月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

2012.8第5号「I love 大津特集」別稿 比叡山坂本日吉大社山王祭 -担がれる北斗七星-

2012-07-22 19:53:46 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

2 比叡山坂本日吉大社山王祭 -担がれる北斗七星-
場所:比叡山坂本 JR坂本駅北、京阪坂本駅  祭礼日:四月十二日から十五日
 比叡山延暦寺の麓の日吉大社で行われる、大津を代表する祭りです。

■祭神
 全国の日吉、山王系神社の総本山。グループは古事記等の伝承で、元々いた祭神と後に渡来したとされる祭神に分けた。前者は十二、十三日の祭礼で中心的な役割を果たし、境内東側および、神体山である八王子山の山頂に鎮座する。後者は、十五日の祭礼で中心的な役割を果たし、境内西側に鎮座する。
 比叡山の御ひざ元だけあって、神仏習合が色濃く残っており、高床の社殿の床下には本地仏が今でも祭られているそうです。
また、神輿もかつては比叡の山法師さんが担いでいたという記録が残っています。同様に春日の神輿もお坊さんが担いでいたということも考えると、神輿は移動するお堂というべきなのでしょうか。もっとも、古来の日本の祭礼を考えるときに、神仏を厳密に分ける必要はないのかもしれません。

 ○地主神グループ 現在称、神名、本地名、旧称の順
東本宮-大山咋神和魂           薬師如来  小比叡
樹下宮-鴨玉依姫(大山咋の妻)神和魂   地蔵菩薩  十禅師
牛尾宮-大山咋神荒魂           千手観音  八王子
三宮宮-鴨玉依姫神和魂          普賢菩薩  三宮
○渡来グループ
白山宮-菊理姫神             十一面観音 客人
 宇佐宮-田心姫神             阿弥陀如来 聖真子
 西本宮-大乙貴神(田心姫の夫)      釈迦如来  大比叡

■神輿の動き
 十二日の夜、八王子山の山頂の牛尾宮と三宮の社殿まで松明とともに駕与丁たちは険しい山道を登ります。そして、ただ上るだけでも険しい山道を神輿を担いで降りてくるのです。長距離神輿を担ぐときは、神輿に据え付けてある短い本棒だけでなく、脇棒を縛り付けて多くの人数が担げるようにするのが常套手段です。が、この時はそれができない。駕与丁を出す四地域の「花(この呼び名は間違えているかもしれません)?」と呼ばれる肩車をされた代表者が、山をずり落ちないように背中で竹の棒を押すだけです。少ない人数で足場の悪い山道を担いでおりるのが、以下に危険な行為かがわかりますが、見事にそれをやりきり東本宮の拝殿まで降りてきます。そして、夫婦の神輿で尻つなぎの儀を行います。これは、性交を表しているといわれています。
 十三日は宵宮落としの儀で、神輿をがたがたとゆらしお産の様子を表しているといわれています。神輿のおかれた場所から、本殿まで牛尾、三宮、東本宮、樹下、4基の神輿が西本宮まで競走します。かつては、それで漁業権か水利権どちらかを忘れましたが、決めていたと聞きました。私がお世話になったときは、危険を感じられた駕与丁のリーダー格の方がとっさの判断で、神輿を止め上下に激しくゆらすことで威勢を示しました。あの時、無理に競走に参加してたら、私は命がなかったかもしれません。


 十四日は神輿が七台そろいます。琵琶湖の八本柳の浜まで出向き、船にのり湖上を行きます。湖上で粟津の御供を祭神にささげ還御します。この時、駕与丁は鉢巻に桂の枝をつけています。これは京都の西側「桂側」流域で類似の祭礼が行われる松尾大社の祭礼に通じると思われます。

■料理と禁忌
 昔、この地域の祭礼に携わる方にお世話になったとき、鮒の煮付けなどを頂きました。
 そして、「牛」尾宮をまつることから祭礼期間中は牛を食べないと聞きました。そして、ご馳走してくださったのは、鳥鍋。これも非常に美味でした。
同時期に行われる加西市の北条節句祭では、逆に鶏合わせをするために、「鶏」を食べないそうです。

■担がれる北斗七星
 さて、この日吉大社の七神は、北斗七星として崇められていました(ます)。しかし、どの祭神がどれを指すのかははっきりしていません。そこで、自分なりに考えたものを示してみます。
まず、北斗七星は柄杓の容器の端を第一星とし順番にならびます。そして、それぞれの星には日月火水土木金と七曜が割り当てられています。(そのほかにも日月木火土金水などとするものもあります。)そして、七星は、容器の四星の部分と柄の三星の部分に分けられるのは、想像に難くないでしょう。そして、三星の一番端、つまり第七星は金の性質にあてはまるかのように、破軍星といわれ北斗の剣先とも言われています。
さて、それを日吉の七神を東から順番ににあてはめてみましょう。
○東の四神
まずは、東の四神です。この四神が北斗の容器の部分にあてはまりそうです。さらに、容器の日月火水は陽陰陽陰の順番で大山咋(男・陽)鴨玉依姫(女・陰)夫婦の和魂、荒魂となります。ここを見ると、非常にきれいに当てはまる気がします。
○西の三神
 一方の西の三神。この三神は北斗の柄の部分にあてはまります。第六星の木には宇佐宮の田心姫神があたります。宇佐がウサでうさぎ(十二支で東方木の動物)に通じるといった話を聞いたこともあるのですが、真偽のほどはわかりません。夫の大乙貴神に因幡の白兎の話がのこっており、その兎は隠岐島からやってきたとされています。田心姫神は沖の島の神とされているので、オキと兎で繋がるのでしょうか?
そして第七星の破軍星金にあたるのが田心姫神の夫でもある大乙貴神です。大乙貴神は別名八千矛神ともいうように、剣先の破軍星としての性質にふさわしいでしょう。
では、五番目の菊理姫神の役割はどういったものなのでしょうか。この神はイザナギ、イザナミの争いをおさめた神で、仲介の神とされております。その七曜は土になり、これも中心とか、仲介の意味を持ちます。

つまり、日吉の七神は、荒ぶる御魂ももつ地主神夫婦と、渡来神の夫婦、そして両者を仲介する神により成り立っていると思われます。私自身はそれを北斗七星の性質になぞらえて説明できそうだなと感じていましたが、この神名をすべて掲載している古文書(名前忘れたし、事実確認もできていませんが)に明治時代の偽書説がでていたことから、若干懐疑的でした。ですが、この祭礼の形態が明治以前から続いていたとも思われます。ですので、七神がそろった平安後期ころすぐからとはいかないまでも、この祭の形態が成立する一因として、北斗七星の七曜の性質が上げられるのではないでしょうか。

■謝辞
 何年かこの祭りに通わせて頂き、本当にお世話になりました。何かこまったことがあったらいつでも言っておいでと声をかけてくださった方もいました。夕食をごちそうになり、わからないことがあったら色々と教えてくださいました。
 その時に、知りあった某大学の学生さんがいいました。その名言で、この日吉大社の山王祭についての締めとさせていただきます。
「俺、一応○○大学の××学部通ってることになっとるけど、心は日吉大学、山王祭学部、神輿学科やねん。」

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<月刊「祭」2012.8月 第5号 「I love 大津! 大津市の祭特集」 大阪府貝塚市感田神社太鼓祭写真集

2012-07-22 17:13:30 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

◎大津市の祭特集を寄稿するにあたって
 今回は、悲しい事件で日本だけでなく世界中に知られてしまうことになった、大津市の祭を特集します。特集を掲載するにあたり、いじめ被害者の方のご冥福と、いじめ自殺事件の撲滅、加害者とその保護者の改心、真相の解明をお祈りいたします。
 管理人にとって、大津市は学生時代をすごした思い出の町であり、その地の祭礼文化のすばらしさ、地域の人々の優しさにふれて過ごすことができました。
しかし、悲しい事件に追い討ちをかけるように、事実と異なる中傷や、いじめをめぐる対応ではなく、大津市の無関係な人に対する差別的な書き込みが、インターネットに多く見られるようになりました。 
だけど、実際住んだ管理人が保証します! 大津市最高! 

 そんな大津市の祭を、写真、文献、聞き取り内容いずれの資料も不十分ですが、紹介させていただきます。
紹介するのは、以下の4地域の祭礼です。特に3 4は、個人的な思いのみで掲載させていただきました。
 
 1 大津祭 -鍛冶屋町の一番山-
 2 比叡山坂本 日吉大社山王祭 -担がれる北斗七星-(長いので別稿へ)
 3 瀬田 萱野神社春祭 -とにかく担ぎまくる神輿-
  4 志賀 宇佐八幡宮 -子どもに宿る神さま- 

1 大津祭 -鍛冶屋町の一番山-
 場所:JR大津駅前の天孫神社   祭礼日:10月の体育の日前の土日
 その見せ場はなんと言っても、13基の曳山。
 隣の京都市の祇園祭の山鉾の影響を受けながらも独自の発展を見せています。祇園祭の影響は、龍門滝山が祇園祭の白楽天山と同じトロイア陥落図のタペストリーのそれぞれ別の部分を使っていることからもうかがえます。ただ、それ以上に目をひくのは、見事な動きを見せるからくり人形など、その独自性です。
驚いたのは、山車に車が三つしかついていなかったことです。これは、狭い街道を効率よく曲がるための工夫にもなっています。
そして、お囃子も少し祇園祭とは違っています。従来の鉦、笛、締め太鼓に加えて大津祭りでは、低音を響かせる鋲太鼓も演奏されます。そのお囃子もややアップテンポで、曳山によっては、二つの締太鼓の片方が決まったリズムを打ち、もう片方が即興で演奏するというところもあるそうです。十年ほど前のことですが、若い人たちの中が、「ミヨモミヨモー、オイッ、オイッ、オイッ」といったような声をかけていました。この掛け声は、昔からのものではないと、当時囃し方をされている方から聞きました。

祇園祭での長刀鉾同様、曳山巡行の先頭を行く曳山も大津祭りでは決まっております。一番は西行桜狸山という曳山です。この曳山は、大津曳山の元祖といわれております。それは塩屋治兵衛なるものが狸の面をかぶっておどったところ好評だったために、竹屋台を組んで練りだされるようになったとものとされています。
 さて、この狸山を所有する町は「鍛冶屋町」で、塩屋治兵衛なるものも、ここの土地の人間とされています。祇園祭の長刀鉾や長浜市の長刀山など、「鍛冶」と一番山車の関係に私は注目していました。この狸山もそれに分類できるし、山車の一番をつとめるのは、刀で災厄を払ったり、神輿の道を清めたりする露払いともいえる「鍛冶」関係の山にしかできない!!   ・・・・と思っていたのですが、日野の曳山祭など、どうも違うものもあるようです。
 

■謝辞
 全くの専門外にもかかわらず、町屋にあるアートという地元商店街のイベントで大津祭の展示をさせていただきました。その時には、貴重な集会所を貸していただき、さまざまなご教示もいただきました。ポスターを貸してくださった方、曳山囃子を演奏してくださった方、本当にありがとうございました。

2 比叡山坂本日吉大社山王祭 -担がれる北斗七星-


 

3 瀬田萱野神社
 場所:JR瀬田駅すぐそば、萱野神社    祭礼日:5月5日
 
 祭神は開化天皇で、古式に則った儀式を行う。
そして、特筆すべきは、その魂の入った神輿練り!!
 昨今では、台車にのせて神輿を運ぶところが増えていますが、ここには、その気配はまったくありません。ゆうに5km以上あるだろう道のりをとにかく、担いで担いで担ぎまくる! 
 そして、この祭を見る上で絶対に注意しなければならないことがあります。それは、神輿を絶対に上から見下ろさないこと。アパートの上などから見下ろすと、大目玉をくらいます。で、この祭の隠れた見所が高架下を神輿が潜る時です。ここの人たちにとって、神様の上を人が行くのは決して許されることではありません。JR琵琶湖線がひっきりなしに走る電車が来なくなった一隙をついて、猛ダッシュで坂を下り、高架を潜り、再び坂を駆け上がります。無事に神様を不敬の憂き目にさらすことなく、潜り抜けたら大きな歓声と拍手が沸きあがります。

 

 

■謝辞
 下宿先ということもあり、特にアパートの管理人さんや下の回の美容室の方々に本当にお世話になりました。
 

 

4 志賀 宇佐八幡宮例祭
 場所:京阪石山坂本線、近江神宮前駅 近江神宮の左側の道を神社にそって山を登る
 祭礼日:9月第二土曜日?

 大津京を開いた天智天皇をまつる近江神宮。その山上に宇佐八幡宮はひっそりとたたずんでいます。その神の使いの鳩の作り物もたくさん奉納されていました。
ただ、近江神宮が昭和初期くらいにできた比較的新しい神社であり、古くからあったのは、こちらの宇佐八幡宮のようです。七月には虫除け祭、9月には例祭がおこなわれ、例祭では稚児が出され、神輿が練られます。
 そのお稚児さんを経験した子どもから聞いた名言をもって、謝辞のかわりとし、今月の<月刊「祭」、I love 大津。大津の祭特集>の締めとさせていただきます。
「子どもにはなあ、神さまが宿るんやでー」

   

大阪府貝塚市感田神社太鼓祭写真集2012.7.14,15