散日拾遺

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二十四節気 白露

2023-09-14 07:26:02 | 花鳥風月
2023年9月8日(金)…週遅れ

白露 旧暦八月節気(新暦9月8日頃)
 残暑も感じられる中、次第に秋の気配が濃くなってくる時期です。
 白露とは「しらつゆ」の意味で、野山の草にしらつゆが宿り、秋気が本格的になることを教えています。
 中秋の名月もこの頃が多く、虫達のすだく声も既に盛んです。日によっては朝晩、秋の趣きを肌で感じられる時候です。
(『和の暦手帖』P.74-75)
七十二候
 白露初候 草露白(くさつゆのしろし)新暦9月8日~12日
 白露次候 鶺鴒鳴(せきれいなく)  新暦9月13日~17日
 白露末候 玄鳥去(つばめさる)   新暦9月18日~22日
 
 台風13号の接近・通過で、白露の趣とはかけはなれた豪雨の一日となった。どっちみち二十三区内では、虫のすだく声を聞くすべもないが。

「すだく(集く)」
1 虫などが集まってにぎやかに鳴く。「草むらに―・く虫の音 (ね) 」
2 群れをなして集まる。むらがる。
「露霜の秋に至れば野もさはに鳥すだけりと」〈万・四〇一一〉
出典:デジタル大辞泉(小学館)

 原文は大伴家持の長歌である。末尾に全文を転載しておく。越の国と聞けばまず新潟を連想するが、敦賀から庄内の一部に至る広い一帯を指したもので、もとは高志と書いた。「越と名に負へる 天離る 鄙にしあれば」とは見くだしているようだが、続く叙述からはむしろ田舎の自然を讃仰するもののように読める。自慢の鷹が飛び去ってしまったのを惜しみ、恋焦がれる歌である。作者の夢に現れた親切な娘は誰だろう?
 鶺鴒(セキレイ)は通勤途上でも旅先でもよく目にする馴染みの鳥だが、声に注意を払ったことはなかった。ネットには、オスが求愛や縄張り主張のために出す声について「春から夏にかけての繁殖期の間にだけ鳴くものが多い 」との解説が見える。白露次候にあてられるのは、涼しい地域に暑さを避けていたセキレイが、秋になって雪の降らない地域に移ってくることによるものか。これも今ではまだ少し早いようだ。

思放逸鷹夢見感悦作歌一首[并短歌] 
【原文】
 大王乃 等保能美可度曽 美雪落 越登名尓於敝流 安麻射可流 比奈尓之安礼婆 山高美 河登保之呂思 野乎比呂美 久佐許曽之既吉 安由波之流 奈都能左<加>利等 之麻都等里 鵜養我登母波 由久加波乃 伎欲吉瀬其<等>尓 可賀里左之 奈豆左比能保流 露霜乃 安伎尓伊多礼<婆> 野毛佐波尓 等里須太家里等 麻須良乎能 登母伊射奈比弖 多加波之母 安麻多安礼等母 矢形尾乃 安我大黒尓 [大黒者蒼鷹之名也] 之良奴里<能> 鈴登里都氣弖 朝猟尓 伊保都登里多C 暮猟尓 知登理布美多C 於敷其等邇 由流須許等奈久 手放毛 乎知母可夜須伎 許礼乎於伎C 麻多波安里我多之 左奈良敝流 多可波奈家牟等 情尓波 於毛比保許里弖 恵麻比都追 和多流安比太尓 多夫礼多流 之許都於吉奈乃 許等太尓母 吾尓波都氣受 等乃具母利 安米能布流日乎 等我理須等 名乃未乎能里弖 三嶋野乎 曽我比尓見都追 二上 山登妣古要C 久母我久理 可氣理伊尓伎等 可敝理伎弖 之波夫礼都具礼 呼久餘思乃 曽許尓奈家礼婆 伊敷須敝能 多騰伎乎之良尓 心尓波 火佐倍毛要都追 於母比孤悲 伊<伎>豆吉安麻利 氣太之久毛 安布許等安里也等 安之比奇能 乎C母許乃毛尓 等奈美波里 母利敝乎須恵C 知波夜夫流 神社尓 C流鏡 之都尓等里蘇倍 己比能美弖 安我麻都等吉尓 乎登賣良我 伊米尓都具良久 奈我古敷流 曽能保追多加波 麻追太要乃 波麻由伎具良之 都奈之等流 比美乃江過弖 多古能之麻 等<妣>多毛登保里 安之我母<乃> 須太久舊江尓 乎等都日毛 伎能敷母安里追 知加久安良婆 伊麻布都可太未 等保久安良婆 奈奴可乃<乎>知<波> 須疑米也母 伎奈牟和我勢故 祢毛許呂尓 奈孤悲曽余等曽 伊麻尓都氣都流

【訓読】
大君の 遠の朝廷ぞ み雪降る 越と名に追へる 天離る 鄙にしあれば 山高み 川とほしろし 野を広み 草こそ茂き 鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養が伴は 行く川の 清き瀬ごとに 篝さし なづさひ上る 露霜の 秋に至れば 野も多に 鳥すだけりと 大夫の 友誘ひて 鷹はしも あまたあれども 矢形尾の 我が大黒に [大黒者蒼鷹之名也] 白塗の 鈴取り付けて 朝猟に 五百つ鳥立て 夕猟に 千鳥踏み立て 追ふ毎に 許すことなく 手放れも をちもかやすき これをおきて またはありがたし さ慣らへる 鷹はなけむと 心には 思ひほこりて 笑まひつつ 渡る間に 狂れたる 醜つ翁の 言だにも 我れには告げず との曇り 雨の降る日を 鳥猟すと 名のみを告りて 三島野を そがひに見つつ 二上の 山飛び越えて 雲隠り 翔り去にきと 帰り来て しはぶれ告ぐれ 招くよしの そこになければ 言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ 思ひ恋ひ 息づきあまり けだしくも 逢ふことありやと あしひきの をてもこのもに 鳥網張り 守部を据ゑて ちはやぶる 神の社に 照る鏡 倭文に取り添へ 祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし つなし捕る 氷見の江過ぎて 多古の島 飛びた廻り 葦鴨の すだく古江に 一昨日も 昨日もありつ 近くあらば いま二日だみ 遠くあらば 七日のをちは 過ぎめやも 来なむ我が背子 ねもころに な恋ひそよとぞ いまに告げつる 

【訳】
ここは大君の治められる遠い朝廷のひとつ。雪降り積もる、その名も越中、遠く遠く田舎の地。山が高く、川は遠くから白々と流れる。野は広く、草が生い茂っている。鮎が走る夏の盛りになると、島の鳥たる鵜を操る鵜飼いが行われる。流れ行く川の清らかな瀬ごとに篝火をたき、難渋しながら上っていく。 露が木々を濡らし、霜が降りる秋ともなれば、野も鳥たちでいっぱいになり、男仲間を誘って鷹狩りをする。鷹といえば、数々いるけれど、矢形尾(やかたを)の形をした、すなわち矢羽根のような尾羽をもつ、我が大黒{大黒とは鷹の名前である}は自慢の鷹。その大黒に白塗りの鈴を取り付けて朝猟に出る。たくさんの鳥たちを追い立てる。夕猟には勢子たち(追い立て役の人々)が鳥を追い立て、追うたびに鷹が鳥たちを取り逃がすことなく、手を離れたかと思うと舞い戻る。大黒のような鷹は他に得難い。こんな手慣れた鷹はほかにないだろうと、心中得意になってほくそ笑んでいた。そんなとき、ろくでなしの爺い奴(め)が、何のことわりもなしに、どんよりと一面に曇った雨降る日、鷹狩りするとだけ告げて出かけた。ところが、爺い奴(め)は「大黒は三島野を後にして二上山を飛び越え、雲の彼方に飛翔していってしまいました」と、帰ってきてしゃがれ声で告げた。とりあえず大黒を呼び戻す方法も思い浮かばず、どう言っていいかもわからない。心中は烈火のごとく燃えさかったものの、ため息がでるばかりだった。それでも、大黒に会えるかもしれないと思い、山のあちこちに鳥網を張り、見張りをつけた。山を祀る神社に照り輝く鏡と倭文織物を取り添えて祈り続けた。こうして待っていると、娘子(おとめ)が夢に出てきて告げた。『あなた様の恋求める鷹は、松田江の浜を跳び続け、コノシロが捕れる 氷見の江を過ぎ、多古の島辺りを飛び回り、アシガモが群れる古江に一昨日も昨日も飛んでいました。早ければもう二日ほど、遅くとも七日の内には戻って来ますよ、そんなに恋い焦がれなさらなくとも』と。

Ω

ヘクソカズラ

2023-08-20 23:11:17 | 花鳥風月
2023年8月14日(月)
 名前で損をする花について、「ママコノシリヌグイとオオイヌノフグリが双璧」と以前書いた。この両横綱に続く大関を挙げておく。


 ヘクソカズラ(屁糞葛 Paederia scandens)、アカネ科ヘクソカズラ属の蔓性多年草。ほったらかしのツツジの上に白い花が星屑のように散っている。「やぶや道端など、至るところに生える雑草」と Wiki にあるが、姿を愛でてわざわざ育てる人もあるぐらいで、ツツジの樹冠とともに剪定してしまうのが惜しい気がした。
 ただ、ありがたくない命名には実は理由があり、葉などをつぶすと強い悪臭を放つのだという。ヘクソカズラ(屁糞葛)はヘクサカズラ(屁臭葛)の転訛とあるが、「どちらにしても」だ。万葉集ではクソカズラ(屎葛)だという。
 花の可愛らしさや田植え女の笠に似た形に注目してサオトメバナ(早乙女花)、サオトメカズラ(早乙女蔓)、灸に似た形や灸をすえた跡の連想からヤイトバナ(やいと花・灸花)などの別名もある由。
 しかし英語ではスカンク・ヴァイン(Skunk vine)、スティンク・ヴァイン(Stink vine)、中国語では鶏屎藤(けいしとう)など、どこまでも悪臭の風評が付きまとう。ウマクワズ(馬食わず)も同様か。
 悪臭の成分ははメチルメルカプタン(別名:メタンチオール)で、食害を受ける害虫などから身を守るためのもの(アレロパシー)らしい。ヘクソカズラヒゲナガアブラムシという昆虫は、ヘクソカズラの悪臭成分を体内に取り込んで、外敵から身を守っているという。生き物の工夫は実にさまざまである。
 花言葉は「人嫌い」「意外性のある」だそうだ。意外性…なるほど。

 以下、Wikipedia から「文化」関連事項をコピペ:

【短歌】
  • そうきょうに 延(は)ひおほとれる屎葛(くそかずら)絶ゆることなく 宮仕えせむ
高宮王『万葉集』(巻十六、3855)
 そうきょう(皂莢、ジャケツイバラ)に絡みながら延びてゆくクソカズラ、その蔓のように絶えることなくいつまでも宮仕えしたいものだ…といった意味で、高宮王が奈良時代の公務員の宮仕えに関する決意表明を歌に表したものとされる。

【俳句】夏の季語
  • 名をへくそ かづらとぞいふ 花盛り
 高浜虚子、1940年作。詞書には「九月二十九日 日本探勝会。上野、寛永寺。」とある。『五百五十句』(櫻井書店、1943年)所収。

【諺】
  • 屁糞葛も花盛り
 いやなにおいがあってあまり好かれない屁糞葛でも、愛らしい花をつける時期があるように、不器量な娘でも年頃になればそれなりに魅力があるということ。類語に「鬼も十八 番茶も出花」がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%A9

Ω




揶揄か風刺か戒めか

2023-05-08 11:34:06 | 花鳥風月
2023年5月15日(月)

 ミゾソバ、それに違いないと確信し、疑いももたず追加情報を求めて図鑑を開いた。何かの弾みに買ってあった牧野植物図鑑の学生版、1977年購入とある。緻密にして要を得た解説文をたどる視線に、突然ブレーキがかかった。

 「花期は晩夏から秋」

 え?
 何度見直しても間違いない。突如暗転、ミゾソバ説は一瞬で吹っ飛んだ。地方により品種によって少々のズレがあるにせよ、夏過ぎて日が短くなる時期に咲く花が、初夏のこの時期に開花することなどあり得ない。いやいやしまった、誤った。
 それにしてもよく似ていること。気を取り直して検索すれば、「ミゾソバに似た花」といった類いの記事がバラバラと出てくる。半可通がひっかかる定番の間違いと見える。人違いならぬ花違いの相手というのが、かの有名な
 ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い、Persicaria senticosa
 姿が似るだけでなく分類上もミゾソバと同じ、タデ科タデ属(またはイヌタデ属)の一年草とある。
 形態上の鑑別ポイントは大きく二つ:
● ミゾソバの葉が牛の顔をさかさまにしたようなほこ形であるのに対して、ママコノシリヌグイでは三角形。
● 茎に下向きの刺があるのはどちらも同じだが,ママコノシリヌグイの方が刺が鋭い。
 そしてミゾソバの夏期が晩夏~秋なのに対して、ママコノシリヌグイは5~10月、これがダメ押し。

 あらためて接写に挑戦:

 

 なるほどトゲの鋭いこと、そして葉の形はまぎれもない三角形である。ミゾソバのトゲと、「牛の顔」に譬えられる葉はこちら。
 
 

 これはいかにも似たれども非なる好例。感動を噛みしめるうちに夜来の雨がすっかり上がって薄日が差し、小さなクモが仕事を始めた。ミゾソバならぬママコノシリヌグイの花柄と茎を支柱に、営々と巣をかけていく。



 それにしても、ママコノシリヌグイというこの名称の凄まじさよ。継子の尻をこれで拭えとは、揶揄か風刺かはたまた逆説的な戒めか。韓国・朝鮮では「嫁の尻拭き草」と呼ぶのだそうで、これはもう凄すぎてレトリックの域に収まらない。むろん「嫁」とは「嫁いびり」の「嫁」のことであり、平成・令和の若者が誤用するような「妻」の謂いではない。
 名前で損する草花と言えば、身近ではママコノシリヌグイとオオイヌノフグリが双璧である。「バラはどんな名で呼んでも良い香りがする」とはロミオがロミオであってほしくないジュリエットの台詞だが、あながちそうとも言えない気がする。
Ω


雑草という名の草はなし

2023-05-07 12:40:08 | 花鳥風月
2023年5月7日(日)
 中予というより瀬戸内一帯と言うべきか、ともかくこのあたりは雨が少ない。晴耕雨読は生活の理想だが、天気に任せていると「読」は少しも進まないこと必定で、そこは人為的な修正を加える必要がある。野原で遊んでいると、読み書きがバカバカしく思えてくるから困ってしまう。

 雨天を幸い骨休めかたがた、ここ数日出会った草花の記録から。

 カタバミ(酢漿草、片喰、傍食、Oxalis corniculata

 こちらが有名なカタバミさんだと知らなかったのは実に恥ずかしい。わが家の家紋は「三扇に剣方喰(みつおうぎにけんかたばみ)」だから、なおさら知らないで済まない理屈である。ちなみに「剣方喰」や「丸に剣方喰」など、方喰系の家紋は多いものの、三扇というヴァリエはなかなか見ることがなく、由来が気になっている。

 

 カタバミのすぐ近くで見たもので、検索では「タチカタバミ」という変種と出てくるが、それで良いものかどうか確信がもてない。

 
アメリカフウロ(亜米利加風露、Geranium carolinianum

 フウロソウ科フウロソウ属、在来種のゲンノショウコと同じ仲間だが、北アメリカ原産の帰化植物で1932年に京都で発見され、今では全国の道ばたでよく見かけるのだと。

トキワツユクサ(常磐露草、Tradescantia fluminensis

 ツユクサ科ムラサキツユクサ属の多年草。ドクダミの中に埋もれて見過ごしかけていたが、小さな貴婦人の風情あり。名前の漢字から在来種かと思えば実は南米原産、昭和初期に観賞用として持ち込まれ野生化したもので、外来生物法により要注意外来生物に指定されているとのこと。

 
ミゾソバ(溝蕎麦、Polygonum thunbergii または Persicaria thunbergii

 タデ科タデ属 (Polygonum) またはイヌタデ属 (Persicaria) に分類される一年生草本で、これは東アジアの在来種。田んぼの用水路がコンクリートで護岸されていなかった時代には、溝の縁などにごく普通に見られたという。ただし名前は「溝傍」ではなく「溝蕎麦」、見た目が蕎麦に似ていることから来るという。さらに「ウシノヒタイ(牛の額)」という別名があり、これは葉の形に依るのだと。下掲はピントがぼけているが、葉の形がよくわかる。
 

 
 サルスベリの足下にツルニチニチソウが密生し、その中からミゾソバやオオツルボが頭を出している。その向こうの石垣沿いの草むらの中で、クサイチゴをたくさん摘んだ。こうした細部に目をとめると、おいそれと草刈りなどできなくなってしまう。いっそ刈らずに置いておこうか。

 ついでに庭の果実から。
 

 もちろんサクランボ。甘酸っぱい美味で、ヒヨドリはじめ野鳥に6割はもっていかれる。ソメイヨシノよりは早く咲き、桃色味のない白い花弁に長い雄蕊が密生するのが特徴だが、何桜なのかよくわからない。

 
 これはアンズ(杏子・杏、Prunus armeniaca)、ヨーロッパでは近世に至るまでアルメニアが原産地と信じられていた故の学名だが、実際には中国北部説が有力らしい。『本草和名』(延喜18年/918年)には「杏子」と記し、和名をカラモモとしていたという。

 
 最後のオマケは柿の花、黄色い小さな花が枝先にびっしり付いている。秋の実りはこの時期から準備されているわけだ。

Ω