月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

<月刊「祭」2013.2月 第11号> 異界から現れる異形 -日韓仮面儀礼-

2013-01-17 19:48:23 | コリア、外国

 今回は、鬼追いの季節なので、仮面儀礼ということについて考えていきます。
 リンクをクリックすると、動画を見ることができます。

■播州の鬼追い■ 
 播州の鬼追い は、必ずしも追い払われるべきものではなく、鬼自身が、たいまつなどを振りかざして、魔を追い払ってくれます。ところによっては、毘沙門天などの化身とよばれることもあります。
 このような鬼追いの多くは、お堂の裏などに隠れている場所からたち現れて、まって戻るという手順=異界からの来訪、帰還のシナリオ」となっています。また、鬼が現れる前に、子鬼などが棒打ちなどをして、鬼の現れる場を清めるという形をとっています。
 
 
神埼郡 神積寺で、お堂の中から現れる山の神


 
姫路市 魚吹八幡神社 武神祭  拝殿の脇から現れる鬼

■韓国の仮面劇■
 一方の韓国をみてみましょう。韓国では、滑稽な仮面儀礼などが全国に広まっていますが、その中の多くに共通する点があります。それが、劇の始まる前に、獅子舞を思わせるような異界のもの、例えば安東市の河回マウルの「ちゅじ주지などが舞って、劇場を清めるという点です。これらもところによっては、山の神などとかんがえられおり、異界からの来訪という点では、日本と共通するところでしょう。

 
安東河回マウルのチュジ。これで劇が始まる。       チュジのあと、「ヤンバン」などの滑稽劇が行われる。

謝辞:ハン=クァンジさん、パク=スギンさん、イ=ヒュニさんをはじめとする韓国大同病院看護師のみなさま、
    訪韓の際は、本当に親切にして下さり、本当に感謝感激です。

■編集後記■
 今回は動画も掲載してみました。今後、長く続けることを考え、いかにすばやく書き上げるかに念頭をおきました。その一方で、動画とリンクさせることで、少しは楽しめるかとも思います。

 昨今の少年犯罪のうちの凶悪なものをみてみると、その加害者の親の社会的立場がある場合に、その処罰が軽減される傾向にあるように思えます。これは、社会的な不満、被害者の救済とう視点だけでなく、加害者の更正という視点からも、決して許されない行為だと思う今日この頃です。


<月刊「祭」2013.1月 第10号>餅-10回記念のちょっぴりグロテスクな話-付:見土呂屋台入魂式宮出

2013-01-01 20:04:16 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

●お正月には餅食べて
 喪中につき新年おめでとうの挨拶は控えさせていただきますが、本年もよろしくお願いいたします。さて、正月といえばお餅ですが、「なぜお餅を食べる」とされているのでしょうか。
 少し、グロテスクな話もあるかもしれませんが、お付き合いください。

 

●吉野裕子氏の説 カガミ餅のみかんは何を意味するか??
 民俗学者の吉野裕子氏の説です。鏡餅はとぐろを巻いた蛇というものです。稲の神は蛇であるとよくいわれており、その神さまをお正月に迎えるというものです。「カガ」は蛇を意味する言葉だそうです。
 そして、餅の上のみかんは・・・目をいみするとか・・・
 ということは、餅の上のみかんを食べるということは、、、、蛇の目をたべるということになりますね。

 

●伝・安部清明著「**内伝金烏玉兎集」の牛頭天王説話 
 有名な安部清明が書いたと「される」著作の説です。何を意味するのかは、後に書くとして、ますはその説話をざっくりと紹介します。
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 牛頭天王はお嫁さんさがしの旅に出ておりました。とある夜、一夜の宿を請おうと豊かな巨旦将来の家を訪れたところ、断られました。しかたなく、巨旦の兄の貧しい蘇民将来の家を訪れたところ、心づくしのおもてなしをしてもらえました。
 無事に妻を娶った後、牛頭天王は巨旦とその一族を呪殺します。その時、牛頭天王に親切であった巨旦のには「急急(急は本当は口編がつく)如律令」の札を渡しておき難を逃れさせました。この札の文字は書物によっては、「蘇民将来子孫」となったりします。
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 このお話と餅はどこに関係があるのでしょうか。
 実は、正月の紅白の鏡餅はこの巨旦将来の骨であり肉であるというのです。
 ほかにも、三月のよもぎの草餅は皮膚、五月の菖蒲結びと粽は毛髪、七夕の素麺は筋、九月の菊酒は血であるとします。
 つまり、1年をかけて、我々は巨旦という悪い神?を退治していることになります。
 手始めの骨と肉、しっかり食してくださいね。
 
映像:上ノ庄神社入魂式見土呂屋台宮出

 

●編集後記●
 かねてからの夢の一つだった、祭についてのマニアックな雑誌の創刊。
 四月に気まぐれではじめてから、毎月読者の皆さまにお届けして、年が暮れ、早10号を迎えました。
 ひとえに、毎日50IPアドレスからアクセスしてくださる読者?(通りすがり?)の皆さまのおかげです。
 今年は、パワーアップはする予定はありませんが、何とか月一回のペースを守りきりたいものです。
 また、写真集ページとしてsee hereというサイトを使っていたのですが、見事に閉鎖になってしまいましたT T;  様々な不手際心苦しい限りです。

 ところで、管理人は、3年ほど前から京都民俗学会という本職の方も多数集まる場でお世話になっております。浄土寺に関する研究ノートを学会誌・「京都民俗」に掲載していただき、さらに、一昨年、昨年と2年連続の年次大会の発表もさせていただきました。今年は、なんとかして、論文掲載に持ち込めたら!?と思っています。
 そして、ついでに、韓国語と古文書も少しはできるようになればとも思っています。

 さて、 昨年は、学校での凶悪な犯罪が明らかになり、かつ、それらへの大人たちの対応が問われた一年でした。ポイントは、いかに罪を逃れんとするプレッシャーが強くとも、間違いは間違いとして曲げず、勇気をもって問いただすということになるのでしょう。少しでも自分がそれを実践できるような、素敵な一年になればとおもっております。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。