月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

255.祭マニアのことはじめ!?大阪市杭全神社注連縄奉納(月刊「祭」2020.1月6号)

2020-01-28 19:38:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
一月三日の恒例行事
 毎年一月三日になると、大阪市の杭全神社に大阪府外からも大勢の祭マニアが集まります。杭全神社に奉納する九か町のだんじりのうち、当番の町が注連縄を神社に奉納します。その注連縄はだんじり によって運ばれます。
 今年は馬場町の当番でした。
 こちらでも書いた通り、注連縄を奉納した町がその年の夏の祭で、神輿を担ぎます。また、昨年は布団太鼓を担いでいます。夏・布団太鼓→新年・注連縄奉納→夏・神輿の順になります。
 特別な年を迎える馬場町、真冬でも屋根の上に乗っている若者は下は裸です😳 気合で寒さも吹っ飛ばしているようでした。見た目、現在41歳の管理人より10ほど上の方によると、その方が生まれた頃にはすでにだんじりによる注連縄奉納は行われていたそうです。
 

↑注連縄の奉納が終わった馬場町だんじり
 
 

↑昨年の杭全神社の夏祭。布団太鼓を担いだのは馬場町でした。
 
 
 
●新年のだんじりはじめ
 今年、祭で9年に一度の当番を迎える馬場町の方はもちろんのこと、大阪市内や各地のだんじり好き、祭好きにとってもこの注連縄奉納は特別なものになっています。
 管理人も、いつも写真をくださるF氏に誘っていただいてから、機会があるごとにこの祭を見学しています。それと同じく、新年の「初だんじり」とばかりに、各地のマニアや祭好きが集まってきていました。

↑見学者も年々増えているように思います。



 管理人もいろんな祭でよく会う方と新年の挨拶をしました。そして、休憩となるとあちこちで花咲く祭談議。こちらでは、馬場町だんじりの見事な彫刻について話し合っていました。一方反対側では、別の町の青年団の若い人たちが自町のこれからについて、熱い議論を交わしていました。
 杭全神社の注連縄奉納は、「自分たちの祭をどうするか」を見学する人たちに考える場を与えるという役割を、いつの間にか担うようになっているみたいです。


↑最後は後片付け。
テキパキと動く若い人達の姿が印象的でした。なんぼ能書きたれても、どっかの祭ブログ管理人みたいに、トロトロ動いているようではつかいもんになりません^_^;
 
 

254.木場の亥の子-新しい祭と古い祭が与え合う影響(月刊「祭」2020.1月5号)

2020-01-20 13:27:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
●松原八幡神社木場屋台
 勇壮な屋台の練り合わせや、激しい神輿のぶつけ合いで知られる「灘のけんか祭・松原八幡神社秋季例大祭」。その中でも木場屋台は、松原八幡神社の屋台の中でも最古であることが、18世紀の書物でも明記されている歴史ある屋台と言えます。そんな歴史ある屋台は思わぬ副産物を生んでいるようでした。
 


●明治はじめころまで夏祭にも??
 現在、木場の最も海側の地域である大木場には木庭神社が残っています。ここでは、七月(旧暦六月?)に夏越しの祭が行われます。1970年代?に発行された『姫路市史』によると、この時にも木場屋台は明治時代ごろまで出ていたといったようなことが、書かれていたのを管理人は読んだ気がします。
 
●屋台祭の文化⇄亥子
 旧暦十月亥の日などに行われる「亥子づき」などと呼ばれる藁などで大地を打つ風習は日本各地で見られるそうです。このような大地を打つ風習は、曽根天満宮に見られる竹割や灘型屋台とともに運行する「のぼり」が地面を打つ風習にも影響を与えているように見えます。もしかしたら、妻鹿屋台の胴突きもこの影響かもしれません。これらは、古い亥子づきの風習が屋台が出る秋祭に与えた影響と言えるでしょう。
 一方、新しい屋台の出る祭もまた、亥子づきに影響を与えています。それは、百の言葉よりも一枚の写真が説得力があります。下の写真は兵庫県立歴史博物館に残る木場の亥子です。屋台型ですね。博物館の解説によるこのような神輿のようなつくりものを亥子の日につくって練り歩く風習は、松原八幡神社と海を隔てた家島群島や、神社の付近に分布していたそうです。



 このようなものを作るのは木場では戦後から平成を待たずして途絶えたと聞きました。木庭神社には、その絵馬が残っています。当時の子どもたちにとっては、亥子は屋台練りの練習にもなっていたのかもしれません。








 

253.人文科学分野(民俗、民族、文学、歴史学)の論文の引用を含む間違いの対処について(月刊「祭」2020.1月4号)

2020-01-13 18:23:00 | ブログ運営など
 今現在、管理人の文章が、違う方のお名前で出回っており、書き直しを交渉しています(ToT)。正直なところ、かなり腹も立ててしまいました。が、自分の身を振り返ってみると、間違いの総合デパートといえる状況です。そこで、人文学系の論文の間違いについて、自分なりの意見をまとめたいと思います。


↑「播磨鑑」にあった間違って記述されている三木市細川町三坂神社

 
●間違いはあって当たり前の分野
 この分野は、間違いはあって当たり前だとつくづく感じます。もちろん、間違いがないように細心の注意を払うのがプロなのかも知れません。でも、例えば民俗学の分野で明石町の太鼓がアソーラサシーマショ、ドンドンデドンのあとドンドンではじまるかドンデドンではじまるかの「間違いをするな」とプロの民俗学者に求めるのもかなり酷です。
 例えば、兵庫県であげた報告書などでも屋台の祭に関しては、屋台にたずさわったことのない方ゆえの間違いがあったり、逆に屋台に携わっていても古文書の知識がなかったりすることによる間違いが出てきたりするものです。

●査読者の困難
 このような中で論文を査読される方のご苦労は想像を絶するものです。日本の西から東まで、北から南まで、場合によってはの地方文献や現在の状況に精通するのは不可能です。しかし、論文の査読というのは限られたメンバーでそれをすることを求められます。
 当然、一切の間違いのない査読は不可能です。

●執筆者の困難
 もちろん執筆者にも困難がつきまといます。決められた仕事を行いながら調査・執筆をします。まさに「合間を縫って」の執筆となることが多くなり、どうしても、書き間違い、資料の捏造はなくとも誤解は多々起こります。まだ見ぬ資料もありながら、論を進めると、新たな資料の出現で論が180度変わることもあり得ます。

●してはならない間違い
 してはならない間違いもあります。①希望しない個人情報の漏洩 ②他人の文章を自分のもののようにして書いてしまう(悪意のない注釈の付け忘れ、間違いなど)でしょうか。①についての対処は今のところ管理人には分からず、また、このようなことを扱う文章を今のところ書かないので、それは置いておきます。
 ②については、あってはならないことですが、やはり、間違いもあるし、査読の見落としもあります。このような時どうすればいいのでしょうか。

●間違えたら認めて直すのがプロ
 管理人は、上の一言に尽きると思います。「ごめんなさい」をしっかり言って正せばいいと思います。ただ、特許などが絡んでいるものの場合、この限りではないかもしれませんが。。

●懲戒よりも権利の回復を
 やはり、疑わしきや、疑わしきもない場合は罰せずでしょう。それよりも、「無断引用されてしまった人の名誉を回復してくれー」と管理人は叫びたいのです。
 個人的には悪意のあるもののみ懲戒を加えればいいと思ってあります。管理人の文章が名前なしにコピペされていたこともありましたが、悪意はなかったと思っています。

●言語道断
 いくつかのニュースでみましたが、盗用した側が、盗用された学生を逆に訴えるというケースもあるそうです。その学生がウソを言っていないのであれば、言語道断です。
 カッコ悪い大人にはなりたくないものですね。


 



252.「初詣でどこ行く?」のカルチャーショック(月刊「祭」2019.1月3号)

2020-01-06 21:34:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●案外違う正月の習慣
 自分の中では当たり前な正月の習慣は地方や時代によって随分と違うものだと感じることがあります。もちの形や味付け、おせち料理からお年玉の渡す相手もらえる相手まで。
 その中で管理人がうけた一番のカルチャーショック、といっても実はテレビなどでは目の当たりにしていたのですが、初詣でです。テレビでよく見たのが明治神宮への初詣ででした。


●目から鱗の言葉「初詣でどこ行くん?」そしてさらに聞いたびっくりの言葉
 管理人は新年会などで青年団の友達と会った時は、こう聞いたり聞かれたりしました。「初詣でいつ行った?」この時は「どこ」とは聞かれません。行くところは、屋台が宮入りする大宮八幡宮だと決まっています。なので、夜中の12時に行ったのか、朝日が出てから行ったのかの話題になります。



 ところが、大学で京都に出て聞いたり話題にした言葉は「初詣でどこ行く?」でした。耳にする言葉が、八坂神社、北野天満宮、日吉大社、平安神宮などなど名だたる大きな神社でした。
 「あれ?すんどるとこちゃうやん、おばあちゃんとこ?」
と聞くと、ちがうとのこと。
 その時、自分たちのように氏神さんへお参りする人ばかりではないと改めて知りました。三木を離れて、三木の当たり前を見ると必ずしもそれは、当たり前ではないことに気づきました。
 そして、屋台によって祭がイベント化されていると指摘されたりすることもありますが、氏神さんへの信仰心は意外と祭してへん人らよりは高いようにも感じました。屋台やだんじりは、初詣でを名のある神社でなく、地元の氏神さんにお誘いしているという役割もあるようです。





 


251.オーマイガッ。記名なしの引用をされた時の交渉術(月刊「祭」2020.1月2号)

2020-01-03 21:45:00 | ブログ運営など
以下の文章を記述したあとから動きがあり、文章を改変する予定です。鵜呑み厳禁でお願いします。

はじめに -プロの研究者の方へ-
 今回書く文章は「最悪の事態を想定して動く」ためのアドバイスです。このとおり動くと、正直なところ、プロとして第一線で活躍していらっしゃる方にとっては「不快」なこともあると思われます。しかし、無断引用を正すための手続きとして最善かつ最短に近い方法かとも思います。無断引用の被害にあう人は、それなりに能力がある可能性もあります。この文章の通り動いた立場の弱い人や学生さんを、どうか爪弾きにすることのないようにお願いいたします。

●記名なしの引用をされてしまったら
 最近ようやく、屋台やだんじりに研究者の注目が集まりつつあります。色々な仕事をもちながら、活躍する人が多数います。そのような中で心配なのが、心無い人の記名なしの引用(ToT=盗用)

 血(はないかも)と汗と涙と笑いとがつまった祭紀行や、ない時間をぬって考え出した自分の考えを、そっくりそのまま書かれるとやっぱり悲しい気持ちになります。とはいえ、管理人のようなフリーの祭オタク(研究者?)や、学生さんがプロの研究者にものを申すのはやはり勇気のいることです。
 今回は管理人の経験から、もし、自分の文章が名のある方に無断で引用されてしまった場合、どのように交渉すればいいかを考えてみたいと思います。もちろん、このような行動は必要ないのかもしれませんが、念のためにこのような行動をとるといいと思います。また、学会関係者はこの行動を理由に訴え出た人を爪弾きにすることにすることのないよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

●準備するもの
無記名引用した相手の文章の該当部分を朱書きするなどして視覚的に分かりやすくしたもの
②自分の無記名引用された文章の該当部分を朱書きするなど分かりやすくしたもの

②が公に発表されたものの場合、以上二点がとりあえずあればいいでしょう。
 レポートの段階で、自分なりにいい考えだと思った場合は、見せた先生に日付の印をもらっておくといざという時の証明になります。
 それを意味もなく拒否する大学の先生は間違いなく糞です。ゼミをやめるのが、一番のおすすめですが、そのレポートをYouTubeなどで公開しておくとオリジナルは自分であることの証明になるでしょう。
 多くの心ある多くの大学の先生は、いいレポートなどは、剽窃を防ぐために雑誌への投稿・活字化を促してくださいます。管理人も当時は大袈裟だと思ったのですが、結果的にこれに救われました。


●まずは、優しく穏やかに
 まずは、穏やかにいきましょう^_^ 腹の立つ気持ちも分かりますが、もしかしたら当人は「宮澤賢治は銀河鉄道夜を書いた」といった多くの人がしっていることを記した文章に参考文献をあげない感覚でいるかもしれません。
 素直に謝罪に応じ書き換えてくだされば、それでオッケーとしましょう^_^
 ちなみに、管理人のブログの場合、申し出てくだされば、できるだけ早く書き換えます。今現在、全ての投稿をチェック中です。

●譲ってはいけないこと
 聞いた話ですが、場合によっては、無断引用がなされた学会誌での訂正ではなく、著者本人が別の場所で同様の内容を投稿する時に、被害者の名を、あげるようにするという提案がなされるかもしれません。しかし、それは、みなさんだけでなく、その学会誌自体の威信を傷つけることになります。あやまりは、その学会自身で正してもらうようにすることを強くお勧めします。

●出された文章が変わらなかったら
❶学会の会長に、学会外部の人も見れるメールを送るべし
 管理人が考えうる最善の方法です。たとえば、各学会の実務は必ずしもその学会の中で力のある人がやっているわけではないかもしれません。少なくとも最高権力者ではないことが多いように思います。学会としては不名誉なことの後始末でしかないので、苦痛な仕事となるでしょう。窓口担当の方に連絡しても、作業はなかなか前に進まない可能性もあります。
 そこで、会長にメールを送るというやり方が浮上します。今回管理人は、たまたま会長ご本人のみのメールアドレスを見つけることができず、会長が所属していらっしゃる大学全体のメールアドレスにメールしました。私がメールした相手の方は良心的な方で、個人的なメールでも動いてくださったと思います。しかし、万が一良くない人が相手でも、学校全体メールアドレスに送れば初めのアクションは起こさざるを得ないと思われます。なので、これが一番のポイントかもしれません。学会のトップに、学会外の人も見れるメールを送るべし。

最悪の事態に備えて裁判も視野に入れるべし
 今回は必要ありませんでしたが、友人の勧めもあり、管理人は弁護士への相談も考慮に入れていました。国をまたいでいたこともありましたが、内容証明の送付は約22万円との高額(ToT)
 学生さんには勝ち目ないやん。。と思ってしまうかもしれませんが、この高額の弁護費用が勝つチャンスとなるかもしれません。ここからは、管理人の妄想です。経験談ある方はメールなり、コメントなりお願いします。

自己演出が大事 -クラウドファウンディングとマスコミを使って-
 管理人は幸いここまではいきませんでしたが、最悪の事態として弁護士を立てることも視野に入れていました。頭を悩ますのはその金額で、学生さんにとっては尚更なことでしょう。
 そこで考えたのが、クラウドファウンディングでお金を集めることです。ここでのコツは全員同一金額にすることです。一人の人に多額を出してもらうと、一生その人に頭が上がらなくなる可能性もあるのでオススメはできません。
 また、マスコミを使って、学生orマツオタVS権力みたいな図式で報道してもらい、クラウドファウンディングも宣伝してもらうという方法を考えていました。

●自らの言霊を大切に
 ここまでやれば、ほとんどのものはうまくいくと思われます。
 ただし、上級国民と揶揄される方の交通事故や、首相お抱え記者の強制わいせつ事件のようにもみ消される可能性は必ずしも0ではありません。
 それでも、やっぱり、自分が発した言葉は、自分のものとしたい。そのために動くことで得られるものは、何にもかえられません。
 同様の被害にあい続けたソウル大の学生は、「魂が殺された」と言っていました。その人の価値観にもよるかもしれませんが、多くの人にとっては、アイデアを無記名引用されるということは、その人の存在価値を奪われるようなものです。個人的には「ハラキリ」したつもりで事にあたる価値はあるものだと思っています。

●書き換えてもらったら相手を許すべし。その人は皆さんを買ってくれる最強の味方!そして、学ぶべし
 いつまでも、「腹立つ」では進歩はありません。そのような行動をしてしまった方の立場に思いを馳せると、ちょっとだけ、それをしてしまう気持ちも想像できるかもしれません。
 そして、無断引用してくださるというのは、その方は、みなさんのことを大いに買っているということです。その方が、みなさんの、価値を証明する証人ともいえます。末長く活躍して欲しいものですよね^_^
 そしてそして、これを機会にその方の文章や学会の文章などに触れると、何か学ぶものがあるはずです。


↑今回のことをきっかけにカンハンのことについて書こうと思いました。近いうちに書きます。





 

250.本朝高僧大名名言-一休宗純の正月の名歌など-(月刊「祭」2020.1月1号)

2020-01-02 23:38:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
新年があけました。今年1回目は一休さんの正月の名歌など、高僧と大名の名言(と伝わるもの)を紹介します。

●一休さんの正月の名歌と時世の言葉
「正月は(門松は)冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
 本来ならめでたいはずの正月ですが、死に近づいているという意味ではめでたくないということみたいです。一休さんらしいとんちのきいた歌ですが本当に一休さんのうたなのかどうか真偽の程は定かではないそうです(参考サイト)
 たしかに今よく見る一里塚などは江戸時代以降のものがほとんどです。一休さんの時代に一里塚がはたしてどこまで身近なものだったのかがわかれば、歌の作者の真偽もわかるのかもしれません。
 いずれにせよ、今の時を大切にしたくなる短歌とも言えそうですね。

 さて、この一休さん時世の言葉、管理人は数ある時世の言葉の中でも、この言葉が一番好きです。たしか、偉人の時世の言葉を集めた本でも一休さんのこの言葉が、トリをかざっていました。

「死にとうない」

この世を去る人の本音でしょう。そうおもいながらこの世を去った人や動物は多々いるはずです。

●伝教大師最澄の名言
 これを見たのは2003年です。アメリカがイラクへの攻撃を決め、日本も自衛隊の後方支援を決めた時でした。当時は仏教界はこぞってアメリカのイラク攻撃に反対しているようにみえました。
 京都の寺院の前では宗派をあげて反対する旨の文章を掲げていました。我が母校の龍谷大学では、当時の学長であり管理人の指導教授でもあった僧籍の先生が、おそらく台本とはことなる言葉として、世界への寛容な目を持つことの大切さや暴力にうったえないことの必要性を熱く語ってくれました。
 そして、その時、天台宗の総本山である比叡山延暦寺が『伝教大師御遺戒』の文章を引用した冊子を発行していました。巻頭に書かれていたその言葉は下のようなものでした。

「怨(うらみ)をもって怨み(うらみ)に報ずれば怨み(うらみ)止まず
徳をもって怨み(うらみ)に報ずれば即ち怨み(うらみ)止む」

●別所長治公時世の句、二種類の歌
有名なほう
 三木の英雄別所長治公が、秀吉の城攻めにあい降伏し御自害なされた時の御歌は、大きく二種類のものが伝わっています。
 その一つは、若き青年君主が名君たる根拠ともなる有名なこの歌です。ちなみにこの心意気は各屋台の青年団長に受け継がれているように感じるのは、三木人の贔屓目でしょうか。
「今はただ 恨みもあらじ もろびとの
 命にかはる 我が身と思へば」
残念ながら、それでも秀吉は城内の人間を皆殺しにしたという説も出ています。ですが、この歌は広く歌われ、後世長治公や別所家は一つの「ブランド」として認識され、末裔と伝わる家は数多く残っています。
 また、この歌は武人の鏡として、軍人たちにも好まれていたそうです。

あまり知られていないほう
 江戸時代の地誌『播磨鑑』などには上の「今はただ-」ではなく、下のような歌が残っています。
 
 ながはると よばれきことは いつわりよ
 二十五年の 短き春に

 数え年25歳でこの世を去らねばならなかった長治公の切ない心情を歌ったものです。二十五年という短い春(生きている時間)を自らの「ながはる」という名は偽りだと嘆いています。
 この歌を潔くないものとして嫌うのは簡単ですが、若くしてこの世を去らねばならないのであれば、当然の心境でしょう。

●「今はただ-」を学ぶべき人、「長治と-」を味わうべき人

「今はただ-」は世界に比類なき名歌です。この心意気を日本を含め世界中の為政者たちは学ぶべきでしょう。
 しかし、今の若い人たちには、ぜひ、「長治と-」の歌を味わって欲しいものです。生きたくても生きられなかった人の無念に思いを馳せて欲しいところです。

 でも、日本を含めた多くの社会で、「今はただ-」を学ぶべき人が若者にそれをおしつけているように見えるのは気のせいでしょうか。