focus to the voiceless イラストコーナー
では、そのネタの起源はどこに?一つ有力な説を挙げよう。
それは、十二、三年ほど前に週間少年ジャンプに連載された「究極!!変態仮面」のヒーロー・変態仮面である。
変態仮面はパンティという仮面を被り①、ブリーフを肩にかけた股間を強調したものをはき②、そして、変身しているときには、フオォーッという雄叫びを上げる③
①のルックスはサングラスと帽子で素顔を隠すHGを想起させる。
さらに②ではその股間を降りながら、ちかづけることで男性陣を脳殺(悩殺ではない)するところも一致している。
キン肉マンが好きだということから、ケンドー小林はジャンプコミックスを愛読していたと思われる。おそらくケンドー小林は、本人が意識していたのか無意識していたのかは分からないが、変態仮面にインスピレーションを得たのではないだろうか。
参考文献・あんど慶周「究極!!変態仮面1巻~6巻」(1993~1994)
携帯で、いろんな人と友達になったり、日記を書いたりできるサイトです。
こちらのほうにも日記を書いているのですが、時事とか薀蓄の割合をウンと減らした脱力な内容になっています。そして、素敵な出会いを期待してます
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意外と、時事とかウンチクにも関心を持ってくれる方が多いのにびっくりしました。
本当にお久しぶりです。
当ブログ名物・ムカデシリーズです!
前回では、太平記の俵藤太ムカデ退治伝説においてのムカデの役割は、下図のように平将門と呉王夫差(呉公)という官軍に退治されるおろか者を結ぶことであると言及しました。
将門(俵藤太に矢で退治される)--ムカデ(俵藤太に矢で退治される)(漢字は「呉公」)
--呉王夫差(呉の「王・きみ」で呉公)
今回は、太平記に所収された物語ではなく、その舞台となった滋賀県に伝わる伝説を考えていきます。退治されたムカデの末路についての伝説です。
その伝説とは以下のようなものです。
俵藤太に矢を射られたムカデは、苦しみながら現在の滋賀県野洲市に位置する三上山(近江富士)に七巻半巻きついて息絶えた。
三上山は、近江国の富士山といわれるだけあって、非常に美しい円錐形の形をなしています。古来より日本では、円錐形の山を神が宿る神体山としてあがめる信仰がありました。三上山もその一つで頂上には龍神社、その付近にはムカデが息絶えたと伝わる岩が、その伝説を反映するように残っています。
さらに興味深いのが、今は、江戸時代の灯篭だけがその名残を残す「妙見宮(寺)」です。妙見とはご存知の通り、北斗七星の神様であるといわれています。北斗七星は七つの星と小さな一つの輔星からなりますが、それは、ムカデの末路である「七巻と半分」に通じます。
一方、龍神のもともとの住処である瀬田唐橋付近にも、妙見菩薩が祭られているお寺さん(名前忘れた(TT)があるのも興味深いことです。
一方、そのムカデが象徴すると考えられる将門も、北斗七星の信仰として捉えられています。千葉市の千葉大学構内には、七塚と呼ばれる平将門を祭る塚があります。また、七人の影武者伝説、江戸の将門関連神社の北斗七星配置など、将門と北斗七星信仰を結ぶものはたくさん残っています。
将門を象徴する、ムカデにも北斗七星信仰の形跡が残っているのも納得がいきます。
実は、これと同様に道真の北斗七星信仰があり、将門の北斗七星信仰と密接に結びついている可能性があると示した論文を僕は書いています。興味ある方は、hol_my_ow@yahoo.co.jpまでご一報ください。
前々から頭にあったことを吐き出したいと思います。
それは、札幌の円山と京都の円山。
聞いたことがある人も多いと思いますが、平安や平城の都は、天皇が北の中心に位置するようにつくられました。また、ここでも述べたように風水・陰陽五行の法則に則って東西南北に四聖獣を配置する造りとなっていました。
さて、円山の話をする前に、京の円山が位置する、都の「東」にスポットを当てたいと思います。平城の都・三条通りの東には藤原氏の氏社である春日社とさらに東側にその神体山三笠山が位置します。また、その神宮寺ともいえるこれも藤原氏の氏寺・興福寺というお寺も春日社のすぐ側に位置しています。三笠山は古代の出土から西側(都)から拝める状態となっていました。
では、平安の都はどうなのでしょうか?
三条の東には祇園新宮といわれる粟田神社、その南にはかつての祇園社である八坂神社。その東には(名前忘れました(; )山の上に神体山ともいえる将軍塚が位置しています。この将軍塚に埋められている坂上田村麻呂もまた、西を向いているそうです。また、祇園社は藤原氏の崇敬を受けており、かつては藤原氏の氏寺である興福寺の管轄下にあったとされています。つまり、祇園社は平安版の春日社と
いうことができるでしょう(山田貴生「祇園祭の研究」2001年度龍谷大学国際文化学研究科修士論文)。
春日社の祭神が鹿島明神であるのと比べて、祇園社の牛頭天王(すさのおのみこと)の朝廷へのまつろわぬ度が高いということでしょうか?この変更は、平安時代において、御霊信仰がさかんになり、藤原氏もまた御霊の報復を恐れていたことに起因するのでしょう。
さて、このようにしてつくられた平安の東・祇園も、明治維新を向かえ大きな転機を迎えます。それは、約1100年ぶりの東京遷都。その遷都にともない、東山三条に平安神宮が作られます。さらに、祇園社の東に「円山」公園もつくられました。 京の都の東側は、まつろわぬ神をまつる宗教施設と、円山公園の配置となりました。
一方、明治時代より本格的な開発が始まった札幌。
この都の配置には興味深いものがあります。
まず、北に札幌駅。西に出雲系の神「八千矛神」をまつりさらに西に円山公園。その西に神体山ともいえる山々(荒井山か三角山、もしくは藻岩山が神体山か)が連なります。この配置を南北ひっくり返すと、京都の都作りと一致するのです。
このような札幌の都作りは、明治時代の文明開化における、西洋文化の流入に端を発するのではないかと考えます。
というのは、平安京が天皇を天体という自然にあわせて都をつくっていたのに対して、札幌はまずは天皇ありきで都をつくっているという点です。江戸時代の神道家・本居宣長の書物にも、神を絶対者としてあがめるキリスト教の影響があらわれているといいます。それと同様に、札幌のデザインの仕方にも、「神」を絶対者としてあがめるキリスト教・西洋文化の影響が現れているのではないでしょうか?
京都
北
天皇
東 祇園社(出雲系神) 将軍塚(神体山)
円山公園
-----京都駅----------------
札幌
南
天皇
西 八千矛神(出雲系神) (神体山)
円山公園
-----札幌駅----------------
一息ついて、稀代の名ダジャレ・「布団が吹っ飛んだ」についてです。
トラックバックの技術でこのブログも軒並みアクセスが伸びてきています
最近色気づいて絵文字も使っていますが、いかがですか???
ここで一息つきましょう。
28歳の僕は、子どものころドラゴンボールが大好きでした。
孫悟空といえば、天竺に行ったお猿さんではなくて、サイヤ人のカカロットを思い浮かべます。
さて、この悟空がはじめて界王様を訪れた時の話です。各星の神様達の総大将にもかかわらず、思いのほかファンキーな界王様。
それに戸惑う悟空に向かって、稀代の名ダジャレを界王様が言いました。
「布団がふっとんだ!」
会心の出来に、笑いをこらえきれない界王様。
きょとんとする悟空。
このシーンを覚えている方は多いと思います。
では、このダジャレ、いったい誰が考えたものなのでしょうか?
このシーンが掲載されているドラゴンボールを見る限り、作者の鳥山明さんがつくったと考えがちです。
しかし、答えはそこには見つかりません。ではどこに?
それは、鳥山明さんがドラゴンボールの前に週間少年ジャンプで連載していた「Dr.スランプ17巻*1」 。この漫画内で登場する宇宙の神様が、そのプライドをかけて言った洒落。それが「布団が吹っ飛んだ」です。そして、その隅っこに作者自筆の脚注で、 「ちなみにこのしょーもないしゃれを考えたのは桂正和である。」と記しています。
桂正和さんとは、「ウイングマン」や「電脳少女」などの作者として有名です。桂正和さんは鳥山明さんと親交があったようで、「Dr.スランプ」の中にも登場し、その田舎者ぶりを暴露され笑いを誘っています。
なにはともあれ、今やダジャレの代名詞ともなった「布団がふっとんだ」。その日本文化の起源を教えてくれたのは、漫画の本でした。
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*1 俗にいう「アラレちゃん」。フジテレビで放送された「Dr.スランプ アラレちゃん」は、「Dr. スランプ」をアニメ化したものです。