸期においては、檀家制度で戸籍を管理するなど仏教の世俗的な役割が強くなり、その名残が今も残り、経営基盤はかなり安定した物を保っていえるといえます。このような経営基盤を後ろだてとして、宝珠を頭に載せた練り物の祭りが連綿と続いてきたといえるでしょう。

 
編集後記
 記念すべき50号。特に力をいれたわけでなく、今すぐかける題材ということで選んだのがこれです。
 しかし、こんな時期だからこそ、拙ブログの50という大きな節目に大好きな隣国のことを題材に選べてよかったと感じています。

 残念なことに、SNSを見ると祭人の中にもヘイトスピーチに該当する書き込みをする方がいらっしゃいます。
 政治的な議論を提起するのは、決して悪いことではありません。ただ、その民俗、文化、国籍、宗教に属していることを理由にして、誹謗中傷をする書き込みを見るたびに、その書き込みに「いいね」をしている人を見るたびに、悲しい気持ち、情けない気持ちになります。その書き込みを見た子どもがどう感じるのか、という想像力が求められています。そして、祭人の中にもヘイトスピーチ対象の国籍であったり、ルーツを持っていたりする人はかなりいるはずです。その大切な仲間を傷つけることは決して許されません。
 そして、その低俗な書き込みをすることで貶めることになるのは、ヘイトスピーチの対象者だけではありません。ヘイトスピーチの書き込みで貶めることになるのは、自分自身の価値、そして、自らがご奉仕する屋台・だんじり・神輿・ご祭神と祭への冒涜となります。

 自らへの批判をかわすために、を作り出したり隣人への差別を煽るのは為政者の常套手段です。おそらく、日韓両国でそれは行われているのではないでしょうか。ヘイトスピーチの急先鋒者もまた、その被害者と言えるのかもしれません。自らが被害者であることを認識し、その行動を即あらためることを強く願います。