ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.5.13 フェスゴ4回目+ドセタキセル3回目(6割減量1回目)+ジーラスタボディポッド3回目12日後のこと 旅は2日目 雨に祟られた寒~い1日、走行距離は200㎞!

2024-05-13 21:38:31 | 

 昨夜はブログアップ後、早々に入浴し、手足をケアしてからベッドに入る。足が浮腫んで足首がかなり太くなっている。普段家にいる時より1時間も早い就寝だ。お腹が気持ち悪い。お昼に頂いた卵のサンドイッチが良くなかったのか、硫黄臭のするゲップがやけに頻繁に出る。
うーん、下痢プラス嘔吐ではかつてのWの悲劇である。なかなか寝付けない。これは吐いてしまった方がスッキリするかもしれないと思いながら、ベッドで眠れないまま寝返りを打って悶々とする。

 腹痛でお手洗いへ。ロペミンのおかげで酷い下痢ではないが、排出出来たことでお腹が少し楽になった。時計を見れば、せっかく早くベッドに入ったというのにもう日付が変わっている。なんとなくウトウトするが、寝苦しい。夫は気持ちよさそうに布団を蹴飛ばして鼾をかいている。
 3時頃、また気持ち悪くて目が覚めたが、結局吐くことなくなんとか眠れて胸をなでおろした。

 平日仕様のスマホアラームが鳴り、ベッドでニュースとともに天気予報を見る。1日中ほぼ雨が降るという予報は残念ながら変わっていない。あ~あ、という感じ。窓から外を見るに、皆、傘を差している。
 なんとなくまだゲップが残っているが、昨夜よりは随分お腹がスッキリした。とはいえ、朝から下痢だ。

 身支度を済ませて、階下のレストランに向かう。手も足も、赤くなっていてチリチリと痛い。エアマックスタイプのウオーキングシューズを持ってきたものの、1日歩けるかちょっと心配だ。私は晴雨兼用傘、夫は折り畳み傘を持ってきたけれど、心もとないのでフロントで大きな傘をお借りする。

 朝食はブッフェ。沖縄らしいお惣菜も沢山並んでいるけれど、お腹が心配なのでごく控えめに頂く。夫は今朝も元気だ、ご飯がうまい、でお皿があれこれ山盛りで羨ましい限り。
 ぱっぱとパンや温野菜類を頂いて、カフェオレも頂いてミヤとタケプロンを飲んでご馳走様。お腹が心配なので夫より一足先に部屋に戻る。朝ドラが始まったばかりだったので、つい視てしまう。夫からLINE通話がかかってきて、部屋の鍵がないとエレベーターに乗れない、と。なるほど、確かにそうだ。失礼しました。階下に降りてピックアップ。

 食休みを摂り、ロペミンを飲んでからロビーに降りる。添乗員さんとご対面、今日から2泊3日ご一緒するYさんは現地の方ではなく、1か月逗留の東京からの応援だという。ホテルの前の通りにバスが待っているとのことで、夫と乗り込む。
 今回ツアーのメンバーは10名とも今朝が初対面だ。釧路からのご夫婦と私達夫婦、それ以外はお一人参加の男性3名、女性3名。大型バスに10名とは、前回のイタリア旅行と同じで、一人2席、ご自由にお使いください、でのびのびである。

 定刻9時にバスは出発。あいにくの鈍色の空。時折雨が強く降ってくるようだ。
 1時間半弱で最初の立ち寄り先、120種ものパイナップルが栽培されているというパークに到着。昔、息子がチビだった頃にも訪れたことがある。カートやらトレインやら園内を回る乗り物があるのだけれど、今日はショッピング兼お手洗い休憩で30分のみの滞在とのこと。
 簡単に温室を歩きながら観賞用のパイナップル等の説明があっただけで、すぐにショップに入る構造。夫は早速スナックパインを頬張っている。アイスキャンデーを召しあがっているツアーの方もいる。お腹が心配な私は冷たいものは見ただけでノーサンキューだ。気温が東京と全く変わらない。ちっとも暑くないどころか、土壇場で薄いコートを入れてきたのが正解で、バスの中も冷房が効いていて、寒くてお腹が冷えるのだ。

 お菓子やワイン、ジュース等を売っているショップは綺麗に改装されていて昔の面影はない。ちんすこうもなんだかとてもお洒落だ。入場券を出してお買い物をすると抽選券になりますという触れ込みだったけれど、見事に外れだった。

 次は20分ほどの移動で瀬底島アンチ浜へ。透明度の高い海と白い砂浜が美しい青の絶景ポイントだというが、これも残念ながら雨天なので、ビーチに降りる階段も足元が悪く、テンションはあまり上がらない。灰色の空に映る海はエメラルドブルーとは言えない哀しさよ。30分の散策時間という予定だったが、皆さんあっという間にバスに戻って15分ほどでバスは出発した。

 そして今日のメイン、3つ目の立ち寄り先は美ら海水族館を含む広大な海洋博公園だ。予定が早く進んだせいか3時間近い滞在時間をプレゼントされた。修学旅行生たちがジンベエザメのぬいぐるみ(かつて訪れた時に息子も買った。)を袋からはみ出させながら歩いている。
 バスの駐車場から歩くこと10分ほど、階段とエスカレーターで降りて、水族館の入り口へ到着。等身大のジンベエザメのオブジェが迎えてくれる。まずはここで記念撮影。そしてチケットを頂いて、これからはランチを含む自由行動時間だ。

 ガイドブックを見て気になっていた、ジンベエザメの水槽を見ながら飲食が出来るカフェに行きたい。
 “サンゴ礁への旅”ゾーン、“黒潮への旅ゾーン”、と順路通り進み、カフェの予約表に名前を書く。1時間ほど待つというので、30分ほど時間を潰してまた戻ってくることに。予約の名前は日本人より外国の方、特に中国系が多い。かつて訪れた時はジンベエザメが複数いて、餌やりなども観て、息子が大喜びしたのを思い出す。

 ここの水族館は国内では破格の凄さで、また行きたいなと思っていたところ20年ぶりに再訪が叶った。“深海への旅”ゾーンを経て一旦表に出て、ショップを冷やかす。凄い人である。月曜日にこれでは土日はどんなことになっているのだろう。添乗員さんの話だと、一昨日は並んでも食事が摂れなかったとのことだった。
 結局、カフェの前に戻ってジンベエザメの水槽を眺めながら名前を呼ばれるのを待つこと30分。合計小一時間待ってようやくラッキーセブンの番号札と40分の滞在時間の終わりが示された札を頂き、指定席券分のワンコインを払う。
 予定通り、ジンベエザメを模ったブルーのご飯の周りに青いカレールーがかかった映えるカレーと、夫は焼きそばをチョイス。水槽の間近に座るとついついお魚と一緒になった気分だが、食事はイマイチどころか、もうちょっと残念な感じだった。
 青は食欲を減退させる色だと大昔、家庭科の授業で習った記憶があるが、なるほど食べ物にはそれなりの似つかわしい色が必要だな、と感じた次第。バタフライピーで色付けされているというルーは、確かにチョイ辛だったけれど、うーん、なんだかなぁであった。焼きそばもイマイチ不思議な味だった。

 ギリギリまで40分近く滞在して、ジンベエザメやマンタ、エイと沢山のツーショットを撮ってカフェを後にした。あとはお手洗いを済ませ、エスカレーターや階段を上ってフウフウ言いつつひたすらバス駐車場を目指す。結局、ショップに再び立ち寄る時間はなくお土産はゲット出来ず。
 外に出ると、美しいエメラルドビーチが広がる・・・が、何分雨がポツポツしていて傘が手放せない。青い空、青い海は臨めずに残念無念。

 集合時間の7分前にバスに乗り込む。10人なのであっという間に点呼も終わる。続いての立ち寄り先は備瀬のフクギ並木だ。2万本のフクギが立ち並ぶ1周1.6㎞の散策路は沖縄の原風景ともいえるノスタルジックなものだそう。防風林兼防砂林の役目を果たしているそうな。
 夫婦フクギの向かいにはシーサーの工房もあり、お買い求めのツアーの方もいらした。こちらも雨降りでなければ、足元も良く気持ちよい散策が出来たものを、言っても仕方ないけれど、お天気は意地悪だ。30分の散策時間を持て余し、バスのピックアップまで10分ほど皆で道路のピックアップポイントで待ちぼうけ。

 次はワルミ海峡を一望できるというお洒落なテラス席が人気のドライブインが立ち寄り先だけれど、件のテラス席のソファは雨で濡れており、とても座れる状態ではない。そんな中、夫はソフトクリームを嬉しそうに買って食している。お腹が心配で、いつお手洗いに行けるかわからないバス旅の中、私はとても触手が動かない。目の前はワルミ大橋と海が広がるが、これも残念ながらの灰色だ。

 最後は海の上を走っているような2㎞近い古宇利大橋を渡って、エメラルドグリーンの海に感動する…筈の古宇利島に上陸。ちょっと雨が小やみになっており、古宇利ビーチへと歩く。確かに雨降りの悪天候でこれだけ綺麗な海だから、お天気だったらどれだけの絶景だろう、とガイドブックの青い頁を恨めしげに見てしまう。
 買い物のできるショップもあったけれど、特に触手を動かされるものもなく、ここも時間を早めに退散。

 後は国際通りに戻って夕食を摂るだけ、ということで1時間近く、バスの中で船を漕いだ。
 高速の両脇に見える風景がすっかり都会の様相を呈してきたと思ったら、もう那覇インターだ。行先は地元で有名なステーキレストラン。ディナーコースはステーキ一択だと諦めていたら、シーフードに変えて頂けて有難かった。私ともう一方、女性の1人客がシーフードをチョイスしており、一人じゃなかった、とちょっとほっとする。

 釧路からのご夫妻と添乗員のYさんと5人の鉄板焼きテーブルを囲む。店員さんは皆、外国の人ばかり。実にアメリカンで船内を模した店内、ウエイトレスさんは水兵さんスタイルだ。
 とにかく冷房が効き過ぎていて、コートがなかなか脱げない。サラダが供されているが、手が出せず、温かいカレー味のスープが出てきてようやく口をつけた。コックさんは目の前で見事なパフォーマンスをしながら、野菜等の付け合わせを盛りつけてくれる。

 私にはお魚、ホタテ、海老が、夫にはステーキが一口サイズになって出てきた。夫は白ワインを飲んで、お隣のご夫婦と北海道話で盛り上がっている。私はマンゴージュースを氷なしで注文したものの、寒くて飲めず、夫に横流し。食べたり飲んだりするとすぐに腹痛になるので、恐々と頂いて、早々にご馳走様。

 再び国際通りのバスピックアップポイントでバスに乗り、ものの5分でホテルに戻ってきた。
 ほぼいつもの時間に母にMeet通話が出来てほっとする。お互いに今日の報告をし、40年ぶりに会う友人の話題を話し、明日は母の日のスペシャルランチが楽しみだというデイサービスの話を聴いて、通話を切った。

 明日は今日よりも30分早い出発だ。今日の一日の走行距離は200㎞。丸一日バスに揺られて、万歩計が1万歩を超えていて、疲れていない筈がない。なんとなくまだゲップが出るし、胃腸の調子はイマイチだ。お腹はロペミンのおかげで収まっているけれど、止めたらまた下痢の連続かと思うと、ちょっとブルー。冷房で冷えた身体を温めてゆっくり休みたいと思う。
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2024.5.12 フェスゴ4回目+ドセタキセル3回目(6割減量1回目)+ジーラスタボディポッド3回目11日後のこと 母の日、思い切って出発

2024-05-12 22:18:18 | 

 昨夜もブログアップ後に入浴し、念入りに手足のケアを済ませてからベッドに入った。手足がジンジン痛むと何やら久しぶりに胸痛も再燃してくる感じ。

 今朝、日曜日にしては早く起きる。朝食を摂りながら洗濯機を廻す。洗濯物をベランダと室内と浴室乾燥に分けて干す。毬藻の水替え、花の水切り、ごみをまとめる等々、あれこれ雑用を済ませる。

 GWは治療後で引き籠りの地味~な毎日だったが、まだバッチリ本調子というわけではないけれど、思い切って今日からお出かけである。
 朝食前、普通にお腹が快調だと喜んだのも束の間、朝食を摂ったら、途端にお腹を壊して下痢。お手洗いから出られなくなった。これから出かけるのに・・・と諦めてロペミンを飲む。まだ自力でお腹を調整出来ていたわけではなかったのだ。

 洗濯物を始末し終え、タクシー会社3社に電話をするが、どこも出ない。今やアプリでしか捕まらないのだな、と夫に呼んでもらったら僅か5分ほどで到着とのこと。速い。急いで階下に降りる。その割に団地内で迷ってしまったらしく、到着は少し遅れた。
 最寄り駅前のリムジンバス乗り場に到着したのは、予約したバス出発の15分ほど前。男性が2人先にベンチに座って待っている。10分前にバスが到着して、荷物を預け、一番前の席に座る。

 車内のお伴は佐々涼子さんの「エンド・オブ・ライフ」(集英社文庫)。
 帯には「自身が余命宣告をされた“看取りのプロ”は、残された時間をどう過ごすのか。『理想の死』ってなんだろう。2020年ノンフィクション本大賞受賞作」とある。迷わず手に取った。佐々さんの作品は「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」を読んだことがあったが、ご自身が悪性脳腫瘍で闘病中だということを最近知った。本作を読みながら、お母様が難病でお父様が24時間の介護を7年も続けられたことも初めて知ることとなった。
 当然ながら重い話の連続だったし、揺れ動く心模様はとても他人事ではなく身につまされ、ステージⅣのがん患者として、理解できることも多かった。車内と機内で一気に読み終わった。

 人は生きたようにしか死んでいけない、というのは真理なのだと思う。佐々さんのご友人である訪問看護師・森山さんのように、ステージⅣの膵臓がんで余命宣告を受けたわけではないけれど、こうして仕事からすっかり離れ、家族と日々好きなように過ごして、体調と折り合いをつけながらも会いたい人に会いに出かけ、行きたい場所に行っている私は、間違いなく今を生きることが出来ている、つくづく有難いことだなぁとしみじみ。

 リムジンバスは順調に進み、予定より早く羽田空港に到着した。搭乗する飛行機の出発時間までまだ2時間以上、集合時間までに1時間半弱あったが、すぐにカウンターでチケットを頂き、大きなスーツケースを預け、身軽になれた。
 「お腹空いた!」と言う夫に従って、昼食を摂ることに。私はロペミンのおかげでようやくお腹が落ち着きつつあるので、そんなにガッツリ食べる元気はない。フードコートが連なる感じのレストラン街でテーブルを確保し、夫は担々麺を、私はコンビニでサンドイッチと赤いヨーグルトドリンクでおしまいにした。

 保安検査所を通過し(イタリア旅行時の身ぐるみはがされたチェックとは雲泥の差で、緩かった。)、ラウンジでカフェラテを頂いて、そこでも読書を続けた。
 離陸20分前に搭乗口へ移動し、機中の人となる。夫が窓際で私は3人席の真中だったが、右隣がいなかったので、2人で3席使えて楽だった。あいにくの曇天だったので、若干の揺れもあり、景色はいまいちのようだったが、私はひたすら読書。
 滑走路の混雑で離陸時間が30分以上遅れたが、飛行中にその遅れを取り戻し、目的地の那覇空港に到着したのは予定よりわずか2分遅れだった。

 12月に訪れて5か月ぶりの那覇空港。こんなに早くまたやってくるとは思わなかった。明日から3日間観光がつくが、次の2日間は全くのフリーというちょっと変わったツアーである。
 そのままゆいレールに移動し、数駅先で降りて徒歩一分のホテルにチェックイン。リバーサイドの10階のツインルームに案内された。部屋からはゆいレールが行き来するのが見える。息子なら喜びそうだ。

 荷ほどきを済ませ、部屋でお茶をして一服。
 母にMeet通話。手配した母の日のブーケとスイーツが無事到着していて、見せてくれた。実は今、沖縄に来ていると報告。前回、宮古島でとんぼ返りをすることになったことを気にしていて、今回はゆっくりして大丈夫とのこと。来週はイベントがあり、3回もデイサービスのお世話になるという。自由行動の日、40年ぶりの再会を予定していることも話す。

 移動だけの1日だったけれど、手の平や足裏の痛みが気になるし、お腹も本調子ではないので、わざわざ繁華街まで繰り出して夕食を摂る元気はない。幸いホテルから5分も歩くことなく、何軒かの飲食店やレストランがあった。
 久しぶりに食べたいなと思って向かったファストフードはテイクアウト専門店とのことで、隣接する定食屋さんに入った。
 夫はビールやらおつまみやらも取ってお腹一杯、元気一杯。私もこの定食屋さんに来たら、必ずこれ、というメニューを取って完食は出来なかったけれど、ほぼ平らげることが出来た。

 帰路、コンビニで赤青ヨーグルトも買って部屋に戻った。夫はビールが効いたのか、お疲れなのか早くもお夕寝中だ。
 明日はあいにくの雨模様の予報だが、絶景に癒される南国暮らし1週間、始まりの夜である。
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2024.4.5 旅は最終日 ただいま、東京!無事帰国しました

2024-04-06 00:07:24 | 

 昨日の記事をアップした後、ラウンジで軽く飲食を済ませ、集合時間の少し前にショップを冷やかしながら搭乗口へ向かうことに。美しいディスプレイのハイブランドが軒を連ねるが、特に覗くこともせず。本当に物欲から解放されているのが不思議だ。

 搭乗機は定刻通りに羽田に向かう。席に着くとウエルカムドリンク。私はオレンジジュース、夫はシャンパン。往路は私が通路側で夫が窓側だったが、夫が窓側を譲ってくれたので有難く陣取る。
 ずっとイタリアン一色、洋食一色の旅だったので、帰路は和食を頂くのを楽しみにしていた。
邦画「ある閉ざされた雪の山荘で」を観ながら遅い夕食を頂く。期待が大きすぎたのか、前菜6種類はどれも同じような出汁の味付けで、メインのお魚は何となく生臭く感じ、お肉もなんだかあまり口に合わなかった。お味噌汁はかなり薄味で、旅行中に濃い味に慣れてしまったのか、ちょっと残念。デザートも半分でお腹一杯になり、食事が終わる頃にはなんだか猛烈に眠くなってきてしまった。

 さっさと歯を磨いて、椅子をフルフラットにしてマットレスを敷き、カツラを取り、万全の眠る態勢に。往路は殆ど一睡もできなかったが、復路はびっくりするほどよく眠った。途中、夫が食したラーメンの匂いで何となく目が覚めるが、5,6時間は眠った計算になる。あと4時間もすれば日本だ。

 復路は中央アジアの上空を飛行すると聞いていたが、その辺りは雲もなく、見たこともない景色が見られたらしい。私が寝ているので夫は窓を開けられず、あまり見られなかったと独り言ちていたが。
 歯を磨いて、バンダナをかつらに替え、目覚めに8種の野菜スープとフレッシュフルーツとアイスクリームをリクエスト。今度は「ゆとりですがなにか インターナショナル」を観た。

 フライト時間残り2時間で夫もフルーツと飲み物をリクエスト。私は何となくお腹が空いて、迷った末野菜カレーをリクエストして夫に半分食べてもらった。これもイマイチだった。うーん、どうしたことか。

 もう着陸態勢だ。13時間の飛行で、2時間の映画を2本観て、6時間近く眠り、食事の時間を過ごせば往路の長さに比べよほど早かった。持ち込んだ文庫は残念ながら読めずじまい。顔は腫んで酷い顔と言えば、酷い顔。歯を磨き、お化粧直しをして着陸に備えた。

 あと1時間で着陸というところで添乗員のTさんがご挨拶に見え、記入したアンケートをお渡しした。夫がネットで調べてくれたのだが、国土交通大臣から表彰されるほどの方だそうで、経験豊富なTさんのおかげで今回の旅はとても良いものになった。またご一緒出来るといいなと思う。
 お世辞だとはわかっているが、私達夫婦のことを今回のグループのベストカップルと言ってくださって、こそばゆく嬉しかった。

 16時45分、羽田に無事到着し、家族LINEで連絡。ターンテーブルで荷物をピックアップしている間に母に無事到着のMeet通話。元気に帰国出来て本当に良かった。
 ツアーの皆さんにご挨拶をして、荷物を宅配に頼み、身軽になってリムジンバスのチケットを買う。あいにく1時間に1本の便が出たばかりで小一時間潰すことになった。

 旅の帰路で、帰国したら何が一番食べたいですか、と訊かれ、お寿司と答えたが、とにかくびっくりするほど醤油味が食べたかった。何となく小腹が空いて、時間もあるし、とコンビニにおにぎりを買いに行く。握り寿司があったので、思わず手を伸ばした。夫がリクエストした辛子明太子のおにぎりも美味しかった。本当に日本のコンビニは素晴らしい。海外から帰って来るとその便利さと有難みを実感する。

 今回の旅は、それなりにあった自由時間も最低限しか出歩かず、ひたすらホテルで休息と体力温存に徹した。考えてみればもったいないことだったし、夫にはちょっと物足りなかったかもしれない。自分の足で殆ど歩かなかったので、予定されていた観光地以外には足を運べなかった。それでも万歩計は毎日1万歩を割ることはなかった。出かける直前まで、靴を履くこともなく、家で寝込んでいたにもかかわらず、である。

 石畳の上で足裏はいつも痺れて痛んだし、手の痺れ、痛み、変色もある。日に三度のロキソニンと朝就寝前のコデインも欠かさなかったが、息が出来ないほど出ていた咳はほぼ収まり、貧血のためだったと思われる頭痛も後半には収まった。坂道や階段での息切れはあったが、胸痛は殆ど出なかった。
 1か月前のあの不調を考えれば、今回の旅は行けただけで十分。11日間という長い日程で体調を崩すことなく、グループの方たちにご迷惑をかけることなく、無事に帰国できたことで満点だと思う。

 夕食は夫がリンゴを剥いてくれて、カップラーメンで済ませた。
 ということで、明日は洗濯物満載の荷物やら、不在中に届いていた荷物が到着する。時差ボケとも言っていられない。火曜日には治療前泊、水曜日には治療再開だ。それまでに出来ることは全てやっておかなくては。
 今日は最低限の片づけを済ませ、久しぶりに自分のベッドで眠ることになる。

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2024.4.4 旅は10日目 アリベデルチ・ローマ!帰国の途へ

2024-04-05 01:52:50 | 

 昨夜は、パッキングをほぼ済ませ、入浴してベッドに入ったのは日付が変わる間近。今回の旅で一番夜更かしだったようだ。
 今朝のスケジュールは6時モーニングコール、6時45分荷物出し、7時45分集合、8時出発だ。
 それより10分ほど前にスマホアラームをかけてすんなり起きる。夫は明け方目覚めたようだったが、私は気づきながらもしつこくベッドに。

 結局、アラームより前に起きて身支度をし、荷物を出したらポーターさんがまるで見ていたかのようなタイミングでピックアップしてくれてレストランへ向かう。
 今朝は夫の同郷Nさんと同じテーブルで、昨日とほぼ変わらない朝食を終える。部屋に戻り、お手洗いを済ませたらチェックアウトしていざ出発。

 関空へ向かうWさんご夫妻は1時間前に出発済みということで、55人乗りのバスに乗っているのは私達10人+ガイドさん、アシスタントさんのみ。なんだかがらんとしている。

 ローマ、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港までは小一時間もかからない。テルミニ駅から電車だと20分というから便利である。フォロ・ロマーノやコロッセオを見ながら、アリベデルチ、ローマである。また来ることがあるだろうか。

 空港に到着。ポーターさんが荷物を運んでくれてチェックイン。パリ・シャルル・ド・ゴール空港までは国内線扱いだ。11時35分のフライトの予定が1時間遅れ。ゲートもなかなか決まらず状態だった。
 何も買い物をしていなかったので、お土産を調達し、あとはカフェでお茶をして時間調整。母にMeet通話をすると、無事に繋がった。デイサービスから帰ってきたところ、とのことで、ちゃんと元気な姿を見せたら安心した模様。良かった。

 パリでの乗り継ぎ時間が当初6時間半もあり、一体どうするものやらと思っていたら、パリ市内まではいけないけれど、近くのショッピングセンターにお連れします、とのことだった。それは有難い。利用便は変わらないのだが、夏時間に変わった関係でこんなにも時間が空いてしまったようだ。とはいえ、乗り継ぎ時間があまりにタイトで乗り過ごすよりはよいだろう。

 1時間遅れで搭乗機は無事離陸する。機内では軽いサンドイッチとジュースを頂けて小腹を満たせた。窓側の席で、地中海の島々や真っ白なモンブラン等アルプス山脈を見ることが叶った。美しかった。美しい緑のキルトのようなフランスの土地が見えてきたら、いよいよ着陸だ。

 メキシコへの乗り継ぎ便の方がいるようで、その方たちを先に通す。いやはや南米までとは大変な旅だ。空港に降りたら、荷物をピックアップして、お迎えのバスに乗り込む。ショッピングセンターまでは10分ほど。
 風が強いが、暖かい。草花も咲いていて、春だなぁという感じだ。

 ショッピングセンターでは1時間ちょっとの自由時間。夫の職場のお土産等も調達し、残り時間は結局またお茶。あまり食べ過ぎると、ラウンジや機内での食事が摂れなくなるので、私はショコラ・ショーで水分と糖分補給。

 再びバスに乗って空港に戻る。フライトまでは3時間だ。そこからチェックイン、出国、厳重であちこちでピーピー鳴り続けるセキュリティチェックを終えたらもうヘロヘロ。
 ようやくラウンジにたどり着いて、少しほっとしながら記事を書いている。

 あと1時間ちょっとしたら搭乗だ。帰りは航路が若干異なり、13時間のフライトとのこと。
 とにもかくにも、直前まで本当に行けるのだろうかと思った9泊11日の旅、保険では“中途離脱”までオプションで付けたのだけれど、抗生剤を飲むこともなく、熱も出さず、無事に帰国することが叶いそうだ。有難いことである。

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2024.4.3 旅は9日目 32年ぶりの再々訪、ボンジョルノ、ローマ!終日観光

2024-04-04 05:11:58 | 

 昨夜は早々に入浴し、そのままバタンキュー。アラームをかけた時間までしっかり眠ればほぼ8時間睡眠になる計算だ。明け方、夫が起きた気配でこちらもつられそうになったが、しつこく眠る。昨日は便秘気味だったが、アラームが鳴る少し前に目が覚めて無事開通。

 ベッドで少しぐずぐずしていたら、母から少し前にMeet通話の着信があったのに気づく。昨日何度かトライしたが、全く繋がらなかったので、LINEで写真を送っていた。日本時間は午後1時だ。何かあったのか、具合でも悪いのかと慌ててバンダナ帽子を被り、パジャマ姿、すっぴん状態で掛けなおす。

 画像は繋がったが、音が聞こえない。こちらの声も聞こえていない様子で、何やら難しい顔をして虫眼鏡でこちらを見ている。うーん、一度切って掛けなおしたら無事繋がり、声が聞こえた。
 こちらは朝起き抜けでカツラも被っていないから別人が出たと思ったのか。かくかくしかじか、これから出かけるため、忙しいので長通話はできないと伝え、お互い無事であることを確認する。
 昨日はWさんサロンに出かけていたとのこと。今日は雨なので一日家にいるという。7時間の時差で観光時間等に縛られていると、なかなかうまい具合に連絡が出来ない。

 今朝の予定は、モーニングコールが6時15分、朝食レストランは6時半オープン。7時55分集合で8時出発だ。思いもよらない母からの連絡で朝の貴重な時間を費やしてしまう羽目に。急いで身支度をして階下のレストランに降りる。
 レストランでは同じグループの方たちがそこかしこで既に食事を始めている。暖かいお料理が充実していた。今日も2種類のミニクロワッサンを美味しく頂く。ジュースはパイナップルがポピュラーのようだ。カプチーノもカフェ・ラッテもなく、久しぶりに紅茶を頂く。

 部屋に戻り、態勢を整えて、ロビーに降りる。今日は終日ミニバスで巡る市内観光、ヴァチカン市国観光とアッピア街道観光という充実のスケジュールだ。
 ヴァチカン美術館入場の予約が8時半からだ。大きなバスでの移動では、一旦降りたら歩くばかりになってしまうため、小回りが利く6人乗りのミニバンでポイントポイントまで行って、なるべく歩かないですみますよ、という高齢者(及び病弱者)に優しいツアーである。

 今日のガイドはTさん。ちょっと日本人離れした風貌の女性だ。2台に分乗し、私達は添乗員TさんとTさんご夫妻と2号車に乗る。Wさんご夫妻は美術館チケット予約時間の関係で先に出発されたとのこと。
 今日のお天気は曇り。午後少し晴れ間が出るようだ。前半の雨に祟られた旅も終わりよければ全てよし、である。車窓から見るローマ市内は街中が遺跡の宝庫だ。サンタンジェロ城、コロッセオ、フォロ・ロマーノ等を間近に眺める。

 来年2025年は巡礼の年で、それに合わせて地下鉄C線の工事中とのこと、あちこちに工事の幕が張られ、建物の外観を残念なものにしている。掘り返せばどこも遺跡なので、地下86m迄掘り進めるらしい。地元の人たちは来年出来上がるわけもなく、地元では完成は10年後になるだろうと話しているとか。

 32年ぶりのローマ、その時は夫と全くのフリーで訪れ、イタリア語も全く話せないくせに大胆にバスに乗ったり、地下鉄に乗ったりとあれこれ冒険をした。若かったなあと思う。
 最初に訪れたのは40年前の卒業旅行だから今回のローマは3度目の訪問。夫も仕事の視察で訪れたことがあるので、お互い3度目の正直?になる。

 ヴァチカン美術館には、名前入りの入場券を持って、パスポートチェックを受け、その後セキュリティチェックをして初めて入館することが出来る。実に厳重である。礼拝堂内部ではガイドさんがお話し出来ないため、松ぼっくりのオブジェのある宮殿の庭園で、予めシスティーナ礼拝堂の絵画の説明を受ける。
 システィーナ礼拝堂は初回訪問時に観ることが出来たが、美術館を鑑賞するのは初めて。歴代法皇による世界有数のコレクション、1時間で見るなんて無謀以外の何物でもない。ここまでミラノやフィレンツェで聴いたお話を思い出しながら、復習のように繋がる部分もあり、とても楽しめた。

 宮殿の一番奥の礼拝堂では「最後の審判」を首が痛くなるほど眺めることが叶った。描くのがどれほど大変だったことか。ミケランジェロが60歳を過ぎてからの着手というから、本当に恐れ入る。ミラノのドゥオモで見た、自分自身の皮をかついだパルトロメオの像が、ここではその皮の顔がミケランジェロの自画像であると聞き、驚く。ここにはミケランジェロの建築、絵画、彫刻の最後の作品が全て揃っている。

 今日は水曜日で法皇様の謁見があるため、サンピエトロ広場では人々が長い長い列を作っている。そのため、私たちは午前に美術館を鑑賞し、午後サン・ピエトロ大聖堂を見学するという。
 Wさんご夫妻も合流し、2号車も6人が揃い、アッピア街道へ向かう。32年前、夫とバスの行先もよくわからずに乗って着いた先がここだった。ここは何処、私は誰、状態でウロウロし、カタコンベを見て、持っていた羊羹を食べながら戻ってきたという苦笑する思い出がある。

 カラカラ浴場を車窓から眺め、石畳の細い道をガタンゴトン揺られながらバンは走る。気圧のせいか朝からなんとなく頭痛だ。ロキソニンは日に3度欠かさず飲んでいるので、旅行中殆ど痛みを感じずにすんでいたのだけれど、さすがに疲れてきたか。
 大きな車は入れないので、乗用車かバン、マウンテンバイクの観光客だけである。延々と続くかに見える石畳でしっかり写真撮影を済ませる。“女王の道”と呼ばれるアッピア旧街道は道の両脇に多くの墓、祠、廃墟が続き、古代の面影を残している。
 ネロの迫害を逃れ、街を逃げ出したペテロがこの地でキリストに出会い、「主よ、どこへ行きたもう(ドミネ・クオ・ヴァディス)」と問うたという名前の教会を見ながら再び街へ戻る。

 コロッセオではグループの写真撮影。買っても買わなくても構わないので、皆さん映ってくださいね、と言われ全員集合。ここでは外観だけの観光で、写真撮影を終え、続いてローマ必見のスポット、トレビの泉へ向かう。ここも3度目だ。ちょうど日差しが差してきて、青空が広がり、キラキラと反射する水がとても美しい。
 コインを投げておくと本当に戻ってこられるのね、という感じ。それにしてもとんでもない人の数だ。近くにとても寄れない。スリに気を付けてくださいね、と言われ、車中で投げ入れるコインを用意してバッグの前をしっかと抑えて向かう。
 インド人の親子の次に泉脇のスペースを開けてもらって、いざ、肩越しにコインを投げる。夫が動画を撮ってくれていた。私も夫の写真をパチリ。また戻ってくることが出来るだろうか。

 午前中の最後の立ち寄りポイントはスペイン広場。映画「ローマの休日」であまりにも有名なスポットだ。ここまで徒歩で向かう。今では階段に座るのは禁止とのことだが、結構我が物顔で陣取っている人たちの姿も。皆で写真撮影を終えて、ヴェネツィア広場を車窓から見ながらランチを摂るレストランへ向かう。

 今日のランチは選べるピッツァ。夫はカプリチョーザ、私はマルゲリータをチョイス。ミックスサラダを頂いていると、運ばれてきたものはお皿からははみ出しそうな大きさ。どう見ても優に2人分である。頑張って4分の1ずつ頂き、2人で1枚分頂いたらギブアップ。チーズもトマトも美味しいけれど、やはり多ければよいというものでもない、と呟く。
 食後はパイナップルかババ(サバラン)を選べたので、これも1つずつお願いして夫とシェア。どこのご夫婦もそんな取り方をされていた。お手洗いを済ませ、午後はサン・ピエトロ大聖堂へ向かう。

 ガイドさんからサン・ピエトロ大聖堂ではどのくらい待つか、行ってみないと分からないと言われていたが、長蛇の列には違いない。ぱっと見、2時間半から3時間と聞き、ちょっと倒れそうになる。
 全員が見なくて良いということなら、ここは止めて真実の口等に行くこともできます、と添乗員のTさんからお話がある。最高齢のWさん夫妻は何度も来たことがあるので、とタクシーでホテルに戻られ、お一人参加のKさんもご自身で別行動されるという。ということで残った9人の勇士は列に並んで入館することを決意。

 列は全く止まっているわけでなく、ガイドさんの説明もあり、ゆっくり歩きながら待つこと1時間ほど。途中でセキュリティチェックが1つ開いたことで列はどんどん流れる。気づけば、私達の後には広場1周ほどの列が続いている。こんなに早く進むとは、と有難く思う。ガイドさん曰く、これはミラクルだ、と。やった。

 以前訪れた時はセキュリティチェック等なく、すいっと入った記憶がある。訊けばあの9.11の後、テロ対策でセキュリティチェックが始まったという。最大4時間待ちということもあったようで、ここもいずれ入場がオンライン予約になるのでは、と思う。

 やはり入れて良かった~と思う。1506年の着工から120年の時をかけて完成された荘厳なるカソリックの総本山である聖堂だ。入ってすぐ右側廊のミケランジェロのピエタ像。以前はガラス越しではなかった(夫は触れられたという。)が、心無い人に破壊された事件後、こういうことになったそうな。
 バラバラになったマリア様の指と鼻を修復する作業は、それは大変だったという。その姿は本当に美しく、心が洗われるようだ。

 中央にある、鍵を持つ聖ピエトロ(ペテロ)のブロンズ像の手は、訪れる信者に触れられ金色に輝いている。聖堂内で絵に見えるものは全てモザイクなので、フラッシュ撮影もOKなのだそう。屋上のクーポラに上るエレベーターの列は凄いことになっていたが、30分ほどの見学で十分満喫した。

 これで本日の観光は全て終了。乗ってきたバンはその後予約が入っているとのことで、タクシー3台に分乗してホテルまで戻る。私と夫は最後の1台になってしまったが、最初から、支払いはカードは使えないとか、ガイドさんが払うと言うとその人が来るまで待ってはいられない、お前が払えとか言われながらの20分の乗車は、ずっとドキドキ。無事に添乗員のTさんが先着してくれていたので事なきを得た。2台目のタクシーの運転手さんは随分親切だったとか。

 次の夕食集合時間まで3時間弱。綺麗になった部屋でお茶を淹れて一服し、休息。夫は眠っていたが、私は少し横になって眠れず、出発まで記事を書いて時間調整。

 夕食は徒歩ですぐのレストラン。最後の晩餐ということで、ワインやジュースがツアーからプレゼントされた。今夜のメニューは、パスタがリガトーニのアマトリチャーナ、メインはサルティンボッカア・ラ・ロマーナ、デザートはパンナコッタ。紅茶を頂いて(なぜかポットの蓋がフィニッシュと言われた。)お腹一杯。

 ホテルに戻り、夫は県人会のNさんとLINEの交換をして部屋に戻ってきた。
 長いと思った9泊11日の旅、とりあえず体調を大きく崩すこともなく、無事に帰国出来そうでほっとしている。
 明日はローマの空港へ直行し、パリ経由で羽田を目指す。
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