月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

416.気をつけよう、台車運行(月刊「祭御宅」2024.2月1号)

2024-02-25 23:20:56 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-

●三木市制70周年
 今年は三木市制70周年の屋台大集合があります。
 若い人はだんだへってくるという現状の中での開催となり、人手の確保が課題となります。
 前回で感じた課題は、台車運行の安全確保と、水分補給でした。

 今回は、台車運行の安全確保について考えたいと思います。

●坂道
 会場は三木山総合公園なので、山の上にあります。ですので、急な坂を上り下りする必要があります。
 その時の移動手段は台車運行となります。担ぐのが主な目的の屋台なので、台車移動の時は「休憩」という認識になりがちです。ですが、坂道でその認識のままいくと、屋台があり得ないほどのスピードがついて、取り返しのつかないことになる可能性があります。

 その対策として、
 1)引き綱などは上り、下り両方、上から引く。

 2)人数が少ないところは、台車にブレーキをつける。


 等が考えられます。

 

●子ども

 台車運行の時は、子どもに屋台をさわらせるところもあると思います。全くさわらせないというやり方では、経験の不足というデメリットが生じます。なので、さわらせるという前提で運行を考えていきます。

 1)中心が大きくて前後に台車が揺れるものは特に、子どもを棒の下に来させない。
   対向車線側の棒の外、本体に触れる場所に子どもを入れない。
 

●休憩中は棒が上下に激しく揺れないように、大人がつく。

 台車運行という、心が少し緩みがちになる時ですが、安全には最後まで気をくばりたいところです。


編集後記
 長い間、投稿していませんでした。
 いいわけはしません。サボっていました(++;
   
 三木縁日というイベントが三木山総合公園で行われます。
 そのおりに、3m×3mのスペースで祭関係の野外展示を行います。
 少しずつ情報を公開していきたいと思いますので、楽しみにしていて下さい。

 姫路市出身の漫画家・芦原妃名子氏がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
 ドラマ化をめぐっての原作改変のトラブルがあったことが報道からうかがえます。
 一部主張している不特定多数のネットの責任を問うよりも、一般社会では特定複数の人と自死までにどのようなやりとりがあったのかを徹底的に調査されるべき事件と言えるでしょう。
 三木出身の山田ルイ53世が、当該ドラマの系列テレビ局の放送であるミヤネ屋で、「漫画家の立場の低さ、原作が限りなく正解に近いこと、脚本が作られる経緯、ケア、やりとりの検証の必要性があること」をコメントしていました。現在の日本テレビのこの事件に対する被害者に対する姿勢を見ると非常に勇気ある発言であったと思います。
 名前がフランスの貴族式なので気づきませんでしたが、別所長治気質、赤穂浪士気質、播州気質、三木気質にあふれる方だということを知りました。


396.新居浜太鼓台、「大工」の技(月刊「祭御宅」2022.9月1号)

2022-09-02 00:04:46 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●ド迫力の刺繍で知られる新居浜太鼓台
新居浜太鼓台といえば、何をれんそうするでしょうか? 多くの人が幾重にも重なる布団屋根、四分割された水引、高い位置にかざしられた高欄幕、そして、屋根をおおいかくす布団締めの龍を思い浮かべると思います。また、それらをとりはずした太鼓台同士の鉢合わせを連想する人もいるかもしれません。
新居浜太鼓台の装飾品では、やはり刺繍がもっとも目立ちます。しかし、目立たぬところにも、職人の技がのこっていました。それを新居浜市あかがねミュージアム展示の太鼓台を見ながら、示していきたいと思います。









↑上五枚:新居浜市あかがねミュージアム内の久保田太鼓台

しかし、精細かつド迫力な刺繍のかげに普段は覆い隠され、また、鉢合わせなどではずされても多くの人がめにとめることもない、本体にも、大工の技がのこっていました。

●大正十四年(1925)製作太鼓台の大工の技
写真の太鼓台は、旧の中筋太鼓台で大正十四年(1925)製作のものだそうです。この太鼓台は、太鼓台の内部構造がわかるように、一面だけ刺繍の装飾品をつけててんじしてあります。


横を見ると、赤でかこんだところが高欄幕をとりつける棒、そして、水色でかこんだかなり下側に実際の高欄の架木(ほこぎ)、平桁(ひらけた)、地覆(じふく)の三本の水平部材があります。






そして、地覆の下側を見ると、「水くり」という水を逃がすための隙間をあける加工が施してあります。比較的見られることの多い播州屋台の高欄でも、水くりはないものがよく見られます。
ほとんど陽の目をみることのない新居浜太鼓台の高欄に水くりが残っていることに、大きな驚きを感じました。



編集後記
25年ぶりに管理人は四国の太鼓台どころ新居浜と豊浜を訪れました。25年前は青春十八切符で、時には親切な方に車にのせてもらいつつの旅行で、今回はお気に入りの自家用車での旅行でした。土地勘は残念ながらほとんどなくなっていましたが、太鼓台の美しさは当時のままでした。25年でつけた少しばかりの知識で太鼓台をみると新たな発見があり、若い頃の情熱がよみがえる感じがしました。

392.粉河のだんじりの前後切り替え(月刊「祭」2022.8月.1号)

2022-08-12 12:23:49 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●粉河寺の中の神社の祭
 毎年、7月の最終土日は粉河寺内の産土神社で祭が行われだんじりが運行します。今年は新型コロナウィルスの流行により、祭でのだんじり運行は中止となりました。
町内の駐車場にだんじりを出し、引き回しも行われました。

↑粉河寺山門この門の向こう側に神社がある

↑粉河寺本堂と左手に見える産土神社の鳥居

産土神社

●据え置き形態から運行形態へのバージョンチェンジ
据え置き形態
祭の一日目は下の写真のように、「もちばな(ひげこ)」をたててかざられるとのことです。もちばなは、もともとの地元の呼び名、ひげこは、折口信夫が書いたことによって広まった呼び名だそうです。灯籠のようなものの上に竹が噴水のように周囲にたれさがっています。

運行形態
 運行時はもちばなははずされ、提灯がともされます。よくみると、岸和田だんじりでみる舵とりようの後ろでこのようなものが前後についており、車輪にブレーキをかけるためのてこは、舵取り用のてこが長い方についています。


実際の運行時は前後の切り替えをてこを前後にもってくることでできる構造になっているようでした。
↑まずは、ブレーキ用のてこの入れ換えのみの映像。


↑こちらは、舵取り用のてこもいれかえる映像。方向転換もともなうときは舵取り用のてこもいれかえるようです。

この記事は、本町だんじり関係者Hさま、産土神社ご神職さま御一同のご厚意で書き上げることができました。御礼申し上げます。

編集後記
昨今話題になっているカルト教団の存在から、宗教団体の非課税をやめるべしという暴論を、カルト教団とのつながりがある輩が多数いた集団の実質ボスが発しました。
必要なのは我々のような祭を行う全うな宗教団体への非課税へのとりやめではありません。必要なのは、カルトとつながりある議員の更迭と、カルトの規制です。






377.明治期の雲板つき反り屋根屋台の一傾向?(月刊「祭御宅」2021.11月1号)

2021-11-06 21:01:54 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
編集「前」記
-播州屋台のエルサレム・加古川の熱-
 管理人の三木市大宮八幡宮と同じ祭礼日で、なかなか見る機会がない祭が加古川市内の祭です。播州において加古川は、平屋根、反り屋根神輿屋根屋台の境界域となっています。なので、平屋根、神輿屋根、反り屋根が市内に混在した、播州屋台のエルサレムともいえる状況になっています。
今年はいくつかお披露目をしているところもあったので、いくつか見学させてもらいました。非常に熱心に情報収集をし、よりよい屋台をつくり、よりよい祭をしようという思いの一端にふれることができました。また、それに、三木の先輩方が協力していたという話も聞き、ほこらしい気持ちにもなりました。
本記事を書くきっかけをくださったのは、気軽に声をかけてくださった都染屋台のYさんです。この場を借りて感謝申し上げます。

●平屋ね反り屋根折衷型反り屋根、都染屋台
 加古川市上之庄神社都染屋台は反り屋根屋台でありながら、繁垂木がなく雲板がある平屋根屋台の特徴を持った屋台です。今年は現代を代表する播州屋台大工の一人である上内工務店の横野師によって、枡組部分の修復がなされました。
一方、高欄部分は古い時代のままで、はっきりしたことはわからないのですが、明治期かなあといっている方もいらっしゃいました。ここも、反り屋根屋台に見られる擬宝珠高欄ではなく、播州の平屋根屋台に見られる跳ね高欄が使われています。


さて、この跳ね高欄、最上部の跳ねがある架木(ほこぎ)を四隅で支える架木受けは、雲を逆さにしたような形のものが十字に交差したものになっています。金具はシンプルなもので、補強用の「ちからがね」がついています。そして特徴的なのは太さです。あくまで、管理人体感ですが、三木の屋台の架木の太さが直径約五センチたらずとするならば、都染屋台のものは、約6.5センチほどありそうでした。全体的に太めの部材で高欄は構成されていました。


●似た高欄の屋台は。。。??
これに似たというかほとんど同じ高欄をもつのが、明石市御厨神社の先代西二見屋台です。この屋台も明治時代の屋台といわれています。
現在は明石市立文化博物館に所蔵しています。民営化前だと無料エリアで自由に見れたのですが、現在は特別展のチケットを買わないと見れない(1000円ほど??)こともあるのでご注意を。
逆雲型の交差した受け、太めの部材、シンプルな金具が共通しています。



さて、都染屋台にた高欄の西二見屋台の全体像は、これもまた、都染屋台と同じく垂木を持たない雲板つきの反り屋根屋台です。


●明治期の雲板つき反り屋根屋台
都染屋台、西二見先代屋台はともに明治時代の雲板つき反り屋根屋台でした。明治期の雲板つき反り屋根屋台の特徴として、逆雲型の交差した受け、太めの部材、シンプルな金具の高欄があげられるのかもしれません。

編集後記、一月間の休載のお詫び
 よりによって祭月をまるまる休載してしまいました。心配するほどのことではありませんが、ちとよくない話を聞いて気力があまりわきませんでした😥
といっても休載したところで、お詫びするほど熱心な読者もいないだろうと思っていたのですが、、、、 意外かつ、有り難いことに、更新を楽しみにしてくださる方がいらっしゃるということも耳にしました。楽しみにしてくださったみなさん、なんとはなしに見てくださったみなさん、そして、いつもとかわらずに声をかけてくれたみなさんに感謝申し上げます。


372.競技化する祭と大喜利-リットン調査団復活を祝して-(月刊「祭」2021.8月4号)

2021-08-22 23:54:40 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●競技化する祭
 有本尚央氏のこの名著にもあるように、祭が競技化スポーツ化しているというのは、なんとなく肌で実感している人も多いと思います。
三木でも平田vs高木どちらが長い時間差し上げられるかの勝負も名物になりました。姫路や高砂などでの神輿屋根屋台の練り合わせも競技性があるといえるでしょう。飾磨の台場差し、台場練りも競技性は言わずもがなです。博多山笠はたしかタイムを計るようになったはずてす。


阿波おどりなんかはコンクール的なものがあったようなきがしますし、各地のよさこいソーランなんかもそういうものが多いと思います。このような競技性、スポーツ化が顕著になるのが現代祭の特徴であるとはいえそうです。
とはいえ、何台かよるとなんらかを競いあいたくなる「競技性」がついて回るのは屋台やだんじりの祭の宿命だとも考えられます。でも、だんじりや屋台のそれはスポーツやコンクールとはやや違うところがあります。それは条件をそろえられないので、明確な勝敗がつけられない点です。たとえば三木でいうならば、高木と平田の重さは違うし、担ぐ人数も違います。必ずしも同じ条件で争うわけではありません。三木の下町屋台や見出し画像の飾磨浜の宮天満宮天神屋台などは、明らかに不利なドでかい屋台を新調しました。勝ち負けがスポーツやコンクールほど厳密なものとはならず、勝利だけを志向しないところが、今の屋台やだんじり祭の特徴だといえるでしょう。

●競技化する大喜利
さて、ウィキpディアの大喜利のページを見れば一目瞭然ですが、大喜利もスポーツ化しました。それはダウンタウンの松本人志さんの影響が大きいといえるでしょう。例えばイッポングランプリなどでは明確な勝敗が決まります。競技のもとで、あらゆる角度から創造的な笑いを追い求める良さがありますが、どうしてもみる方にも緊張感が漂います。
一方古典的な大喜利の流れを受け継ぐともいえる「笑店」では、座布団の数を競うという体裁をとっています。でも、座布団の数=面白さではないことは多くの人が理解していることでしょう。そのあたりは、屋台だんじりと共通する点かもしれません。アットホームな良さがありますが、回答は言葉遊びなどのお約束的なものが多いようにも思えます。

●復活したリットン調査団
一時期袂をわかったことがテレビで放映されましたが、最近一緒にYouTube出演しているリットン調査団。大喜利(管理人はpart2の途中まで試聴)もリラックスした雰囲気とお約束には縛られない感が両立しています。
基本面白いのですが、大喜利part2では水野さんがあまりよくない回答もしているのをみました。試聴するときはご注意を。





359.無形文化財のそばにあるもの(月刊「祭御宅」2021.6月5号)

2021-06-05 09:29:11 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●祭オタクの担当分野
 管理人が文化財関係のお仕事を割り振っていただくときは、民俗とか無形文化財となることが多いです。それを一手に担当する能力のあるなしとは別にして、祭=無形文化財というイメージが定着しているのでしょう。
現に各自治体の●●市史などの書籍では、芸能、伝承、民俗などに特化して、無形のものを中心に書かれています。でも、無形のもののそばにあるものについてはあまり書かれていません。

●無形文化財のそばにあるもの
例えば、網干の屋台は上下に激しい動きをともなうチョーサをするために、泥台の足が短くなっています。さらに台車は泥台の足が短くても運びやすいようになっています。

つまり、チョーサという無形文化財のために有形のものが変化してつたわっているということになります。
さらに屋台運行を華々しくみせるための各彫刻、刺繍、金具などの装飾が発展しました。つまり、祭という無形の文化財のそばには優れた有形文化がセットになっていることが多々あるということです。

●無形のものを理解するために
 結局無形のものを理解するためには、そばにある有形のものがどう使われているのか、どのような性質があるのかなどを理解せざるを得ないということになります。あれもこれも論かもしれませんが、専門外だからとばかりも言えないのが、小さな自治体の現状であると言えるでしょう。



357.棒端のかん(月刊「町御宅」2021.6月3号)

2021-06-03 20:23:48 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-

●屋台の安全運行のために

今回は全国10人くらいの読者中、2,3人が待ちに待った(0人という主張はうけつけません。)であろう、屋台の担ぎ棒・練り棒の端の綱をつける金具である棒端の「かん」についてのお話です。もしかしたら2000年後くらいには民俗学のメインテーマになるかもしれません!?

冗談はさておき、学術的にはどうかは知りませんが、今回のテーマは屋台の安全運行のための基礎知識ということはできます。

●屋台の舵をとるための綱、それを取り付ける金具の輪・かん

 屋台の棒の先端には綱がついていて、これを左右に引くことで屋台の進行方向を調整することができます。

しかし、よくみると綱が棒に固定された金具とつながっているわけではありません。

棒に固定された金具⇔金具の輪⇔綱

という構造になっています。この綱と棒に固定された金具をつなぐための輪をかんと呼ぶこともあります。三木ではあまり馴染みのない呼び名でしたが、最近ではこの呼び名が定着しつつあります。今回は

↑金具の先に綱はついています


↑↓棒に固定された金具についているわけではなくて、間に金属の輪を介しています。


●横に引いたときに力のかかる方向。

 輪をつけるのは、横に引いたときの輪の位置によって、力を上向きにもできることがあるからだと思われます。

下の図をみてください。

輪を上側にした状態で右に引くと、輪は棒に固定された金具を右斜め上に押すことになります。こうすることで、屋台を向けたい方向に向けると同時に、担ぎ手にも力を貸すことができます(下の図左側)。

逆に下側の場合だと、屋台を右ななめ下に押し出すことになります(下の図右側)。

理想は常に輪を上側にして、舵をとることです。もちろんずっとそれが可能なわけではありませんが、知っておいて、気づいた時に実行するだけで、担ぎ手の負担をずいぶん減らすことにつながります。


355.「どんどん どんでどん どんでどん」の難しさ-音楽アプリ入力-(月刊「祭御宅」2021.5月24号)

2021-05-31 21:24:53 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
この記事では、
1拍=4/4拍子の
1/8拍=♩を8等分にしたもの
1/4拍=♩を4等分にしたもの
とします。
 
●三木八幡宮、宮元の太鼓の難しさ
管理人属する大宮八幡宮の明石町屋台は、三木で一番と呼ばれた大きさも下町、末広、大塚、芝町、久留美、与呂木、栄町、岩宮などに抜かれました。それでも、明石町が一番だと思うもの。それが太鼓です。
徹底的に「どんどん どんでどん どんでどん」に磨きをかけます。「どんどん」も、「どんどん」も「どん でどん」も「どんで どん」も許されません。あくまで、「どんでどん」でなければならないのです。
小学生のうちから学校の机を叩き、青年団の中でも才能と努力の両方を兼ね備えた選ばれた人だけが、宮入や宮出の太鼓を打つことになります。 某ボンクラ祭ブログの管理人は、利き手とそうでない手の打ち方の微妙なバランスの調整に苦しみ続け、大成することはありませんでした。
かつては「三木八幡宮」とも呼ばれたお宮さんの、宮元屋台にふさわしい「どんどん どんでどん どんでどん」は、簡単にみえるけど、実は凄く難しい太鼓だということを身をもって知らされました。
 
●「どんどん どんでどん どんでどん」をアプリで再現
そんな難しい「どんどん どんでどん どんでどん」を今回は正確にリズムを刻める音楽アプリで再現してみました。その中で気づいたのは、楽譜で表すとなると、意外と難しいものになるということです。
 
使ったのは、WALK BANDというアプリです。和太鼓は使える楽器になかったので、ドラムのフロアタム(手で叩くものの一番音が低いもの)を使いました。
 
●「どんどん どんでどん どんでどん」を4/4拍子が3小節と考える。
以下
1拍休み····ウン
半拍休み···ウ
とあらわします。
 
下の動画を見ると、どんどん、どんでどん、それぞれの間にアヨイヤサーを一回ずつ言うことになります。また、ハタキは「どんどん」であっても、「どんでどん」であっても、2回同じリズムでふっています。ということは、ハタキは「前後前後」の2往復の4拍子を3回くりかえせば、つまり、4/4拍子が3小節で「どんウンどんウン、どんでどんウンどんでどんウンがちょうど一周することになります。
「どんどん」は楽譜であらわすと、♩ウンウン」で表せます。
これなら簡単だろうと思って、簡単に考えていたのですがなかなかうまくいきませんでした。
 
●簡単な楽譜どおりだと。。
まず、簡単な楽譜で試しにつくってみました。どんでどんを下の楽譜のように演奏すると、そそれぞれの映像のようになります。
↑Jポップの出だしのようなリズムになっています。
 
●細かく調整をしてみた。
そこで、かなり細かく調整してみました。
1拍を1/8単位に分けて、しっくり来るどんでどんをさがしてみました。
 
1/8拍休み♪3/8拍休み

↑少しましになりましたが、で と どんの間がやや間延びしているように感じます。
 
1/4拍休み♪1/4拍休み
↑これが管理人の耳には一番ましに聞こえました。しかし、もう少し上手な人からすれば、微妙な早い遅いがあるかもしれません。
 
●太鼓練習と音楽アプリ
音楽アプリの利点はなんといっても、一度入力すれば、寸分違わずリズムを刻んでくれる点です。これにあわせて打てば、太鼓の基礎的なリズムを正確に打つ練習になるので、どこでも個人練習が可能となります。
その一方で、太鼓のリズムそのものは、西洋式の楽譜や音楽アプリで表現するのは今回みたいに難しい可能性もあります。音楽アプリ利用による後継者育成は期待できますが、お手本教材の作成には注意を擁することがわかりました。
 
 
 
 
 

339.大中小の内ゴマ祭車両(月刊「祭御宅」2021.5月8号)

2021-05-16 19:25:26 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-

●内ゴマの地車(だんじり)

祇園祭の山鉾などは、車輪が外側についており、横幅は狭く、車輪の直径は大きくなっています。バランスがとりやすいうえに、直進しやすいという利点はあります。ですが、車輪の幅が狭いために、無理に方向転換をすると車輪を傷めてしまうので、滑りやすい竹を敷いて辻では方向転換をします。


↑京都祇園祭の山鉾

逆に大阪や岸和田の地車の特徴の一つとしては、車体の内側に車輪がついている内ゴマであることがあげられます。
内ゴマの特徴としては、
①車輪が中心近くにより方向転換がしやすい。
②①の引きずりながらの方向転換などもあるので、車輪は横幅が広く、作られている。
③車体中央部に近い部分に車輪をつけるので、部材や人がいる場所に車輪があたらないように、車輪の直径は小さくなる傾向にある。
といったことがあげられます。

 内ゴマの祭車両と言っても、地域によって、大きなものから小さなものまであります。今回はその大中小それぞれのものを見ていきましょう。ひとまずは、播州の人にとっても身近なだんじりから見ていきます。

●中 地車(だんじり

 下地車と呼ばれる岸和田に分布するものは、後梃子がついています。また、近年では上だんじりとよばれるだんじりにも後梃子がついているものもみられるようになりました。


↑大阪市巽神社正覚寺地車

 

●「大」長浜の曳山

 下の写真は大阪府吹田市の国立民族学博物館の曳山です。大型ではあるものの、かなり地車に近いものになっています。長浜市曳山博物館 (曳山紹介)の側面図を見ると、後ろ側の左右に梃子がついていることが分かります。内ゴマと梃子の相性がいいことが分かります。後ろに地車と同じくのぼりが指されているのが興味深いです。

 屋根が二段構造になっていることなどなどについて書こうとおもったのですが、近々発売される
日本だんじり文化論: 摂河泉・瀬戸内の祭で育まれた神賑の民俗誌 | 森田 玲 |本 | 通販 | Amazon
を見る方が、理解は深まると思われるので、そこには触れません。

 ↓三枚の画像 国立民族学博物館の曳山

 

 

↑国立民族学博物館の曳山の梃子(後側を撮影したと思うのですがさだかではありません。。)

 

●小 丹後半島の「太鼓台」
 丹後半島で「太鼓台」と呼ばれる曳き車も内ゴマです。

 伊根町の宇良神社のものは幟がつくと、小型の地車を思わせます。

 

 運行時には幟をはずし、宇良神社につくと、やりまわしのようなこともしていました。

 

 

 宮につくと太鼓を横にして、舞をまうための太鼓を演奏する台、まさしく「太鼓台」になります。

 宮津市の籠神社のものは、2010年に訪れたときはまだ新しく、梶内だんじり製のふだがついているのを見ましたが写真ではとれませんでした。

 

●大中小内ゴマ祭車両の共通点

 ①後ろの梃子で舵をとったり、方向転換したりする。
 ②後ろ側に幟のようなものを立てることが多い。

編集後記
 上だんじりと、下だんじりの区別することになる文章をあらためました。
 間違いを指摘してくれたDくん、いつもありがとうございます。


314.東這田の昭和12年の写真から見る三木の屋台スタンダード-令和3年秋月会カレンダーより-(月刊「祭」2020.12月2号)

2020-12-03 17:10:00 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-

昔の写真が使われる令和三年祭カレンダー

 今年の新型コロナ流行に伴い、屋台やだんじりの運行は軒並み中止や自粛となりました。そうなると毎年のように発行される祭カレンダーも、祭がなければ従来のように作れません。しかし、多くの地域では昔の写真を使って例年にはない祭カレンダーが仕上がっています。

 三木の祭も例外ではなく、渡辺写真店は大宮八幡宮、岩壺神社の卓上カレンダーを、そして、今回取り扱う秋月会製作の三木市内屋台カレンダーも好評をはくしています。そして、昔の写真を眺めると、様々なことに気づかされます。今回は秋月会カレンダーから見えてきた昔の「三木屋台スタンダード」を見ていきます。

 

現在の三木スタンダード

他地域のたくし上げられる水引幕と子どもの太鼓打ち

 他地域のものを見ると、幕をたくし上げ、姫路などに分布する灘型の神輿屋根屋台などを除いては、太鼓を子どもが打っているのが分かります(写真①②③)。

 

↑①三田市三田天満宮の太鼓台 

 

↑②大阪市杭全神社のふとん太鼓

↑③神戸市北区淡河八幡宮の稽古屋台。本番の屋台でもたくし上げた水引幕、子どもが太鼓を打つのはかわらない。

 

淡路・四国・三木・明石の下ろされた水引幕

 一方で現在の三木市の屋台は水引幕を下ろし、太鼓打は外から見えません。これは、淡路島、四国、明石と同様で、水引幕の刺繍が厚くなったことにより、その披露が優先されたためだと思われます。

 


↑淡路島由良神社中町だんじり

 

 これは、秋月会や渡辺写真店のカレンダーの昔の写真をみてもほとんど変わっていません。しかし、例外が一枚だけありました。

 


↑現在の三木市禰御門神社大村屋台(写真は大宮八幡宮に宮入した時のもの)

 

 

東這田屋台の太鼓打ちらしき子どもの姿

 その例外が、秋月会カレンダーの昭和十二年の東這田屋台です。

 
しょう。

 

 

 

↑秋月会カレンダー。赤い四角が昭和十二年の東這田屋台。

 

 下ろされた水引幕の屋台とともに写っているのは、イラストのような子どもです。おそらくこれは、他地域の太鼓打の子どもと共通しており、戦前の東這田ではこのような装いの子供たちが太鼓を打っていたと思われます。


↑カレンダーにはこのような太鼓打ちと思われる子どもが、6人うつっている。

 

 東這田は昭和三年に大改修を経ているので、それ以前はこの太鼓打の子たちが見えるように、水引幕もたくし上げていた可能性があります。また、昭和三年に新調された水引幕も新調当初はたくし上げていた可能性が高いと思われます。

 というのは、下の写真の青矢印の部分は龍などの刺繍が途切れており、そこをたくし上げることができるように作られていたと思われます。



 

 さて、東這田屋台はかつては大宮八幡宮の祭礼にも明治期は参加していたようです(「明治初年の三木町」『三木市談(何号か分かりません、調べてまた書きます)』)。全ての屋根が平屋根屋台で東這田だけ幕をたくし上げていたとは考えにくく、やはり、もとは三木の屋台も水引幕をたくし上げ、子どもが太鼓を打ってい打可能性が高いと言えるでしょう。
 
編集後記
 屋台研究の萌芽はプロの研究者ではなく、地域の祭好きたちによってなされてきました。三木市内では、幸祭会、横山氏、ナメラコゾウ氏、そして、今回あげる秋月会が大きな成果をあげてきました。
 近年、ようやく学者たちの注目を集めるようになってきていますが、その礎は間違いなく、地域の祭好きたちの研究によって築かれたものです。