月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

日韓「現れる亀の話(韓国編)」<月刊「祭」第37号 2015.1月>

2015-01-05 21:43:49 | コリア、外国

 かなり遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
 昨年も年末に韓国へ行ってきました。今回は、韓国第二の都市である釜山とその西に位置する空港都市・金海市にあたる地域の亀に関係した地名をあつかいます。

「三国遺事(サングッユサ)」の建国説話  
 開闢以来、この地にはいまだ国の名称というのがなく、それに君臣の呼び名もなかった。我刀干、汝刀干、彼刀干、五刀干、留水干、神天干、五天干、神鬼干などの九干がいて、これらが酋長となって民をおさめていた。
 -(略)-彼らが住んでいた村の北側にある亀旨に、みんなを呼ぶ怪しげな声がした。村の衆二、三百人がそこへ集まっていくと、人の声は聞こえるが、姿は見えない。その声は、「ここに人がいるか?」と聞く。九干らが、「我々がおりまする」というと、また「ここはどこなのか?」と聞く。「亀旨であります。」と答えると、こえはまたこういった。「皇天が、私にいいつけてここにこさせ、国を新しく建てて、私をここの君主になれといわれたので、今ここに降りてきたのだ。お前たちは、峰の頂上の土を掘りながら、つぎのように歌いなさい。
 亀よ亀よ、頭だせ ださずんば やいてたべるぞ
-(略)-九干どもは、いわれたとおりにみんなが楽しげに歌いながら舞った。しばらくtってから空を仰いでみると、紫色の紐が天から垂れてきて地面についた。紐の端を見ると、紅いふろしきがあり、その中に、金色の合子(お盆)がつつまれていた。それをひらいてみると、なかに黄金の卵がろっこはいっていて、太陽のように円い。-(略)-我刀干の家に持ち帰り、-(略)-お盆を開いてみると、六個の卵が化けて男の子になっていた。-(略)-顔は龍に似てあたかも漢の高祖のおうであり、-(略)-目に瞳が二つずつあるのは虞舜のようであった。その月の十五日に即位した。初めて現れたので諱を首露といった。-(略)-国を大駕洛、または伽耶国と称したが・・・・・・・
 

 このように、亀よ現れろ現れろと囃し立てた後に生まれた金 の卵は亀の卵と解することができます。 となると、半島ではじめの王国駕洛国の王族は瑞祥の象徴である亀の血を引くことになります。 この説話の舞台となるのが現在金海市の釜山金海軽電鉄金海国立博物館駅の近くにある亀旨峰(구지봉•クジボン)です。現在は亀の頭のような岩が山頂に残っています。



亀旨峰の亀の頭型の石





⚫︎洛東江沿岸地域の地名
 金海市の東側、釜山広域市の西側を流れる洛東江(낙동강.ナクトンガン)沿岸にも亀に関する地名が残っています。 東側の釜山には龜浦(구포.クポ)、龜明(구병.クミョン)、龜南(구남.クナム)、西側に登龜(등구.トゥング)と亀を思わせる地名がそろっています。登亀は亀が川をのぼる土地だということで、登亀の名前はつきられたと言われているそうです。
 また、亀が息をして暖かくなっていると伝わる亀息津とよばれる浜もあったそうです。


釜山の地下鉄や鉄道の路線図。()内の日本語は管理人がつけた。


亀浦駅の近くにある亀のモニュメント





 釜山広域市誌編纂委員会「釜山地名総覧」(2004)によると、それは川に関係する地名が転じてクやクポとなり、そこに亀の字が使われるようになったとしています。なので、このような亀にまつわる地名は、俗説にすぎないとしています。
 確かに、河の近くに亀のつく地名が多く、それにはうなずけます。しかしながら、このような亀の字がつくようになった「俗説」がなぜ考えられるようになったのかを考えることにはやはり意味があることのように思えます。

 そのために、龜浦の街を見下ろすパンボプ山をみてみましょう。パンボプ山は、数々の岩が露出しており、その岩をいろいろなものに見立てています。その中に、コプククパウィ(거북바위. 亀の岩)とよばれる岩が存在します。まるで、山を登る亀のようだということでつけられました。前述の登亀を彷彿とさせます。
 昔の絵地図を見るとこの岩のある  山が亀峰とされています。これは、三国遺事に記された金海伽耶王国の亀旨峰から旨を抜いた字になり、その影響が伺えます。おそらく、三国遺事に記された亀と関係した王権設立譚の現場が近くにあることから、クの漢字に亀の字を当てたと言えるのではないでしょうか。




(거북바위. 亀の岩)


「ポンス伝達地図」の亀峯の文字。


編集後記
 昨年も年末にかけて韓国旅行に行ってきました。
 韓国語が去年よりもできるようになって来ているので、図書館の本をコピーしてもらうなんてこともしました。そして、例によって非常に楽しい旅になりました。
 それは、どこにいっても現地の方が本当に親切だからというのが第一の理由です。
 あきらめかけていた資料を貴重な時間をさいて探し当て、コピーし、無償で下さった方がいました。カップ麺を売店で買って湯を入れて食べようとしたら、自家製のキムチとご飯を下さった方もいました。毎回、いろんな方のおかげで、旅行ができています。

 どこの国の為政者も、自分の子どもや孫も権力を握ることを願ってしまうものです。そのためには、つい、自分たちに有利なルールをつくりがちです。だけど、自国民の不満を隣国に逸らすことができれば、自分たちへの批判は楽にかわせます。
 政治の批判は自国他国関係なく大いにするべきですが、為政者たち身勝手な都合によって、罪もない隣国の一般の方を悪く言うのだけは避けたいものです。