ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.9.25 緩和ケア外来で、セカンドオピニオン外来で・・・何が悩みなのか

2014-09-25 21:54:02 | 日記
 以前もご紹介させて頂いた、読売新聞医療サイトyomiDr.連載中の大津秀一先生のコラムで、続きも早く読みたいと思った最新号を以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話(大津秀一)
セカンドオピニオンから見える患者の悩み(2014.9.25) 

セカンドオピニオンという言葉があります。
 かかっている医師の診断や治療法が妥当かどうかを、別の医師に意見を求めることです。
 現在では有料の(病院によっては結構高いです)セカンドオピニオン外来を設けている病院も増えて来ています。
 私は緩和ケア外来を担当しています。
 自院に通院している患者さんで、苦痛を緩和してほしいと主治医から紹介された患者さんを外来で診察させて頂いて、苦痛緩和を行っています。
 様々な方がかかっていますから、がんの早期の方も、もちろん治療中の方も、終末期の方もいらっしゃいます。最近は抗がん剤などの治療中の方が多いです。
 緩和ケア外来はどこも一定の時間を確保して診察することが多いです。
 ですので、対話の内容はしばしば苦痛とその緩和策に留まらず、治療中の患者さんの生活上の注意や、今行っている治療で良いのかなどという「がん治療そのもの」あるいは「がんを抱えてどのように生きるのが良いのか」という話題に至ることも稀ではありません。時には「なかなか理解してもらえない家族との向き合い方」の話や「生き方」にまで話が及ぶこともあります。
 「がん治療そのもの」についての質問もしばしば投げかけられます。
 主治医の先生にはなかなか尋ねにくいのか、「先生、この治療で良いのですか?」と直接的な意見が求められることがあります。
 そう、緩和ケア外来がまるでセカンドオピニオン外来のようになっているのです。
 そのような事情がありますから、緩和ケア担当者は抗がん剤治療の知識もある程度必要です。
 私もかつては抗がん剤などのがん治療を行っていましたし、最新の抗がん剤治療等の知識を更新すべくできる努力はしています。主にがんを治療する側の資格である「がん治療認定医」という資格も持っています。
 「さて、この治療で良いのか?」
 そう尋ねられる時は、何らかの迷いが患者さんの中にあることも少なくありません。
 それは治療の副作用なのか、精神的なつらさなのか、経済的な問題なのか、長引く治療に疲れてしまっているのか、様々な理由から「この治療を続けることが本当に良いのか」と思われ、意を決して(おそらくは主治医の先生に直接聞きづらいということで)質問されるのです。
 もちろん私にも自分の意見はありますが、まずはその困っている背景をつかむようにしています。これが緩和ケアとしての重要な支え方であるからです。
 そうやって話を聞いていくと、「効果に疑問を持って」という直接的ながん治療の効果に迷いを持っている例は必ずしも多くないということに気がつきます。
 では、いったいどのようなことに悩まれているのでしょうか? 皆さんはどう思われますか?

(転載終了)※   ※   ※

 長く再発治療を続けて行けば、当然疲れは蓄積してくる。入院して治療だけに専念しているわけではなく、日々の生活も回していく必要があるわけだから。そして、治療のゴールはない(死ぬ迄エンドレス)のだから。そんな中で、いろいろな迷いが出てくるのは致し方ないことだろう。
 辛い治療を続けていても、それなりに結果がついてきてこれまでと同様の生活が維持出来れば、深刻に迷うこともないのだろう。けれど、得られる結果と耐えるべき副作用を天秤にかけて、前者があまり伴わなくなれば、本当にこれで良いのだろうか、果たしてもっと良い選択肢があるのではないのだろうか、と訊きたくなるのは、人情である。

 私自身、再発後に転院するきっかけになったのがセカンドオピニオンだった。それから6年8カ月が過ぎ、幸運なことに現在迄、治療に迷い、主治医以外の意見を訊かなければこの先に進めない、という切羽詰まった気持ちになったことがない。後にも先にも転院時のセカンドオピニオンとサードオピニオンが最初で、今のところ最後である。

 通っている病院の緩和ケア外来の扉を叩いたことはまだない。けれど、がん治療に詳しい主治医とは別の先生が常駐されているなら、他の病院に出向いてセカンドオピニオン外来の予約を取る大変さに比べれば、ずっとハードルが低い。参考までに意見を訊いてみるということは自然な流れだろうな、と思う。

 そう、再発がん患者を長くやっていると、治療が上手くいっている時は良いけれど、ちょっと陰りが出てきたとか増悪が見られたという時には、気持ちが揺れる人が大半だろう。遺された命の時間に直結しているわけだから、何があっても動じない、というわけにはなかなかいかないのではないか。

 先生の次回のコラムがどう展開するのか予想するに、必ずしも患者は効果に疑問云々で悩んでいるのではない、ということが読みとれる。それよりも家族との関わりや、がんを抱えて生きていくあり方といった問題に悩まれているようだ、と。

 いつかもこのブログで書いたけれど、誰か(それは誰でもよいから誰か、ではなく信頼のおける、きちんと病気のことを判ってくれている誰か)に、「(あなたの選択は間違っていない)それでいいんだよ」と言ってほしいという気持ちはいつもある。
 考えて考えて、自分でこれがベストだ、と思ってその都度治療を決めて行く。だからろくに知りもしない人から自分の選択についてとやかく言われたくはない、という気持ちもある。
 定期的に効果測定をしながら、効果が見られなくなれば別の薬にチェンジをして(チェンジ出来るうちは幸せである。)、また治療を組み立て直していく-その決して容易くない、むしろ精神的にはかなりタフな作業を繰り返すにつれて、「それでいいんだよ」と言ってもらう機会がなくなっていくような気がする。

 大切な家族や友人たちが寄り添ってくれていても、自分より自分の治療方法等について詳しいわけがないから、結局のところ、主治医と相談しながら自分で決めていくしかないわけだ。そうして決めたことだから、それを迷っている・・・ということを直接(主治医には)言いづらいのだろう。もちろん、主治医から「あなたが自分で決めたことですよね(私は知りません)」と正面切って言われることはそうはないと思いたいけれど・・・。

 悩みは“孤独”なのではないか。
 次回のコラムを楽しみに待ちたい、と思う。
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