保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

明日の「日本テレビ放送の「遠くへ行きたい」に原田龍二さんが出演されます!

2012-01-07 22:28:43 | 原田龍二さん
明日の朝7時30分から日本テレビ系列で放送される
「遠くへいきたい」に俳優の原田龍二さんが出演されます。

今回は伊達藩を歩く気分は江戸時代」ということで
宮城県白石市~七ヶ宿街道を訪ねる旅。

白石市は伊達正宗の懐刀といわれた片倉小十郎が治めた城下町。

二代目小十郎重長の鉄砲隊を再現した「片倉鉄砲隊」の面々に会い、
甲冑姿でメンバーとともに街を歩きながら白石城を目指すというもの。

また宮城県無形文化財である刀匠親子に、刀の魅力を教わられるらしく、
これは時代劇で殺陣や武士術に造詣の深い龍二さん好みの旅じゃないですか!

さらに江戸初期から伝わる手漉き和紙「白石和紙」を作る工房で和紙で織った
「紙布(しふ)」という布を見学したり、紙布でできたわらじで七ヶ宿街道を歩いたり
ご当地のそば屋を食べたりと、学びと食の魅力満載の旅になったようです。

ぜひ、少し早起きをしてご覧下さい!


「遠くへ行きたい 伊達藩を歩く 気分は江戸時代」
―宮城県 白石市~七ヶ宿街道―
放送;日本テレビ系列 1月8日(日)7:30~8:00 放送
旅人:原田龍二。

新春企画 君は角倉了以・素庵親子を知っているか?第一話

2012-01-07 02:39:44 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
角倉了以・・・安土桃山時代から江戸時代初期にかけて京都を拠点に
活躍した豪商にして私達、保津川下りの創設者・初代社長ともいえる存在。

その志の高さとスケールの大きさでは当時の豪商の中でも、際立つ存在である。

近世初期から活発化した朱印船貿易で活躍する一方、徳川家康の命を受け、
いくつかの河川を切り開いた最先端土木技術を有する技術者の一面も持つ実業家だ。

注目したいのは、そのどちらも「船」という乗り物がキーワードになっているところ。

ここが了以のビジネスセンスをみる時に見逃せないところで、
当時​、台頭してきた他の豪商たちとは大きく異なる点だといえる。

了以の本姓は吉田といい、近江出身の医術者の家系に生まれている​。
吉田家は医術で室町幕府のお抱え専属医である一方、土倉(金融​業も兼業しており、
京の嵯峨を中心に活躍していた。
了以の父・​宗桂も医師で、明(中国)に留学経験を持つ最先端の医療知識を持っていた。

了以は18歳の時に家督を継いでいるが、医術の道には進まず実業の道を選び、
50歳の時に朱印船貿易に着手した。
この発想は父か​ら海外の情報を聞いていたことが大きな起因になったといわれている。

角倉の朱印船貿易の先は、安南国(ベトナム)が中心で
北部のトンキンを渡航先にしており、航海には片道約一ヶ月以上は
かかったといわれている。

航海中に難破したり、海賊船に襲撃されたりする危険もはらんだリスクの大きい事業であったが、
一回の渡航に成功した時の利益は10億円単​位ともいわれ、危険性はあっても
誠に魅力のあるビジネスだったことは間違いない。

時は十六世紀半ば、当時の強国スペインやポルトガル、スペインにオランダなど
世界中が大航海時代を迎えていた頃。その大航海時代の潮流に乗り、
東南アジアという海外に打って出た日本で初めての大貿易商人といっていいだろう。

その冒険心溢れる商魂で、通算航海数17回という
当時では最多の航海に挑んだ稀代の起業家であった。

そんな了以が、息子・素庵と一緒に、次に目を付けたのが保津川だったのある。

(つづ​く)