月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

三木の至宝、城山屋台2の2(月刊「祭」46号.2015.9月)

2015-07-26 16:05:01 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
少し早めの9月号です。前号に引き続いて三木の至宝・城山屋台、今回は刺繍を見ていきましょう。

◯水引幕-絹常製?珍しい浦島太郎と乙姫、そしてさらに珍しい赤地-
知っている限りでは三木市若宮八幡神社の宿原屋台、加西市住吉神社の東高室屋台が浦島太郎をモチーフにしたものとなっていますが、いずれも白地のものです。
城山のものは、赤地になっています。町の人達が、人物などを新しい生地に縫い付けたものだそうです。もともとのものが赤地だったのか白地だったのかは聞くことを忘れていました。
いずれにせよ刺繍の間が空いているところが四箇所あり、もともとはたくし上げられて使われていたものだったと思われます。





◯少し珍しい作風の提灯
提灯は、従来の龍とは鱗のつけ方がまた少し違うように見えますね^_^



◯高欄がけ
おそらく絹常かな?と思うのですが銘はありませんでした。
頼光の鬼退治は、下町のと似ています。





◯先代水引幕
白地に赤い縁の高欄がけは最近ではほとんど見られません。作品自体もよくできています。





◯編集後記
かなり早めの9月号です。
城山屋台、あの時気づけなかった良さを感じることができて良かったです。あらためて関係者の方々に御礼申し上げます。

就活はクールビズでも上着を持って行くのがマナーだそうです。でも、本当に求められているのは、上っ面のマナーではありません。スーツで来ようとしている学生に対して、「クールビズでも構いません」ではなく、「上着を着ないでお越し下さい」、と明言する思いやりです。
真夏にスーツの強制は、単なるパワハラです。




三木の至宝、城山屋台2の1(月刊「祭」45号.2015.8月)

2015-07-13 22:05:03 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
今回はかねてより見たかった三木市大宮八幡宮城山屋台の特集です。今年は町内の方のご厚意により、虫干しの様子を見学させていただきました。
町内の方に聞いた話によると、城山屋台の屋根は下町屋台のものを譲り受けたものだそうです。管理人が小学1年生か2年生の頃(昭和59年か60年、1984年か1985年)に、城山10周年という文字を布団屋根に巻いていたのを見たことがあります。それから1994年の最後の運行まで、その屋台の魅力に気づくことはありませんでした。
2回シリーズのだい1回目ということで、今回はその刺繍以外を紹介していきます。

◉本体、その他
平屋根で、手作りらしいです。

金具にはよく見ると城山の文字が見えます。


雲板は三段ありますね!これもビックリです。前にだけ龍がいます。


布団締めには、座布団と同じ赤色が金綱の下地に使われています。


法被は管理人(1978年生まれ)にとっては下の写真の黒地版が一般的な城山の法被です。写真の赤地のものは区長用のものだそうです。


上の法被が使われる前は下のような青地の祭法被が使われていました。襟元の文字は手書きです。背中の滲んだ感じは昔の法被ならではでしょうか。


◉彫刻
・狭間から欄間への変化
欄間彫刻は昭和50年に栄町の方から譲り受けたものだそうです。見学に来られていた方のご教示や「何でもかんでも三木」の記述を参考にすると、もともと反り屋根型か神輿屋根型の屋根型屋台ものだったと考えられます。見学の方が平屋根用の屋台には背が高すぎたので、上部を切り取った跡があると教えてくださいました。
これは、まさしく狭間(播州中部以西の呼称)から欄間(三木の呼称)に変わった瞬間ということが言えるでしょう。銘には「黒田◯◯」と見えますが◯の部分は読みきれません。

三代目松本義廣などと比べると人物一人一人が大きめに作られています。2面ずつ題材の大きなテーマが決まっており、2面は中国の騎馬武者が右から左へ駆け抜ける構図になっています。もう2面は退治物で、右側に退治する武者が、左側に退治される妖怪が彫られています。
2面ずつ類似構成をとるという形態は明石町屋台の彫刻にも見られ、このような場面配置が流行した時代があったのかもしれません。



↑中国の騎馬武者。二面とも右から左に駆け抜ける構図


↑鵺退治?で組み伏せているのが猪早太、指示を出しているのが源頼政でしょうか。それにしては弓を持っていません。そもそも前言は戯言で鵺ではないのかも。。


↑八岐大蛇退治?
鎮西八郎の蛇退治かとも思ったのですが、退治武者の鎧を見ると、神代を題材にしていると思われます。八岐大蛇が八頭でなく一頭として描かれる構図はよくあります。が、とくに屋台装飾の場合は多くは龍形で蛇形は珍しいかもしれません。

城山屋台の彫刻は、狭間から欄間の変化が見られる屋台でした。また、大きく大別して中国騎馬物、日本の退治物の二種類の場面構成、構図により作られたものということが分かりました。
次回か次次回には城山屋台の刺繍について取り上げます。


今回は城山有志の方の虫干しを快く見学させていただいたことにより記事ができました。あらためて御礼申し上げます。また、屋台運行を休止しているにも関わらず、町の宝を大切にしている姿に心を打たれました。屋台自体やその心意気がまさしく三木の至宝と呼ぶにふさわしいものではないでしょうか。

◯編集後記
安保法案がとおりました。為政者が憲法を無視できるという前例ができたことに恐怖を覚えます。最近、格差固定とよばれる本が発売されました。格差固定を望むのは為政者の常であり、西北隣の国がその完成系なのかもしれません。







京都祇園祭山鉾の囃子方の配置法(月刊「祭」44号-2.2015.7月)

2015-07-07 22:26:09 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

 祇園祭に関する短い目の記事を二本で7月号とします。これは、2本目。
 祇園祭の山鉾は、進行方向を向くと右が鉦方、左が笛方になります。これは、南を前方とした場合、右は西で金気、左は東で木気となるので、陰陽五行の法則に適うことになります。
   

↑上部の幕は、後方が北方をあらわす玄武、進行方向左側面が東方の青龍となっています。
 東方青龍の下は木気をあらわす笛方となっています。反対側面は、西方白虎の下に金気を表す鉦方が配置されています。

 ところが江戸時代の祇園御霊会細記などを見ると、右が鉦、左が笛とは決まっていません。

 
 その一方で、写真の山鉾の模型(おそらく江戸末期のものだったはず??)、は現在のように進行右に鉦、左に笛が配置されています。

 このような決まりができたのはいつ頃からなのか謎が残ります。

●編集後記
 祇園祭が今年も開催されます。また、この七月には管理人が尊敬するマツ友が参加する祭が何箇所かで行われます。
 京都の祇園祭山鉾巡行は今年も平日開催。それに人生を懸けていらっしゃる方も多々います。
 そのような方の職場の同僚の方が、笑顔で祭に送り出してくださることを祈らずにはおれません。
 安心して、同僚の信心を尊重できない人や国や企業に、国際化や相互理解を語る資格はありません。


屋台関係の名著紹介3 史上最強の祇園祭本? 松田元「祇園祭再見」(月刊「祭」44号-1.2015.7月)

2015-07-07 21:56:00 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

 今回は名著紹介、別名虎の威を借りるシリーズです^_^;
 7月といえば祇園祭の季節ですが、その祇園祭の山鉾を網羅した名著に松田元氏の「祇園祭細見」(京をかたる会)昭和52年、があります。
 その特長は詳細な文章に加えられた精密な白黒のイラスト。このような調子で祇園祭の休山を含めた山鉾35基を描き上げています。「圧巻」という言葉はこの本のためにあるのかもしれません。

表紙↓


精巧な山鉾のイラスト↓

本文↓


捕随は本文も手書き↓