ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.2.22 皆勤賞のハードル

2011-02-22 20:27:57 | 日記
 いつものとおり寝起きの悪い息子。“春眠暁を覚えず”にはまだ早いと思うのだが、不機嫌を絵に描いたようにだらだらと仏頂面で朝食をとり、登校の支度が進まない。こちらはお弁当も仕上げ、後は出かけてもらうだけ、なのに。どうしたのか、と聞くと「今日は無理・・・」だと言う。頭が痛くてだるい、のだそうだ。ただし、朝食は完食。

 今日は部活の記事の締切日でもあった。年末から分かっていたことなのに、遅々として筆が進まない。昨日の夜たらたらと書いていたけれど、当然のことながら仕上がっていない。「原稿は、締切日後、試験前までは受け付けるけれど、試験勉強が出来なくなるのは自己責任」と顧問に言われたらしい。
 学年末試験まで既に2週間を切っている。

 熱を測らせたが平熱以下。診察券と保険証、現金を準備し、私の出勤と一緒に出かけて、クリニックに行かせようとしたが、リビングでいびきをかいて寝てしまっていたので、今飲んでいる花粉症の薬との飲み合わせを確認してもらうためのメモを置いて、そのまま出勤した。単なる寝不足か、いやはや受験の疲れが出たのかどうか。

 結局、11時近くまで寝ていて、その後、クリニックに行ったようだ。昼休みに電話をすると今帰ってきた、ということでお弁当を食べていた。先生からはいつものとおり「風邪による・・・」と言われたと言う。いつもどおりの薬も頂いてきた様子。そんなに元気なら午後からでも行けるのでは、と思ったが、そうも言えずじまいで電話を切った。

 中3になってからは、勉強はさておき、体力もつき、クラスのメンバーにも恵まれ、学校そのものは楽しかったらしく、皆勤だった。
 1年の時は、ちょうど疲れが出たのか6月頃に一度頭痛で早退したことがあった。2年の時は、インフルエンザでの欠席はカウントされないから皆勤賞が狙えるね、と言っていたら、学年末の通知表には1回遅刻の表記。そんなはずは・・・、と保護者会で尋ねたところ、合唱コンクールの日、昼の集合時間に大幅に遅刻したのだと言われた。これも寝坊の結果。この時も、恥ずかしながら過保護だけれど、私たちが出勤した後、また寝てしまうのではと、夫と交替で何度か電話をしたのだった。電話に出なかったのでさすがに起きて出かけたのだろう、と安心していた。けれど、実は起きてみたら集合時間だったようだ。焦って昼も食べずにダッシュで駆けつけ、とりあえず自分の舞台には乗ることができたので、私たちには遅刻を黙っていたようだ。

 来たるべき卒業式での皆勤表彰は3年間通しての皆勤に限るが、精勤賞なら各学年で1日までの欠席等もOKだそうだ。そんなわけで、このまま3月まで無遅刻無早退、無欠席なら精勤賞を頂けるらしい。

 母としてはちょっとばかり、いや、正直なところかなり楽しみにしているのだから、あと少しの間、なんとか頑張ってほしいのだが・・・。

 今回のナベルビン9クール1回目は本当に副作用が楽で良かった。このくらいだったら全く問題ない、と我ながら単純だが、テンションが上がる。
 早くも明日はまた通院日。今回も副作用が軽くうまく乗り切れることを祈って出かけたい。

 日本時間で今朝発生したニュージーランドの大地震に心が痛む。シンボルマークとも言えるクライストチャーチの大聖堂の無残な姿。いつか行ってみたい国の一つだったのに。被災者の方たちの一刻も早い救出を心から祈りたい。
コメント (3)
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