月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

380.神輿屋根屋台の呼称とケンキュウシャの名著の問題点(月刊「祭御宅」2022.1月2号)

2022-01-18 23:33:24 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-

●意外と悩んだ二種類の神輿屋根屋台の呼称

 拙稿(御影史学論集46.2021)を執筆するにあたり、悩んだのが神輿屋根型屋台の呼称です。管理人は播州屋台研究の礎を作った粕谷氏が「男が咲かす祭り華」(1996)などで記述した網干型、灘型という言葉を当初使っていました。しかし、自分達の屋台が「灘型」といわれるのは違和感があるという意見を某SNSグループでみました。

そのグループでは東西にわけるという意見もあり、管理人もそれにかたむきかけました。しかし、管理人の拙稿の内容が担ぎ方も言及しているので、この本このサイトを参考に担ぎかたで「練り合わせ型」と「チョーサ型」に分類しました。





●神輿屋根屋台分類の先駆けと、この本の問題点

先述のとおり、屋台を分類してその歴史や特性を始めに述べたと思われるのは粕谷氏です。播州祭礼研究室がそれに引き続きました。管理人もこの影響を受けて、灘型、網干型としていました。

播州祭礼研究室のご教示を受けて書いたと思われるこの本では、該当記事の著者がみいだしたものとして、練り合わせ型、練り型としています。管理人は、拙稿において「練り合わせ型」の言葉は使わせていただきましたが、「練り型」は使わず「チョーサ型」としました。

というのは、「練り型」とされたものの内、昔の型は「飾り屋台」などと呼ばれるのに対して、「練り合わせ型」とされたものは「練り屋台」と呼ばれることから混同がおきるおそれがあったからです。学生さん達やケンキュウシャと呼ばれる方達がもっとも参考にされると思われる本で使われた呼び名はそっくりそのまま使わない方がいいというのが、管理人が出した結論です。


この本の功績

大きな問題点もありますが、多数の著者により書かれたこの本が名著であることも事実です。特に田村氏の古文献や絵図を用いた屋台の形の歴史的な変遷などはわかりやすく整理されており、屋台変遷史に大きな進歩をもたらせたものといえるでしょう。

また、各祭の報告も丁寧な聞き書きなどをもとにして、記録されており、現地の人が忘れかけていたことも書かれていることもあります。その一方で、普段から屋台を見てない触っていない、祭りに深くかかわっていない著者の方達の研究ゆえの大きな問題点もみうけられました。



378.屋台展示あれこれ(月刊「祭御宅」2021.11月2号)

2021-11-07 22:35:30 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-
近年、各地の自治体博物館や有志による屋台やだんじりなどの展示が行われていることがふえてきました。実は博物館学芸員資格を持つ管理人が、その傾向や気を付けなければいけないことなどを思い付くままに書いてみたいと思ます。


●歴史に重き? 美術に重き?
 各地の展示を見ていくと大きく二つの傾向に分けられると思います。一つが市町村の博物館などで行われている、それぞれの地域での歴史や民俗に重きをおいた展示です。なので、屋台が担がれる前の時代の資料や、屋台とともに行われる神事、屋台かもしれない文献資料など、屋台本体だけにとどまらない展示となります。歴史に重きをおいた展示といえ、近々行われるものとしては、明石市立文化博物館のものがそれにあたるでしょう。

もう一つは、播州だと屋台保存連絡会や姫路市の商工会議所、青年会議所などが中心になって行われる、屋台職人に関係した展示です。ここでは、屋台の製作技術を掘り下げた展示が行われます。こちらは美術的価値に重きをおいた展示といえ、近々おこなわれるものとしては、屋台職人展がそれにあたるでしょう。

淡路や岸和田でおこなわれたひねもす博覧会では、彫刻に重点をおきながらも、だんじりの歴史的な背景にもふみこんだ展示が行われました。

●気を付けなければいけないこと
上の二種類の展示のうち、どちらが上か下かはないし、どちらかに重きをおくからといって、もう片方を無視していいわけではありません。そして、どちらにも共通していえるのは、展示品を提供してくださる祭関係者がいるということです。展示してくださる人たちは、それを地域の誇りとして展示することになります。
しかし、その展示は多くの目の肥えた人の前に公開することになります。場合によっては、その展示したものや、しなかったものに対して批判をされることも考えられます。そのときに、展示する側はなぜそれを展示するのか、展示するものにどのような価値があるのかを、明確に説明する言葉を持つ必要があります。
では、そのような根拠のある展示のために何が必要なのでしょうか? それは、有識者による研究と議論です。逆にいえば、二つの傾向が生まれるのも、それぞれに携わる人たちの得意分野を存分にいかしたものだからといえるでしょう。

●残念な話 -圧力-
しかし、祭に関係のない展示で何年も前の話ですが、残念な話も聞きました。それは、圧力。。。
一つは、●●を展示するなという圧力です。もう一つは、●●を展示しろという圧力です。 これらの圧力がはいることによって、根拠のある議論や研究ができなくなります。その結果、根拠なく展示すべきでないものを展示したり、逆に展示すべきものをしなかったりして、批判を食らうことになります。
これが祭に関係した展示であった場合、出品してくださった関係者、出品できなかった関係者をひどく落胆させることになります。しかし、その責任や批判の矛先は、圧力をかけた本人ではなく、その展示を担当したり、展示用の説明を書いたりした人にむけられることになります。
このような展示を実現するのには、やはり政治力めいたものは必要かもしれません。しかし、学術的な議論に割って入るようなことがあると、その展示そのものの価値が失墜し継続できなくなってしまいます。

●いい話 -若い力、熱い思い-
 いい話を最後にしたいと思います。今回、祭の展示には大きく二方向があることを指摘しましたが、美術的価値に重きをおいた展示においては、在野の人の活躍なくしては不可能であるのが現状です。
今、播州においては、粕谷氏の研究を次ぐこともできようかというくらいの若い力が確実に育ってきています。装飾品の作風から分布まで、その見識の深さに驚くばかりでした。
この若い力をどういかすかが、我々おっさんの課題です。管理人としては、文章の書き方や、他の人も見やすい情報のまとめ方くらいは教えられるかもしれません。
とはいえ、教えることよりも、教えてもらうことのほうが多い今日この頃。。。

333.在野研究者の活躍と新進気鋭の祭御宅(ブログ名変更記念)(月刊「祭御宅」2021.4月4号)

2021-05-08 16:28:28 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-
●月刊「祭」あらため月刊「祭オタク」あるいは「祭御宅」
類似名のまつり機関紙「まつり」を、屋台文化保存連絡会が使用していたということに気づきました。
お詫びのメールをしたところ、屋台文化保存連絡会の方から、そのまま使用してもかまわないという旨の暖かいメールを頂くことができました。ですが、「祭御宅(オタク)」の名前を思いついたところだったので、改名することにしました。
改名一回目はその名の通り播州の祭オタクについて。今回は在野の研究者も「祭オタク」として、話を進めていきます。
 
●粕谷宗関氏と、播州祭り行脚、播州祭紀行
管理人は久しぶりに粕谷氏の著作を読み漁りました。久しぶりに見ると、氏の調査の膨大さに驚かされます。一般には彫刻研究の専門家として知られています。ですが、例えば多くのプロの研究者がその対象としている祭礼の絵や、古い文献なども粕谷氏の著作で広く知られるようになりました。しかし、粕谷氏の著作をある程度理解するには、それ相応の祭見聞の経験や予備知識が必要となります。
そんな中登場したのが、播州祭礼研究室による西側の『播州祭紀行』(閉鎖ToT)と東側のnamerakozou氏の『播州祭り行脚』です。双方にきょうつうするのは、粕谷氏の著作をもとにしながら独自の調査も加え、神社ごとに屋台を分けて紹介するという手法です。この2つのサイトによって、誰でも手軽にインターネットにアクセスして、どの屋台がどこにあって、誰がどの部位を手掛けたのかまでをしることができるようになりました。粕谷氏が播州屋台学の基礎を作ったとするならば、2つのサイトや次の三木市内各団体や個人の働きは、粕谷氏の研究の翻訳書+アルファの活躍、播州屋台辞典の作成に寄与したといえるでしょう。
三木では、対象を三木市内にしぼり、より詳しく紹介した秋月会、幸祭会、横山氏のサイトがありましたが、今は幸祭会のみ残っています。
閉鎖されたサイトがあるのは残念ですが、そのあとを次ぐ若き祭御宅が現れてきています。
 
そして、新進気鋭の祭御宅
いくつかのレジェンドとも言えるサイトが閉じられましたが、その後をつぐべく20代で活躍する祭御宅が育ってきています。その中でyou tubeやブログを持っている二名を紹介します。この二名に共通するのが、屋台、だんじりの装飾品に関する造形の深さと、編集した動画を公開していることです。
 
巴龍氏
彫刻、刺繍、金具への造形の深さには驚かされます。映像もどこぞのボンクラ祭ブログ管理人とは大違いで、しっかりとれています。
 
鯱乃梵天氏
自身のGoogleマップには屋台蔵、だんじり小屋の地図を作成しています。なんとスマホ編集。
 
 
 
他にも、自らが担いで屋台の練りに詳しい、めちゃきれいな写真を大量に撮影している、若い職人志望、そして、各地の青年団や若い祭好きなどなど。たくさんの若い人が播州の祭文化の担い手になっています。
ちと前までは若い人を育てるためにブログを運営するというつもりでした。が、実態は教えてもらってブログを運営しています。
 
 
 
 
 

285.卒論で祭を書くということ(月刊「祭」2020.6月5号)

2020-06-17 10:32:00 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-
祭を題材にした卒論を書いた学生さんのことを最近のニュースを見て思い出しました。
 
 




 
 
●屋台やだんじりを題材にした卒論を書く学生
 昔からいたけど管理人が知らないだけなのかもしれませんが、いろんな大学のいろんな学部で屋台・太鼓台、だんじりを題材に卒論を書いている学生をよく見るようになって来ました。
 その中のいくつかは、管理人も何人かのお手伝いをさせていただきました。そのまま、プロの学者になる方は今のところいませんが、研究史的な名作となるものもあるし、そうでなくとも、いずれも人の心を打つものでした。まずは、それを紹介していきます。
 
●名作ぞろい
2007年度 Tnさん(三木市)
 管理人の同級生の知り合いの学生さんでした。管理人とっても、卒論をアドバイスする初めての経験でした。どうアドバイスしたらいいか分からないまま、知っとることを殴り書きしてメールに送ってしまいました。その読みにくい文章を申し訳程度に簡潔にまとめつつ、独自の調査をふんだんにもりこんで三木市の祭とその中の大宮八幡宮の祭の現状をまとめました。
  当時は新町屋台が事故で消失した年でしたが、新町の復活を願う文章に心打たれました。
 
2011年度 Tkさん(岡山県)
 管理人が協力したというより、一緒に祭を見たといのが正確でしょうか^_^;
 瀬戸内地域に分布する古い布団太鼓を、悉皆調査していき、布団太鼓ができた時は川を伝って伝播していっだろうこと、大塩平八郎の乱以降にだんじりにとってかわってきたことなどを結論づけました。
 播州屋台研究家の粕谷さんが、その著作で批判的な文章を掲載していました。粕谷さんが批判する対照となるのは、間違いなく一流の証です。
 
2012年 Iwさん(三木市)
 三木市大宮八幡宮の屋台のそれぞれの歴史を調査し、違うルーツの屋台を大宮八幡宮仕様にしていることを指摘しました。管理人のダラダラした話を簡潔にまとめ、三木が誇る屋台研究家横山氏のご教示を的確にまとめ上げて、結論を導きました。
 先代のみき歴史資料館の学芸員さんも、参考にしていました。
 
2018年度 Dさん(三木市)
 一番仲良くしてる友達ですが、実はまだ読んでません^_^; 卒論の発表は聞きました。
 地元の祭だけでなく、北条節句祭の某屋台青年団に入団し、実際に活動しないと分からない屋台の性質の考察も入れたそうです。新しく加わった宮本屋台を含めた北条節句祭の全屋台の来歴を明らかにしています。
 しかし、卒論は彼の活動の「ほんの一部」というのが正確です。近畿圏内の屋台蔵、だんじり小屋の所在地を調べGoogleマップにプロットし、膨大な屋台だんじり マップが今も作られ続けています。
 
2020年度 Ioさん(たつの市)
  新型コロナ禍の中ですが、今年も頑張っている学生さんがいます。内容は秘密^_^
 
●祭を卒論に選んだ学生さんたちの功績
 管理人が学生のころは、あくまで体感ですが、屋台やだんじりの研究がそこまで活発に行われているようには思えませんでした。しかし、上のような学生さんたちが現れることによって、大学の先生方も関心を持つようになったのではないかとも感じています。
 また、それぞれの場で祭などの地域に貢献しはじめているかつての学生さんもいるようです。
 そして何よりも管理人にとっては、祭の卒論にかかわれたた(余計な口をはさんだ)体験は本当に楽しいものでした。
 
 
編集後記
 小池東京都知事が卒論必須の学部を卒論もなく卒業したとのたまっていました。その卒業証書は「学力証明」ではなく、「コネ証明」といったところでしょう。
 同時に思い出したのは自分が卒論を書いた時のこと、そして、上に書いた卒論のお手伝いをさせていただいた学生さんたちのことです。どの学生さんも就活、バイトと本当に忙しい中でも、目を輝かせながら大好きな祭のことを調べていました(一人はメールでのやりとりですが、後でお礼を言ってもらえた時はやはりそうでした。)。
 「目を輝かせて一つのことを調べる。」これは、大学生の特権です。せっかく大学に行かせてもらいながら、それを経験せずに卒業だけを主張する小池知事の中身のなさが、哀れにおもえてきます。
 
 

259.祭の名著紹介3 辻川博氏による高砂神社の祭の記録(月刊「祭」2020.2月4号)

2020-02-17 18:27:00 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-
●播州屋台祭のエルサレム・聖地・高砂市
 エルサレムと言えば、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教の聖地となっています。それは、3宗教の分布の境目に位置することから起きる現象と言えるかもしれません。
 そのような境目は播州屋台にもあります。それが、高砂市です。かつては、平屋根屋台も分布し、神輿屋根、平屋根、反り屋根、にわか太鼓など、さまざまな屋台が入り組んでいるのが高砂市でした。
 
 
↑反り屋根の発祥地とも目される曽根天満宮の祭
 
↑もともとは平屋根屋台があった高砂神社の祭(写真は中部屋台、昔どのような屋根だったのかは管理人は知りません。)
 
↑荒井神社の屋台にはにわか太鼓ともよばれる、芸を奉納するものもあります。
 
●意外と少ない祭本
 しかし、意外と祭りの本はすくないようです。姫路市では魚吹八幡や松原八幡が大判の本を出版し、大塩天満宮はN氏が郷土史に祭について記載しています。三木市でも、三木市全体の本が出版されているのですが、高砂市にはこのような本は見つけられません。残念ながら近年発行された高砂市史の記述も、祭好きな人からすれば、ページ数の問題もあるのか、到底、十分なものと言えるものではありません。
 
●辻川博氏の二冊の本
 しかし、それでもかつての祭の様子を記録し、編集した方がいらっしゃいます。それが、辻川博氏です。辻川氏は、図書館で見る限り二冊の本を出版しています。残念ながらそのうちの一冊は高砂市立図書館ではなく、姫路市立図書館の城内図書館所蔵でした。
 
 
『播州播磨国 高砂神社当初秋祭り神事』(紀伊国屋書店)昭和63年
 昭和62年版もありますが、63年版は少しだけ詳しくなっていました。祭の掛け声から、どのような神事が行われるかまで記録され、当時の新聞記事も掲載されています。
 粕谷氏の本などでよく知られるようになった板葺の昭和初期ごろと思われる神輿屋根屋台の写真も掲載されていたり、古文献の分析も見られます。さらに、昭和61年度の練子(担ぎ手)の配置図も掲載されており、どのような祭を行なっていたのかを手軽に知ることができる良本です。管理人が知る限りでは、高砂市立図書館、姫路市立図書館(城内)で見ることができます。
 
 
『播州 播磨国 高砂神社秋祭 大正・昭和写真集』(紀伊国屋書店梅田店)昭和64年1月1日
 昭和64年という9日しかない期間に発行された本でもレア度が増します。その内容はまさに「百聞は一見に如かず」を地で行く内容です。
 かつての研究者が祭りの様子を文章で書いたのは、写真掲載のスペースや費用の限界を補うためであり、許されるのであれば、可能な限り写真を使いたいのが実際のところでしょう。
 下の表紙は大正11年の藍屋町の屋台だそうですが、驚くことに布団屋根です。赤白赤の三段屋根で伊達提灯ではなく房が四隅についています。驚くべきは播州の三段布団屋根屋台が井桁高欄であるのに対して、高欄が擬宝珠高欄です。練棒も三段布団屋根屋台に見られる丸棒ではなく角棒となっています。しかしながら、脇棒の長さは従来の神輿屋根型屋台や、反り屋根屋台よりやや長く作られているように見えます。
 一枚の写真から様々な気づきをもたらしてくれるこの写真集も、屋台文化の聖地に相応しい貴重な書物と言えるでしょう。


 他にもあっとおどろく写真や、こんなんやったんやなあと思う写真を多数見ることができる、超貴重な良書です。

179. 北磻磨東播磨祭研究の横綱とウェブページの参考文献化(月刊「祭」2019.9月6号)

2019-09-08 21:15:00 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-
●北播東播祭研究の横綱

祭が近づいてきたなあー

他のとこも見てみたいなー
播州の平屋根とか北播のん見たいなー
と思ったら重宝するサイトがあります。
 
それが播州祭行脚です。
三木や加西市など祭が盛んに行われている地域だけでなく、サンテレビの放映はなかった神戸市などの祭も紹介しています。
 
そして、管理人が個人的に最も大きな功績だと考えているのが、鍬渓神社以外では必ずしも規模の大きな屋台の祭が行われているとは言えない、小野市の屋台を紹介したことです。このサイトを見て、小野市の屋台を訪ねた方は本ブログの読者にも多数いることと思います。
 地道な踏査の結果をインターネットに分かりやすく分類して掲載してくれました。管理人はこのサイトをまさしく、祭行脚の友として使っています。
 
作成時期は2001年、粕谷氏につづく屋台研究の金字塔ともいえるサイトです。
 
●参考文献としての価値 
 以前お話ししたN氏ら四神会制作の「播州祭紀行」はウェブページが閉鎖してしまいました。時々、ウェブページは参考文献としての価値がないと言われるし、その理由としては、その再現性の不確かさが指摘されます。
 とはいえ、圧倒的な先駆性は、屋台研究に関してはこれらのウェブページにありました。現に、播州祭紀行の閉鎖で管理人は不便を感じています(ToT)
 便利なサイトはスマホで見れますが、いざという時のためにプリントアウトをおすすめします。
 
 
 
 

小野市久保木屋台 狭間彫刻 作・花岡冨蔵「小督局」
 久保木屋台の彫刻や刺繍が播州中の祭マニアに注目されるようになったきっかけの一つが、「播州祭行脚」でした。


 


 
 

142. 播州祭見聞記-屋台研究の金字塔-(月刊「祭」2019.7月23号)

2019-07-27 22:04:22 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-

●太鼓台研究の大ニュース
N氏が中心となって立ち上げた播州祭礼研究室のウェブサイト「播州祭り見聞記」が閉鎖されているかとおもったのですが、ホームページが見れない状態のようで、各祭のページは見れるようです。
言うまでもなくこのサイトは播州屋台研究や太鼓台研究をする上での大きな功績です。
そこで、播州屋台研究や太鼓台研究に大きな影響を与えたN氏の功績を振り返って行きたいと思います。
このサイトの立ち上げは1998年から1999年の間になります。当時の管理人はボンクラ学生で、「インターネットなにそれ?おいしいの?」というかんじでした。
当時はデジカメが普及しておらず、フイルムをデジタル化する機械を使うのを近くで見ていました。

●神輿屋根、反り屋根分布域の祭、屋台辞典
「播州祭り見聞記」の中でも最も大きな功績と言えるものの一つが、神輿屋根、反り屋根の祭・屋台辞典とも言える、「播州祭り紀行」です。
地図の画像の神社マークをクリックすると、その神社と祭の由来と確屋台紹介のページに行くことができました。制作当時は神輿屋根、反り屋根屋台の電子辞典といった様相でした。やがてスマホの普及に伴い、「播州祭り紀行」はポータブル辞典と様変わりします。つまり、より利便性が増しました。
残念ながら、このサイトを参考文献として挙げたこともありましたが、査読で「いつ消えるかわからないからそれは認められない」と返答を頂いたこともありました。その時は頭に来ましたが、それに代替するものがないというN氏の先駆性を裏付けられた出来事でもありました。今の間にフルプリントアウトや、画像で保存するのが賢明でしょう。

●研究調査の成果、活動
また、他の記事では屋台の来歴を解明したり、骨董品屋から見つけた古い露盤を紹介したりするなど、精力的な活動による研究の成果も発表していらっしゃいました。
また、屋台の復元や新調においても、題材の調査や業者の選定などその知見を惜しみなく提供していました。

●御著作
N氏の膨大な知見のほんの一部が書籍などで見ることが出来ます。 ・「大塩の獅子と祭り」大塩公民館郷土史編集委員会『大塩に生きる人々』1995 所収
この当時N氏は20代前半で、郷土史の内、祭をご担当されました。
・屋台文化保存連絡会研究室[編]『意を縫い技を織る「匠の技-播州祭り屋台刺しゅう展」美を極めた縫師「絹常」の世界 記念写真集』2000
上記図録のもとになった展覧会(平成12年6月29日~8月31日迄、 姫路市書写の里・美術工芸館に於いて開催された 「匠の技-播州祭り屋台刺しゅう展」美を極めた縫師「絹常」の世界)に勢力的にご協力されていました。
・兵庫県教育委員会「播磨の祭礼 -屋台とダンジリ-」2005への資料提供・協力(実質的には基礎研究) 下のような屋台の図をいくつかご提供されています。 そして、下の分布図も播州祭礼研究室の「協力」となっていますが、少なくとも神輿屋根や反り屋根の分布域のほとんどがN氏の知見によるものと思われます。

●恩
N氏をはじめ、当時の播州祭礼研究室のメンバーの方々には、本当にお世話になりました。礼儀知らずで生意気な管理人を、姫路から三木まで送り迎えしてくださり、様々な祭に連れて行ってくださいました。なのに、一度もガソリン代をはらったことはありませんし、一度も払えと言われませんでした。いろんな祭に参加できたのもこの出会いがあったからです。 あらためて、感謝申し上げます。

<月刊「祭」2013.11月 第21号>屋台関係の名著紹介1 -なんでもかんでも三木-

2013-09-08 23:24:24 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-

●書籍の紹介
  祭は、実際に参加してナンボ、本を読むだけでは、決して、その祭を理解することはできません。しかしながら、客観的な視点にたってしたためられた本や、参加者の熱い思いを綴った本は、祭りを理解する上で、非常に役に立つものであるとも感じます。そこで、月刊「祭」編集部が、独断でススメする屋台・だんじり・山車に関する書籍を紹介したいと思います。なお、おススメ書籍の記述や写真の中には、事実誤認等あるかもしれませんが、そこは、読者さまのメディアリテラシーにお任せいたします。

●コタニマサオ「なんでもかんでも三木」(神戸新聞事業社三木営業所)昭和61年
 まず、第一弾は、コタニマサオ「なんでもかんでも三木」(神戸新聞事業社三木営業所)昭和61年。
 三木出身の漫画家・コタニマサオ氏が、カラーの写真と、ユニークなイラストで、三木市の大宮八幡宮、岩壺神社に宮入りする各屋台と、久留美屋台を紹介しています。
 彫刻師の名前などが書かれているわけではなく、歴史的な資料を紐解いているわけでもありません。しかし、1970年出版の「三木市史」や、大正に出版された「美嚢郡誌」などでは、各屋台の紹介はありません。私が知る限りでは、「なんでもかんでも三木」は、三木の各屋台を紹介したはじめの書籍です。
 屋台製作を手がけた彫刻師や大工、縫師などの屋台製作者や、三木の秋祭がいつからはじまったかなどにはほとんど触れられていません。ですが、執筆者本人が屋台関係者に聞いたエピソードなどを活き活きと書かれています。また、出版から約30年の年月が経った今となっては、昔の三木の祭の様子や、祭人の思いを知る貴重な資料になっているのかもしれません。

 
表紙                   中を開くと、下には地元企業の広告が

  
平田の反り屋根時代の写真も                  ユニークなイラスト

 
一台の屋台1ページ         なつかしの城山屋台も


編集後記
 祭が近づいてきました。忙しくなるので、今回は短めです。
 書籍紹介の第一回目は、私が生まれて初めて手にした祭の書籍ということで、「なんでもかんでもかんでも三木」を選びました。
 この書籍を購入したのは今は亡き祖父です。祖父の部屋によくこの本を見に行ったことを思い出しました。


<月刊「祭」2013.8月 第17号>あなたは何マツ? 祭オタク分類 

2013-06-06 21:22:20 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-

 来月再来月と忙しくなりそうなので、先に8月号を掲載します。
 さて、電車オタクにも「撮りテツ」や「模型テツ」「乗りテツ」がいるように、祭りオタク(マツ)にも様々な種類があります。今回は、それを自分なりに分類してみました。あなたは何マツかな??

○マツリオタク略して「マツ」
 テツより、やや強面の方も多い気がします。

○撮りマツ
 祭りの写真やビデオを撮るのが好き。ただ、後述の各種マツにとっても、写真はかかせないので、純粋に撮りだけの人は珍しい・・・??

○構造マツ
 屋台の構造などに精通しているマツ。自分なりの美しい屋台の理想が高い。
 

○模型マツ
 屋台やだんじりの模型を作る。一作品を一年以上かけてつくるとか。。。上記構造マツの要素は不可欠。
 


○まじ作りマツ
 模型に満足できずに、本物をつくってしまうマツ。屋台全体の人もいれば、刺繍や彫刻などの技術を身につけている人もいる。

○彫刻マツ・刺繍マツ
 屋台の彫刻や刺繍に詳しい。上級者ともなれば、銘を見ずとも誰の作品かを見分ける。
 

○参加マツ
 自分の神社だけでなく、いろんな地域の祭に参加して、実際に担いでまわるのが好きなマツ。

○起源マツ
 屋台がなぜできたのかなど、祭全体から考えるのが好きなマツ。屋台以外も見ようとして、なかなか帰ろうとしないので、同行者からすれば鬱陶しい。管理人も一応これに入る。
 
○自分のところマツ
 とにかく、自分のところの祭りに精通している。あえて、他のところには目もくれないことを身上とする。

 こうしてみると、いろんな「マツ」があるのだなと実感させられました。
 大切なのは、どの「マツ」が優れているのかではなく、お互いに尊敬しあえる「マツ」であることなのだと思います。

●編集後記
 
夜中にクラブで踊ることがご法度になるかもしれないとのことです。そして、淫らな妄想を促す「漫画」も所持していたりすると、処罰の対象になるそうです。管理人には正直あまり、関わりの無い世界ですが、隣の独裁国家のような思想統制につながりそうな気もしています。そして、このような思想統制をしいて、権力を磐石にしたくなるのは、党派思想とわず権力を持った者の偽らざる心境なのも理解できます。ですが、それを実行することは許されません。 
 祭もまた、夜中になることが多々ありますが、これもまた、規制の対象になることもあるかもしれません。
 
 
 
  
 


月刊「祭」-零巻-   8年ぶりの学会発表  於:京都民俗学会 第30回記念年次大会 

2012-01-03 07:52:51 | 屋台・だんじり・神輿-研究史・名著-

 京都民俗学会 第30会記念年次大会で発表してきました。
 僕のパートは20分+質疑応答5分の自由発表。5人の中のトップバッターでした。
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 主な内容は、
  ①兵庫県小野市の浄土寺の伽藍配置
     薬師、浄土の東西両堂が向かい合う配置は迎え講を行うためのものであり、
   北側要の八幡宮は建立のスポンサーとなった源氏に対する敬意であるということ

  ②各地の源氏に関係する神社での迎え講
     必ずしもあの世からの来迎を示すものだけでなく、この世とあの世の行き来を示す
    儀式    

  ③播磨地域への鬼会への伝播
    播磨の鬼会は浄土寺を中心としてひろまっている。その鬼会はあの世からの
   来迎を示すものが多く、浄土寺の来迎会と同系統の儀式である可能性

  ④松原八幡宮の鬼会と灘のけんか祭りとの関連
    ・松原八幡宮はかつて、薬師堂(八正寺)と八幡宮(本地:阿弥陀如来)が橋懸で
     結ばれており、鬼会もその橋懸をわたる儀式だったと思われる。
    ・同様に八幡宮から御旅山へ向かう灘のけんか祭りも、この世からあの世へ行き
     また 帰ってくるという儀式であるという指摘
    ・鬼会、けんか祭り(放生会) ともに、彼岸儀礼の系統に属する指摘 

    ・現在 けんか祭りの中心的な役割をする「ヤッサ(神輿屋根型担い式太鼓台)」
     は、木庭神社創建に合わせて、夏越の祭りに用いるために、大阪の催し大鼓
     に近いものを作った。 その後、「仏教儀礼」のけんか祭りに用いるために神輿
     屋根をつけ、仏塔型の太鼓台が生まれたという考察。

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 題名は「松原八幡宮祭礼考」としてもよかったかもしれません ++;  
 15年間、方々の祭りを観る中で、初めて、「屋台(担い式太鼓台)」についての考察を公の場で発表することができました。
 未熟な点が星の数ほどありましたが、それでも、いろいろな方からの暖かい励まし、アドバイスをいただき、自分にとっては、本当に実り多い発表になりました。
 しかも、この学会、近畿の民俗学を代表する学会とのことです。 この中で発表できたのは、京都民俗学会運営関係者の方々の懐の広さ、そしてそして、この年次大会のテーマとも関連しますが、播州や各地域の祭礼や歴史を研究されている 在野の研究者の方々、そしてそしてそして、播州三木大宮八幡宮秋祭りのおかげです。