保津川下りの船頭さん

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洪水で沈む橋

2004-09-14 11:49:34 | 船頭
保津川下りの乗船場を出発してしばらくすると、
目前に小さな橋が見えてきます。
この橋、名前を‘保津小橋’といいます。
鉄筋コンクリートで作られたこの橋は、
保津川が洪水になると川の中に沈んでしまう橋なのです。
その為、両端に欄干がないのがこの橋の特長です。

この小橋のことを地元の人は‘高(たか)橋’と呼んでいます。
水没するほど、川の堤防よりも低い位置に架っているのに「何故?高橋?」と、
皆さん思われることでしょう。
こう呼ばれる理由は、昔の流れ橋の様子からきています。

昔、農作業を生業とする農家の人々にとって、保津川のような大きな川を
渡り対岸の農地へ行くということは、生活に密着したとても重要なことでした。
しかし、高度成長など無縁であった当時の日本では、今のように、一農村のために
行政が橋を架けるなどということは、財政上考えられない時代でした。
地元の人々は、丸太で橋を組み、その上に板を2枚敷くという簡単な橋を架けていたそうです。
当然、橋幅も狭く、二人が橋の上で出会えば、お互いが横になり向かい合って渡らなければなりません。
その人達が、背中に荷物を背負っていた場合などは、橋の外にはみ出して渡るのです。

地元の人達はこの橋を渡る時の恐怖から「とても橋が高く感じる橋」ー‘高橋’と呼ぶようになったのです。また、地元では「高橋を渡れない者は保津の嫁にはなれない」とか、
橋を渡る心得として「絶対下を向かず前だけを向いて渡れ」などのアドバイスを年長者が
するなど、保津村人の象徴と考えられていた向きもあるようです。

そんな流れ橋も、無償で奉仕工事を行った地元の人達の努力の斐もあり、
昭和25年には今の鉄筋コンクリート型の橋の生まれ代わりました。
これで洪水の度に流れ不便を感じる事もなく安全に渡れる橋が出来たのです。

ではなぜ?今の保津小橋、高さが堤防より低いんでしょう。
これは長年、水害に悩ませられた経験から来ています。

保津川は有史以来の暴れ川で、谷間近郊流域の保津も幾たびかの大水害の見舞われました。
豪雨が降れば、堤防を超えることなど簡単の事で、小規模の橋などは高くする方が流されやすいのです。

洪水になれば周囲のいろいろな物が流されてきます。
木材や巨大の倒木に大型ゴミ。
これらが増水で勢いよく流れてきて、橋に当たれば破壊力は大変なものです。

水害を多く経験している保津の人たちは、増水の高さによって
どのような物が流れてくるかを知っていました。
その時、橋を川深く沈めておけば、これらの流物が橋に当たらず、
水位が下がればもとの姿のまま浮かび上がってくると考えたのです。
欄干がないのも流れの抵抗を受けなくするためのものです。
この読みは見事にあたり、半世紀すぎた今でもその姿は変わることがありません。

まさに水害と共に生きてきた人間の知恵からできた橋、それが保津小橋なのです。

この沈下橋スタイルが残っているのは、京都では木津川とここだけです。
日本でも数ヶ所しかないのではないでしょうか?

保津川下りをされることがあれば、一番最初に潜る橋、保津小橋は
こんな橋なんだな~と思い出して下って頂くと、また一つ楽しみが増えるのではないでしょうか?

はっちんも保津に行くときは、この小橋を車で渡っていきます。
車の幅一杯のこの橋を渡る時は正直スリルものです。
特に暗闇深い夜などは昔の保津の長老の言葉がそのまま蘇ってきます。

時代は変わり、モータリゼーションの時代になった今でも
小橋は変わることなく、昔の流れ橋の匂いを残していてくれているのです。