日本昔ばなしの「一寸法師」をご存知の方は多いと思います。
その一寸法師が、おわんの船に乗って川を下って行く
シーンもあまりにも有名ですね。
でも、一寸法師が何処の出身で、何処の川を下って都に
出て行ったかは。あまり知られていないのではないでしょうか?
そうです!一寸法師は今の亀岡市がある丹波の国の出身者で
下った川こそ、我らの仕事場‘保津川’だったのです!
恥ずかしながら私はっちんもつい最近に知ったのですが、
嵐山や嵯峨の方から教えて頂き、遠い昔話はとても身近に感じました。
物語は平安時代、京の都、六波羅に住まいしていた法師の両親は
戦火を逃れ、丹波の山里に隠れ住んでいたのです。
その若い夫婦に生まれた、小さな小さな子供「一寸法師」でした。
元服を迎えた一寸法師は、都で一旗上げようと、
小さな体に大きな勇気と夢、志を持ち、都へ出る決心をします。
出発の朝、家の前に流れる保津川におわんを浮かべ
乗り込んだ法師は、針の剣を腰に差し、箸を櫂にして、
保津川の荒瀬をやり過ごし、都に辿り着いたという話です。
ここで当時の丹波とは、広範囲に及ぶので、そこが亀岡なのか?または
もっと奥の地域なのか?は定かではないそうですが、
丹波全域に、皇室とゆかりの深い地が多く点在しているので
それらの歴史ある村の何処かであると思われます。
丹波は、平安京の造営に使われる丹波産の木材やさまざまな物資を
大堰川(保津川)を筏で運びという物流の要所となっていたこと
もあり、都とは深いつながりがあったのです
また、都に出る決心をした法師に、母親が川を下る為に、
おわんと箸を与えたのは、食べることに困らないようにという
親心だったそうです。
それからは皆さんご存知の様に、持ち前の勇気と気転を活かし
嵐山に住む高貴な方に仕え、鬼に襲われたお姫様を守るという武勇
を効を上げるなどして、志を叶なえるというサクセスストーリー。
成功を果たした法師は助けたお姫様と結ばれ、
両親も丹波から呼び寄せ、幸せに暮らしたそうです。
嵐山・嵯峨の人達曰く、
京都の一寸法師の物話は、どんな人でも目標を持ち
強い心で生きることの大切さを諭し、親子の愛情の
深さと大事さを込めて、語られたそうです。
改めて思うと、平安京以前から、数え切れない程の多くの人達が
色んな思いを胸に、この保津川を下っていったことでしょう。
そんな色んな思いを呑み込みながら、保津川の瀬は
今も姿を変えることなく、今日も流れています。
はっちんも毎日、色んなことを思い感じながら下って
いますが、それもこの悠久の流れの1コマでしかないのでしょう。
一寸法師の物語は立身出世、恋愛成就、親孝行のシンボルとして
今でも嵐山の人達の心の中に生きています。
その一寸法師が、おわんの船に乗って川を下って行く
シーンもあまりにも有名ですね。
でも、一寸法師が何処の出身で、何処の川を下って都に
出て行ったかは。あまり知られていないのではないでしょうか?
そうです!一寸法師は今の亀岡市がある丹波の国の出身者で
下った川こそ、我らの仕事場‘保津川’だったのです!
恥ずかしながら私はっちんもつい最近に知ったのですが、
嵐山や嵯峨の方から教えて頂き、遠い昔話はとても身近に感じました。
物語は平安時代、京の都、六波羅に住まいしていた法師の両親は
戦火を逃れ、丹波の山里に隠れ住んでいたのです。
その若い夫婦に生まれた、小さな小さな子供「一寸法師」でした。
元服を迎えた一寸法師は、都で一旗上げようと、
小さな体に大きな勇気と夢、志を持ち、都へ出る決心をします。
出発の朝、家の前に流れる保津川におわんを浮かべ
乗り込んだ法師は、針の剣を腰に差し、箸を櫂にして、
保津川の荒瀬をやり過ごし、都に辿り着いたという話です。
ここで当時の丹波とは、広範囲に及ぶので、そこが亀岡なのか?または
もっと奥の地域なのか?は定かではないそうですが、
丹波全域に、皇室とゆかりの深い地が多く点在しているので
それらの歴史ある村の何処かであると思われます。
丹波は、平安京の造営に使われる丹波産の木材やさまざまな物資を
大堰川(保津川)を筏で運びという物流の要所となっていたこと
もあり、都とは深いつながりがあったのです
また、都に出る決心をした法師に、母親が川を下る為に、
おわんと箸を与えたのは、食べることに困らないようにという
親心だったそうです。
それからは皆さんご存知の様に、持ち前の勇気と気転を活かし
嵐山に住む高貴な方に仕え、鬼に襲われたお姫様を守るという武勇
を効を上げるなどして、志を叶なえるというサクセスストーリー。
成功を果たした法師は助けたお姫様と結ばれ、
両親も丹波から呼び寄せ、幸せに暮らしたそうです。
嵐山・嵯峨の人達曰く、
京都の一寸法師の物話は、どんな人でも目標を持ち
強い心で生きることの大切さを諭し、親子の愛情の
深さと大事さを込めて、語られたそうです。
改めて思うと、平安京以前から、数え切れない程の多くの人達が
色んな思いを胸に、この保津川を下っていったことでしょう。
そんな色んな思いを呑み込みながら、保津川の瀬は
今も姿を変えることなく、今日も流れています。
はっちんも毎日、色んなことを思い感じながら下って
いますが、それもこの悠久の流れの1コマでしかないのでしょう。
一寸法師の物語は立身出世、恋愛成就、親孝行のシンボルとして
今でも嵐山の人達の心の中に生きています。
幼い時、絵本で読んだのを思いだしました。
物語の筋なんかすっかり忘れてましたが、今読ませてもらって成る程と感心しました。
今、忘れられかけている大切な事がふくまれているのですね。
昔ばなしには、人として忘れてはいけない大事なテーマが多く述べられてますね。
子供の情操教育のみならず、情報の洪水に翻弄され、混沌の中にいる現在人にも参考になる話が多くあると感じます。
どんなに時代が変わり、科学技術が発達しても人間の本質的なものは、あまり変わらないと近頃思っているところです。
まだ、多少絵本(スポンサー名入)があります。
よろしければ差し上げます。上記URLでタウンナビ京都にアクセスし、バナー『京の一寸法師』より、http://www.kyoto-navi.jp/にてお申し込みください。 著者
保津川遊船でこのお話の本を頂きました。
日本昔ばなしでよく知る法師でしたが、
保津川とのゆかりがあるとは、
自分もはじめて知る内容でした。
まだまだ知らないことが多いので、これからも
いろいろ教えて下さい。
これからもよろしくお願いします。