俵屋宗達の作品の中で最も有名な絵が「風神雷神図屏」です。
建仁寺所蔵ですが、現在は京都国立博物館に寄託されたいます。
この『風神雷神図屏』は、宗達が1632年に素庵が死去した後、鎮魂のために
描いたのではないかという仮説を立てているのは関西大学の林進先生です。
実はこれまでの俵屋宗達と角倉素庵の友情物語は林先生の説に基づいて書いています。
先生の説によると、寛永四年(1627)にライ病(ハンセン病)を患った素庵は、当時のらい病者への偏見と
いう掟に従い、世間との関係を絶って嵯峨千光寺の跡地にひっそりと隠棲します。
ライ病は、皮膚が白くなる「白らい」(ビャクライ)という症状があり、素庵もその症状が発病し
身体の皮膚が白く変色していました。宗達は素庵への鎮魂の為にこの絵を描いた事を、
自らの心情を作品で表現しようとしたのでしょう。
本来、伝統的には赤く表現されていた「雷神」が、なぜ宗達の絵では「白い」のか?
風神雷神絵を考察するときに見過ごすことができない視点なのに、これまで説得力のある
説明はなされいません。宗達ほどの作家が何の意図もなく赤から白に変えることは考え難いです。
これについては宗達研究の第一人者の山根有三氏でさえも、白い絵具を使うのが「好きだったから」
と全く踏み込んではいないといいます。
林先生は、雷神の体を白色に変えたことこそ、素庵の姿を重ねたものであり、鎮魂の表現
だといわれています。
続けて、もう一方の風神には宗達自身を重ねることで、素庵の元へ寄り添おうとする
自身の心情を表現しているというのです。
理不尽な境遇で苦しみ死んだ菅原道真の縁起を描いた絵巻に、怨霊と化した道真(雷神)が
御所に雷を落とす場面を描いた雷神絵。その絵を宗達は本屛風の二神の姿に転用したのです。
実業家のみならず文化人とても輝かしい業績を残しながら、不運な晩年を過ごさざるおえなかった素庵の生涯。
その無念の心境を道真に重ね、雷神として描いた宗達、そして自分も風神に寄り添う。そして、
今にも雷を落とし災いを起こそうとする雷神(素庵)に、右側から駆け寄り、
「おーい、素庵。俺も来たよ。昔のように楽しくやろうよ。今までのことは良いじゃないか。」と
なだめ、話しかける宗達の心情。
雷神の悲しげな表情に、世間から見捨てられた素庵の不運な人生がにじみ出ているようです。
その人物像が謎に包まれている宗達ですが、この作品が林先生のいう心情から
生み出されたものだとしたら、友情と義理厚い新たな宗達像が浮かび上がってくるのではないでしょうか?
本来、実業家としても、知識人としても近世日本史の一ページを飾ったであろう人物である角倉素庵が、
未だ全くをもって‘無名’の存在であるのは、この晩年の人生が大きな理由ではなかった!
素庵の魂は、今年の琳派400年をどのような気持ちで眺めているのでしょうか。
雷神の絵を見ながら、静かに語りかけたいと思います。
建仁寺所蔵ですが、現在は京都国立博物館に寄託されたいます。
この『風神雷神図屏』は、宗達が1632年に素庵が死去した後、鎮魂のために
描いたのではないかという仮説を立てているのは関西大学の林進先生です。
実はこれまでの俵屋宗達と角倉素庵の友情物語は林先生の説に基づいて書いています。
先生の説によると、寛永四年(1627)にライ病(ハンセン病)を患った素庵は、当時のらい病者への偏見と
いう掟に従い、世間との関係を絶って嵯峨千光寺の跡地にひっそりと隠棲します。
ライ病は、皮膚が白くなる「白らい」(ビャクライ)という症状があり、素庵もその症状が発病し
身体の皮膚が白く変色していました。宗達は素庵への鎮魂の為にこの絵を描いた事を、
自らの心情を作品で表現しようとしたのでしょう。
本来、伝統的には赤く表現されていた「雷神」が、なぜ宗達の絵では「白い」のか?
風神雷神絵を考察するときに見過ごすことができない視点なのに、これまで説得力のある
説明はなされいません。宗達ほどの作家が何の意図もなく赤から白に変えることは考え難いです。
これについては宗達研究の第一人者の山根有三氏でさえも、白い絵具を使うのが「好きだったから」
と全く踏み込んではいないといいます。
林先生は、雷神の体を白色に変えたことこそ、素庵の姿を重ねたものであり、鎮魂の表現
だといわれています。
続けて、もう一方の風神には宗達自身を重ねることで、素庵の元へ寄り添おうとする
自身の心情を表現しているというのです。
理不尽な境遇で苦しみ死んだ菅原道真の縁起を描いた絵巻に、怨霊と化した道真(雷神)が
御所に雷を落とす場面を描いた雷神絵。その絵を宗達は本屛風の二神の姿に転用したのです。
実業家のみならず文化人とても輝かしい業績を残しながら、不運な晩年を過ごさざるおえなかった素庵の生涯。
その無念の心境を道真に重ね、雷神として描いた宗達、そして自分も風神に寄り添う。そして、
今にも雷を落とし災いを起こそうとする雷神(素庵)に、右側から駆け寄り、
「おーい、素庵。俺も来たよ。昔のように楽しくやろうよ。今までのことは良いじゃないか。」と
なだめ、話しかける宗達の心情。
雷神の悲しげな表情に、世間から見捨てられた素庵の不運な人生がにじみ出ているようです。
その人物像が謎に包まれている宗達ですが、この作品が林先生のいう心情から
生み出されたものだとしたら、友情と義理厚い新たな宗達像が浮かび上がってくるのではないでしょうか?
本来、実業家としても、知識人としても近世日本史の一ページを飾ったであろう人物である角倉素庵が、
未だ全くをもって‘無名’の存在であるのは、この晩年の人生が大きな理由ではなかった!
素庵の魂は、今年の琳派400年をどのような気持ちで眺めているのでしょうか。
雷神の絵を見ながら、静かに語りかけたいと思います。