月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

89.屋台、祇園囃子の御旅(月刊「祭」2019.4)

2019-04-24 21:55:02 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

●北条節句祭

旧暦三月三日桃の節句に近いと思われる頃、今では四月の第一日曜日をふくむ土日に行われる加西市北条町住吉神社節句祭。
播州屋台の中でも、黒いそり屋根屋台と着物が桜に合う祭として知られています。

屋台だけでなく、西郷東郷に分かれた神輿の行幸鶏合わせや龍王舞が大きな特徴としてあげられます。

神輿の行幸

 
 

龍王舞

 
 
 

鶏合わせ 

 

●祇園囃子練
 さて、多様な行事を持つ北条節句祭の中でも、ひときわ目をひくのが屋台の祇園囃子練りです。
 御旅所から住吉神社までの約600mほどの道をゆっくりとした太鼓の枠打ちのリズムに合わせて、青年が屋台に棒乗りし横笛をふきます。一区切り演奏し終わると、二発の太鼓に合わせてヨーイヨイの掛け声をかけます。元々は担いで運行していましたが、声を合わせて担ぎあげるタイミングであるヨーイヨイがなかなか回ってこないので、非常に担ぎにくいことや、時間遅延の問題もあり、現在ではほとんどの屋台が台車での運行であったり、一部のみ担いでの運行となっています。
 ですが、御旅町のみはじめから最後まで、担いでの運行を続けております。そのこだわりは、1996年のミニコミ誌にも見て取ることができます。管理人も1998年に一度体験させていただいたことがあるのですが、しなりにくい角棒が肩に食い込み、交代の人もいない。非常にハードな行幸でした。
 御旅町はこの試みを20年を超えて続けてきました。時間の遅延の問題もあるので、他の屋台に迷惑をかけないように続ける試みは非常に苦労の多い物だったことが推察されます。他地域との祭との相互協力や、屋台の改修などを経て、御旅町の祇園囃子練りは今も進化していました。
 2014年のものと、2018年の様子を比べると、驚くほどの進化が見て取れます。

2014年御旅町祇園囃子練り
 

2019年御旅町祇園囃子練り
  時間はこの5年で半分ほどになりました。この間には改修が行なわれており、2019年に御旅町を担いだ友人曰く、脇棒がよくしなっていたとのことです。
 祇園囃子練りへの情熱を持ち続け、合理的な努力をしていった結果の見事な練りということができます。

●編集後記
四月になるとこの祭に来たくなります。
この2年間は正直なところ、職場での小さい出会い以外はいい新年度を迎えられていません。
でも北条節句祭を見ると、頑張ろうという気になれます。
屋台の祭の大変さ楽しさ難しさを分からぬまま、あれこれ祭を論じると空疎な戯言にしかならない。この祇園囃子練りを見て改めて実感しました。


88.姫路市松原八幡神社横の八正寺の夜鬼会(月刊「祭」2019.3)

2019-04-08 22:25:49 | 屋台・だんじり・神輿-衣装、周辺用具、模型-
今年の三月三日、灘のけんか祭りで有名な姫路市松原八幡神社のすぐ隣の八正寺で夜鬼会が昼間に行われました。八正寺と松原八幡神社は明治の神仏分離以前は一体であり、松原八幡神社を「八正寺八幡」と表記される江戸時代の由緒書も見られます。




その名の通り元々は夜の行事だったそうですが、今回は朝の9時ころから行われました。
「灘のけんか祭・秋祭」は東山、八家、妻鹿、宇佐崎、木場、松原、中村の七か村ですが、鬼会は寺の所在地である中村が主催で行われます。

●公園からの移動
中村のおそらく村中のみんなが公園に集まり、そこから鬼の衣装をはこびます。おとしろいのは、その衣装を先導する小型の屋台。屋台が「お先太鼓」神仏の宿るものや神仏そのものを先導してきた歴史を繰り返しているのかもしれません。
赤と青の鬼に合わせて、屋台も赤と青の二色でした。






●八正寺にて
衣装が寺につくと、着替えがはじまります。


はじめは、東の観音堂から西の薬師堂にかけて橋掛りが組まれていました。神仏分離以前はさらに西の八幡神社前で、鬼が舞っていたという記録が残っています。
若者たちによって鬼の面箱が練り回されました。


二人の武者が場を清めます。


鬼の登場です。播州の鬼追いは「鬼を追って退治する祭」ではなく、「鬼が悪いものを追って退治してくれる」祭です。
赤鬼の午王宝印の文字。播州の別の寺院の鬼追い(姫路市随願寺?)では、おでこにその文字の印を押してもらえました。





●編集後記
念願の八正寺の鬼の祭を見れました。鬼の祭があったからこその屋台の祭、祭があったからこその播州と言えるでしょう。

2017年度末からこの年度末にかけては、大人の事情的なものを感じる出来事が結構ありました。それを愚痴るのは容易いですが、好転は皆無です。鬼や仁王さんのように力づくでもねじ伏せざるをえないかもしれません。

本ブログ親ページ祭と民俗の旅、素人がアイヌ語から見たクラムボンなどを本ブログに移設しました。クラムボンアイヌ語説支持して下さる研究者が現れたことに驚きです。