保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

日本の歴史が動いた!光秀出陣の舞台・丹波亀山城。

2011-02-06 21:21:14 | シリーズ・京都を歩く
本日のNHK大河ドラマ「江」。

今日は戦国時代一番のターニングポイント「本能寺の変」。

明智光秀が主君・織田信長を討つべく、一万余の兵を率い出兵したのが
亀岡にある「丹波亀山城」です。
今日の放送でもお城のシーンが2~3シーンありました。


中国・備中の毛利軍に苦戦する羽柴秀吉を助ける命を受けた光秀でしたが、
その分岐地点となる「老ノ坂峠」に差し掛かった頃、突然、鞭を振り上げて
「敵は本能寺にあり!」と叫び、進路を都へ向けたのでした。

天下を目の前にして織田信長を撃たれ、時代は激変します。

さてさて、この本能寺の変が放送される番組では、信長vs光秀の関係や事件の背景を
どのように描いていくか?視聴者の楽しみの一つだと思います。
が、今回の「江」。
この二人の関係、あまりにもオーソドックスで期待はずれか・・・。
まあ、今回のドラマではこの本能寺の変もただの「前座」なので
致し方ないとは思いますが、光秀の地元民としては、もうすこし丁寧に描いてほしかったな・・・

ともあれ、日本の歴史、いや、世界の歴史(特にアジア地域)のすら大きく変えたと
いわれる「本能寺の変」の舞台の一つがこの亀岡にある「丹波亀山城」であったことは確か。

織田信長の命を受けて以来、人質として差し出した母親を失うなど、苦労をして平定した
光秀の丹波攻略。その拠点として1577年から1579年にかけて築城したのが丹波亀山城。
軍事的要塞の城ではなく、中世的な風情を残した城郭型の城で、治世を重んじる光秀らしい
平城の城として築城しました。

明智光秀亡き後、関が原の戦いに勝利した徳川家康配下の譜代大名の城となり、
大坂城の豊臣包囲網のため、徳川家康が号令した「天下普請」により
当代一の築城の名手藤堂高虎が1610年に大改修をし、近世城郭として
白亜で五層五階、日本初の層塔型天守を築きました。

丹波亀山城は、明治維新後に廃城となり姫路城にも匹敵するといわれる建築物であった
天守など建物が解体されたことは今となっては、とても残念です。

今もこの亀山城址を歩いていると、激動する歴史のうねりを密かに感じる
ことができる史跡です。

現在は宗教法人・大本 の聖地となっています。

天守台跡には、大本さんの事務所で許可を貰い、お祓いを
受けるとどなたでも見学することができます。