月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

408.屋台、だんじりを保管する建物をなんとよぶ?書く?(月刊「祭御宅」2023.1月2号)

2023-01-21 18:36:09 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
●様々な呼び名があるのは、本体だけではない
 今回は、表題のとおり屋台やだんじりを保管する建物をどう呼ぶか、表記するかについての文章となります。様々な呼称があるのは、屋台本体だけではないようです。その本体を保管する建物、それをなんと呼ぶのでしょうか。

●いきなり岸和田、大阪も??
-小屋-
岸和田では「だんじり小屋」とよぶそうな。 あんなに大きいのに「小屋」なんですねといっていう感想もききました。もともとは小型だったものが次第に大型化したけど、小屋の呼び名はかつての小型だったころの名残といえるのかもしれません。

●播州の蔵・倉
三木市
 我れらが明石町では、喋り言葉では「屋台蔵(ぐら)」、「太鼓蔵(ぐら)」、あるいは単に「蔵(くら)」と呼んでいます。これは三木市の三木地区ではおおむね共通しているとおもわれます。
しかし書き言葉では、明石町では屋台「庫」と書いて各配布文書が作られることが多いです。




姫路市
 屋台蔵やヤッサ蔵とよんでいるのをききました。姫路市松原八幡宮の「獅子屋台、獅子だんじり、てんてんつく」を保管する建物は、「露払獅子蔵」となっていました。







加東市
 加東市では喋り言葉では、「太鼓部屋」と呼ぶことが多いそうです。書き言葉では「屋台蔵」ではなく「太鼓蔵」と書くとのことです。
三木市とちかい地域の呼び名に違いがあることに驚きました。
写真は東小瀬の屋台を保管する建物ですが、隣の町会所と一体となっています。建物の中の一部であるならば、屋台=太鼓が保存されている空間は、「太鼓部屋」となるのかもしれません。









編集後記
 今回の記事は、若き祭御宅のR君のご教示によってできました。R君ありがとう😃


371.これなら作れる屋台模型?? 姫路市香寺町日本玩具博物館(月刊「祭御宅」2021.8月3号)

2021-08-22 01:06:32 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
●こんなんは無理、でも作りたい
屋台の宮入もでけへんねんやったら、模型でも愛でたい。。。そんな思いを持つ人も少なくないのではないでしょうか。
でも、さすがに下の写真のような精巧な屋台を作るのは、ハードルは高いなあと思われるかたもたくさんいることでしょう。
そこで、管理人のようなズブズブ素人でも作れるかもという屋台玩具の展示がありましたので、紹介します。


精巧な屋台模型は

播州屋台

↑淡路のだんじりとなっていますが、屋根が三段なので播州かな??と思います。

↑この屋台模型の写真も使って、播州屋台について書かれた2011年の「館長室」。当時はインターネットを参考にすることはあまりよくないとされていたものと記憶しています。にもかかわらず、播州の祭について、インターネットを参考にされたことを素直に書かれ、評価するご姿勢にお人柄の良さを感じます。もちろん、評価されていたサイトはこのサイトではなく、「播州祭り紀行」です。

四国の太鼓台

↑もしかしたら四国のではないかもしれません。
↑坂出のものだそうです。
かなりにたものを管理人は、観音寺で買いました。

↑徳島県のものらしいです。

●その他地域の山車など

↑能登半島のキリコ

↑ねぶた

↑京都祇園祭の山鉾。今でもお土産やさんで買えます。

↑名古屋市東照宮の山車だそうです。

●作れるかも??
 簡素なものなら作れるかもしれないという希望がわいてきませんか?管理人もチャレンジしてみようと思います。
↑よくよくみると、布団屋根や擬宝珠の曲線は素人では難しそうです。なので、さらに簡素化してみることにします。




360.車の傷隠し用祭ステッカー制作(月刊「祭御宅」2021.6月7号)

2021-06-05 21:38:28 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-

傷隠し用ステッカー制作

車の傷隠し用ステッカーを頼まれました。○明マークを菱形にしたものを制作しました。

↓背景色を薄い黄土色にして、菱形に変えました。

台車運行のイラスト、ローマ字のAKASHIMACHI。形は法被をイメージしたものがパソコンで完成しました。↓

●完成が楽しみ、プリントアウトすると。。

エディオンで買ったA-oneの車用ステッカー用紙に印刷しました。

プリントアウトしたら色がまるで違いました。古いプリンター使っています。別にかまわないとのことで、そのまま貼り付けました。



●よくみると、イカツイので、、、

しかし、よくよくみるとイカツイ人が乗る車に見えてしまうとのことで、車に貼ったものを剥がし、クリアファイルに貼りました。

そして、旧ブログ名のステッカーがあったので、こちらを車に貼りました。



両方に貼ったイラスト

剥がしたもの、貼ったもの両方にあったイラストが、明石町屋台の台車運行です。そのイラストの拡大図が下のものです。本ブログと言えば、台車ということで、台車運行をデザインしました。Tシャツ剥がした方はデザインの都合上カットしましたが、一番後ろを歩く某ボンクラ祭ブログ管理人が入りました。






345.電飾悲喜交々 -米田新の自前電飾取り付け- (月刊「祭御宅」2021.5月14号)

2021-05-22 17:30:55 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
●近年購入の高砂市米田天神社米田新屋台
米田新屋台は姫路市の屋台を近年購入しました。神輿屋根屋台なので、神紋を変更し、祭に備えていますが、まだ、新型コロナウイルスの影響で祭には出せていないとのことです。今日(2021.05.22)電飾の取り付けしているところにお邪魔しました。
分かっているようで分かっていなかった神輿屋根屋台のメンテナンスの大変さの一端を垣間見てきました。





 
●名工松本義廣の立体的な彫り
狭間の彫り師は川原啓秀のものが入っています。松本義廣の作品は赤穂浪士の場面で、より奥行きがあるように見せるために、奥の人物はかなり小さく、手前の人物は大きく彫られています。このての遠近法は西洋的手法といえるのかもしれません。
 
 
●げんのつな
祭りのときはサラシをまいていて分からなかったのですが、ターンバックルを使っているところもけっこうあるそうです。
↑サラシをまいたげんのつな。姫路市浜の宮天満宮天神屋台
 
↑米田新屋台のサラシをまいていない状態のげんのつな。ターンバックルを使っています。
 
●電飾取り付けの苦労
豆電球から発光ダイオードへ
そして、電飾のとりつけは、かなりの労力を擁するそうです。プロの方に約150から250ほどの電飾をとりつけると、三桁万円になるとのことで、自らの取り付け作業をしていました。
もともとは従来の豆電球を使用していたのを購入を期に発光ダイオードに替えたそうです。豆電球だとトラックのバッテリーを積んでも祭期間に取り替えが必要だったのが、発光ダイオードだと前夜祭から三日間でももつそうです。
↑以前の所有者か米田新の先代屋台で使用していた豆電球。
 
橙色系統の発光ダイオード
とはいえ、発光ダイオードは多くは青白い光でそれだと電飾にあわないので、橙色系統のものを買ってきたそうです。管理人は、別のところでも発光ダイオードで橙色のものを使用するようになったという話しも聞いたことがあり、主流となりつつあると言えそうです。
違う種類のものがまじったり、明るすぎたり、くらすぎたりするだけで、バランスがおかしくなるので、大阪日本橋の電気街に足を運び、丁度いい案配の同じ製品を大量にそろえたそうです。管理人が見学したときにテストとして、路盤の電飾をつけて見せてくれました。テスト用の電源としては、模型電車のNゲージ用のものが丁度いいそうです。
 




繋ぎ方あれこれ
電源→電球3つ→電源を1グループにして、並列繋ぎでつないでいきます。こうすることで、万が一、どこかの配線がつかなくなっても、別のところは電気がきえなくてすむそうです。
灰色の線が目立たないように、金色のテープを巻いて金具の色にあわせたり、金具の裏に隠したりと、繋ぐのは非常に労力をともないます。先代の屋台は昇り総才が箱打ちで金具の間に隙間があったので、まだ取り付けやすかったそうですが、今のは総打ちで隙間がなく取り付けが大変だそうです。今から半年ほどかけて、祭に合わせて取り付け作業を行っていくとのことです。




編集後記
平屋根屋台文化で生きる管理人にとっては、屋台の電飾はあまり馴染みのないものでした。なので、その取り付けには膨大な労力をともなうことも知りませんでした。そこにある並々ならぬ苦労の一端を垣間見ることができました。
取り付けの情報を教えてくださったM氏、見学と掲載の許可を賜った屋台関係者の皆様に感謝申し上げます。
 
赤穂浪士の狭間の彫り師を松本義廣としていましたが、川原啓秀のものでした。間違いを指摘してくれたu君に感謝。





235.韓華日提灯くらべとその進化と退化(月刊「祭」2019.11月19号)

2019-11-25 20:34:00 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
●アジアの提灯
 灯りをとったり、はたまた信仰の対象だったり、はたまた灯籠流しをされたりと、提灯はアジアの祭や法会と共に歩んできました。そんな提灯の様子を見ていきましょう?
 
●韓
 a.ソウル特別市曹渓寺(詳細)
↑燃燈会でも知られている寺院なだけに、いくつもの複雑な形の提灯が作られていました。華やかですが、収納には不向きです。日本のネプタやキリコに近いものと言えるでしょう。

b.水原華城近くの寺院

↑極楽往生(극락왕생・ククラッグァンセン)の文字が書かれています。日本でも見られる伸び縮みする提灯で、収納に適しています。
 
●華
 タイ、バンコクで
c

↑形は上の韓国のもので言えば、aに属しますが、折りたたみはできなそうです。また、紙ではなく、より丈夫な素材でできているようです。
 
d

この記事で既出の写真ですが、より衣裳を凝らせたものになっています。
 
 一方、チェンマイで行なわれると呼ばれる灯籠流し(?)の一種では、簡素な灯籠を空に飛ばして魂を送り返しているようです。
 
eコムローイ祭
(埋め込み動画は近畿日本ツーリストのユーチューブ動画)
 
 
●日
 このブログをよくご覧になる方の多くは、何らかの形で提灯を手にしたことのある方が多いと思われます。ひとまず見ていきましょう。
 
f伸縮自在

↑神戸市東灘区東明だんじり
 だんじりや太鼓台・屋台にも提灯は好まれて使われています。
 
↑小野市久保木町住吉神社。神社の入り口や村の境目に祭前になると提灯を取り付けるために屋根が取り付けられます。姫路市などでは、ニッサなどと呼ぶようです。
 

↑小野市久保木町住吉神社。拝殿にもいくつもならびます。


↑全て伸縮可能です。



↑もともと三木市大宮八幡宮明石町屋台に取り付けられていた夜提灯も伸縮自在です。

g伸縮できないもの
 伸縮できないものは、片付けが不便ですが、制作が比較的容易になります。これをさらに簡素にしたもので、直方体のものになると、さらに制作もしやすくなります。また、一枚物の絵がかけるので、子供たちに絵を描いてもらい祭で飾ったりもしています。



h伊達提灯
 さて、播州地方の布団屋台は、四隅に提灯を取り付けます。その時に、絹常をはじめ、京都からも学びにくる優れた刺繍業者を輩出した播州だけに、提灯も刺繍で飾られるようになりました。一方で、灯りを灯すことはなくなりました。明石町などは、夜提灯と取り替えて使用しており、昔はそういう地域が目立ちました。最近は自ら光らなくなった提灯をライトアップする屋台も出てきました。





 

↑ライトアップされる岩壺神社滑原屋台と提灯

↑ライトアップされる岩壺神社芝町屋台と提灯
 
提灯の進化
 提灯はそれぞれに進化してきました。
 どのような進化があるのかまとめてみましょう。
 
1収納の進化
 bとfに見られるように伸縮できるものが好まれて使われます。こうすることでたくさんの提灯を小さいスペースに収納できます。
 
2飾の進化(絵画型)
 aとgに見られるように、平たい面に絵が描きやすい提灯も作られています。和紙などで作られているようで、毎年作ら変えられるものに多そうです。
 
3耐久性の進化
 より丈夫に作り上げ、常時飾れるようにしたものです。この記事ではdとeが当てはまります。日本でも居酒屋など年中飾ってある提灯は紙以外の素材でできていたり、何らかの加工が加えられていたりするようです。
 dとeの場合は複雑なデザインのまま耐久性もあるものを作っているようでした。
 
4物理的な性質を利用した進化
 eは、暖かい空気が上にいくという性質を利用しています。極力無駄を省いた状態で空に浮かせる工夫がなされています。
 
5楽しみとしての進化
 おそらく、灯籠流しとして川に流されたり、燃やされたりしたであろうものが、eはさらに飛ばされています。
 aやネプタは、その細工の見事さで競い合っています。
 そして、姫路市魚吹八幡神社では提灯練りと称して、提灯を一斉に壊す儀式もあります。これも、灯籠流し的な行事が「楽しみ」として進化したと言えるかもしれません。
 
 
 
6飾りの進化と自光機能の消滅
 播州では、華やかな刺繍文化が花開き、明治期頃からか、自分では光らない伊達提灯が使われるようになりました。今は、提灯が照らされてライトアップされるようになっています。
 
 


 
 

221.家島と坊勢の屋台とその周辺の文化(月刊「祭」2019.11月6号)

2019-11-06 22:59:00 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
●播磨灘に浮かぶ島々
 播州で、祭月といえば、多くの人が十月を祭月と考えることと思います。しかし11月始めの連休に、姫路市の灘や飾磨、網干の海の向こうに見える島で、祭が行われます。その文化の特色を探っていきます。
 
家島

真浦神社(アクセス、祭礼日11月2.3日)

宮浦神社(アクセス、祭礼日11月2.3日)
坊勢島
恵美酒神社(アクセス、祭礼日11月3.4日)
 
 
 
●花でかざられた神輿
 屋台と一緒に子ども神輿が巡行し、ここにたくさんの花(ご祝儀をくれた方の名前を書いた紙)が飾られます。子ども神輿は神輿屋根型屋台を模したものがほとんどで、祭神が乗っているのかどうかは管理人は確認していません。

↑真浦神社の子ども神輿

↑宮浦神社の子ども神輿

 

↑恵美酒神社の屋台にも
 子ども神輿にも同様についていました。
 
●衣装

↑家島真浦神社

↑家島宮浦神社

↑坊勢島恵美酒神社
 
 上の写真で練り子を見ると衣装に坊勢島と家島の共通点はないように見えます。しかし、細かいところは共通しているところが見られました。
 
タオル
 泉州ではタオル巻きがよくされており、昨今では若い人を中心に三木市でも好んで使う人が増えてきました。
 真浦神社では緑、宮浦神社では黄色、恵美酒神社では黄色や白のものを使う人が目につきました。
 
ジャージ
 真浦神社では同じジャージを履いている練り子が見られました。宮浦神社では婦人会、子ども会、青年団で揃いのジャージを着ていました。恵美酒神社では青年団がそろいのジャージを着ていました。屋台を担ぐ時と竹割の時は特別な衣装がありましたが、女性を含む屋台を担がない団員はそろいのジャージを着ていました。
 
 

↑真浦神社
 

↑家島真浦神社
 

↑家島宮浦神社

↑坊勢島恵美酒神社
 
 

↑坊勢島恵美酒神社
 
 

浦安舞と湯たてとお守りとしての植物
 真浦神社では滞在時間が短く確認できませんでしたが、宮浦神社と恵美酒神社ともに、共通点が見られました。
 まずは、浦安舞では生演奏で太鼓と舞手の鈴で舞う演目があるようでした。
 湯たて神事も行なっているようでした。
 何の葉かは分かりませんが神事後に、葉がお守りとして宮浦神社では配られていました。恵美酒神社では、取り合いになると聞きました。
 

↑宮浦神社の湯たて神事
 

↑宮浦神社での植物の配布
 
●若い人たちが元気な島の祭
 現在の島と言えば、過疎化をすぐにイメージしがちです。聞くところによると、やはりこの2つの島でも人口は減っているそうです。また、坊勢島の竹割やのぼりの地付きは、もっと太いものを力一杯していたということも聞きました。
 しかし、2つの島では若い人が非常に元気に祭りをしているように見えました。それは、姫路市と比較的短い時間で渡れることと、かつて住んでいた人が島で過ごした楽しい思い出が大きく関係しているのかもしれません。
 「魚釣り」と「祭り」2つの「つり」がおすすめの島です。
 
*坊勢島のラーメン屋が12月に「相席食堂」という芸人コンビ千鳥の番組で、紹介されるそうです。撮影したのは、11月2日の祭の1日前で、アンミカさんが来られたそうです。同じく岡山県の離島出身の大悟さんと坊勢島の「島コラボ」が見ものです。
 
 

212.尼崎の「虎」だんじり(月刊「祭」2019.10月11号)

2019-10-31 16:05:00 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
●尼崎のだんじり文化
貴布禰神社(祭礼日8月2日と3日.アクセス)
 
 尼崎もまた、知る人ぞ知るだんじり文化の地域です。その代表格は迫力満点の山合わせ。既出の動画ですがリンクを貼りました。
 
 
 現在は、尼崎のだんじりは観光の目玉として扱われていて、下の大きな観光促進の垂れ幕にもだんじりがとりあげられていました。



 昼間の曳行でゆっくり彫刻などを堪能し、夜の山合わせを楽しむと、尼崎のだんじり文化の一端に触れられるかもしれません。



●猛虎の勝利、ひたすら願う
しかし、ひっそりと猛虎の勝利を願うためだけに作られたであろうだんじりも!?
ずっと下にスクロールしてください。














↑とある飲食店の前に飾ってありました。よく見ると大阪名物のビリケンにタイガーマスクをかぶせてあります。
 だんじり文化が強く根付いている地に、関西一の人気球団が根付くと、こういうものが出来上がるようです。
 阪神尼崎駅から歩いて4-5分くらいだったと思います。インスタ映えするかも!?
 






 

201.雨の中の紙手-便利になる祭-(月刊「祭」2019.10月2号)

2019-10-03 12:20:00 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-

●祭の足音
 令和初めての秋祭りの季節が播州にもやってきました。その到来を感じさせてくれるのが、浜手の紙手です。
 
 
●村内のかざり
紙手は祭当日だけ活躍するわけではありません。提灯とともに、村内に紙手が飾られます。
 

↑高砂市曽根天満宮北之町
 
 しかし、祭前から祭までに雨が降る日もあります。その対策はどのようなものでしょうか。
 
●紙手の雨対策
 

姫路市広畑区 ビニール袋をかぶせています。
 
 



↑加古川市宗佐
なんとビニール製になっていました。
 
●祭用品の便利化
打ちはらい
紙手に限らず、祭に使われるものはより扱いやすいものに変化しています。
 例えば「はたき」と呼ばれていた、三木市でよく使われている打ちはらいは、管理人(2019.10.01時点で41歳)が子どものころは、レーヨンの布製でしたが、現在はビニール製になっています。

↑三木市大宮八幡宮明石町屋台。打ち払いで盛り上げています。
 
奉納馬
かつては生きたものを捧げていました。
 それが馬の彫刻や像となり、
 

↑姫路市英賀神社
 
板に馬の絵を描いた「絵馬」となり、
 

↑京都府宮津市知恩寺 絵の馬=絵馬
 
さらに簡略化され板から馬の絵も消えました。

↑京都府宮津市知恩寺 奉納された絵馬。馬は消えました。
 
 
さらにさらに、その板も個人が手軽に書けるように小型化簡略化しました。


↑京都市粟田神社の絵馬。各自がそれぞれの願い事を込めやすく手軽にかけるようになりました。
 
より手軽によ
全体として、より手軽に扱えるようになってきているようです。


 
 
 

193.トラックと祭(月刊祭2019.9月20号)

2019-09-26 13:07:00 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
●祭の伝統を守るもの
 昔ながらの祭ですが、昔と同じやり方では祭はできません。祭は文明の利器を高度な技術を駆使してこそ守ることができます。
 ここではトラックを使って祭を維持している様子を見ていきます。
 
大型、中型車
住吉大社
 神輿を御旅所まで担いで運ぶのが理想です。また、だんじりや屋台もですが、あまりにも距離が長かったり、交通量が多かったりすると、トラックなどに頼らざるをえません。
 元来、大型のトラックが出入りする物流倉庫などはそれを見越して、大きなスペースを作っています。しかし、祭などで使う場合、神社やだんじり、屋台などの蔵はトラックが出入りするには困難なところにある場合もあります。
神輿が大和川を渡る大阪府住吉大社の大祭。
 
 
↑御旅所はなんと堺市
 
 あまりにも距離が遠く、御旅所近くの開口神社でトラックが待機しています。五色の幕で彩られています。
 
杭全神社
 
 
 
 
泥堂もだんじりを運搬していました。(上の写真をクリックすると動画に飛びます。)
だんじりという文化財の運搬は神経を使います。
 
イベント会場へのだんじり運搬
 イベントでだんじりなどが使われる場合は、普段より遠方へ運ばれることがあります。そのときは、どうしてもトラックの力を借りることになります。
 下の写真はだんじり、spirits of Japan 堺春の陣(2019.3月23、24日)に運び込まれるだんじりの様子です。
 
 


 
修理、新調時などの運搬
 修理、新調、屋台蔵の改修などを終えて運搬する時も使われます。写真は三木市大宮八幡宮明石町屋台が屋台蔵の改修を終えて運搬される様子です。
 地車だと使うのは難しいですが、フォークリフトを使います。
 


 
 
 
 
 ●小型車
飲み物や、ウマの運搬に使われます。
 

三木市志染町御坂神社の祭
 
●トラックと共に歩む祭
 様々な面で、トラックと呼ばれる文明の利器がないと現代の祭は成り立ちません。大型車や中型車は屋台・地車などの本体の運搬に使われていました。
 小型のものは、飲食物やウマなどの付属品の運搬に使われていました。学術的には、目もくれることのない「末端」のことかもしれませんが、このような技術があってこそ民俗文化が成り立ちます。
 
 謝辞
  不惑の年(40)を超えてから、丹後の国峰山の郷でできた「学友」達に感謝^_^
 
 
 
 

175. 西脇市天岩戸系神社のしめ縄(月刊「祭」2019.9月2号)

2019-09-04 15:29:00 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-

●播州北部の屋台

 播州北部の屋台は、元々は平屋根屋台分布地域だったと思われますが、現在は反り屋根屋台が分布しています。
 西脇市の祭りもまた、反り屋根屋台分布地域ですが、独特の風習もみられたので、ここでは西脇市小坂の春日神社と、西脇市大木の平野神社・天一目神社の祭から屋台に関する独特の習慣を紹介します。
 西脇市の祭も「播州祭見聞記」で悉皆調査がなされていましたが、今は閉鎖されています。しかし、小坂の春日神社に関しては奇跡的にサイトの残りが見つかったので参考にしました。
 
 
 
●西脇市小坂春日神社
 

 
春日神社の沿革と祭 地図
兵庫県神社庁のサイトによると、祭神は武甕槌神(たけみかっちのかみ)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、経津主神(ふつぬしのかみ)、毘売大神(ひめおおかみ)です。天兒屋根命は藤原氏の祖神で、天照大神が天岩戸に隠れた時に招き出すための祭を仕切ったとされています。
 天正五年(1577)の棟札が残っており、その頃から神社があったことがわかります。また、行基が西仙寺を起こす時に鎮護国家の為に創建したという伝承があるそうです。それを即信じるわけにはいきませんが、西仙寺と縁が深かったことが伺えます。
 祭は体育の日前日日曜日と、体育の日です。屋台は5台、全て反り屋根で、昔は赤屋根1台、黒屋根4台でしたが、下に各屋台の写真を貼ります。
 
 
小坂町
 
 
 
郷瀬町  
 
 
西田町
 
 
富吉南町
 
 
富吉上町
 
 
 
屋台泥台には
屋台泥台部分を見てみましょう。まずは、富吉上町です。
 
 
 
泥台部分には、しめ縄があります。
 
 
 
 
他の屋台(富吉上町でないことだけは確かですが、どの屋台か分からなくなりました)にもしめ縄がついています。
 
 
 
 
●平野神社・天目一神社
祭沿革
屋台はこのサイト(管理人の間違いを優しく訂正してくださいます。)によると、市原町、野中町、大木町、前嶋町の4台で全て黒屋根です。
 
 
 
市原町
しめ縄が棒ばなに張られて塩が盛られています。
 
 
前島町 
塩が盛られています。
 
 
大木町
塩がもられていました。
 
塩としめ縄で据えた屋台に登らせないようにしている??
 
と考えたのですが、下の写真を見ると違うことがわかります。
 
 
 
 
野中町
塩が盛られしめ縄が張られています。   
 
天目一神社・平野神社の沿革と祭神
 



 
由緒書によると、天目一神社と平野神社は大正二年に合祀されたそうです。また、天目一神社の祭神、天目一命は、天照大神が天岩戸に隠れた時に、再び招き出すための祭のための刃物や鉄鈴を作ったのが、天目一命だそうです。
 
●岩屋戸
しめ縄を屋台につけた二社を見ましたが、いずれも天岩戸に関係した祭神を祭っていました。
天岩屋戸の場面は下の写真のように、しめ縄を使って表されます。
 

多可郡多可町糀屋稲荷神社坂本屋台の天岩戸の場面の狭間彫刻
 
天岩戸に関わる神を祭る神社で屋台にしめ縄を取り付ける習慣が根付いたのも面白いところです。とは、いえ、祭神を意識してこの習慣が根付いたのかどうかは管理人には分かりません。