月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

月刊「祭」2018目次

2018-12-31 22:51:37 | 各年、目次、カテゴリ別

誤りの訂正
 本ブログ親ページ祭と民俗の旅播州三木(兵庫県三木市)美坂神社東這田屋台-篠山、淡路、姫路、富山の融合。太鼓台としての屋台-に誤りがありました。水引幕を鳳凰船に乗った神功皇后の三韓征伐としていましたが、誤りでした。東這田屋台関係者の皆さまを始め、間違えた情報の掲載大変失礼いたしました。

はじめに
 本ブログおよび、「祭と民俗の旅」の文章・写真などの引用、参考は自由です。ただし、このブログに提供していただいた写真は、明記しておりますので、それの引用はご遠慮願います。また、引用、参考の際は、月刊「祭」を引用、参考した旨のご明記をお願いいたします。 写真や図とその解説は、画面を最大限に広げた時に一致するように作っていますので、できるだけ広い画面でご覧ください。

 이불럭과 「祭と民俗の旅」의 문장, 사진을 인용,참고하기는 자유입니다.  하지만, 이불럭에 제공주신 사진도 있어서 그런 것을 명기하니까, 인용하기을 삼가 바랍니다. 인용,참고할 때는, 이불럭을 인용,참고헀다기를 명기해 주십시오. 
  
img1.gif  「祭と民俗の旅」-目次  
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86.屋台、だんじり、太鼓台のインターネット上の重要資料とその課題(月刊「祭」2019.1)

2018-12-27 14:59:37 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

屋台、鉾などの祭が世界遺産になったそうです。
これを機に屋台、鉾の文化を再び研究する機運が高まっているように感じています。
これまであまり「研究がなされていない」ということが、とくに京都祇園祭以外の祭では言われがちですが、はたしてそうでしょうか。少なくとも、播州では粕谷氏が1980年代より研究を発表し始めています。播州においては東播磨はナメラコゾウ氏西播磨は四神会による研究が、さまざまな古屋台の復原は横山隆史氏が活発に行なっております。四国に目をやると太鼓台研究の大家尾関明氏が様々な調査、考察を実施しております。
そして、全国的にはいわねえ氏が、驚異的な精度と量で全国の祭礼を網羅しています。

●ウェブ発表の現状
こうして見ると、四神会の名田氏や尾関氏には優れた著作があるものの、優れた先行研究の多くがネット媒体での発表となっています。
ネット媒体での発表の利点と不利な点をまとめてみました。

利点① 手軽に発表できる。閲覧できる。
誰でも無料サーバを利用して、写真などを大量に掲載しつつ、発表できます。義務教育用の地域教材の開発が、昨今行われてきていますが、ナメラコゾウ氏や四神会、横山氏の活躍がなければ、大きく遅れていたと思われます。

利点② すぐに改変できる。
屋台の新調は日々至る所で行われており、最新の情報を掲載し共有できるのもネット掲載の利点です。いわねえ氏は、今も精力的に更新を行なっており、タイムリーな情報をみることができます。

不利点① サーバが閉じられる危険
これは、現在管理人が直面している問題です。本ブログの親ページ「祭と民俗の旅」もジオシティーズがウェブページを2019年3月に閉じることを宣言しています。なので、コピペで保存する作業が課せられています(ToT)私自身は無料ページを使っていますが、金払ってようがいよまいが、サーバの都合でいきなり閉じられてしまうという危険は常にあり、良ページはプリントアウトして保存しておく必要があるでしょう。

不利点② 評価されない
上記不利点①のウェブページの不安定制を元に、研究の成果として評価されないという難点があります。ですが、プリントアウトとして保存しておくことで、やはり立派な参考文献になりえます。本稿で紹介しているウェブページは、屋台、だんじり、太鼓台研究の先駆的な成果であることは事実です。これを評価できないというのは、評価する側の至らなさとも言えるかもしれません。

・編集後記
私にとって宗教や民俗学、歴史の研究で参考にし、憧れるのは大学や博物館勤務のプロの研究者でした。ですが、こと屋台だんじりに関しては、プロの方よりも在野の研究者の割合がずっと大きくなります。これらの成果に目を向けなければ、屋台、だんじりの研究は停滞、衰退、実態との乖離が著しくなるだけです。

本年亥年もよろしくお願いします。


とろサーモン久保田さんが、女性差別発言(彼の罪は、上沼氏を批判したことでなく、批判する際に差別的な表現をつかったこと。)を反省し、復活することをねがっています。


85.金地院の十字架(月刊「祭」2018.12)

2018-12-23 22:22:27 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●戦国末期から江戸時代草創期の建築と庭
戦国末期から江戸時代草創期に作られた名建築や名庭。桂離宮、修学院離宮、二条城、日光東照宮などなど。小堀遠州や左甚五郎らが腕を振るい、世界遺産級の作品を次々と作り出した時代と言えます。
日光東照宮などの徳川家関係の神社や寺院は徳川幕府の宗教的都市計画のブレーンとされた南光坊天海により、北極星や鬼門の方角を意識して作られたと言います。
今回、取り上げるのは天台宗・南光坊天海に並び立つが幕府のブレーン、真言宗・以心崇伝の本拠地であった金地院です。

●不死の繁栄を祈る庭
金地院は京都市東山の蹴上駅近く南禅寺そばにある寺院です。
本堂は1627年、東照宮は1628年に建立されています。また、お茶室の八窓席も1628年までには建立されていたようです。




・東照宮
寺院内の神社だけあり、今も本殿中央に掛け佛が掛けられています。薬瓶をもった薬師如来とおもわれます。





●宮元健次氏の同時代の建築研究
戦国末期から江戸初期の作品を研究する中で、新たなしてんを提供した方が建築士であり、日本建築や庭の研究者である宮元健次先生です。等比数列で奥に行くほどせまくなる柱間や、先しぼみの空間による奥行きの演出、ビスタの手法、カラフルな内装など西洋的手法の発見もその大きな功績の一つです。
では、金地院内部に見られた西洋的手法や、キリシタン的だと思われるものを見ていきましょう。

・鶴と亀、そして常緑

上の写真が金地院の方丈です。右側が鶴、左側が亀を表す岩だそうです。「鶴千年、亀万年」のとおり、徳川家が永遠に繁栄することを願ってのモチーフだそうです。そして、その意図に沿って四季を反映する枯れたり咲いたりする植物ではなく、常に緑色のものを選んで植えられています。「常に栄えるもの」を選ぶところは、西洋的とも言えそうに思います。

・織部灯篭

この時代によく見られる灯篭で下部が十字架になっており、マリア像などが下部に彫られているのもあり、別名キリシタン灯篭ともいわれています。桂離宮などにも見られる灯篭で、茶人古田織部が考案し、幕府お抱え庭師の小堀遠州が好んでいだとも言われています。この灯篭にはマリア像は見えませんが、ほんのり十字形をしています。

・障子の取手と、柱の十字架
ここからは、眉唾物の話をします。八窓茶室を擁する書院についてです。

上の写真は長谷川等伯「老松図」の絵葉書です。取手が十字架に見えます。 長谷川等伯筆「猿猴捉月図」や「老松図」が描かれた障子の取手は十字架ともいえる文様をしています。
絵葉書の写真の中心の柱は上にも伸びており、さながら十字架のようでした。この十字架が部屋の出入り口を二分していましたが、どちらの戸から向こう側に行っても同じ部屋に行きます。部屋を十字架で半分に割る作り方はあまり日本では見られない。。。はずです。

●金地院の西洋的、キリスト教的手法
いくつか見られましたが、だからといって「崇伝がキリシタンだった!」とは言う気はありません。ですが、幕府による禁教後はすでに、その手法は先駆的な文化としてこれまた幕府に近いものほど浸透していたことを金地院は教えてくれているのかもしれません。

●編集後記
金地院や江戸時代草創期の建築については管理人か学生の頃に学んだ思い出深い題材です。久しぶりにこの時代の建築に触れるとその美しさに惚れ惚れしました。
タレントのローラさんが、辺野古基地移設反対の署名で干される危機にあるそう。メディアによっては「政治的活動」がマイナスになると言っていますが、それは事実と異なります。現政権に反対する活動がマイナスになるだけです。
「正しくても為政者と反対の者はしょっ引かれ干される。人殺しでも為政者に追随する者は優遇され、無罪放免される。」歴史・社会とやらを学ぶのであれば、押さえておきたい原理原則です。この原理を無視する人は、歴史家ではなく、映画監督や小説家に向いている人といえ、その代表格が石原慎太郎氏や百田氏となります。