角倉了以・素庵親子ゆかりの地・伏見港に立ち寄りました。
宇治川の派流が合流し本流へ注ぐ河口に位置する伏見港は、
豊臣秀吉が伏見城を築城する際の建築資材を運ぶために整備した内陸の河川港です。
江戸時代に入ると、三十石船が伏見から大阪までの間を淀川を使い行き来し、
旅客や酒・米などを運び込みました。
また、京都洛中からは高瀬舟が往来するなど、京阪間を結ぶ物流の要衝として大いに栄えた舟運の港です。
江戸初期には了以親子による高瀬川工事、
また幕末には坂本龍馬や桂小五郎なども度々利用した
歴史ロマンを感じさせるこの港は、昭和38年にその役目を終え、
市民憩いの公園としてその姿を今に残しています。
宇治川の派流が合流し本流へ注ぐ河口に位置する伏見港は、
豊臣秀吉が伏見城を築城する際の建築資材を運ぶために整備した内陸の河川港です。
江戸時代に入ると、三十石船が伏見から大阪までの間を淀川を使い行き来し、
旅客や酒・米などを運び込みました。
また、京都洛中からは高瀬舟が往来するなど、京阪間を結ぶ物流の要衝として大いに栄えた舟運の港です。
江戸初期には了以親子による高瀬川工事、
また幕末には坂本龍馬や桂小五郎なども度々利用した
歴史ロマンを感じさせるこの港は、昭和38年にその役目を終え、
市民憩いの公園としてその姿を今に残しています。