ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2021.5.15 エンハーツ15クール目、さらに減量11回目投与後3日目のこと ヨーガスートラ講座第2章2日目

2021-05-15 21:39:20 | ヨガ
 昨夜は早め寝なくてはと思っていた(記事にも書いた)筈なのに、寝不足だった夫が9時頃にはリビングでウトウトし始め、「眠いならさっさとお風呂に入ったら?」と声をかけているうちに、隣にいたこちらまでビデオを視ながら寝落ちてしまった。はっと目覚める度に1時間単位で時計が進んでいる。
 そして深夜2時。嗚呼、またしてもやってしまった。そこからノロノロと起き出し、先に入浴。夫は「お腹が空いた」などと言っていたけれど、構わずベッドに向かう。眠りについたのは3時をすっかり回っていた。

 あっという間に朝。4時間近くベッドにいただろうか。今日から曇りが続くという予報だったけれど、お天気は良さそうだ。目覚めるとやはり吐き気が襲う。落ち着くのを待ってから動き出すとギリギリだ。朝食の支度を整えて夫を起こす。鏡を見ると顔は相変わらず浮腫んでいる。火照りも酷い。嗚呼、不細工。 

 ヤクルトでナウゼリンを飲んでからドーナツを3分の2ほど、昨日と同じアンデスメロンを2かけ、いちご半粒、ぶどう2粒をお腹に入れる。和紅茶も飲み切れず、残りは講座を聴きながら頂くことにする。
 昨朝で治療後2日間のデカドロン4㎎とイメンド80㎎が終了し、今朝からは胃薬タケプロン、整腸剤ミヤBM、痛み止めのコデインに吐き気止めカイトリル朝食後と、疲労止めエルカルチン2錠が毎食後に加わった。
 エルカルチンはとにかく大きいし、以前はそれほど気にならなかった匂いがやけに気になって(魚のような生臭さが鼻に突く。普段に増して鼻が利くようになっている。)飲みにくい。なんとかヤクルトで流し込む。

 身支度を整え、オンラインヨーガ・スートラ講座受講のために書斎へ移動する。
 無事Zoomに繋げ、Sさんとご挨拶。ご子息のT君はますますお喋りが上手になって、ママに纏わりついている。すっかり夏らしく前髪の短いスタイルが可愛かった。
 次々に参加者の皆さんがPCの画面に揃っていく。今日から初めて参加される方もおられるようだ。T君の可愛らしい「おはよう」のご挨拶の後は出席確認。ॐ(オーム)の音を3回皆で唱えてクラスが始まる。

 続いて瞑想タイム。腹式呼吸から完全呼吸をすることで自分の周りにあるプラーナ(エネルギー)や智慧を取り込み、満たされる感覚を味わう。

 前回の続き2章2-1のおさらいからスタート。クリヤーヨーガ(行動の中のヨーガ)はタパス(辛抱)とスヴァディヤーヤ(内観)とイーシュヴァラプラニダーナ(神への祈り)から成る日常の行動である。
 今回からSさん特製、画面共有の資料が登場した。実に分かり易くノートが取りやすい。前回教えて頂いた「パンチャ・アグニ」(5つの火)を確認した後、3種類のタパス(辛抱)の説明がある。

 1サトヴィック(純性)、2ラジャシック(動性)、タマシック(暗性)がそれである。私たちが練習したいタパスは1。辛いこと(病気、けが等も含む)が起こってもスマイルをしながら軽やかな気持ちで進むこと、である。タパスをしているという力みなく自然にやっていくこと、辛いと思わずにさぁ、やりましょうと乗り越えることこそ、なのである。

 前回、こうしてきつい治療を続けているのは自分が生きていくために行うべきタパスだと書いたけれど、まだまだだな、と思う。これをすることで今、自分は磨かれていると感じながらもっと軽やかに臨みたいと改めて思う。
 ラジャシックは結果や見返りに期待して行うこと、例えば他人から評価されると思ってのボランティア等であるが、これは避ける。タマシックは誰にも言われていないのに自分をダメだと思い、自分で自分を罰するという悪魔的なタパスと言われている。これもお薦めしない。

 そのタパス(辛抱)には3つの区分がある。1からだのタパス、2言葉のタパス、3こころのタパスがそれである。
 1の、からだのタパスは清潔で衛生的に保ち、気怠さや倦怠感を追い払う。五感で自分をコントロールする。空腹でなければ食べず、見たいものがないのにTVやスマホを見るのを止める。
 2の言葉のタパスでは、意識して良い言葉を使う。言葉は鋭いナイフにも花を捧げるものにもなる。人のこころを悪い方に騒がせない言葉を選ぶことが大切だ。真実を話す時、正論は耳に痛いことがある。だからこそ優しい言葉をチョイスする。ヨーガを行って心が穏やかになるとその人の言葉は大きな影響を持つようになる。言われた側はそのことを真に受ける可能性が上がり、現実になりやすくなる。自分が使った言葉は必ず自分に返ってくる。だからこそ言葉には気を付けて、である。

 3つ目のこころのタパスには4種類がある。
 1マナップラサーダ、2ソウミャッターム、3モウナム、4アートマ・ヴィニグラハがそれである。
 1は、心の喜び、満足感を維持すること、常に心を心地よい状況に保つこと。
 2は、心を良い状態にしておきながら同時に冷静さを保つこと(浮かれすぎないこと)、つまりは智慧を持った(純粋で好奇心に満ちた)子どものような人になる、共存することがヨーガであるということ。
 3は、こころのお喋りを静かにして、こころに落ち着きをもたらすこと。
 4は、本当の自分(セルフ)に何度も戻ること。いくら練習してもこころが迷子になることはあるけれど、これはこころの性質であり、当然のことなので気に病まなくて良い。だからそのたびに何度も練習して本当の自分に戻る、それこそがヨーガである。

 おまけの話で「こころ」はどこにある?というお話も興味深かった。肉体の中のどこにあるのか、ではなく、ヨーガではこころの中に肉体が存在すると考える。肉体の周りにその10倍の大きさもあるプラーナ、その周りにやはり10倍の大きさでこころや思考が、さらにその周りに直観(真実の智慧)が、最後の外周が至福である。

 瞑想をして喜びに満ちた感じになると自分が大きくなったような感じがする経験があるが、肉体迄が自分ではなく、それをはみ出した大きな存在であることを感じられるからだという。逆に哀しみやがっかりした気分でいると、息苦しくちっぽけで縮んだ存在と感じる。本来ある大きさを押し込めているので息苦しく不幸な感じがする。人は皆、一人一人ははかり知れない素晴らしい大きな存在なのに、小さい所に押し込められるとそこから出ることも本来の大きさに戻って来ることも出来なくなる。そこから脱出するには別の視点に立って、自分を膨らませ、喜びに満ちた自分に戻る必要がある。

 2つ目の内観はタパス(辛抱)をしている時に一緒に行う方が良い。自分を冷静に振り返ることがないとエゴ(自分が練習していることを他者との区別に使う、自分の練習を武器のように使う)が強くなる。なぜそれをするのか、周りが言うから、誰かに言われるから、では達成しても嬉しくない。不要な物を整理して、本当にやりたいこと、大切なものを維持していかないともったいない。それをきちんと継続して行う。自分を見つめて知ることで精神的・感情的な不純物が減り、不安や怖れもなくなっていく。

 3つ目の神への祈り(イーシュヴァラプラニダーナ)も辛抱、内観と全て関連している。ここでいう神とは人格をもったものではなく、この世界の全てを作る純粋なエネルギーである。全てを司るエネルギーがあることを理解し、それに委ねる練習である。
 一旦全てを返し、全てを捧げる。すると私は何物でもない、でも私の中に全てがあったこと、私はこの世界の一部であり、この世界の全てだったことに気づく。「全てはうまくいっている」をベースに今は最善のことが起こっている、全て最善のことをやっている、と気づく。
 真の自分(セルフ)に戻るテクニックは「委ねる」こと。自分が真の自分(セルフ)と感じられない、繋がりを感じられない、欠点を病んだり、嫌悪感を持つと、神との一体感が断ち切られる感じがするが、神聖なものから遠ざけて切り離しているのは自分であり、神聖なものの方から私たちを切り離したりはしない。自分の中がとても静かで(だから留まっているのではなく)動きながら(活動しながら)も静かでいられること、両極端のものを合体して生きることこそヨーガの境地である。

 2章2-2でクリヤーヨーガは苦しみを弱めるためのものと学んだが、続く2-3で苦しみの原因である5つのものを示すスートラをSさんの後について復唱する。
 タパスを理解することはこれから学びを続けていく上で大変重要ということで、時間をたっぷりかけての説明となった。

 質問タイムでは次々と手が上がる。講座が終わった後のこの時間がとても好きだ。実践的なイライラの切り替え方法や怒りの発散方法を伝授して頂いたり、5つの苦しみの中に痛みが出てこないのは、何故?やオンラインミーテイングでの学びの空気感、リアルで逢う感じとどう違うか等まで広がり、実に興味深い。
 これで今日のクラスは終了。皆でॐ(オーム)を1回唱えてお開きだ。

 なんとなく名残惜しくて、退出ボタンが押せないのはいつものこと。結局、常連のJさんと今朝もまた残ってしまった。今の治療で体調不良中だけれど、この辛抱(タパス)がもっと軽やかにできるようになりたいと言葉にしたら、なんだか出来るような気がしてきた(単純)。

 満ち足りてとても穏やかな優しい気分でPCを切り、部屋から出た。外はいいお天気。風のそよぎ、樹々のざわめきも心地よい。せっかくのお天気、もったいないので、それほど溜まってはいなかったけれど、洗濯機を廻して、ベランダに干した。
 
 その後、夫はクリーニング屋さんを往復してきた。お昼を過ぎても空腹は感じなかったけれど(今朝のタパスの教えでは、無理して食べなくても良かったのだ。)、せっかく夫が買ってきてくれた小さな塩味のカップ麺を頂いた。塩気は分かったものの、味がよくわからない。結局スープだけ飲んで麺は半分も食べられなかった。

 夫が、この後Zoomのオンラインミーティングデビューだというので、サポートをさせて頂いた。予定では1時間のミーティングは倍もの時間がかかっていた。
 夕方には買い物にも行ってくれた。有難いことである。こちらはずっとリビングでダラダラウトウト。外の風が強くなったので洗濯を入れて畳んだだけ。
 夕食も夫がうどんを作ってくれた。半玉ほど頂けたかどうか。とにかくひたすらだるくて眠くて食欲不振である。

 せっかくヨーガ・スートラを学んだ日、少しでもこの穏やかさを持ちながら動いて行けたらいいな、と思っていても現実はままならないものである。
コメント
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