ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.6.8ドセタキセル4回目(6割減量2回目)+ジーラスタボディポッド3回目17日後のこと 今日から一足早く誕生日祝賀旅行スタート!

2024-06-08 20:00:56 | 

 昨夜は入浴後、久しぶりに10時台(!)にベッドに入った。
 今朝は4時半にスマホアラームが鳴る。5時45分指定でタクシーの迎車を頼んだ。さすがに朝食を摂る元気はなかったが、“今日も元気だなんでも美味い”夫はしっかりアンパンと牛乳を召しあがっている。
 ごみを捨て、毬藻の水を替え、身支度を整えて、さて、出発だ。実際の誕生日には治療後で体調不良が見込まれるので、一足早い誕生日祝賀(自分で言ってどうする!だが・・・)旅行だ。

 コロナ以降すっかり間引き運転になってしまい、最寄り駅出発で丁度良い時間のリムジンバスがなかった。予定では集合時間の1時間半前には到着してしまう。けれど、渋滞で遅れた時の場合も考え、電車のように荷物を持って階段の上り下りもないので、やはりバスは捨てがたい。
 結果、何のトラブルもなくスイスイと予定時間より更に20分近く早く到着してしまった。

 早朝の空港は既に旅立つ人たちで一杯。いつ来ても時間を感じさせない場所だ。けれど、さすがにまだ早すぎて旅行会社の受付カウンターは準備中。声を掛けたら、まだ集合時間の1時間半以上前なので、30分以上してからいらしてください、といわれる。
 近くの椅子に座わり、持参したバナナとヨーグルトをお腹に入れる。朝食後の薬はバス降車直前に飲むという逆転現象だ。

 それでもカウンターの女性がご親切にも気を利かせてくれて、8時には「準備が出来ました」とわざわざ呼びに来てくださった。今日は2人とも小さな機内持ち込み用荷物だ。セキュリティを難なく通過し、そのままラウンジへ直行。
 朝食もバナナもお腹に入れた筈の夫は、更にラウンジのパン&珈琲セットも頂くという。2人で2種類のデニッシュセットを半分ずつ。トマトチーズ味もピーカンキャラメル味もどちらも美味しかった。窓からはひっきりなしに飛行機が飛び交っている。

 それにしても、搭乗する飛行機の出発時間まで優に2時間。機内のお供に、と持ってきた薄い文庫本はほぼこの時間で読み切ってしまう。 
 納棺師・大森あきこさんの「最後に『ありがとう』と言えたなら」(新潮文庫)。
 帯には「最初から最後まで涙が止まりませんでした(読者の声より)4000人以上を見送った『おくりびと』が泣いた家族の物語」とある。

 心に残ったフレーズを以下に。
「人は死んだらどこへ行くのかーそれを考えるとき、私の中でこんな映像が浮かびます。一つの命が、花火のようにパッと散って沢山の欠片になり、自分を想ってくれる人の中に飛び込んでいく。その欠片を受け入れてくれた人の心は、初めのうちはズキズキ痛むけれど、欠片は時間とともに溶けてその人の一部になっていく。多くの死とお別れを見ながら、そんなことも考えています。」
 自分もそんな存在になれたら素敵だなと思った次第。

 夫は2時間という史上最長のラウンジ滞在にさすがに飽きてしまったようで、落ち着かない。早く搭乗口に行きたがる。行っても仕方ないと思うのだけれど。
 ということで、ゆるゆると搭乗口へ移動。定刻通りの離陸だ。夫にはちゃんと窓際の席を提供する。
 3人席で(隣が空席で)2人だといいな、と図々しく思ったけれどあいにく満席。真ん中の席に挟まってなんとなく居心地が悪い1時間半弱。

 途中、まだ半分ほど雪を被った富士山の火口がハッキリと見え、淡路島、小豆島、瀬戸内海の島々がくっきり。
 定刻より5分早い到着というアナウンスだったが、最後は気流により若干の揺れがあり、定刻より若干遅れて“桃太郎”空港に到着した。

 岡山空港に降り立ったのは初めてだ。荷物が出てくるのを待たなくて良いので、お手洗いを済ませ、そのまま到着口へ。今回のツアーは山陰山陽4日間。御一行様は18組36名である。久しぶりにこんなに多くの方とご一緒するツアーになった。

 空港を出発したバスがまず向かう先は倉敷美観地区だ。倉敷には学生時代にダブルスクールで仲良くなった倉敷出身のNちゃんを頼り、社会人1年生の夏に訪れた。帰京した日に、あの御巣鷹山の大惨事があったのだった。

 それ以降、息子がまだヨチヨチ歩きだった年末に家族3人で訪れた。折り悪く息子が体調を崩して熱を出し、救急診療のお世話になった。年末年始休暇中でどこもクローズ。ホテルで紹介して頂きお世話になった病院はなんと成人病センターだった。

 そして3度目は両親とともに。この時はテーマパーク大好きだった息子(勿論、私も。そのおかげで全国名だたるテーマパークはほぼ制覇した。)のためにチボリ公園をメインのリベンジツアー。美観地区では人力車にも乗った。現在、既にチボリパークは閉園になっており、今ではアウトレットモール等に姿を変えている。

 そんな記憶はさておき、与えられた自由時間は昼食込みで2時間だ。少し雲が厚くなってきているが、時折日が差すと蒸し暑い。28度位あるようだ。
 迷わずに近くの老舗ホテルの“藤”という名前を持つフレンチレストランに向かう。エントランス近くの公園入口には立派な藤棚がある。予約もない飛込だったけれど、窓際の奥の良い席に案内される。スープ、サラダ、メイン、デザート、珈琲紅茶のスペシャルランチを堪能した。エディブルフラワーの盛り付けがとても美しかった。ここで残り時間は小一時間だ。

 美術好きだったら倉敷観光で外すことの出来ないピカソやエル・グレコのコレクションを誇る大原美術館に入館する時間は残念ながら、ない。ショップで文通しているIちゃんに出すためにモネの睡蓮の絵葉書を買い求め、入口で写真を撮っておしまい。残念。
 かつてパリでリアルに鑑賞したロダン作・カレーの市民のレプリカと夫のツーショットも。

 物語館にもちょっぴり入館。展示館は立派な建物である。
 倉敷川には天領丸という名前の船が水上を滑る。お客さんは船頭さんと同じ傘を被っている。柳の緑が濃く、美しい。更に、白無垢の花嫁さんと紋付き袴の花婿さんの船も。「おめでとうございます」と手を振って幸せのお裾分けを頂いた。

 残り時間20分ほど。あちこち見たい処は沢山あれど、そのためには食事の時間を削って観るしかない自由時間だ。紹介されたお土産屋さんでお菓子を買ってちょっぴりプレゼントを頂き、バスに戻る。
 集合時間まであと7分だったか。皆さんパンクチュアルに揃い、集合時間丁度にバスは出発した。

 次なる行先は瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地、鷲羽山展望台。昭和63年に全線開通した瀬戸大橋の全景に橋の終点・四国の坂出まで見渡せて、文字通り素晴らしい眺めだ。
 父の故郷である四国に初めて上陸したのは学生時代。その時に、先日那覇でお世話になったMちゃんのご実家を訪問した。当時は宇高連絡船で四国入りしたのだった。

 と、あれこれ思い出が尽きないが、残念だったのはお天気は下り坂で、雲が厚く、青空でなかったため、海の色があまり青くなかったこと。それでも雨が降らなかったのが幸いだった。瀬戸内海は本当に穏やかに凪いでいる。
 停車する車が少なく、一番上の駐車場までバスが登ってくれて、最後の少しの階段を上るだけで済んだ。帰りもそこにいられなかったら下の駐車場まで階段を降りるかもしれません、と言われていたけれど、それもなく有難かった。石段を上り下りすると、悲しいかな、だんだん足の裏が痛くなってくる。
 20分絶景を愉しみ、バスに戻る。あとは宿まで10分少々だ。

 チェックインしたのは起床からおよそ12時間が経過した頃。夫はバスの中で船を漕いでいたが、私は眠いのになかなか眠れず。
 和洋室の部屋からも瀬戸大橋の全景が見える。丁度角部屋で2面の窓があり、ラッキーだ。
 夕食は懐石ブッフェ。第1部ということで、ちょっと早い夕食なので、到着から食事までの間にお風呂を愉しむ余裕はなく、こうして記事を書いている。

 さて、夕食から戻ってきた。ライブキッチンでオーダー制の握り寿司やお造り、揚げ物、焼き物等のメインが頂ける。前菜は美しくテーブルのガラス箱に飾られ、さらに諸々のお料理や飲み物がブッフェになっている。
 悲しいかな、眼は卑しくてもお腹はすぐに一杯に。お寿司3貫とお造りを頂いたら、もう腹八分目。お隣のご夫婦は墨田区からご参加とのことで、ワインを頂いて饒舌になった夫が職場のある浅草の話等をして盛り上がった。

 お腹がぱんぱんになってそれでも別腹のデザートを少しずつ色々頂いてレストランを後にした。日没が近づき、暮れなずむテラスでライトアップされ始めた瀬戸大橋を見ながら、部屋に戻ってきた。

 母にMeet通話。今日はサ高住で朝ラジオ体操をしているグループに誘われて、昨朝と今朝、2日続けて参加してきたそうだ。日曜日以外は毎日やっているとのことで、これから出来るだけ行ってみようとのこと。それは良かった。その後も洗濯をして布団を干して、クリニックで薬を頂いてきたそう。充実した一日だったとのこと。何よりだ。

 さて、これからまずは最上階の露天風呂、そして別棟のお勧めの内風呂にもトライしてこなければ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024.5.17 フェスゴ4回目+ドセタキセル3回目(6割減量1回目)+ジーラスタボディポッド3回目16日後のこと 旅は6日目 終日自由行動の行先は・・・

2024-05-17 21:47:19 | 

 昨夜はブログアップ後、ゆいレール2日券(48時間有効なので帰る日まで利用OK)をゲットして夫の好きな国際通りを目指す。昨年12月、修学旅行生でごった返して入れずに心残りだったハンバーガーショップへまっしぐら。無事3階席をキープして夫と別々のコンボセットを頂く。
 内地にはない、ルートビアが有名なお店だが、そのルートビア、なんとも変わった薬草フレーバーだ。私はコーンスープをチョイス。夜になると風がひんやり、さらに店内は冷房が効いているので結構寒い。

 食事を終えて、では国際通りを歩いて別の駅から乗って帰ろうと歩き始めたが、途中でまた腹痛に襲われる。ホテルでお手洗いをお借りして事なきを得たが、お腹がいまいち安定しない。
 次の駅まで歩くよりも戻る方が早いというので、引き返して再び下車した駅からゆいレールに乗りホテルに戻った。
 2時間ほどの外出だったが、日中かなり強い日差しの中で動いたこともあり、思いのほか疲れていて眠くてたまらない。早々に入浴し、手足のケアを済ませたらバタンキュー。

 明け方4時過ぎに目が覚める。暫し眠れず・・・だったが、5時間半は寝られた計算だ。
 何とか寝直して、いつもより小一時間遅めにセットしたアラームで目覚める。ニュースを見ながらだらだら。今日もいいお天気の予報だが、夕方あたりから少し曇ってきそうな気配だ。
 朝ドラを視て、身支度を整えてレストランに降りる。6日目にして一番遅い時間の朝食だ。今日のローテーションは豆腐チャンプルや沖縄そば。ちょっぴり沖縄そばを味見して、あとはクロワッサンとパン・オ・ショコラのいつものパターン。ホットココアを頂いて部屋に戻る。

 明日はほぼ移動だけなので、今日が実質最後の自由行動日だ。バスとゆいレールだけで行ける気になる処ということで、本島と600mの道路で繋がった1周約1.5㎞のリゾートアイランド、恋の島という異名を持つ瀬長島ウミカジテラスとアウトレットモールあしびなーを梯子することに。
 まずはゆいレールで数駅移動して、ウミカジライナーという名前のバスに乗る。空港から渋滞なのか時間通りにはなかなか来ない。更にかなり混雑しており、立ちんぼのまま瀬長島ホテル・ウミカジテラスに到着。

 ホテルには日帰り温泉も併設されている。今回宿泊しているホテルには大風呂もプールもないし、ずっと部屋のユニットバスで過ごしているので、脱毛していなければ、 眼前の空港の飛行機の離着陸を見ながら露天風呂に入るという贅沢もあったなぁとちょっと残念。足湯もあったが、この足の裏の痛みを考えると、とても無理。
 エメラルドグリーンの海越しに、ひっきりなしに飛行機が飛び立っていく。ジンベエザメジェット等機体の模様もクッキリ見える。飛行機好きにはたまらないスポットだろう。

 東シナ海の綺麗な景色が望めるホテルのロビーラウンジを通って外のテラスに出ると、天然温泉を引いた露天風呂付のお部屋が沢山見える。海と空に包まれるようなインフィニティプールでは、泳いでいる宿泊客の姿も複数。次回来ることがあるならこのホテルもいいなぁ、と独り言ちる。
 海に向かって階段状に並ぶ建物にはレストラン等バラエティ豊富なお店が並んでいる。映えるスポットも沢山で地元でも注目されているそうだ。ハンモックに乗れるカフェやら氷で囲まれた店内に入る氷点下バー(お腹が弱い私にはありえない設定だ。)やら、なかなか面白い。ここも階段の上り下りはなかなか大変だったが、異国情緒溢れて(ちょっとギリシアの島のようで)なかなか楽しめた。

 夫が「アイス、アイス」と言うので、地元のブルーシールアイスクリームを買って一休み。私は朝、まだお腹が緩めだったので紅芋フレーバーをちょっと味見をする程度。恋の島というだけあって、太陽と影が映し出すハートのおまじないやらハート形の絵馬を飾るテラスやら、若いカップル向けとはいいつつシニアの我々もついでに写真撮影。

 ホテルでお手洗いを済ませて、次のバスを待つ。空港行のバスは皆大荷物で乗り込むのも大変だ。私達が乗る予定のバスは10分ほど遅れ、降りる人たちが沢山いて、結局15分ほど遅れてアウトレットモールに向けて出発した。瀬長島に滞在したのは1時間ほどか。

 断捨離をして物欲がなくなったのに何故にアウトレットモールに行くかという気もするが、夫はジャケットでも欲しいなぁとのこと。コンクリートの照り返しがきつく、サングラスと日傘を差していてもかなり暑い。買い物客はほんの僅か。
 インフォメーションセンターで地図をもらって、一応1周したけれど、特に見たいお店もなく、欲しい物もなく、昼食を摂りたい場所もなく。バスの時間を調整して、バス停に行くと、空港直行の路線バスがちょうど到着したので、乗り込んだ。こちらでの滞在時間は1時間に満たず。

 夫は昨日も空港の見学に来ていたが、私はこれまでゆっくり空港内レストランを見たこともなかった。このところずっとパンケーキが食べたいと言い続けていた(瀬長島のパンケーキ店は長蛇の列だった。)が、運よくパンケーキのブランチセットが頂けるレストランを見つけ、夫が好きなステーキ類も充実していたので入店。
 残念ながら、滑走路が望める窓際の席は満席だったが、その一つ手前の大きな丸テーブルに座らせて頂く。
 夫が好きなオニオングラタンスープやエビとアボカドのサラダ等、パンケーキセットは充実していて大満足。フレーバーティやカフェラテも頂き、水分補給も兼ねてゆっくり過ごし(更に窓際席にご案内出来なかったので、と思いがけず割引もして頂いて!)、再びゆいレールでホテルまで戻ってきた。

 綺麗に整えられた部屋で明日の搭乗便のオンラインチェックインを無事済ませた。夫はまたしてもお昼寝中だ。
 アウトレットモールで不完全燃焼だった夫は、暫し休息したら目の保養のためにDFSに寄って、沖縄滞在最後の夜は昨夜に続き、国際通りで食事をしたいようである。

 出かける前に、母に定期便より早めのご機嫌伺いでMeet通話。今日は午前中ヘルパーさんが来てくださった後は、お散歩方々駅前のショッピングモールへ行ってきたそうだ。あと1日気を付けて帰っていらっしゃいとのこと。旅の間、無事に過ごしてくれて何より。

 態勢を整えてDFSの最寄り駅であるおもろまちへ向かう。店内は広々、閑散・・・とまではいかないけれど、それほど混雑していないので優雅に冷やかし半分でお散歩する。一周した後、お手頃なジャケットが見つかったのでお買い上げ(早速明日着て帰るそうである。)。少し近辺をふらふらして、国際通りの、昨夜私の腹痛のため、途中折り返して使えなかった駅で降りる。ゆいレールの最前列に座れたので降りるのがちょっと惜しい気分・・・これではまるで子供である。

 賑やかな通りをぶらぶらと歩きながら、最後の夜は沖縄料理以外のものを、と夫が見つけたホテルのメインダイニングに入った。予約なしの飛び込みだったけれど、雰囲気が良いそのレストランの名前がついたノンアルコールカクテルを注文し、白ワインの夫と乾杯。
 前菜のホワイトアスパラガスやメインの魚介パエリア、フォッカチオ等お料理はどれも美味しく、スタッフはとても親切だった。1日限定10個というデザートも提供して頂けて、大満足でレストランを後にした。だらだらとまた昨夜と同じ駅まで戻ってきてホテル最寄り駅まで。無事に部屋に戻った。

 6泊7日、南国暮らしと称するロングバケーション、最後の夜も更けていく。今日は一番歩いて14,000歩近く。Mちゃんにアテンドして頂けた昨日は9,000歩弱だったが、バス観光付きの3日間は全て1万歩超えだった。ようやく体調が戻ってきたと思えば、薬の残りが大分少なくなってきた、つまりすぐに通院日が控えているということである。はぁ。

 明朝はオンラインでSさんの瞑想ヨーガ30分のクラスに参加。朝食を摂り、荷物のパッキングを済ませたらホテルをチェックアウトし、いよいよ羽田に向かう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024.5.16 フェスゴ4回目+ドセタキセル3回目(6割減量1回目)+ジーラスタボディポッド3回目15日後のこと 旅は5日目 最高のピーカンの日、40年ぶりの再会叶う

2024-05-16 18:39:55 | 

 昨夜はブログアップ後、母にMeet通話。予定通りWさんサロンに出かけ、オプションのアロマフットマッサージや魚の目のケアをして頂いたそうな。母のとりとめないお喋りが止まらず。相手をしていたら、プロ野球中継を観戦中の夫から「よく喋るね~」と煩がられ、通話を切る。
 夫の贔屓のチームの勝ちが見えてきたところで、もうかなり遅い時間になってしまい、お昼がボリューミーだったせいもあり、なんとなくお腹がもたれており、ゲップも再開しているので、近場のファストフードで軽く夕食を済ませることになった。
 部屋に戻った後は早々に入浴を済ませ、手足のケアをしてからベッドに入り、日付が変わらないうちに眠りに落ちた。

 明け方お手洗いで目が覚めたのは5時過ぎ。5時間半は連続して眠れたので、二度寝は出来ず。平日仕様のスマホアラームが鳴るまでベッドでぐずぐず。待ち構えてアラームを消して、起きる。今日も降水確率零%の好天だ。
 BSで朝ドラを視てからレストランで朝食を摂る。今日はお粥チョイスの日。お惣菜は3日ローテーションということが分かった。贅沢な話だけれど、もうかなり飽きてきている。お腹は快調。今日もミヤBMとタケプロンのみでロペミンはなし。

 旅の5日目は自由行動初日。40年ぶりにMちゃんとの再会である。Mちゃんは父と同郷で、友人のHちゃんの従妹。学生時代、Hちゃんと四国を旅した時に、Mちゃんのご実家に泊めて頂き、ご両親にも大変お世話になった。彼女は私より3つ年下で先日還暦を迎えたばかり。
 出会った時はまだ高校3年生で、大学の後輩になることが決まっていた。私と同じ1990年に結婚された後はご夫君の転勤で全国津々浦々に引っ越しを重ねながら2男1女のお子さんを立派に育て上げられた。こちらに住まわれて10年以上になる。
 長く年賀状のやり取りだけで毎年「沖縄に是非遊びに来てください」と書いてくれていたが、これまでなかなか機会に恵まれなかった。ふんわりおっとりした彼女が、今や那覇マラソンどころか外国迄遠征してフルマラソンを完走され(東京マラソンは10年連続で抽選落ちしたそうな)、トライアスロンまでこなすアクティブな女性に変わっていた。今朝も5時から走ってきたと仰る。

 直前まで本当に来沖出来るかどうかという体調だったので、SNSを通じて連絡出来たのもGWを過ぎてかなりギリギリのタイミングだった。
 そんなこんなで今日は9時にホテルまでお迎えに来てくださった。夫を紹介し、見送ってもらう。
 私からはお茶かランチだけでもご一緒出来たらとの申し出をしたのだけれど、フルアテンドを考えてくれたようで、3日間の観光内容を見て、全部訪れてしまって案内する場所がない、と頭を悩ませてしまったらしい。

 まずは彼女がお勧めのお城だという世界遺産の勝連城跡に向かう。40年ぶりの再会で会話が続くだろうかという心配は杞憂に終わる。車内で近況等を話すが、お互い話が止まらず、これまでの空白を埋める感じ。学生時代、我が家に泊まりに来て頂き、父にはどこそこにドライブに連れて行ってもらったという彼女の話を、私は恥ずかしながらすっかり忘れていた。

 それにしてもピーカンのいいお天気だ。いつ梅雨に入ってもおかしくない季節なのに、北風が気持ちよく吹いて、珍しいほど爽やかで雲もない最高の日和だという。海はどこまでも美しい。
 勝連城の築城は13世紀頃、15世紀に豪族の阿麻和則(あまわり)が第十代城主となり栄華を極めたところだ。最上階の廓からは360度の絶景が楽しめる。聳えるように存在している城は、”天空のグスク”と称されることもあるという。

 昨日訪れた座喜味城とは雰囲気が異なり、小高い丘に築かれた細長い城は五つの曲輪(くるわ)から成り、城壁は琉球石灰岩の切り石を使って曲線状に形造られている。かつては手すりもない急な石畳の坂道を全て上っていかなければならなかったそうだが(Mちゃんはヒールを1足ダメにしたという)、今は坂道の途中までカートで送迎してもらえ、その後は手すりのある階段が整備されているので高齢者も上り降りしやすくなったという。
 それにしてもかなりハード。階段がない所は正直かなり怖い。足の裏もジンジン。私の体調や足の裏の痺れ等のことは事前にろくにお伝えしていなかったので、自業自得。頑張って登り、丘陵の頂きに到着すると、そこからの景色はまさに絶景。海の色が方向によって随分違う。

 再び急な石段をへっぴり腰で降りてきて、新しく出来たという“あまわりパーク歴史文化施設”の見学。土日は中高生のライブイベントがあるそうだが、平日の今日はライブシアターで阿麻和利のアニメを観た。

 続いて、昨日も通った海中道路をドライブだ。干潟ではパラグライダーやSUP(サップ)等マリンスポーツをしている人たちの姿が。中間地点にある道の駅にも立ち寄り、2階の文化資料館を見学後は、テラスから美しく広がる海を堪能する。海面はどこまでも青のグラデーションが続き、眩しくキラキラと輝いている。

 橋を渡って最初の島、平安座島でランチタイム。お洒落なカフェもいいけれど、地元で人気だという海鮮食堂へ案内される。沖縄の魚は甘辛醤油で煮ても美味しくないようで、マース(塩)煮かバター焼きがお勧めとのことで、マース煮に挑戦した。目の前の漁港で水揚げされた鮮魚を“いま魚(イマイユ)”定食として提供してくれる。売り切れ次第食堂はクローズだそうだ。私の塩煮魚はレンコ鯛、バター焼きをチョイスしたMちゃんは真鯛だった。大きな尾頭付きとお刺身、もずく酢を美味しく頂いた。

 食後は琉球創生神の伝説が残る浜比嘉島へ。女神アマミチュー(アマミキヨ)、男神シルミチュー(シネリキヨ)ゆかりの地とされ、島全体がパワースポットといわれるところだ。これでまた寿命が延びるに違いない。
 まずはアマミチューの墓を参る。島の東側アマンジと呼ばれる陸続きの離れ小島にある。多くの神が祀られており、毎年旧暦の1月1日、地元のノロ(祝女)を中心に島民が五穀豊穣・無病息災等を祈願しているという。
 海も空もただただ美しいが、霊感の強い人はここに来るだけで身体が熱くなってくるらしい。

 続いて、アマミチュー、シルミチュー夫婦神が暮らしたと伝わる洞窟へ向かう。ジャングルのような山道を上がっていく。月桃やバナナ等沖縄らしい樹々が左右を取り囲んでいる。前方には108段の長い石段が聳え、二重鳥居になっている。
 ここまで来て、お参りせずに帰るわけにはいかない。頑張ってゆっくりと登って合掌。洞窟前に敷き詰められた石と思われたものはサンゴのかけらだそうで、手に取って見せてもらうとなるほど、である。ただし聖地のものは記念に持ち帰ることは許されず、そのまま置いて戻ってきた。

 今日のスケジュールはこれで終了。途中でお茶が出来るカフェに寄れれば、とお願いしたのだけれどなかなか適当な立ち寄り場所がなく、そのままホテルまで送って頂いた。東京に来ることがあれば、是非連絡を、とお別れした。朝から6時間弱車内ではほぼ喋りっぱなし。
 ピーカンの素晴らしいお天気のドライブとランチの後、あまりに喋り過ぎたのか、喉が渇いてカラカラ。ロビーでちょっと一休みしながら、一人観光に出かけた夫が今どこにいるのかを確認する。

 すぐに帰ってこられるようならどこかカフェで待ち合わせしようと連絡をすると、まだ30分はかかりそうという。では、と隣のコンビニでアイスカフェラテを調達して部屋に戻った。助手席でのドライブでサングラスをかけた顔も手袋と五分袖からはみ出した腕もこんがり焼かれた感じ。

 ほどなくして夫が帰ってきて、お互いに今日の写真を見ながらあれこれ報告。夫はゆいレールの2日券を購入して、空港へ飛行機見物に行ったり、再建中の首里城へ行ったり、電動自転車を借りてあちこち散策をしてきた模様。私と一緒では自転車回りは出来なかったので、それはそれで楽しかったようだ。
 さすがにお疲れのご様子で、お茶とお菓子で一服した後は、お夕寝中である。

 ということで、40年ぶりの嬉しい再会を果たすことが出来た。こうして遠くに住むお世話になった方とお会いしておくという私なりの“終活”は順調に進んでいる。残念なのは数年前京都に引っ越した、Mちゃんの従姉である友人Hちゃんと30年ほどお目にかかれていないこと。
 ご両親の介護のため京都と実家を頻繁に往復しているとのことで、去年の春、1週間の京都滞在時に再会が叶わなかった。タイミングが難しいお年頃なのである。

 母にMちゃんとの写真をLINEで送ったら、それを見て操作を間違ったらしくLINE電話がかかってきた。応答して報告を済ませ、夜の定期便はなしということに。
 今日こそ繁華街まで夕食を摂りに行く予定である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024.5.15 フェスゴ4回目+ドセタキセル3回目(6割減量1回目)+ジーラスタボディポッド3回目14日後のこと 旅は4日目折り返し ようやく晴れ!青い空、色鮮やかな海のグラデーションを堪能

2024-05-15 19:26:34 | 

 昨夜は夜ヨガを終えてブログアップした後は、眠くて眠くてもうヨレヨレ。入浴を済ませ、手足のケアを超特急で終えてからベッドへ滑り込み、あっという間に寝落ちした。

 3時半過ぎに一度目覚めたが、そのまままた眠り、今朝は昨日と同じ時間にスマホアラームが鳴って起きる。
 夫曰く鼾が凄かったそうな。失礼しちゃう、いや、多分とても疲れていたんです。

 窓の外は4日目にして待ちに待った晴れ。青空と刷毛で描いたような白い雲が広がっている。お腹は快調だ。身支度を済ませ、レストランに降りる。
 今朝はまたクロワッサンとパン・ショコラに戻る。ブッフェでは沖縄料理のメインの一品が変わるようだ。 初日はカレー、昨日は沖縄そば、今朝はタコライスだった。さてあと3日、何が続くだろう。その隣に泡盛の樽が置いてあるのが凄い。
 カフェオレを飲み終えて、今朝2度目のお手洗いを済ませる。快調すぎるようだが、ロペミンは不要だ。部屋に戻って朝ドラを視てからゆっくりロビーへ降りる。
 
 今日も昨日同様8時半の出発だ。ようやく晴雨兼用傘を日傘として使える。そして睫毛のない身、この強い日差しの中では眩しすぎてサングラスがないと目がまともに開けられない。バスもドライバーさんも昨日と同じだ。今日は一番後ろ(といっても前から5列目)が座席指定だったけれど、皆さん後部座席に偏って座っておられて前方がガラガラなので、それでは、と少し前に出た。

 今日の最初の目的地は、隆起サンゴの断崖から美しい景色を望む「象の鼻」で知られる沖縄有数の景勝地、万座毛。今回のツアーは“青の絶景10景に癒される”というネーミングだが、ここが8つ目にあたる。
 残念ながら7つ目までは雨や曇天だったので、その魅力も半減だったか。1時間弱バスに揺られると、東シナ海が見えてきて、嗚呼、これこそ沖縄の海だ!と思う。

 昨年12月に30年ぶりで万座毛を訪れた時は、急に雨が降り始め、風も強く、早々に引き上げた記憶がある。今日はどこを見回しても美しい海が広がっている。パンフレットを頂き、遊歩道を進み、フォトスポットで写真撮影を済ませ、2階のテラス席で一休みする。夫は今回も鳴き龍ならぬ鳴き象の廊下で手をパンパンと打って嬉しそうだった。

 30分ほどの散策時間の後、次に向かったのは恩納村にある紅芋タルトで有名な御菓子屋さん。県内あちこちに支店があり、前回は国際通り店でお世話になったが、こちらのお店は初めてだ。生ものやバラ売りのものも沢山あり、ついお土産あれこれと道中のおやつあれこれをかごに入れてしまう。おまけにとても派手なエコバッグを頂いた。残り時間は海と空を見渡せる椅子に座り、どこまでも美しい景色を堪能した。

 そこから30分ほどバスに揺られ、次の立ち寄り先は座間味城跡。標高124mの高台にある沖縄最古のアーチ型の貴重な遺跡である。こちらも12月に訪れたばかり。バスの駐車場が前回より下にあり、坂道を歩かなければならない距離が長くなっていた。
 ふうふう言いながらリュウキュウマツに囲まれた坂道を上り、石段を上がり、石畳を歩く。またしても痛む足の裏の負担は大きいけれど、今日こういう道を歩くのはここだけだ。散策時間は50分だったけれど、皆さん戻りが早く10分ほど早く出発。少人数だと集まるのが早い。

 30分ほど走ると、美浜アメリカンビレッジに到着。自由昼食兼散策時間は1時間半だ。ここには昨年1月宜野湾にフリーで訪れた時、夜、路線バスとタクシーで往復した。派手なネオンサインが煌めき、米軍の大男たちがひしめきあい、ここは実はアメリカではないか、とちょっと怖いくらいの凄い迫力だった。
 今日はお昼ということで、ネオンの光もなく、色とりどりにペイントされた建物がちょっと遊園地のようにも見える。

 前回入れなかったシーサイドのレストランへまっしぐら。さすがに海を臨むテラス席は人気で、最初に入ろうとしたお店は店内のご案内とのことで、隣のレストランに入った。夫はガーリックシュリンププレートを、私は迷った挙句に石焼チーズカレーを注文。
 ただでさえ石焼でグツグツしているのに、更にバーナーで焼き目もつけるパフォーマンスもあり、熱くて食べるのが大変。夫に大分助けてもらった。目の前には遮るものなく美しい海が広がり、ヤシの木が揺れる。開放感たっぷり。どこぞ遠い国の海外リゾートに来た気分だ。お店の方もフレンドリーで「喜んで!」と写真を撮ってくださる。

 食事を終えたら、もう残り時間は30分もない。前回入ったレストランはリバーサイドだったけれど、昼間はイルミネーションもないし、何だか地味だった。あちこちで写真を撮りながら、ショッピングモールでお手洗いを済ませ、向いのバスの駐車場に戻った。気温は26度というが、日差しが強く、体感温度はもっと高い。

 次の絶景ポイントは9つ目、両側に海を臨む海中道路だ。1時間ほどバスは走り、東へ向かう。本島と平安座島を繋ぐ全長4.7㎞海中道路は、中部エリアきってのドライブスポット。その先に続く4つの島のうち、今日は2つ目の宮城島にある観光製塩ファクトリーと敷地内で色鮮やかなエメラルドグリーンの海を臨むことの出来るという果報(かふー)バンタに向かう。

 海の色のグラデーションが本当に綺麗だ。まずは敷地内を散策した後、工場見学。製塩工程の説明があり、その後ショッピングタイム。ここ宮城島の海塩「ぬちまーす」とはミネラル豊富な「命の塩」という意味だそうで、敷地内には複数のパワースポットがあるという。
 エネルギーの通り道「龍神風道」、天・地・海(龍宮神)の神様が集まるというガジュマルに守られた小さな鍾乳洞「三点御座」、癒しのエネルギーで満たされる「はなり嶽」にそれぞれにお参りする。

 果報バンタは「幸せ岬」との意味で、藍色、コバルトブルー、エメラルドグリーンと繋がる美しく壮大な青い海のグラデーションはパンフレットの写真通りだった。浜には満月の夜、ウミガメが産卵に訪れるという。散策と説明の後、ショップで塩水を試飲し、塩気を感じれば塩分は足りているとのことでトライしたが、夫も私もOKだった。ここでもお土産を物色し、本日までの3日間の観光は全てコンプリート。

 バスは1時間半弱走り、アンケートを書き(かされ)ながら、ほぼ予定時刻にホテルに戻ってきた。さすがに太陽に当たって一日ばっちり観光すると疲れ方が違う。今日の走行距離は70㎞。ドライバーさんとも添乗員さんとも今日でお別れ。 

 明日から2日間は自由行動日、明々後日は帰京の予定である。
 さて、これから今夜の夕飯はどうしようか、といったところである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024.5.14フェスゴ4回目+ドセタキセル3回目(6割減量1回目)+ジーラスタボディポッド3回目13日後のこと 旅は3日目 何とか傘を差さずに 締めは平和を祈り、ASHAREさん夜ヨガも無事終了

2024-05-14 21:54:51 | 
 昨夜もブログアップ後は早々に入浴を済ませ、終日頑張ってくれた手足のケアをしてベッドに入った。夜中1時半過ぎ、腹痛で目が覚めたが、下痢ではなかった。硫黄臭のゲップも大分落ち着いてきた。すんなり二度寝に成功した。

 今朝は、昨日より20分早くスマホアラームをセットした。
 手足のケアと身支度を済ませる。一日バスに乗っていると、足が浮腫んでしんどいので、久しぶりに着圧ハイソックスを穿いたのだけれど、手袋をしていても引っ張り上げるのに手が痛く、なかなかうまくいかない。夫に手伝ってもらったけれど夫もギブアップ。
 何とか穿いたものの、それだけでぐったり疲れてしまう。朝食前の排便は軟便だったけれど、下痢でなかった。

 階下のレストランに向かう。昨日より早いけれど、大分お客さんが少ない。同じツアーの方たちは既に食事中だった。今日は主食をお腹に優しいお粥にして、豆腐チャンプルやジーマミー豆腐等を頂いた。果物とカフェオレもお腹に入れて、レストランを後にする。
 腹痛もなく、お腹が落ち着いてようなので、ロペミンはお休み。朝ドラを視てから、ゆっくりロビーに降り、バスに乗り込む。雨が降っていなかったので、夫は折り畳み傘、私も晴雨兼用傘を持って出た。なんとかこのままお天気が持ってほしいと願う。

 昨日とは違う車体のバスと運転手さんだ。今日は座席指定が一番前の列。運転手さんのIさんは以前添乗員をしていたことがあるそうで、マイクで自己紹介をする感じも慣れているのはそういうことか、と納得。

 定刻通りにバスは発車。昨日は北へ向かったが、今日は南部を廻る。まず東へ、そして南へ下る行程だ。
 最初の立ち寄り先は前回12月にも訪れたニライカナイ橋と知念岬公園。12月に初めて訪問した時はお天気に恵まれ、青い空、青い海、文字通り太平洋を見渡す大パノラマはまさに理想郷、という謳い文句がぴったりだった全長660mの橋だけれど、あいにく今日は、雨が落ちていないものの曇り空。折角の海の色がちょっと残念。
 知念岬公園の駐車場は私達のバスが一番乗りで、他に誰もいない。文字通りの貸し切り状態だ。日付入りの写真スポットはまだ昨日の日付のまま。お店もまだクローズしている。
 遠くまで続くサンゴ礁の海の色を愛でながら30分ほどの散策を終えて、お店がある高台まで戻ってくると、写真スポットの日付が変わっていたので、写真撮影を済ませた。

 そのまま歩いて世界文化遺産・斎場御嶽(せーふぁーうたき)へ向かう。琉球開闢伝説にもあらわれる琉球王国最高の聖地(御嶽)とのこと。域内にある6つのイビ(神域)は、首里城内の建物や部屋と同じ名前を持つそうで、琉球王国時代、国家的な祭事には「神の島」といわれる久高島から聖なる白砂を運び入れ、御嶽に敷き詰めたという。国の最高神女「聞得大君(きこえおおきみ)」の就任儀礼「お新下り(おあらうり)」が行われたことでも有名な場所だそう。

 知念岬公園の駐車場から10分ほど歩くと、緑の館・セーファが迎えてくれる。館内でDVDを見てから参拝開始だ。公園池を通り、参道の入り口である御門口(クジョウグチ)へと歩を進める。うっそうとした森の中は、雨後ということもあり、足元がかなり悪い。ゴツゴツした石畳の坂道はかなり急で、うーん、止めておこうかしら・・・と一瞬弱気になる。

 遠く久高島が見える遥拝所を抜けて、最初の拝所、大庫理(ウフグーイ)へ。石畳が敷かれた祈りの場(ウナー)がある。石畳に足裏が反応して痛いの痛くないの・・・。滑り止めの土嚢の上を歩かせて頂く。2つ目の寄満(ユインチ)は豊穣の満ち満ちた所だそうだが、砲弾池を見ながらここでUーターンして3つ目から6つ目までの聖域へ。
 三角形の空間の突き当り部分、三庫理(サングーイ)の祭壇を拝む。ガイドさんが説明してくれるが、今日は予約が少なく、とてもラッキーだったとか。ほぼ私達の貸し切り参拝である。往路はかなりの急な登りの難所があったが、当然復路は急な下り坂だ。ここでこけては洒落にならないので、手すりを持って、必死に降りてきた。相当ハードなハイキングになったが、しっかりお祈りしてきたので、きっとまたご利益があるだろう。

 足をがくがくさせながら、再びバス駐車場に戻り、次なる立ち寄り場所、海の見えるカフェに向かう。
 沖縄を代表するロケカフェといえばここだそうで、空に続くようなテラス席が特等席だ。遮るものがなく、リーフまでくっきりと見渡すことのできるベンチ席に座ってホットココアを頂く。昨日より大分気温が高いように感じるが、ブラウス1枚で丁度良い。これで日差しが強ければ、テラス席は眩しくて大変だったかもしれない。

 30分ほどゆっくりして、今度はみーばるビーチへグラスボート乗船に向かう。こちらも前回訪れた時には、いいお天気だったので、白砂が眩しく、ボート到着まで冷たい水につい手が伸びたが、今日は曇り空なので、そんなこともなく。
 お一人は船酔いするのでパス、だそうで、9人+添乗員さん10人の貸し切り出発となった。ちゃんとお魚が見えるポイントポイントに泊まるのがプロフェッショナルの船長だ。瑠璃色の熱帯魚やスズメダイ、ツノダイ、カクレクマノミ等もしっかり見せて頂く。漁船には寄っていかないけれど、ちゃんと餌を撒いてあげるので、グラスボートが来ると寄ってくるのだそう。凄い勢いで餌の争奪戦をする姿はなかなか可愛かった。
 サンゴ礁も綺麗だったし、今回もアオウミガメの姿を拝めた。ちょうどお昼寝中のカメは流されないように、身体を岩の中にしっかりはめ込ませている感じで、30分位は動かないのだそう。苦しくなると上がってくるというけれど、頭と前足が動いてその姿を確認することが出来た。

 30分弱の遊覧が終わり、砂浜に戻ると、赤ちゃん連れの外国人ファミリーが海中ブランコで遊んでいたり、金髪の3姉妹が砂遊びをしていたり。いかにも沖縄らしい姿が散見される。既に海水浴シーズンである。

 20分ほど走って、次の立ち寄り場所兼昼食場所であるひめゆりの塔に向かう。これまで傘を差さずに済んで有難かったが、昼食会場に到着すると、ポツポツと雨が降り出した。ここで大きな傘をお借りする。私達はオプションランチをお願いしていなかったので、近くのカフェに入る。
 夫はお勧めの看板混ぜそばを私は塩ラーメンを頂く。店内はオーナーの趣味だろうか、バイクやヘルメット等が多数展示されていて、バーカウンターと食事スペースがあるなかなか面白い造りだった。どちらも美味しく、夫はコーラで水分補給も済ませる。

 外に出ると、有難いことに雨は止んでいた。集合時間まであと1時間ほど。ここまで来てひめゆりの塔だけお参りして、資料館をスルーするわけにはいかない。まずは献花する花束を買い求め、お参りを済ませて、平和祈念資料館に入った。
 こちらには30年ほど前、夫と最初に沖縄を訪れた時に1度お参りしたのだが、資料館に入るのは初めて。証言映像や当時の写真、壕の実物大模型等、ひめゆり学徒隊が体験した沖縄戦の実相を静かに伝えている。

 13歳から19歳の多感で優秀な少女たちが、当時の教育によって軍国少女に育ち、沖縄戦が始まり、陸軍病院に動員され、実際には命がけで遺体運搬等をさせられていたという事実に胸が苦しくなる。修学旅行らしい子供たちが大勢訪れていたが、平和の意義が問い直されている昨今、彼らの目にはどう映ったのだろうか。
1時間弱の見学を終えて、夫も私も無口でバスに戻った。

 最後の立ち寄り場所は県内最大の手作りガラス工房・琉球ガラス村。職人さんたちのガラス工場を見学した後は、美しい琉球ガラスのショップを見ながら目の保養をして、ショップで少しお土産を買い、バスに戻った。

 今日の観光はこれで終了。走行距離は少な目の70㎞。4時前に無事ホテルに戻ってきた。綺麗に整えられた部屋でお茶を淹れて一服。水分と糖分を補給した。さすがに歩き疲れて、夫はお昼寝。私はこうしてブログ記事を書いている。

 夕食は歩いて沖縄そばのお店に繰り出した。あいにくまた雨が降り出していたけれど、近くに手頃なお店があって助かった。2人で満足して部屋に戻ってから母にMeet通話。お互いに今日の報告。母は、デイサービスの母の日のスペシャルランチとお土産に上機嫌だった。明日はまたWさんサロンを予約しているとのこと。毎日大忙しである。

 21時からはASHAREさん主催の「オンラインぐっすり眠れる夜の瞑想ヨーガ」第10回目の開催。今日は変則でホテルの部屋からのオンラインだ。10分ほど前に入室し、皆さんが揃って定刻より少し前にクラススタート。45分ほどのヨーガニドラーをメインにしたクラスは、終了後にお喋り会もなく、そのままおやすみなさいの流れ解散。眠りに特化した緩めの内容である。
 オームを3回唱え、静かに瞑想しながらヨーガニドラーのサンカルパ(願い事)を決めて頂く。その後は、軽く身体を解したらそのまま寝っ転がり瞑想のヨーガニドラーに。

 なんとなく覚醒して頂いた後は、ガーヤトリーマントラを唱い、ぼんやりと聴いて頂く。オームとシャーンティを唱えて45分弱でクラス終了。
 「おやすみなさい、良い夜を」と締める。今日も無事寝落ちされたようで戻ってこられない方がおられたが(これこそこの夜クラスの醍醐味だ!)そのままお開きに。
 クラスの間、夫には申し訳なくも外で時間を潰して貰い、無事開催出来て有難いことだった。

 明日は最後の観光で中部を廻る予定だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする