ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.9.23 秋分の日、合唱練習の日に想うこと

2014-09-23 20:58:09 | 合唱
 暑さ寒さも彼岸まで・・・のとおり、すっかり秋らしい爽やかな休日になった。日中の陽射しはそれなりにあるけれど、朝夕は涼しい。寝ても寝てもいくらでも眠れるといった具合で、今朝も朝の連続テレビ小説をベッド鑑賞した後、ウダウダと小一時間過ごしてグウタラな一日の始まりになった。

 今日も合唱練習の日。今日の8回目を終えると来月2回の練習を経て、11回目がもう本番である。
 いつもと同じ時間の特急に乗ったが、朝食が遅かった所為か乗換駅ではまだ食事が摂れず、練習場の最寄駅で軽くお腹に入れてから練習場に向かった。
 まずは先輩指揮者のご指導により、先週、先生から出た色々な指示を復習しながら軽く歌うこと、1時間。
 予定時間きっかりに先生の練習が始まった。今日も人数が多い。現役応援も含め、ソプラノも10人以上いる。これまで殆ど練習していないアカペラの外国曲2曲をみっちり2時間。両曲とも前回、先生がお帰りになってから練習した曲で、今日も道中i podと楽譜で復習しながらやって来たのだが、やはり実際に声を出して歌ってみると随分違う。
 先生がお帰りになってからの1時間は、もう一人の先輩指揮者により、ジャズミサの練習。さすがに4時間の練習で声はかすれてくるし、がっくり疲れる。終了後は本番に向けての事務連絡等があり、終了は勤務時間終了と同じ時間になった。
 帰りは、高校時代の先輩でもあるベースの先輩とターミナル駅までご一緒してきた。

 今年で5回目になる、大学ホームカミングデーに合わせたOB・OG合唱団への参加。これまでの4回は夫と息子が欠かさず聴きに来てくれていたが、今年は息子が京都在住で、来てね、というわけにもいかない。「同じ合唱人になったので、聴きに行きたい気はやまやまだけどね~」とのこと。そのため、今年の聴衆は夫一人のつもりでいたのだが、夫が実家の両親を誘ったところ、一緒に前泊して聴きに行ってみたいとのこと。既にホテルの手配も済ませた。

 が、昨日、実家のお泊りから帰宅した息子の話によれば、86歳になる父はかなり体力が落ちている模様。一昨日の昼食会後は、最寄駅までバスに揺られ、駅から自宅迄の10分の距離を歩くことが出来ず、タクシー帰りだったそうだ。50年近く持っていたゴールド免許も既に返上し、実家のガレージは空っぽの物置になった。夕食後は早々に入浴し、“疲れた”の連発で早々に就寝してしまったらしい。
 翌日の昨日も昼食に外出する元気もなく、息子は、母と2人で出かけたという。これまで細々と続けてきた月1回のホテル昼食会も、早晩実現が厳しくなるだろう。けれど、そのお出かけが数少ない生活のハリになっているならば、こちらから「これからは自宅まで出向こうか」と言い出すのもどうしたものか、と決めあぐねている。
 そんなわけで、京都に同行出来た母はさておき、行ってみたいという気持ちはあっても、父が都心に1泊して合唱を聴きに来られるくらい体力があるのかどうかはわからない。何とか実現出来たにせよ、今年が最初で最後だろうな、と思う(今年の舞台に乗る予定の私も、来年元気に歌えているかどうか、神のみぞ知る、である。)。元気な両親に会うことが出来るのもあと何回あることか。いよいよ1回1回を大切にしなければ、と思う。誘ってくれた夫には感謝である。

 義母が亡くなってこの29日で1年になる。週末には法事のために夫と2人で帰省する。1年なんて本当にあっという間だ。もし“余命1年”と言われたら、一体何が出来るだろう、とつくづく考え込んでしまう。
 秋が来て、冬が来て、春が来て、夏が来て、次の秋はない、ということだ。そして最期の夏はこれまで通り元気に動き回れる保証すらない。
 毎日をどんなに愛おしく思い、後悔しないように過ごしてみたところで、おそらく“もう十分”と言い切れることはないだろう。こうして日々やりたいことをやりたいようにやらせてもらえている私は、間違いなく良い人生を送れている、とは思うのだけれど。

 母校である高校の文化祭に出かけた息子は、夕食は要らないとのことで、最寄駅まで迎えに来てくれた夫と夕食を済ませてきた。
 明日帰宅すればもう息子はいないのだな、としみじみ。今日も一体何時に帰ってくることやら。束の間の3人生活もカウントダウン。明日からはまた、“二人暮らし、みやこ暮らし”の生活が再開する。
コメント (2)
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