ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.3.1 日々是更新!これぞ幸せの極意

2018-03-01 21:17:35 | 日記
 今日から弥生3月。待ち遠しい春、希望の春である。ということで、今日は希望の話題をひとつ。
 何度もこのブログでご紹介している毎日新聞連載中のコラム、香山リカさんの「ココロの万華鏡」。最新号で、本当にそうだ!と膝を打ったので、以下転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

香山リカのココロの万華鏡 「希望」書きかえできる/東京(毎日新聞2018年2月27日 地方版)

 女性精神科医が集まって「女性のメンタルヘルス」を勉強する会に出席した。講師の赤穂理絵先生は、がんの患者さんの心のケアにくわしい精神科医だ。がんになった女性の心にどういう変化が起きるか、精神科医などの心の専門家はどんなサポートができるかについて、具体的な事例を交えて話してくれた。
 質疑応答の時間になって、ある女性医師が「がん患者さんや家族と向き合って、先生自身もしんどくならないですか」と質問した。すると、赤穂先生はこんなことを答えた。
 「患者さんの病室に行くときは、こちらもなるべく“希望”を持っていくようにします。希望は時期や病状によってリフレイム(見方や意味を変えていくことが)できるのです。初期なら“完治させよう”、手術の後は“仕事に戻ろう”、そしてたとえ再発したり、病状が重くなったりしたとしても、そのときなりの希望は持てます。最終的には“今日いちにち生きよう”というのも、その人と医者の希望になるのです」
 希望は、そのつど書きかえることができる。私はこの言葉に感銘を受けた。私たちは希望や夢を持っても、かなわなければ「もうダメだ」とがっかりし、ときには生きる意味を見失ってしまう。でも、たとえば「社長になりたい」という希望を持っていた人でも、家族ができれば「仕事よりも子育てを頑張りたい」と変更したり、若い頃は「陸上競技の選手になりたい」と思っていた人が、それが達成できないまま高齢になって、「季節を感じながらゆっくり散歩したいものだ」という希望を抱いたり。
 最初の夢を実現できなくても、「いま何ができるか」と考え、それに見合った目標を設定し直すことができるのだ。大きな夢や希望だけに価値があり、ささやかなものには価値がないということはない。重い病気にかかって入院生活を送る人が、「自宅に外泊したい」という希望を胸に頑張って実現したら、海外旅行や有名レストランでの食事と同じくらい、いやそれ以上の大きな喜びが手に入るかもしれないのだ。
 平昌オリンピックは大いに盛り上がり、日本人選手の活躍に歓声を上げた人も多いだろう。もちろんメダリストはすばらしいが、そうはなれない私やあなたにも夢や希望があり、それには大きな意味や価値がある。「ささやかな夢」「ちょっとした目標」、大いにけっこう。「もう病気だから」「もう年だから」と言わずに、心を希望で膨らませたい。(精神科医)

(転載終了)※   ※   ※

 腫瘍内科の主治医とはかれこれ10年以上のおつきあいになる。先生は日々外来だけでなく病棟業務もあり、土日も患者会の講師等を務められたり、いつ休んでおられるのだろうと思うほど実に忙しい日々を送っておられる。先生が病気になったら大変です、と案ずるほど。

 直接ご本人に伺ったことはないが、私よりももっと重篤ながん患者とのやりとりを続ける中では、バッドニュースを伝えることもしばしばで、さぞしんどいことだろうな、とも感じている。

 けれど、これまで先生との診察時間において、全く希望が示されないことはなかったことに気付いた。なんらかの方法を一緒に探ってくださるという、得も言われぬ安心感と希望に満ちている気がするのだ。だから、健康な方たちからすれば不思議に思われるかもしれないけれど、毎回少しの間ではあっても、必ず笑い声を放って診察室を後にしている。

 今や再発10年を超え、文字通り古参のステージ4患者となった私がノーテンキすぎるのかもしれない。けれど、これまた不思議なことに最近、もうダメだ、とはとみに思わなくなっている。冷静に考えれば、再発当初よりも病状は進んでいるのに、である。
 なぜだろう。それは日々是更新ではないけれど、自分の都合の良いようにその都度希望を書き換えているからだろう、とこのコラムを拝読して、腑に落ちた。

 敬愛するSさんの瞑想ヨーガ講師養成コースを修了し、さらには患者会で講師を務めるなど、10年前に再発したときには思いも寄らなかった。その時は、息子や夫宛に遺書めいたものを残すほど先が見えない心地だった。
 リトリートも、今回が最後かもしれない、といいながらこれまで毎回参加が叶ってきた。もちろん、かれこれ8年以上続けているこのブログを綴ることさえ。

 再発当初は、海外旅行はもう敷居が高すぎる、と5年ほどパスポートを使うことが出来なかった。けれど、今の体調では海外旅行も無理だとは思わないし、現に近場とはいいながら出かけることが叶っている。今後もし海外旅行が難しくなったとしても、国内に訪れてみたい場所はいくらでもある。それが厳しくなったら自宅で旅の映像を見ることだって出来る。かつて行った旅の写真を紐解くことも。

 映画館に出向くのが厳しくなれば、自宅でビデオ観ることが出来る。本を買いに行けなくなったら、たんまり溜め込んだ本を今一度読み直すことも可能だし、もちろんインターネットでポチっと新しい本を買うことも問題ない。読むのが難しくなれば、眺めるだけでもいい。
 Sさんのヨガスタジオに行くことが難しくなれば、最寄り駅のスタジオで、それも難しくなれば自宅で・・・。こうして工夫しながらいくらでも希望は書き換えていける。今はそのことについて自分なりに自信がある。

 そして、決してそのことが不幸だとは思わない。出来ないことを数えるのは自分をより不幸にしてしまう。だからこそ今出来ることを大切に、有難いと思いつつ決して希望を捨てない。たとえそれが健康な人たちからすればちっぽけなことかもしれないけれど、それでも希望は希望。

 長く生きていれば、人生に折り合いをつけていくことはお手の物。その時その時で希望は変わっていくものだ。そして、身の丈にあった希望こそ人をより幸福にすると信じている。出来なくなったことを数えてしょぼくれない。今、出来ることに感謝して笑顔を忘れず小さい希望を持ち、更新し続ける。これぞ幸せを呼んでくる極意なのではないかと思う。
コメント (3)
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