ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.2.1 如月に思うこと

2011-02-01 20:11:19 | 日記
 今年も2月になった。
 私にとって2月と7月と11月は、この病気との付き合いにおいて何かかにかがある月だ。

 発端は11月。6年あまり前の11月、最初に左胸のしこりに気付いた。

 初発の入院は6年前の2月2日。手術はその2日後の4日。退院は19日だった。

 入院前日の2月1日まで連日残業で、精神的にも肉体的にもよれよれだった。正直、とにかく入院したら休めるのだから・・・と、複雑な気持ちで仕事をしていたことを覚えている。

 その3年後、再発転移告知の後、セカンドオピニオンを取ったのが2月1日。
 息子の中学入試の本命校受験日。息子を学校に送り届けて夫とバトンタッチし、大きな画像写真を片手に初めての病院に向かった。さらにサードオピニオンを取ったのが2月5日。結局その後、セカンドオピニオンを取った病院で治療を開始した。

 再発治療開始から5ヶ月後、2年半前の7月。
 七夕に入院してハーセプチン投与を開始。これまた仕事を片づけた後、午後入院して2泊3日だった。それまで骨転移進行抑制のためのゾメタ点滴による3週間に1度だった通院が、これに伴い毎週になった。

 そしてその4ヶ月後、2年余り前の11月。
 タキソテールを開始するため、中心静脈ポート設置手術と初回投与のため2泊3日の入院。投与翌週いきなり好中球が殆どゼロとなり、感染症のため10日ほど緊急入院した。その後、仕事は半年間の休職。

 タキソテールの治療が一段落し、復職した後、思い切って患者会=あけぼの会=に入会し、初めて参加した「初夏のお集まり」が一昨年の7月。
 すぐに事務局Tさんから治療日記を書いてみないか、とお話がきて、このブログの原型となった治療日記なるものを書き始めた。

 そんなわけでとりわけ2月は、病気との付き合いにおいて感慨深い月だ。
 季節としてはもうすぐ春、日差しは日ごとに明るくなってくるし、気持ち的には嬉しい時期であるはずなのにだが、やはりどうもいろいろなことを思い出してしまうのだ。
 思えば手術した日は立春だったのだな、と今更のように思う。春は名のみの冬の寒さや・・・、ではないけれど、あれ以来病気とのつきあいはエンドレスになっている。

 それでも、今年も無事2月を迎えることができた。
 来年もこの日が迎えられるように、きちんと治療を続けて行かなければならないと、改めて自分に言い聞かせている。

 今日は職場で一日中、入試出願書類の処理に追われた。
 当然のことだけれど、現役受験生の生年月日で一番若い生徒さんは、我が家の息子と3歳も違わない。一番年少だったのは平成5年3月29日生まれ。まだセブンティーンだ。
 あと3年したら息子もこんな書類を書くのだなあ、となんとなく複雑な気持ちになった。
とにかく努力が報われて、受験生に早くサクラサク春が来ますように、と我が子のことのように祈ってしまう。

 かくいう息子は、通っている学校が入試期間スタートでお休み(自宅学習と称されている。)中。このお休み期間中こそラストスパート、過去問の稼ぎ時、であると思うのだが、果たして本人はどうなのだろう。
コメント (3)
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