ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.3.28 春爛漫、桜の花に想うこと

2018-03-28 21:56:25 | 日記
 一昨日の月曜日、予定通り息子が関西に戻り、夫は週初めから三連ちゃんで夜の宴会。
 まあ年度末だから歓送迎会やら何やら忙しいのは致し方ない。こちらは淡々と目一杯頑張って仕事を終えた後、夕飯の支度から解放されて大手を振ってヨガクラスに出向く日々。さすがに年度末で皆さん忙しいとみえて、スタジオは少人数の参加者でゆったりなのが有難い。帰宅後も適当なありあわせの食事を摂ったり、洗濯やら何やらマイペースで出来るのが嬉しい。

 一輪二輪と咲き始めた桜が、この数日の暖かさであっという間に満開になった。明日は今日より気温が上がり、3月には珍しい夏日かもしれない、というから、週末はもう盛りを過ぎているかもしれない。綿菓子のようなソメイヨシノの塊をたわわに咲かせた枝は重そうに見えるほど。

 今日は予報通りコート要らずの暖かさ。昼休みに外に出たら、紫外線の強いこと。明日は日傘デビューしなくては。大学前の遊歩道はお花見の方たちで溢れ、携帯やカメラ片手に撮影中であった。青空と桜の淡いピンク、菜の花やレンギョウの黄色のコントラストがとても美しい。
 毎年見慣れた風景とはいえ、本当に見事に綺麗に咲いてくれる。私もついつい数枚写真を撮って、家族だけでなく、このところご無沙汰している友人知人にもLINEで「地元の桜、満開です」とお裾分けの写真を送った。
 
 桜と言えば、色々な想い出がある。
 息子の保育園の卒園式で歌われた「さよならぼくたちのほいくえん」の「さくらのはなびらふるころはランドセルのいちねんせい」の歌詞を想えば、いまだに涙腺が決壊する。
 そして、病を得てからの想い出になる。初発の術後放射線療法で25回、1か月以上に渡り病院に通ったあの頃。ようやく治療終了間近になった頃、病院の帰り道、小さな川べりに枝を伸ばし咲き誇った満開の桜を見て、「ああ、私はまだ生きているんだ」と涙が溢れたこと。桜というのはこんなにも命と繋がっているものだと思えたあの日のこと。

 さらには、ともに病を得て励ましあった今は亡きお友達とお花見を楽しんだこと。また来年ね、と約束したのに来年はなかったこと。桜が大好きで、棺に桜の枝を敷き詰めたという彼女のこと。桜が散り終えた頃、天に召された彼女のこと。
 涙とともにあるのが桜、になってしまった。誰も教えないのに咲くべき時に命の限り咲き、無情な雨が降り、風が吹けば儚くも潔く散っていく桜の花。

 今年度も余すところあと2日。
 職場では年度内に引き継ぎを終えるようにとお達しがあり、4月2日からは即新メンバーで新年度業務にあたる。新年度の印刷物やら何やらの納品で、このところ力仕事も多い。手袋は手離せないし、いちいち人の手を借りることも出来ないから、出来る限り体調を整え、身体を鍛えておかなくては。そして無事今年度業務を終え、新年度業務にソフトランディングしなくては。 
コメント
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