昨夕は仕事の後に買い物をして帰ったところ、出張から直帰だった夫と帰宅が同時になった。
台風直後の気圧の変動で頭痛だし、昨日のコンサートまで非日常的に頑張った疲れも出ているし、ということでブツブツ一人ごちていたら、都心を二往復して間違いなく疲れている筈の夫が、「夕食は作るよ」と言ってくれた。
それに甘えて、台風一過のおかげでカラリと乾いた洗濯物を畳み、お風呂洗いだけして家事は放免となった。
夕食を摂り始めた時に、テロップが流れる。本庶佑先生、ノーベル医学・生理学賞受賞!の朗報だ。
いわずと知れたあのがん免疫治療薬・オプジーボの生みの親でおられる。発売当時はあまりに高額で、高齢者に使うべきかなどと命の値段を問うような物議を醸したこともあった。けれど、一体どれだけ、治療薬の尽きた末期のがん患者さんたちの命を救ったことか。どれほど多くの人たちに希望を与えてくださったことか。
獲るべくして獲った方だと誰しもが認める筈だけれど、改めて基礎研究の大切さを強調しておられた姿がとても印象的だった。賞金も若い人たちのために基金にされるという。もちろん研究は賞を獲るためのものはなく、純粋に真理を追究したもの、賞は結果としてそれに付いてくるものだ。
今日になって複数の記事を拝見するにつけ、秀才であるのは言うべきにもあらず、揺ぎない信念を持った実に魅力的な研究者であることが、そこかしこから伝わってきた。
ips細胞で先に受賞された山中先生のコメントも、本庶先生をリスペクトする思いが溢れるほど伝わってきて、胸が熱くなるものだった。いいなあ、山中先生・・・。(そういえば一昨年、ストックホルムのノーベルミュージアムで山中先生の直筆サインがある椅子をこの目で見られたのはとても嬉しかったっけ。)
がんという病と共存して14年近く。オプジーボも実用化されるまでには途方もない長い年月がかかっている。今の私にとって命の恩人の薬はハーセプチンだ。この薬がなかったらとっくの昔に空のお星様(というか星の塵?)になっていただろうから。
今のところオプジーボは乳がんには適用外だけれど、世界中の研究者がその叡智を結集してがん研究に心血を注いでいるのだと思うと本当に心が強くなる。私の治療には間に合わないかもしれないけれど、それでも遠くないいつか、この病ともっと穏やかに共存できる、ひいては治癒する時代が来るのかもしれない。
「がん治療の虚実」のブログを綴られている腫瘍内科医・SHO先生によれば治療がうまく行くかどうかは「運」と「本人の努力」と「治療環境」なのだという。これまで治療してきて本当にそうだ、と思う。
希望を捨てず、運が向いてくるその時まで、地道に努力しつつ自らの治療環境を整えていきたい。このまま少しでも長く今の生活を続けることが出来れば、私の人生、本当に感謝と幸せに満ちたものになるだろう。
改めて、おめでとうございます。本庶先生!(こんなふうに図々しくお呼びしてしまって失礼かもしれないけれど・・・一人のがん患者として許して頂きたいな、と思う。)