清盛の日招き伝説などにより、祭人にとっても馴染み深い厳島神社。その特徴は海に張り出した境内地と足元が海水に浸かる海上鳥居です。実は、この鳥居、双子だったようです。
というわけで安芸の国広島の地誌「芸藩通誌」を見てみましょう。
これは陸側の絵図ですが、鳥居の浮かんでいる様子が伺えます。地御崎神社という神社で先ほどの芸藩通志には
「本殿神六座、客神殿五座、祭る神、厳島に同じ (略)厳島社と同年に建、後に平清盛、重修すと、一説には、桜尾城主、藤原親実、厳島の奉祀なりければ、風波の時、渡海をならざるを以、此社を建て礼を行ひしといふ」
とあります。
つまり、厳島の外宮であること、厳島神社と同年の創建と伝うこと、厳島に渡れないときはここで祭をしたと伝わっていたようです。
また、旧暦六月十七日夜の厳島神社の祭礼には神船が来ていたとも書いており、お旅所にもなっていたようです。
⚫︎編集後記
事情により大幅に遅れての10月号発刊となりました。
日本シリーズは惜しかったですが、近鉄ファンの管理人にとっても、広島の優勝は嬉しいものがありました。
今でも市民球団として生きる気概は、昔も今も原爆で打ちひしがれた人たちの希望となっているようです。
一方で核兵器反対の反対に票を投じる我が国首脳やアメリカ。最近一気に風が冷たくなったのは、厳島の弁天様や鯉の深いため息のせいかも知れません。