立春の名のとおり、本当に暖かい日だった。
日差しもとても柔らかく、梅も桜もびっくりして咲いてしまうのではないだろうかと思うくらい。お昼休みには重いコートが邪魔に感じ、速足で歩くと汗ばむほどだった。
今日で初発の手術から6年経った。
こうして今日も無事働いていられることを本当に嬉しく思う。昨日の出張、一昨日の通院と2日連続職場に出なかったので、朝から予想通りのてんてこ舞い。沢山のメールと机上の資料等の処理に追われ、大車輪状態の1日だった。
さて、ある方のお父様の訃報を漏れ聞いたので、お悔みのご挨拶をした。
すると、「91歳だったから十分大往生でした。しかも100日ほど介護することも出来たので、十分満足した。いきなり亡くなったわけではなかったので本当に良かった。準備も万端整えることが出来て、親父もきちんと意思表示をしていたから、その希望とおりの葬儀等ができた。」とおっしゃった。
が、御遺体は献体に出され、戻ってこられるのに最大4年かかると伺い、驚いた。その後は散骨を希望されているという。彼は「桜の木の下に、という樹木葬でもいいかな・・・」と言っておられた。御遺体が戻ってくるまで十分時間があるのでゆっくり考えたい、とのこと。
お墓は本家にはあるけれど、四男だからそこにお願いして入れてもらうことはお父様自身望んでいなかったそうだ。
それにしても4年間もご家族の元に戻れない・・・、というのは長すぎるような気がする。正直ちょっと淋しいのではないか。今、私自身、なかなか4年先のことまでしっかりとイメージできない、ということもあるからだろうけれど。
献体といえば、私のような自治体職員は継続した健康診断のデータがあるので、医学的評価等が行い易く貴重なサンプルだそうだ。この方の亡くなったお父様も胃がんの治療をしていたことで病歴、治療歴がしっかり残されていたため、病歴が全くわからない方を司法解剖するのと違ってとても歓迎された、とのことだった。
御遺体の火葬がないお葬式だったので、その間の待ち時間もなく、久々に70名もの一族郎党が集まることが出来、とてもいい見送りだったとおっしゃっていた。
90歳を超えて、自分できちんと準備をされ、家族にも長すぎず短すぎずのちょうど良い塩梅の介護の時間をお与えになり、ご自身の意思どおりに旅立つことが出来た一生。さらに普段逢えない70名もの親族が一堂に会する機会を作られたお父様の一生は、実に“天晴れ”だと思う。
こんな逝き方が出来ればいいな、と思えたお話だった。
一方、今の自分の状況を思えば、夫や息子(?)に100日もの間介護をされるのは、精神的にちょっとキツイ。もっともっと短くていい、と思う。
ぎりぎりまで自分の足で立ち、歩き、自分の手で自分の身の回りのことをして逝きたいと思うから。
日差しもとても柔らかく、梅も桜もびっくりして咲いてしまうのではないだろうかと思うくらい。お昼休みには重いコートが邪魔に感じ、速足で歩くと汗ばむほどだった。
今日で初発の手術から6年経った。
こうして今日も無事働いていられることを本当に嬉しく思う。昨日の出張、一昨日の通院と2日連続職場に出なかったので、朝から予想通りのてんてこ舞い。沢山のメールと机上の資料等の処理に追われ、大車輪状態の1日だった。
さて、ある方のお父様の訃報を漏れ聞いたので、お悔みのご挨拶をした。
すると、「91歳だったから十分大往生でした。しかも100日ほど介護することも出来たので、十分満足した。いきなり亡くなったわけではなかったので本当に良かった。準備も万端整えることが出来て、親父もきちんと意思表示をしていたから、その希望とおりの葬儀等ができた。」とおっしゃった。
が、御遺体は献体に出され、戻ってこられるのに最大4年かかると伺い、驚いた。その後は散骨を希望されているという。彼は「桜の木の下に、という樹木葬でもいいかな・・・」と言っておられた。御遺体が戻ってくるまで十分時間があるのでゆっくり考えたい、とのこと。
お墓は本家にはあるけれど、四男だからそこにお願いして入れてもらうことはお父様自身望んでいなかったそうだ。
それにしても4年間もご家族の元に戻れない・・・、というのは長すぎるような気がする。正直ちょっと淋しいのではないか。今、私自身、なかなか4年先のことまでしっかりとイメージできない、ということもあるからだろうけれど。
献体といえば、私のような自治体職員は継続した健康診断のデータがあるので、医学的評価等が行い易く貴重なサンプルだそうだ。この方の亡くなったお父様も胃がんの治療をしていたことで病歴、治療歴がしっかり残されていたため、病歴が全くわからない方を司法解剖するのと違ってとても歓迎された、とのことだった。
御遺体の火葬がないお葬式だったので、その間の待ち時間もなく、久々に70名もの一族郎党が集まることが出来、とてもいい見送りだったとおっしゃっていた。
90歳を超えて、自分できちんと準備をされ、家族にも長すぎず短すぎずのちょうど良い塩梅の介護の時間をお与えになり、ご自身の意思どおりに旅立つことが出来た一生。さらに普段逢えない70名もの親族が一堂に会する機会を作られたお父様の一生は、実に“天晴れ”だと思う。
こんな逝き方が出来ればいいな、と思えたお話だった。
一方、今の自分の状況を思えば、夫や息子(?)に100日もの間介護をされるのは、精神的にちょっとキツイ。もっともっと短くていい、と思う。
ぎりぎりまで自分の足で立ち、歩き、自分の手で自分の身の回りのことをして逝きたいと思うから。