●アジアの提灯
灯りをとったり、はたまた信仰の対象だったり、はたまた灯籠流しをされたりと、提灯はアジアの祭や法会と共に歩んできました。そんな提灯の様子を見ていきましょう?
●韓
↑燃燈会でも知られている寺院なだけに、いくつもの複雑な形の提灯が作られていました。華やかですが、収納には不向きです。日本のネプタやキリコに近いものと言えるでしょう。
b.水原華城近くの寺院
↑極楽往生(극락왕생・ククラッグァンセン)の文字が書かれています。日本でも見られる伸び縮みする提灯で、収納に適しています。
●華
タイ、バンコクで
c
↑形は上の韓国のもので言えば、aに属しますが、折りたたみはできなそうです。また、紙ではなく、より丈夫な素材でできているようです。
d
↑
この記事で既出の写真ですが、より衣裳を凝らせたものになっています。
一方、チェンマイで行なわれると呼ばれる灯籠流し(?)の一種では、簡素な灯籠を空に飛ばして魂を送り返しているようです。
eコムローイ祭
(埋め込み動画は近畿日本ツーリストのユーチューブ動画)
●日
このブログをよくご覧になる方の多くは、何らかの形で提灯を手にしたことのある方が多いと思われます。ひとまず見ていきましょう。
f伸縮自在
↑神戸市東灘区東明だんじり
だんじりや太鼓台・屋台にも提灯は好まれて使われています。
↑小野市久保木町住吉神社。神社の入り口や村の境目に祭前になると提灯を取り付けるために屋根が取り付けられます。姫路市などでは、ニッサなどと呼ぶようです。
↑小野市久保木町住吉神社。拝殿にもいくつもならびます。
↑全て伸縮可能です。
↑もともと三木市大宮八幡宮明石町屋台に取り付けられていた夜提灯も伸縮自在です。
g伸縮できないもの
伸縮できないものは、片付けが不便ですが、制作が比較的容易になります。これをさらに簡素にしたもので、直方体のものになると、さらに制作もしやすくなります。また、一枚物の絵がかけるので、子供たちに絵を描いてもらい祭で飾ったりもしています。
h伊達提灯
さて、播州地方の布団屋台は、四隅に提灯を取り付けます。その時に、絹常をはじめ、京都からも学びにくる優れた刺繍業者を輩出した播州だけに、提灯も刺繍で飾られるようになりました。一方で、灯りを灯すことはなくなりました。明石町などは、夜提灯と取り替えて使用しており、昔はそういう地域が目立ちました。最近は自ら光らなくなった提灯をライトアップする屋台も出てきました。
↑ライトアップされる岩壺神社滑原屋台と提灯
↑ライトアップされる岩壺神社芝町屋台と提灯
●提灯の進化
提灯はそれぞれに進化してきました。
どのような進化があるのかまとめてみましょう。
1収納の進化
bとfに見られるように伸縮できるものが好まれて使われます。こうすることでたくさんの提灯を小さいスペースに収納できます。
2飾の進化(絵画型)
aとgに見られるように、平たい面に絵が描きやすい提灯も作られています。和紙などで作られているようで、毎年作ら変えられるものに多そうです。
3耐久性の進化
より丈夫に作り上げ、常時飾れるようにしたものです。この記事ではdとeが当てはまります。日本でも居酒屋など年中飾ってある提灯は紙以外の素材でできていたり、何らかの加工が加えられていたりするようです。
dとeの場合は複雑なデザインのまま耐久性もあるものを作っているようでした。
4物理的な性質を利用した進化
eは、暖かい空気が上にいくという性質を利用しています。極力無駄を省いた状態で空に浮かせる工夫がなされています。
5楽しみとしての進化
おそらく、灯籠流しとして川に流されたり、燃やされたりしたであろうものが、eはさらに飛ばされています。
aやネプタは、その細工の見事さで競い合っています。
そして、姫路市魚吹八幡神社では提灯練りと称して、提灯を一斉に壊す儀式もあります。これも、灯籠流し的な行事が「楽しみ」として進化したと言えるかもしれません。
6飾りの進化と自光機能の消滅
播州では、華やかな刺繍文化が花開き、明治期頃からか、自分では光らない伊達提灯が使われるようになりました。今は、提灯が照らされてライトアップされるようになっています。