月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

214.韓国版桂離宮-廣寒楼苑-韓国南原市の石像の特徴1/3(月刊「祭」2019.10月13号)

2019-11-01 00:09:23 | 韓国旅行案内
●韓国南原市の観光名所
 韓国南原市(詳しくは、ウィキpディア)内にある二つの観光名所-廣寒楼苑と萬福寺跡-にまつわる石像の特徴について、三本立てで書いていきます。一本目と二本目でそれぞれの観光地の簡単な紹介をして、三本目で石像の意外な特徴を見出します。今回一本目は廣寒楼苑の紹介です。

1 廣寒楼苑・カンハルルウォン・광한루원の概略
(アクセス、ウェブページ<日本語韓国語(한국어)>)
 詳しくは、ウェブページを見ていただけると分かります。以下、上記の日本語ページを参考に解説します。1419年に創建され、広通楼と呼ばれていました。1434年に修復され現在残るものは1638年の再建されたものだそうです。
 1434年修復後は広寒清虚府と称されるようになり、その後、広寒楼と呼ばれるようになりました。

●天界の再現 -韓国版桂離宮-

↑1638年再建の廣寒楼 
 広寒清虚府は、月の宮の玉皇上帝が住む宮殿を意味するそうです(上記日本語参考ページ)
 特にこの建物は月の国の宮殿を再現した物と言われています。美しい仙女が見えるかも知れません。



↑ この建物にかかる橋が烏鵲橋(오작교・オジッキョ)で天の川に架かる橋と言われています。

 まさしく、これらで天界を再現した建物と言えます。


↑その廣寒楼を鑑賞するために建てられたウァンウォル亭。
 月の国を再現したり、それを鑑賞したりする建物、庭園群は韓国版桂離宮とも言えるかも知れません。

●韓国版ロミオとジュリエット(ハッピーエンドバージョン)
 南原は韓国の古典ラブストーリー春香伝(参考:Wikiぺdア)の舞台です。寒廣楼苑の中にも春香を祀る春香祀堂(チュンニャンサダン)が残ります。



↑春香像。宮沢りえさんに似ていると思うのは管理人だけでしょうか。

 

↑正面なら彫刻は亀の背にのるうさぎ


↑裏にまで続く面白い構図です。

 この彫刻は次のような説話を題材にしていると思われます。こちらのサイトを参考にしました。
「海の龍王は病気になり、陸と海を往復することができる亀に病気に効くウサギの肝を取ってくるように命じた。亀はうさぎに楽しいところへ連れて行ってあげるといって龍宮まで連れてきて縛りあげた。肝が必要だと知ったうさぎは肝は森に置いてきたから連れ返しておくれと言った。亀はうさぎを背に乗せ海を行く(彫刻の場面はこの場面と思われます。)。陸に着くとうさぎはとっとと逃げてしまった。」

●韓国版◯◯
 寒廣楼苑は韓国版◯◯といえるところでした。建物群と庭園は本当に美しくおすすめです。

編集後記
 首里城の復興を願います。
 首里城火災は祭が好きな人ほど、自分の宮とか屋台、だんじりやったらどうしようという想像力が働いてしまう事件でした。












156.管理人が韓国全羅道で受けた親切(月刊「祭」2019.8月.12号)

2019-08-12 16:02:55 | 韓国旅行案内
●全羅道へ行った理由
今回は、主に全羅道へ行きました。.
2019年8月3日から11日まで9日間の旅です。
全羅道を選んだ理由は、内山書院に行きたかったからです。内山書院は姜沆を追善するために1635年に建てられ、大院君の書堂撤廃令によりなくなったあと、1993年に再建されました。姜沆は藤原惺窩に大きな影響を与えた人物です。藤原惺窩は管理人の故郷である兵庫県三木市の出身です。日本の近世の儒学者として当時から日本文化や思考様式に大きな影響を与えた人物です。

全羅南道霊光郡内山書院

故郷の儒学者から大きな影響を与えた人の故郷を目の当たりにしたくて、全羅道へ行きました。
その時は、日本と韓国が対立関係になっていることや、全羅道が現文在寅大統領を支持する人が多い所であることを知りながら、あまり意識はしていませんでした。

空港は大きくなくて日本人も多くありませんでした。

●務安国際空港
韓国に着いてスマートフォンのシムカードを変えました。
電話が使える気配もなく、空港のコンビニの店員さんやインフォメーションセンターの方たちがあらゆる手を尽くして下さいました。特に日本語ができるインフォメーションセンターの方は昼食も食べずに2時間も時間を割いて下さいました。
韓国SKT社に電話したあとその方がおっしゃるには、日本のau社のコードを解除しなければいけないとのことです。それに対してau社はその必要は無いとこたえました。海外のシムカードを使うとうまくいかないこともあるもんだとのことです。
みかねて、その方が日本語でSKT社で聞いたことを伝えてくれました。すると、au社の方は私にコードの解除の方法を送ってくださいました。
やっとのことでスマホは繋がりました。(後で気づいたんですが、電話は繋がらずインターネットのまでした。)

●食堂にて
管理人が食堂でコムタンを食べている時、入れ墨のあるお兄さんが来られ、離れた席でビールを飲んでいました。常連らしく、自分で冷蔵庫からビールを出していました。
そして、店員の方が外に出た時に、「おいしいか?」と声をかけてくださり、話をしました。 その話の中には書くことができない下品な話もしました。そんな中でも「日本と韓国ファイティン」という話も出ました。
でもその方がいうには、日本の友達がいるようで、楽しく飲み歩いたりした思い出もたくさんあるようでした。そのあと、また、下品な話をしたあと、葡萄を一房もくださいました。

他の食堂ではご飯だけでなく、魚のおかずもお代わりしてくださり、食事のあとは土産の饅頭までいただきました。

その外には「ノーアベ」ではなく「ノージャパン」の横断幕がありましたが、関係なく親切にしてくださったので、それに気づくのに時間がかかりました。
その横断幕に気づき、そのような親切さがより身にしみました。

●道ばたにて
目的地であるお寺に行く道に、年配の女性が庭に3人ござを敷いてお話をしていらっしゃいました。挨拶をした管理人にどこから来たのか訪ね、日本からだと答えると、休んでから行きんかと言ってくださいました。
そこに私も座って話しました。
「男前やのに一人で来たんかいな」
「福岡や別府温泉はほんまによかった」
「暑いからここでしっかり水飲んでから行きなさい」
などたわいもない話からお気遣いまでしたくださいました。

目的地へ行ってから、またそこを通りかかり、そこでまた腰を下ろして話しました。
「韓日関係がよくなるといいね」
管理人もそう思いました。

我が国の経済や社会がよくない理由は韓国によるものではありません。それは経済格差が拡大する政策や表現の不自由によるものです。
姜沆も藤原惺窩も差別ではなく、自国の変化を求めていたのが本音だったと思います。



藤原惺窩像 三木市


156.제가 한국 전라도에서 받았던 친절함(월간"제"2019.8월12호)

2019-08-11 10:25:17 | 韓国旅行案内
●전라남도에 간 이유
이번 한국여행은 주로 전라도 갔습니다.
2019년8월3일부터 11일까지, 9일간 여행이었습니다.
전라도를 고른 이유는 내산서원 가고 싶은것 입니다.내산서원(内山書院)은 강항(姜沆)을 추모하기 위해 1635년 건립되어, 1868년 대원군의 서당철폐령으로 없어졌은 후, 1993년 재건되었습니다. 강항은 후지와라 세이카(동웡성과・藤原惺窩)한태 큰영향을 주는 사람입니다. 동웡성과는 제 고향(효고형 미타사) 출신이어 일본근세 유학자로서 당시부터 지금까지 일본문화나 사고양식한태 큰 영향을 주는 사람입니다.

전라남도 영광군 내산서원
저는 제 고향 유학자한태 큰 영향을 주는 사람의 고향을 보고싶어서, 전라남도 에 갔습니다.
그럴 때는 일본과 한국의 대립관계가 있는 것이나, 전라도가 현 문제인 대통령늘 지지하는 사람이 많은 곳인 것을 알면서도 그다지 의식하지 않았습니다.

공항은 크지 않아서 일본사람도 많지 않았습니다.

●무안국제공항
스마트폰의 usim 카드를 바꿨습니다.
좀처럼 사용할 수 없어서, 공항 편의점 점원이나 인포메이션 센터 분들이 온갖 수단을 다해주셨습니다. 특히 일본어를 할 수 있는 인포메이션 센터 분은 조심도 먹지 않아서 2시간 정도로 도와주셨습니다.
한국 SKT사에 전화해서 그분이 말하기에는 일본au사의 코드를 해서하지않으니까라고 했습니다. 대해 au사는 필요없다고 했습니다. 해외Usim 카드는 이러한것이 있다고했습니다.
보다 못해서 직원분이 일본어로 다시 SKT에서 듣던것을 au사 직원에 다시 말하셨습니다.그리고 au사는 저에게 해소하는 방법을 문자를 보냈습니다...
겨우 연결 됐습니다.
공항 직원들은 진짜 친절했습니다.


●식당에서
제가 식당에서 곰탕을 먹었을 때 문신 있는 형님이 오셔서 달은 자리에서 맥주 드셨습니다. 항상 오시는 것과 같아서 자신으로 맥주를 냉장고에서 가져셨습니다.
그리고 점원 분이 나갔을 동안 그분이 "맛있어요?"라고 말걸어주셔서 이야기 했습니다. 그이야기는 쓸 수 없는 야한 이야기도 있었습니다. 그 안에서도 "일본과 한국은 파이팅"라고 하는이야기도 있었습니다.
그분 말하기에는 일본친구가 있어서 좋은 추억이 있는것과 같았습니다. 그 후 다시 야한 이야기를 해서(^_^;
그 분이 포도 한방 주셨습니다.

다른 식당에서는 밥만 아니고 생성 더하나 주셔서, 식사 후 선물로 과자도 받았습니다.

그 밖에서는 "노 아베"아닌 "노 재판"이라고 하는 현수막이 있어도 관계없이 친절하게 해주셔서 저는 현수를 알 수가 없었습니다.
현수를 찾은 후, 저는 이러한 친절함에 더 감동했습니다.

●거리에서
목적지 인 사원에 가는 길에서 어르신 아줌마가 3명 돗자리 깔고 이야기 해 계셨습니다. 인사 한 저에게 어디서 왔다고 묻으셔서 제가 일본이라고 해서 쉰 후 다시 가라고 해주셨습니다.
그곳에 저도 앉아서 이야기 했습니다.
"잘 생긴 남자 인대 왜 혼자로 왔어요?"
"난 후쿠오카나 큐슈 벳프 온촌이 좋아해요."
"더우니까 물 여기서 마시고 가요"

목적지에 간 후 다시 그곳에 갈 때도 앉아서 이야기 했습니다. 제가 듣기에는
"한일 사이가 좋게 되면 좋겠네요."
저도 이렇게 생각했습니다.

우리나라의 경제나 사회가 좋지않은 이유는 한국이 아닙니다. 그것은 경제격차가 학대하는 정착이나 표현의불자유가 이유입니다.
강항도 동원성과도 차별이아니어서 자국의 변화를 그냥 구했던것이 진심이라고 생각합니다.

동원성과 일본 미키시


155.祭オタクのための韓国旅行のススメ(月刊「祭」2019.8月11号)

2019-08-09 19:00:29 | 韓国旅行案内
●このような時だからこそ
韓国が日本への渡航を制限(ヘイトスピーチの激化、放射能への懸念から)しようとしており、日本は韓国を貿易ホワイト国から除外する政令を公布しました。
政府間の関係は悪くとも国民間や文化間の関係は良くしたいものです。それが、本当の意味で自文化や祭に誇りを持つことにつながります。


それはさておき、一時期五万円ほどはらうようなことがあったのが、このような時なので一万円代と渡航費も安くなっています。
にもかかわらず、少なくとも管理人が旅行した間に日本人だからといって受けた嫌がらせは皆無でした。逆に日本人だからと受けた親切は数知らずです。今日コムタン(牛の内蔵煮込みスープ)を頼んだ食堂では、飲みに来ていたお客さんに、デザートにぶどう一房いただきました。


さらにそれもさておき、祭オタクとして朝鮮半島・韓半島の文化を知っていた方がいい理由を紹介します。

隣国から日本へ

・素戔鳴尊の曾尸茂梨の処降臨
播州の誇る祭文化の一つに刺繍業者「絹常」が挙げられます。そのお膝元の加東市八阪神社の屋台の刺繍工芸は全て絹常の作品です。八阪神社の屋台なので、神社の主神である素戔鳴尊をモチーフに水引幕を仕上げています。


この素戔鳴尊は「日本書紀」に「一書曰く」として下のような記録が残っています。

「素戔鳴尊、其の子五十猛神を師ゐて、新羅国に降到りまして、曾尸茂梨の処に居します」

曾尸茂梨の処がどこなのかにはいくつか説があります。このサイトによると、平安期の「続日本紀」の段階ではすでにわからなくなっていたみたいで、江戸時代には八箇所あげられていたそうです。
この8つの中にあるのか分かりませんが、
①現在の慶尚北道の海印寺あたりの牛頭峯(우두봉・ウドゥボン)だという説。

↑海印寺の大雄殿前から見る風景。
前掲リンク先のように江原道春川の牛頭山
など、牛頭天王との習合から考えられているのがいくつかあります。
その真偽のほどはわかりませんが、素戔嗚の出所を朝鮮半島に求める気風の中で、屋台文化が成熟してきたことは注目すべきです。

・儒教の伝達
祭りの中でよく言われる「上下関係」。これも儒教の影響といえそうです。古代より百済から仏教同様に伝わったそうです。
江戸幕府は、封建支配の強化の為に、儒学者の林羅山を重用しました。この時代のものが、今も比較的色濃く残っているように思われます。
その林羅山の師匠が、三木出身の藤原惺窩であり、彼に影響を与えたのが、文禄・慶長の役で捕虜となっていた姜沆(かんはん・강항・カンハン)です。



三木市細川町の藤原惺窩像


韓国全羅南道霊光郡内山書院姜沆像


韓国全羅南道霊光郡内山書院 姜沆の故郷。

「看羊録」という姜沆が書いたと言われる本を見ると、確かに秀吉のことを賊魁と書いたりもしています。ですが、三木合戦の前に秀吉が一人で三木側の陣内に入って長治公を説得しようとしたこと、秀吉を討つチャンスにも関わらず、長治公は秀吉を逃したことなど、長治公の人徳がある部分や、秀吉の肝の据わったさまも淡々と書かれています。

・仏教の受容と伝達

全羅南道霊岩郡法聖浦
この地にインドの僧摩羅難陀が到着し、山奥に仏甲寺を建てたと言われています。伝説ではここに百済の仏教が花開き、やがて日本にも伝わっていったと思われます。
面白いのは仏甲寺と内山書院は近い場所にあり、姜沆は仏甲寺にも文章を書いているそうです。
藤原惺窩が元々仏教僧であったように、儒仏習合からは抜け出せない一面があったのかもしれないし、そこに良さがあるのかも知れません。

今回は主に三つの例をあげました。全羅南道は伝統的に文在寅大統領の属する民主党の勢力がつよいところです。そんな中でも、本当に親切にしてくださった方がたくさんいました。政治的には対立しているところもありますが、祭文化のルーツの一つがある国だということに変わりはありません。政治を超えて差別的な発言をすることは、自分の屋台に唾を吐くようなものだと思う今日此の頃です。



韓国旅行案内のカテゴリを開設するにあたって

2019-08-08 03:20:38 | 韓国旅行案内
南原市で食べたご飯が思いのほか美味しかったこと、ブログのアクセスアップも意識して、名所案内的なカテゴリを追加しました。
貧乏旅派、星の数は気にしない派、たまにはこんなんもええかな、という人むきです。

事故、損害は自己責任でお願いします。
オススメしますが、行けと命令はしていないことは重々ご理解のほどよろしくお願いします。オススメに従ったことによる事故、損害は自己責任でお願いします。
食レポ
特に食レポは、管理人の独断と偏見に満ちています。なお管理人の舌を友人が表すには、
「まずいと言ってるのを聞いたことがない。」
「なんでもうまいという」などです。
確かにここ20年、まずかったというのは、伸びきったラーメンが出た一回しか記憶にありません。そんな管理人の食レポです。


153.美味しかった店 南原市20190807(月刊「祭」2019.8月9号)

2019-08-08 00:17:40 | 韓国旅行案内
●南原市(ナムォン市・남원시)
南原市は全羅北道の都市です。観光地としてよく知られているのは、広寒楼(クァンハルル・광한루です。韓国では幾度となく映画化され、演劇で上演されている古典の名作春香伝の舞台となりました。

↑写真をクリックすると広寒楼の地図にジャンプします。

また、萬福寺(マンポクサ・민족사)の跡地も高麗時代の石仏など見所があります。

↑写真をクリックすると、萬福寺の地図へとびます。


↑高麗時代の石仏

●白飯? -カシボシ- 広寒楼を歩き回り、さらに萬福寺跡を見回って、その周りも見て、また広寒楼近くの宿に戻ってきてからの食事です。他にも美味しそうな店があったのですが、決めたのは가시버시・カシボシ。불고기백반・プルコギペクパンを選びました。プルコギは焼肉。ペクパンは漢字で書くと白飯。8000ウォン約800円くらいです。
ですが、肝心の肉がないとのこと。お店の方がいうには、「(プルコギなしの)ペクパン・白飯でいいか?」と聞いてきました。
いや、「白飯だけでおかずないんやったらあかんやん。6000ウォン・約600円もするし」と思って、白飯てなんですかと聞きました。すると説明は難しいけど、一般的な定食とのこと。
出てきたのは下の写真です。
・奥一列
全部キムチです。左から 白菜、しそ?と唐辛子、もやし、菊名?
・真ん中
そこまで辛くないものが並んでいました。左から、海苔の佃煮、きゅうり?、じゃがいもの千切り、(てんぷら)オモク・오목のキムチ和え?
・手前
一番左の魚の唐揚げが、かなり美味でした。 ハタハタのように身が取れやすいのでかなり食べやすかったです。黄色いのは、出汁多めの鉄器焼き卵と言えるもので、その通りに出汁が聞いていて美味でした。右は味噌汁であまり辛くありませんでした。銀色の器がご飯です。
ここまでのボリュームと品揃えで6000ウォンはお得感があります。外観はこんな感じ↓です。 古民家カフェ -サンドゥルタホン-
肝心の頼んだエスプレッソ写真を撮り忘れました。管理人はダイエット中なので砂糖を入れずにいただきました。一杯一杯、豆を挽いて作っているのでしょうか、注文があるたびにバンという音がしていました。管理人はどの店でも格別に美味いと思ってしまうので通の人はあてにしないでください。
都市部の古民家をカフェなどに利用する動きは、今や日本ではあちこちで見られる風景です。かつての欧米志向の反省、日本の伝統工芸や芸術を見直す機運、都市部でビルでない古民家(=家賃収入、賃貸収入がほぼない)を手放す人の増加、などが理由に考えられます。
韓国でも同様で、南原も古民家がかなり残っているし、釜山やソウルでも見られます。
店内は古民家がほぼそのまま残っているようで丸い扇垂木や梁が上に見えました。これも写真撮り忘れました。外観はこんな感じ↓です。
注目すべきは下の写真で、樋があることです。韓国では樋のない建物が多く、屋根から落ちる水で濡れることも多そうです。




地図・アクセス
ここをクリックすると上の2つの店と同じ通り(南北)にあるモテルの地図ページへとびます。
下の写真と見比べて下さい。