月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

399.助っ人参加の心得(月刊「祭御宅」2022.9月4号)

2022-09-21 21:47:34 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
-9年前の記事の続編-
何年も前に、下のような記事をあげました。
そこでは、
1)地元関係者の運行の指示に従うこと
2)地元の掛け声や太鼓の打ち方を尊重すること
などをあげました。

<月刊 「祭」 祭前特別号 第22号>助っ人参加のマナー  - 月刊「祭御宅(祭オタク)」

三木の秋祭が近づいて来ているので、「上げ」ます。10月は、播州では祭月です。各地で屋台が組み立て、衣裳付けされて、練習の太鼓の音が響き渡ります。今回は、祭前という...

goo blog

今回は、その記事の続編とも言える内容をあげたいとおもいます。

●安全第一、限界は素直に伝える
せっかく、助っ人にきているのだから地元のおもいに応えてがんばりたくなるもの。でも、無理は禁物です。怪我をしたり、熱中症などで倒れたりすると、助けどころか、迷惑になってしまいます。
なので、体力の限界などは素直に伝えましょう。

●きつい言葉はあって当たり前
関係者は、大きな屋台やだんじりを人力でけがなく動かすことに全神経をつかっています。もちろん、その中ではどうしてもきつい言葉をかけざるをえないこともあります。その言葉に我慢ならないのであれば、あまり助っ人にはむいていないといえるでしょう。

●もちものの管理
天候不良への対処
 管理人自身あまり得意ではないのですが、なるべくコンパクトに荷物を運ぶようにしています。たとえば、夏場ならば携帯、財布のみ。
秋ならば、それに加えて薄くてあったかい上着を腰にまくなどで対応することもあります。
雨が予想されるならば、防水の地下足袋を準備するのもいいでしょう。
気を付けなければならないのは、関係者が助っ人の分まで用意しきれていないこともありうるということです。
天候をある程度予想し、なんらかの準備をしておくことがおすすめです。
もちろん、若い人のなかでは、そんなもの不要とばかりに、体ひとつで参加する人もいます。それでも耐えられるならば、その必要はありません。管理人は年を取るごとにそれらが必要不可欠となってきています。

壊れて困るものはもたない。壊れても文句は言わない。
祭りだからこそ、お気に入りのアクセサリー財布、時計などをつけたくなるものです。でも、つける場合は、壊されても文句を言わない覚悟で臨む必要があります。もちろん、本当に壊れても文句をいってはなりません。



 




398.宮に入っておわる祭-阪神編-(月刊「祭御宅」2022.9月3号)

2022-09-14 21:01:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
多くの祭り好きにとって「宮出」といえば、屋台が宮からそれぞれの屋台蔵にかえる寂しい時間となります。いいかえれば、祭りの終わりを意味します。
しかし、宮出は祭の「はじまり」を意味し、宮入は祭の終わりを意味する屋台やだんじりもあります。前回は三木編とも言える内容でしたが、今回は阪神編です。
今回も前回同様、「宮入」は儀式などを伴う正式な宮に入る行事をさし、そのようなものとは関係なく物理的に境内に入ることは「宮に入る」と言葉を使い分けます。

●神輿を先導する太鼓
 大阪市内では神輿を先導する太鼓が数多くみられます。その保存庫が境内にあるところもみられ、なくとも宮への帰着=宮入が祭の終わりとなります。

↑大阪市櫻宮神社の枕太鼓

↑大阪市大阪天満宮催太鼓、動画終わりには帰着先の大阪天満宮門前がみえます。

屋根のない枕太鼓や催太鼓だけでなく、宮付きの布団太鼓も多くが神輿を先導し、宮入で役目を終える=祭りが終わります。何度かあげている大阪市杭全神社や、西宮市大市八幡神社、西宮神社がなどが管理人の脳裏にはうかびましたが、ほかにもあることでしょう。数年の中断の後、大市八幡神社の布団太鼓は2014年に復活しました。大市八幡神社の太鼓はもともとは氏子域内の下大市という地区のものでした。そして、神輿ももともとは下大市のものだったということです(久下隆史「祭礼」『下大市の民俗』西宮市教育委員会、1982)。

↑杭全神社の布団太鼓
↑西宮神社の布団太鼓



大阪市此花区鴉宮神社の南上太鼓も境内に蔵がある布団太鼓で、神輿も祭りに担がれるそうですが、神輿を先導するのかどうかは管理人は確認していませんが、宮入あるいは、宮に入ることで祭りが終わる太鼓ではあります。

↑鴉宮神社と布団太鼓の蔵

↑鴉宮神社境内の南上布団太鼓

●一台だけのだんじり、布団太鼓
 宮に一台だけのだんじりで小屋が境内にあるものは、宮に入って祭りが終わるものとおもわれます。下の写真にあげたものも実際には確認していないので、宮入で祭りが終わるのか、宮に入って祭りが終わるのかはわかりません。
↑神戸市東灘区魚崎八幡神社
大阪市東成区八王子神社境内のだんじり

●複数台のだんじり小屋が境内にある
 阪神地域、摂州では、複数台のだんじり小屋が境内にある神社が数多くみられます。都市化に伴い、各地での土地の確保が困難だという話をききました。
たしかに、このような地域は、神戸市東灘区、尼崎市、大阪市など、より人口が密集している地域によくみられます。
↑神戸市東灘区本住吉神社
↑神戸市東灘区本住吉神社「祭り終わり」を意味する宮入前のだんじり

↑城東区八剱神社境内のだんじり小屋

↑尼崎市貴布禰神社境内の小屋に入って祭りが終わる御園町だんじり。ほかにも数台のだんじり小屋が境内にある。

●複数台の内一台だけ境内に蔵がある
複数の布団太鼓のうち、一台だけ境内にあるのが澪標住吉神社の北中太鼓です。
北中太鼓は、同じく複数屋台中一台だけ境内にある屋台である三木市大宮八幡宮明石町屋台や、三木市岩壺神社岩宮屋台に共通する動きをします。それは、宮入したのち、他の太鼓とともに宮を出て、ともに担ぎ合わせた後、再びもどってくるということです。
同様のうごきをする屋台や布団太鼓はほかにもみられるかもしれません。

↑境内の蔵にしまう前の北中太鼓

編集後記
 ここ十年、大阪の夏の祭りに足を運ぶようになりました。そうすると、七月から十月の自分達の祭りのおわりがあっという間に感じられるようになりました。





















397.宮に入っておわる祭-三木市内編-(月刊「祭御宅」2022.9月2号)

2022-09-13 10:24:41 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

管理人にとっては、「宮出」といえば、屋台が宮からそれぞれの屋台蔵にかえる寂しい時間となります。いいかえれば、祭りの終わりを意味します。

しかし、「宮入」が祭りの終わりとなる屋台やだんじりも複数存在します。今回はそれらを紹介し、なぜそのような、祭りの成り立ちになっているのかを考えたいとおもいます。今回は三木市内編です。
●神輿を伴わないけど宮入でおわる祭
三木市内では、屋台が宮入して終わる祭りがいくつかあります。別所町美坂神社東這田屋台もその一つで、神社境内に屋台蔵があり、宮入をして本殿前で後屋台を据え、相撲や獅子舞の奉納の後祭りが行われ、境内の屋台蔵に屋台が納められて祭が終わります。

↑宮入する東這田屋台
↑境内の蔵の中の東這田屋台
獅子や相撲のあるなしなどの違いはありますが、志染の御坂神社も二台の屋台が祭り二日目に宮入し、屋台蔵におさめられて祭りが終わります。この二台は旧安福田屋台、旧志染中屋台で、もともとはそれぞれの村に屋台蔵があったとおもわれます。それぞれの屋台が安福田、志染中以外の村をふくむ年番制で運行されるようになったことで、屋台蔵が宮の中につくられました。

若宮八幡宮の宿原屋台、大日神社の細川中屋台、細川の三坂神社大柿屋台も同様だとおもいますが、「宮入」は先にすませて、後は「宮に入って」おわっているかもしれません。
●御先太鼓としての宮入
六社神社の屋台、垂穂の御酒神社の屋台、篠原神社の屋台、そして、今は運行していませんが、かつての吉川の若宮神社の屋台は神輿を先導する御先太鼓です。市外近隣域では、神戸市北区淡河八幡神社、三田市加茂神社などがそれに当たります。屋台が境内にあり神輿を先導するので、神輿の御旅所へのお渡り・渡御で祭が始まりますが、先導する屋台は宮出が始まりとなります。神輿はお宮へお帰り・還御で、先導する屋台はお宮への宮入で祭りが終わります。

↑六社神社屋台

↑若宮神社屋台


↑淡河八幡神社屋台

↑加茂神社布団太鼓 
 小野市久保木住吉神社の久保木屋台は、神輿を先導して宮入した後、再び宮を出て村を巡行します。
 
 ↑宮入した後、再び出発する久保木屋台 
●境内に屋台蔵があるが、宮の外に一端出る屋台
 大宮八幡宮の明石町屋台と岩壺神社の岩宮屋台は境内に屋台蔵がありますが、一度宮を出てから再び境内にもどってきます。しかし、宮に入る行為をして祭がおわることに初めて気がつきました。
↑石段を下り一の鳥居を出て町内を巡行後、再び一の鳥居をくぐって境内に入る明石町屋台。

こうしてみると、宮出=祭の終わりが常識であった管理人ですが、宮入や宮に入ることで祭りが終わる屋台があることに驚きました。しかも、自町もそうだったとは知りませんでした。しかし、明石町屋台はもともと昭和の初め頃までは一の鳥居の外、喫茶ミモザがあったあたり、今の三木ホビーあたりに、屋台蔵があったとのことです。
編集後記
統一教会と政治家の癒着に国民が怒りを抱くのは、幹部と一般信者の関係、つまり、北朝鮮や中国、ロシアの政治家と国民の関係を、日本にも持ち込もうとするのではないかという強い強い疑念からです。
 全国で何年かぶりの祭が開催されます。来賓として参加される議員さんには、徹底的にきれいな体になって参加されることを強く望みます。

396.新居浜太鼓台、「大工」の技(月刊「祭御宅」2022.9月1号)

2022-09-02 00:04:46 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●ド迫力の刺繍で知られる新居浜太鼓台
新居浜太鼓台といえば、何をれんそうするでしょうか? 多くの人が幾重にも重なる布団屋根、四分割された水引、高い位置にかざしられた高欄幕、そして、屋根をおおいかくす布団締めの龍を思い浮かべると思います。また、それらをとりはずした太鼓台同士の鉢合わせを連想する人もいるかもしれません。
新居浜太鼓台の装飾品では、やはり刺繍がもっとも目立ちます。しかし、目立たぬところにも、職人の技がのこっていました。それを新居浜市あかがねミュージアム展示の太鼓台を見ながら、示していきたいと思います。









↑上五枚:新居浜市あかがねミュージアム内の久保田太鼓台

しかし、精細かつド迫力な刺繍のかげに普段は覆い隠され、また、鉢合わせなどではずされても多くの人がめにとめることもない、本体にも、大工の技がのこっていました。

●大正十四年(1925)製作太鼓台の大工の技
写真の太鼓台は、旧の中筋太鼓台で大正十四年(1925)製作のものだそうです。この太鼓台は、太鼓台の内部構造がわかるように、一面だけ刺繍の装飾品をつけててんじしてあります。


横を見ると、赤でかこんだところが高欄幕をとりつける棒、そして、水色でかこんだかなり下側に実際の高欄の架木(ほこぎ)、平桁(ひらけた)、地覆(じふく)の三本の水平部材があります。






そして、地覆の下側を見ると、「水くり」という水を逃がすための隙間をあける加工が施してあります。比較的見られることの多い播州屋台の高欄でも、水くりはないものがよく見られます。
ほとんど陽の目をみることのない新居浜太鼓台の高欄に水くりが残っていることに、大きな驚きを感じました。



編集後記
25年ぶりに管理人は四国の太鼓台どころ新居浜と豊浜を訪れました。25年前は青春十八切符で、時には親切な方に車にのせてもらいつつの旅行で、今回はお気に入りの自家用車での旅行でした。土地勘は残念ながらほとんどなくなっていましたが、太鼓台の美しさは当時のままでした。25年でつけた少しばかりの知識で太鼓台をみると新たな発見があり、若い頃の情熱がよみがえる感じがしました。