月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

294.スマート狛犬(狛獅子)三選(月刊「祭」2020.7月4号)

2020-07-31 06:36:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●神社の前の狛犬、狛獅子と門前の守護者
 ウィキpディア京都国立博物物館の解説によると、角があるのが犬でないのが獅子だそうです。起源としては、インドで仏像の前にライオン像を置いたことに由来するそうです。
 しかし、日本では多くが寺院ではなく、神社の前に狛犬や獅子が置かれるようになりました。寺院では東大寺南大門などにはありますが、その門前を守るのは仁王像や四天王が主流となっています。







 現在は明治期の神仏分離政策の影響で、神社の楼門は仁王像や四天王像のかわりに随身像が置かれるようになりました。一方で仏像の守護者に起源を持つと思われる狛犬や獅子は、神仏分離策の影響もなく、現在も神さんたちを守り続けています。今回は、その狛犬、狛獅子の中でもスマートなものを見ていきます。

●スマートな狛犬、狛獅子
三木市平田 大歳神社
 大宮八幡宮に祭の2日目のみ宮入する平田屋台のお膝元の神社です。台座もシャープにえぐれており、前足が直線的です。




↑吽の狛犬、ツノがある

↑阿の狛獅子、ツノがない。

↑願主に子供中の文字。今の若者にあたる。

三木市鳥町 住吉神社
 かつては屋台もあったそうですが、現在は運行されていません。屋台の部品でも残っていないかと思って神社を訪れました。
 吽の方がツノなしの狛獅子にも見えますが、微妙に膨らみがあります。



↑阿の狛獅子、ツノがない。

↑吽の狛犬? やや微妙に膨らみがある。

●狛犬?擬宝珠つき狛獅子?
広島市安佐南区長楽寺 新宮神社
 写真と共に見ていきましょう。


↑新宮神社は急な石段の上にあります。


↑拝殿前の狛獅子はそこまでスマートではありません。


↑「奉献」が左から書かれていることから、近年のものだと思われます。


↑阿のほうにはツノがあります。狛犬でしょうか。


↑吽のほうは、擬宝珠がついています。
 擬宝珠をツノと見なすのであれば、狛犬だし、擬宝珠は擬宝珠、ツノではないと考えるのであれば擬宝珠つき狛獅子となります。謎のまま今回は終わろうとおもったのですが、千葉県流山市でもみつけたので続きます。

千葉県流山市 香取大神宮の狛犬、狛獅子

↑香取大神宮


↑吽の方にはツノ、狛犬です。

↑阿の方には玉のような物が。

 広島市新宮神社のものとは、阿吽が逆ですが、ツノと玉のペアであることは共通します。しかし、香取大神宮のものは、玉ではあってもツノと考えることはできません。
 となると、広島市新宮神社のものもツノ・狛犬と玉(擬宝珠)・狛獅子のペアであると考えることができるでしょう。

お詫び:
執筆当初、狛犬と狛獅子を逆に書いていました。Tさんのご教示により、気づきました。
誤 狛犬(ツノなし)、狛獅子(ツノあり)
正 狛犬(ツノあり)、狛獅子(ツノなし)

 
 

293.太鼓のつけ外しの移り変わり(月刊「祭」2020.7月3号)

2020-07-25 21:42:00 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●屋台の主要部分・太鼓
 屋台全体を意味する言葉ともなる太鼓。まさしく、屋台全体の核ともいえるのが、太鼓であるといえます。それを取り外すことによって祭が始まったり終わったりすることにもなります。今回は太鼓の取り外し風景の変遷を我らが明石町屋台の例を中心に見ていきます。
 
 
●太鼓は上から、下から道具を使わずに
 今でも三木市内の屋台は、太鼓を欄干の上から取り外しを行うところが残っています。岩壺神社のいくつか、そして志染の御坂神社旧の志染中屋台などです。志染中屋台は外すときに「打ってくれ、もひとっせ系」の口上をのべて、太鼓を打ってから最後に太鼓がはずされます。
 同じ御坂神社でももう一台の安福田屋台は屋台を横に傾けて下から外していました。いずれにせよもともとは、道具を使わずに太鼓を外していたのが伺えます。
 
 

↑志染・御坂神社で太鼓がはずされる旧志染中屋台

 

●つりあげてはずす

 管理人が明石町青年団に属している時は、屋台倉の梁にチェーンブロックをぶら下げて屋台全体を上げて下から太鼓を抜いていました。このやり方は2004年まで続きます。そして、2005年、屋台倉の改修を機に太鼓の取り外しにも大きな転換を迎えます。

↑チェーンブロックが吊された梁

 

↑吊されていたチェーンブロック


↑チェーンブロックで屋台を吊り上げて、下から太鼓の取り外しを行っていた。

↑横からみると
 
少しだけ違う方法
 同じチェーンブロックを使う方法でも、少し違う方法をとっているところもあるそうです。神戸市海(わたつみ)神社の塩屋屋台では、チェーンブロックを使わない反対側を人力で担ぎ上げて平行を保ちます。そうすることで、屋台に太鼓をぶつけず取り付けができるようになります。

↑塩屋屋台の場合。情報提供してくださった塩屋屋台のkさん、ありがとうございました。
 
 

 

●2005年の屋台倉改修

 屋台倉の改修に伴い、倉自体に太鼓を楽に取り付けができるシステムを作ることになりました。このシステムは、三木では末広屋台がさきがけて行っていました。


↑改修中の明石町屋台倉。屋台内を太鼓取り付け用の台車が倒れるように背を高くしました。
 
当時から普及しつつあった太鼓付け替えシステム
 今から紹介するシステムは、2005年当時には三木では、大宮八幡宮や岩壺神社の各屋台などに徐々に普及しはじめていたようです。
 
①まず、倉の屋台中心部(本体)が通る道にの床に穴を掘ります。太鼓+人が両サイドに2人は入れる程度の広さと深さが必要になります。
 
②その穴の両サイド外側を倒れる台車を作ります。

 

③使わない時は、木の板で穴を埋めています。写真上から2番目の板は取り外しができるための紐がとりつけられています。

 

④実際に取り付けを行う時は、下に人が入り、台車を潜らせて太鼓を下ろしたりあげたりします。

 

!太鼓取り付け用穴使用上の注意!

 穴に入る人はお腹の中のガスを溜めたまま入らないようにしましょう。うっかり、溜めたガスを穴の中で放出すると、相方への残酷なテロとなります。某ボンクラ祭ブログの管理人こそがテロリストという噂も!?


292.運転手の感染予防策を考える(月刊「祭」2020.7月2号)

2020-07-24 19:10:00 | 新型コロナと荷役の政(まつりごと)
●感染再爆発とヤマト運輸ドライバーの感染公表
 緊急事態宣言解除もむなしく、再びもとの木阿弥になってきています。高温下にもかかわらず、1日の新規感染者数が300人を超えるのは、かなり危険な状態といえるかもしれません。運送業界でも、超大手のヤマト運輸の南京都主幹支店京都祇園センターのドライバー4名が感染しました。
 本来なら企業イメージを保つためにも公表は控えたいところですが、あえて公表するところはさすが大手といったところです。しかし、せっかく勇気を出して公表したにもかかわらず、原因と改善案を業界全体で共有できていなければ、大手としての社会的な責務を果たしたとは言い切れません。

●感染予防法の共有
 ここで、極めて残念なのが、感染予防策を業界全体で未だに共有できていないことです。たとえば、このような案が正しいのかどうか、もっといい方法があるのかどうかを、業界全体で考えねばなりません。
 主導すべきはもちろん国交省です。残念ながらゴートゥーとやらの利益誘導には熱心でもこちらのほうには全く関心が払われていません。

●作業中の消毒を待つ余裕
 基本的な方法は、概ねこのようなものだと思います。とにもかくにも、荷物を持った後、手指洗浄あるいは消毒をしていない状態で車にならないことです。
 さて、このような対策を徹底するためにも、現場での周知徹底が必要ですが、知る限りでは到底できているとはいえません。「早く作業をすること」が優先され、手指消毒を念入りにしている人を見ることはほとんどありません。
 手指消毒をするのは「仕事を遅らせる自分勝手なこと」ではなくて、公共の利益、会社の利益のためであるという認識が必要です。それは、一人一人の職員の心がけも大きいものですが、やはり、各業界のトップが徹底的に声かけをしないといけないのですが。。
 この国でそれを期待するくらいなら、ドラゴンボール でも探すほうがましかも。。と思ってしまう時があります。

●もし、仕事中で新型コロナに感染したら
 各企業には従業員に対して安全配慮義務があります。それは、物品の供給だけでなく、感染予防教育も必要とされています。もちろん、感染したことによる保証も求めることができるとのことです。

 参考はこちら(中野明安「3密会議強要や社内マスクNG…トンデモ企業が抱える訴訟リスクを弁護士が解説」『ダイヤモンドオンライン2020.05.12』



291.三年峠シリーズ③都の三年坂伝承のルーツ(月刊「祭」2020.7月1号)

2020-07-06 09:10:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
日韓両国の小学三年生が学ぶ三年峠
 村の境の三年峠で転ぶと三年しか生きられないという伝説をもとにした、「三年とうげ・삼년고개(サンニョンコゲ)」は、日韓の小学三年生が国語の教材として学んでいます。
 大筋のストーリーは、
「おじいさんが三年峠で転んで不安がる。お見舞いに来た少年が、だったら二回ころべば六年、三回ころべば九年生きられるとアドバイスして、おわじいさんが笑顔で転びまくる」
といったものです。
 同様の伝説は日本各地に残っています。今回は都編です。
 
●京都東山産寧坂・三年坂
 京都市東山の清水寺に行く道すがらにその坂はあります。産寧坂・三年坂などと書かれ、子安塔の子安観音でお産が寧か(やすらか)であること・産寧を祈ったことが由来とする説、清水寺の本尊の観音菩薩に願い、かなったらお礼するという再念を意味するという説が、その地名の由来として語られています。
 そして、転ぶと三年で死ぬという三年坂伝承。今わかっている範囲で、転ぶと三年で死ぬという伝承が記された最も古いものがここの三年坂で、18世紀前半に書かれた『都名所車』という文献でそれを見ることができます(参考文献①)。
 そこで、原文がこちらに載っている(リンク先44/91)ので見ていきましょう。
「清水ハ大同二年に建立、此坂は明る大同三年に出来せし故に三年坂と云」
清水寺が大同二年にできたのに対し、坂が翌大同三年にできたことによるものとしています。
 そして、続いて、
「世のならハしに、此坂にてころぶ人三年の内に死するといへり」
と転ぶと三年で死ぬという伝承があったことを書いています。そして実際に転んだ人の言動も記されています。
「七十斗(ばかり)の禅門ころびしかバ往来の人あはれびていゝしや(?いとしや?)三年の内に死するてあらんといへば此老人につこと笑ひ明日をも知らぬ命なるに先(まづ)二年は心やすし(この論文の5頁表5参考文献②)といへり」
 明日を知れぬ我が身が、とりあえず二年は安心だと笑ったと言っています。禅門・禅のお坊さんならではの心の持ち方が伺えます。では、このような大同三年坂、三年寿命坂伝承はどのようにして生まれたのでしょうか。
 
 
 
●六道珍皇寺の迎え鐘
 清水三年坂伝承の初出である『都名所車』に、伝承の元だと思われそうなものが六道珍皇寺に関する記述に見られました(原文がこちらに載っている(リンク先41/91)。
 
あの世への入り口
『都名所車』で、
「弘法大師の開基にしてはか地なり」
との記述で始まる六道珍皇寺は、都の墓(はか)地として知られていました。そして、小野篁(たかむら)は、この寺の中の井戸から冥界に下り、夜は閻魔大王の補佐をしたとつたわっています。現在も寺域内に閻魔像と篁像が安置されています。
 つまり、都から山に至る道に墓があり、そこに閻魔を配置することで、あの世への入り口を表しているとも考えられ、この点では、太山寺付近の例とも共通します。
とは言え、三年坂の伝説の元になるとはこれだけでは言いにくいと思われます。しかし、この寺にはもう一つ興味深い伝承が残っています。
 
迎え鐘
 同じく『都名所車』の伝承を見ていきましょう。
「毎年七月九日十日◯灵(霊)をむかひにゆくとて此寺のかねをつきて槇をもとめてくる去によつて俗にむかひかねといへり。もと此かねハ慶俊惣社のゐたまふかねなり。慶俊入唐したまふ時留守居の僧にいひしハ--(中略)--三年が内は地中にうつみて◯べからづとて入唐せり。しかるに留守居の僧まちかねてしゅろうにかけて是をつく。そのひびき唐に聞へて慶俊にとろき嘆きたまふ。このかね教へのごとく三年待てつくならば六時おのづから出へきにいかばかりおしき◯也」
と、迎え鐘とよばれるものがあり、
①死者を呼びもどすものとしてつかわれている。
②もとは、三年間地中に埋めれば、六時の時を自ずから知らせてくれるはずのものだった(けど留守の僧が三年待たずにうったのでそれはかなわなかった)。
伝承があったことがわかります。
 六波羅珍皇寺のウェブページによると、鎌倉時代ごろに成立した『古事談』に②の三年地中鐘伝承(国史研究会『国史叢書 古事談、続古事談、江談抄』(国史研究会)大正三年、リンク先のコマ90/240)ではすでに残っていました。
 
●六道珍皇寺の伝承から三年坂伝承への変化
 
A小野篁の冥界伝承
 小野篁の冥界伝承も平安末期成立と思われる『今昔物語集』などに残っているとのことです(管理人が持っている文庫本ではけつらくしていました。)。
 
B三年鐘伝承
 これも上述のとおり、鎌倉期まで遡れます。
 
C迎え鐘伝承
 これは、ABほど古いものではなく、A小野篁の冥界伝承から冥界への行き来が連想されたことに、B三年鐘伝承の鐘が唐まで聞こえることから、冥界までも聞こえるものと連想されたことが加わって、遠くまで聞こえる冥界との行き来を可能にする鐘としての伝承ができたと思われます。
 
D三年坂伝承
 六道珍皇寺の冥界との行き来の伝承と、三年間の伝承が引き継がれて、清水寺の三年坂伝承ができたものと思われます。
 
参考文献:
①黒川麻美「日韓教科書教材に関する比較研究 : 民話「三年峠」に着目して」
『広島大学大学院教育学研究科紀要. 第一部, 学習開発関連領域64』2015
②黒川麻美「民話「三年峠」の教材化をめぐる史的考察 : 植民地期朝鮮・日本・韓国の通時的検討を通して
『国語科教育 79(0), 31-38,』 2016(全国大学国語教育学会)
 
 
編集後記
 東の都では、カイロより賄賂に等しい卒業資格をえた都知事が当選しました。三年坂で転ぶような俗信では冥途への旅路は実現されまん。しかし、コロナ禍中の都の舵取りを小池氏に任せることで、多くの人の三年以内の冥途への旅路が決まったように思えます。
 
芦屋立つ 百合咲く小池の 一里塚
冥土行きと 刻まれたるかな