昔の京都の中心部を囲っていた城壁の事ですが、豊臣秀吉によって、京都周囲に城壁が構築され、京都はほぼ完全に封鎖された事がありました。
京の町を天災や外敵から守るために東は鴨川、北は鷹峰、西は紙屋川、南は九条に至る延長22.5km、高さ約4~5mの土塁造りで、約250年間存在しました、そして明治時代にほとんどが破壊されたので、今は遺構として市内に点在して、そのすごさを見せています。
もしこの御土居が残っていればベルリンの壁的な、かなり我々の生活も変わっていたと思います、そしてこんな、すごいものを造ってしまった秀吉が、栄華の名残として今も伝えられている聚楽第と言う豪華絢爛な宮殿を造ったのもご存じかと思います。
今の西陣界隈の南に位置し広大な敷地の中には贅を尽くしたようですが、実際ははかない建物で、建てられた、と思ったらすぐに壊されている・・・・天正15年(1587)から文禄4年(1595)と10年も地上に存在しなかったまぼろしの御殿です。
発掘調査などでその存在が明らかになってきていますが遺構も朽ち果ててしまったものもあり、「梅雨の井」と言う井戸があったのですが今は井戸そのものが破壊されてなくなっていたりします。
歴史の中の京都、ひとつひとつを探求してみると栄枯盛衰をつくづく感じるものです。京大総合博物館で3月14日まで展覧会を開催していますので、一度ご覧ください。
松井でした。
興味を持った方は下記URL をご覧下さい。
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